日本におけるジオパーク事始め

岩松 暉


1 ジオパークの始まり

 1996年北京で開かれた第30回国際地質学会議(IGC)からgeoparkやgeotourismをテーマとしたセッションが設けられるようになった。こうした動きを受けて、1997年に“UNESCO Geopark Programme”が提唱された。次いで2000年、リオの第31回IGCの時、地質科学国際研究計画(IGCP)科学委員会(Scientific Board of International Geoscience Programme)の答申に基づき、ユネスコに国際ジオパーク顧問団(International Advisory Group for Geoparks)が作られた。このメンバーにはIGCPや国際地質科学連合 (IUGS)・国際地理学連合 (IGU)などの国際学術組織だけでなく、各国の政府機関や非政府組織(NGO)も含まれている。2002年2月にはIGCP科学理事会で、ユネスコの支援の下にジオパークを正式に推進することを決議した(この時のオープンセッションに日本学術会議IGCP小委員会波田重煕委員長が出席しておられた)。こうした一連の国際会議を受けて、2004年2月13日パリのユネスコ本部で、「ユネスコの支援を受けるためのNational Geopark運営ガイドラインが定められた。

2 国内での始まり

 国内では2003年3月波田重煕氏が「名勝天然記念物但馬御火浦保存管理計画書」の中の「新世紀を迎えた山陰海岸国立公園」の項で、ジオパークの可能性を提案した。これがわが国における最初の動きである。以後、2004年3月には山陰海岸の岩美町や香住町でジオパークの講演をされておられる。また、6月にはユネスコ国内委員会(文部科学省)に波田氏と田中栄一玄武洞ミュージアム館長が出向き、日本でもジオパークを推進して欲しいと陳情を行った。
 中央での動きが始まったのは2004年4月(NPO)地質情報整備・活用機構(GUPI)が創立されてからである。当初は、普及活動の一環としてアメリカのgas stationに置いてあるgeological highway mapの日本版を作成する予定だった。岩松暉GUPI専務理事が友人からジオパークのことを聞き、調べたところ、2004年6月末にユネスコと中国国土資源部の共催で第1回国際Geopark会議が北京で開かれることを知ったが、既に申し込みは締め切られていた。その1週間後、同じ北京で開かれた国際大陸地震会議に大矢曉GUPI会長が参加されることになっていたので、情報収集をお願いした。そこで、大矢氏は国際Geopark会議の主催機関の一つである中国地質科学院を訪問され、Zhao Xun前所長、Dong Shuwen副所長と今後の協力について懇談して来られた。得られた情報をもとに、2004年7月26日付けのGUPI Newsletter No.4にGeoparkの記事を掲載した。まだGEOPARKと原語のまま使っていた。8月5日にはGUPIホームページ内にGEOPARKのページを新設して、情報発信を始めた(右図参照)。
 8月16日大矢会長と岩松専務理事が環境省炭谷事務次官と面会、国立公園の地学面での利活用とGeoparkの設立について実現方を要望したところ、担当の黒田計画課長をご紹介いただいた。黒田課長は既にGeoparkという制度を知っておられ、「ユネスコがらみは文科省主導だが、自然環境に関わる問題では環境省も協力している。 国立公園で地学関係の啓発活動が弱いことは自覚している。 Geopark実現と既存国立公園の利活用という両面作戦が必要なのだろうが、いずれにせよ協力にやぶさかでない。後者については、見本となるようなマップやガイドブックができないものだろうか。」とのことだった。続いて18日には産業技術総合研究所(産総研)に赴き、佃榮吉地質調査総合センター代表はじめ産総研幹部の方々と懇談し、英国地質調査所が刊行しているWalkers’Guideのようなものを企画し、地質学の普及活動にも努めて欲しいと要望したが、この時にもGeoparkというものの解説を行った。また、環境省黒田課長の薦めもあって、文部科学省(文科省)国際統括官ユネスコ担当官にもGeoparkについて、やはり実現方を要望したが、かなり否定的な見解であった。また、文化庁記念物課にも協力方を要望した。
 一方、2004年8月フローレンスにおける第32回IGCでもジオパークの特別シンポジウムがあったが、波田重煕氏が参加し、その報告を日本地質学会Newsに投稿された。これは2004年11月号に掲載された。

3 地質学界内でのPR

 これ以降、2005年くらいまでは地質学界内でのPRが主として行われた。2004年9月には千葉大学で日本地質学会が予定されていた。セッション申し込みギリギリだったが、IYPEと一緒にした夜間小集会を申し込んだ。世話人は天野一男(茨城大)、高橋正樹(日大)、湯浅真人(産総研)、大矢 曉・岩松 暉(GUPI)で、下記のような講演が行われた。
講演1:IYPEに関する国際的な動き 佐藤 正 氏(IUGS副会長・深田研理事長)
講演2:UNESCOのGEOPARK構想 大矢 曉 氏(IYPE国内実行委員長・GUPI会長)
講演3:天然記念物はGeoparkにならないのか 桂 雄三 氏(文化庁文化財調査官)
 その後の総合討論の前に、岩松GUPI専務理事から「国立公園ウォッチング」と題して、国立公園における地学的利用の不十分さについて解説が行われた。
 毎年開かれている産総研地質調査総合センターと全国地質調査業協会連合会(全地連)との懇談会に2004年度からGUPIも参加することになり、岩松専務理事が「Geoparkについて」と題する講演を行った。この時に、名水百選のような地質事象百選(仮称)を一般公募して気運を盛り上げたらどうかといった提案があった。
 その頃、後述する社団法人国際環境研究協会からgeodiversity特集号について、GUPI岩松専務理事に寄稿依頼があり、geodiversityの訳語について環境学者との間で論争があった。当初は非生物多様性という訳語ではどうかとの提案だったが、岩松専務理事は「非生物はabioticでありgeoとは異なる。Geoは本来ギリシア語の地球という意味だが、今のところ宇宙で地球は一つしか発見されていないので地球多様性とは訳せない。同じ漢字文化圏の中国ではgeoparkを地質公園と訳しているから地質多様性が妥当であろう。」と主張したが、決着が付かず、「ジオダイバーシティー」とかな書きすることで落着した。ジオパークについても、国際的にはIUGSだけでなくIGUも協力関係にあり、地理や地球物理を含めた幅広い地球科学関係者の協力を得たいので、中国に倣って地質公園と訳すことは止め、この頃からかな書きで「ジオパーク」を使うようにした。
 こうして、学界内での動きが始まり出した頃、既に波田氏は2005年3月山陰海岸において一般人を対象とした講演「ユネスコジオパークの取組」と香住海岸及び浜坂海岸の現地見学会を実施しておられた。先駆的な事例である。
 日本地質学会でも2005年10月12日加藤碵一副会長を委員長とするジオパーク設立推進委員会が設けられた。同月16日関東支部例会で「地球から読み取る未来―かけがえのない地質遺産からみえるもの―」というシンポジウムが開かれ、GUPI岩松専務理事が「次世代のために地質遺産を守る―日本のジオパークのとりくみ―」と題する講演を行った。翌11月18日には、社団法人東京地学協会の地学クラブでも「日本にもジオパークを」という講演を行っている。また、岩松暉・星野一男(2005)は社団法人国際環境研究協会発行の『地球環境』10巻2号ジオダイバーシティー特集号に依頼されて、「Geoparkと地質遺産の保全・活用」と題する論文を書いた。これがジオパークに関する最初の論文である。
 こうした学界内での動きが世の中に伝わったのか、JTB出版から『現在・過去・未来がみえる世界地図百科』についてGUPIに取材があったので、ジオパークのページを新設してもらった。2005年11月29日発売の2006年版からジオパークが項目として載るようになった。
 2006年1月25日、産総研で日本におけるドイツ年のシンポジウムが開かれ、ユネスコsenior advisorのW. Eder氏が来日された。氏は前地球科学部長で、ジオパークの生みの親である。"UNESCO's GLOBAL GEOPARKS NETWORK - A Tool for Research and Recreation"と題して講演された。この機に、Eder氏を囲んで産総研・GUPIとの昼食会が催され、日本におけるジオパーク推進について話し合いが行われた。

4 社会への発信

 いよいよ機が熟してきたので、社会へ発信することになったのが2006年以降である。まず、一般社会へ地質をアピールする一つの手段として、先年の産総研・全地連懇談会でも話題になった地質事象百選を全地連・GUPI共催で実施することになり、全地連機関誌『地質と調査』2005年3号および日本地質学会News 2006年1月号に公募の記事を掲載した。オーム社から脇田浩二・井上誠編『実務に役立つ地質図の知識』が2006年4月に刊行されたが、その中に、GUPI岩松専務理事による「ジオパークとジオツーリズム」なる章が載っている。
 GUPIではGEOFORUMシリーズを開催することにして、まず第1回を2006年4月7日に開催した。岩井國臣参議院議員から「国土と地質と観光と」と題する基調講演があった後、次の講演があった。
「生物多様性・国立公園等と地形・地質」 黒田大三郎氏(環境省大臣官房審議官)
「美しき我が国土を学び、楽しみ、活かすために―地域造りとしてのジオ・パーク構想によせて―」 平野 勇氏(独立行政法人土木研究所地質監)
「地質の観点から見たジオパーク 加藤碩一氏(独立行政法人産業技術総合研究所理事)
「日本の国土と観光振興」 柴田耕介氏(国土交通省総合観光政策審議官)
 一方、2006年にはジオパークに関する国際会議が2度あった。5月15日から中国河南省焦作市で国際地質公園開発シンポジウムが開かれた。これにはGUPI大矢会長が出席し、雲台山地質公園および嵩山地質公園を見学した。大矢会長は翌6月にはオーストリアのKamptal Geoparkも視察している。ゲートを設け入場料を取る中国型よりも、日本の場合にはヨーロッパ型に近い地元に根ざしたものであるべきだろうと感想を述べておられる。
 8月になるとIYPEのプロモーションで、ユネスコ前地球科学部長Eder氏と元IUGS会長de Mulder氏が来日された。それを利用して深田地質研究所で講演会を開いた。ジオパークに関しては、Eder氏の「地質遺産・ジオパークおよびIYPEを通じた地球科学のプロモーション」と、佃榮吉氏(産総研地質調査総合センター代表)の「日本におけるGeoparkの現状・地質百選」と題する2つの講演が行われた。
 この間、地質百選の応募が相次ぎ、380箇所に達した。幹事会で整理し、委員会に提出する資料づくりに追われていた。こうしたところで伝手のあるところには、ジオパークの働きかけを個別に行った。また、天野一男GUPI理事が地質学会News2006年8月号に「地質の日」を提唱する文章を投稿された(実はその前に産総研湯浅真人氏も『地質ニュース』2000年547号で提唱されていた)。
 8月26日、第2回GUPI GEOFORUM「J-GEOPARKS―日本版ジオパークと地質百選」が開催された。岩井國臣参議院議員の基調講演の後、ジオパーク関連と地質百選関連の2会場にわかれて、講演と討論がくりひろげられた。
 9月1日には日本の地質百選第1回選定委員会が開かれ、委員長に斎藤靖二氏(神奈川県立生命の星・地球博物館長・前日本地質学会会長)が就任した。他の委員は以下の通りである。
井上大栄氏(電力中央研究所主席研究員・日本応用地質学会会長)
岩井國臣氏(参議院議員・GUPI理事)
大矢 曉氏(IYPE顧問・IYPE国内小委員会委員長・GUPI会長)
桂 雄三氏(文化庁文化財部記念物課主任調査官)
加藤碩一氏(産業技術総合研究所理事・前日本地質学会副会長)
黒田大三郎氏(環境省大臣官房審議官)
柴田耕介氏(国土交通省大臣官房総合観光政策審議官)
佃 栄吉氏(産総研地質調査総合センター長・日本地質学会副会長)
西山英勝氏(日刊建設通信新聞社長)
祢屋 誠氏(国土交通省総合政策局技術調査官)
平野 勇氏(土木研究所地質監)
広瀬敏通氏(日本エコツーリズム協会理事)
舩山龍二氏(日本ツーリズム産業団体連合会会長)
吉田雅彦氏(経済産業省産業技術環境局知的基盤課長)
なお、この委員会は10月と翌年3月に委員会を開いている。
 9月18日から21日まで、北アイルランドのベルファストで第2回国際ジオパーク会議が開かれた。日本からは産総研の佃榮吉氏・渡辺真人氏・宝田晋治氏、大矢GUPI会長の計4名が参加した。佃氏は日本におけるジオパーク活動を紹介し、宝田氏は火山災害ジオパーク構想を紹介された。渡辺氏はポスターセッションで日本のジオパーク候補地を紹介した。
 12月にはそれまでGUPIのホームページに置いてあったジオパークのサイトを日本地質学会ジオパーク支援委員会に移行し、公式ホームページとした。
 2007年からは国際惑星地球年(IYPE)が始まった。1月22日東京大学理学部小柴ホールで開催宣言式典が開かれ、ジオパークにとっても追い風となる年となった。2月3日第3回GUPI GEOFORUMが開催された。冒頭、塩川正十郎東洋大学総長(元財務大臣)の基調講演「観光と現代の教育」と岩井國臣参議院議員(元国土交通副大臣)の特別講演「ジオパークと演劇性」があった。次いで、柴田耕介国交省総合観光政策審議官の「観光立国」、福水健文経産省地域経済産業審議官の「観光振興と地域経済効果」という講演があり、その後パネルディスカッションを行った。同じ2月3日には、日本第四紀学会による「自然史研究におけるフィールドの活用と保全」と題する、野外研究・野外教育の重要性と地形・地質・考古遺産の保全に関するシンポジウムが行われ、産総研渡辺真人氏がジオパークについて紹介した。
 3月13日には第1回「地質の日」提唱共同発起人会が開かれた。地質学会・応用地質学会・情報地質学会・古生物学会・神奈川県立博物館・全地連・GUPI・産総研の代表が集まり、名称も含めて議論したが、結局、名称は「地質の日」とすること、2008年5月10日からスタートすることとなった。
 5月には佃産総研地質調査総合センター代表がマレーシアのLangkawi Geoparkを視察された。5月10日、まだ地質の日は正式にはスタートしていなかったが、この日に合わせて日本の地質百選の発表を行い、認定書を各自治体に送付した。また、5月20日地球惑星科学連合では「日本におけるジオパーク活動の推進」というユニオンセッションが開催され、地球科学の研究者と地域でジオツーリズムを行っている人たちが講演した。また、産総研地質調査総合センター発行の『地質ニュース』7月号のジオパーク特集号が、この日に合わせて早めに発行され配布された。通常よりも多めに刷ってさまざまな機会に配布され、各地でジオパークに興味を持つ人々にジオパークの理念を伝える役割を果たした。こうした一連の動きが実り、マスコミも関心を抱いたらしく、まず6月18日付朝日新聞科学欄が取り上げてくれ、「地質遺産」で地球を学ぼう―ジオパーク第1号めざし各地で動き―と題してジオパークが大きく報道された。以後、各地から講演の依頼が舞い込み、GUPI岩松会長や産総研渡辺真人氏・佃榮吉氏・加藤碵一氏などが出向いた。
 一方、こうした流れとは別に2007年7月岩井國臣前参議院議員(前国交副大臣)を会長とする日本ジオパーク・モデル化研究会が全地連を事務局として活動を始めた。なお、岩井氏は2007年5月10日の参議院国土交通委員会における「広域的地域活性化のための基盤整備に関する法律案」の審議の中でジオパークについて質問を行っておられる。
 9月には札幌で開かれた全地連技術e-フォーラムで北川健司遠軽町長による「白滝黒曜石遺跡ジオパーク構想について」と題する講演があった。引き続いてあった日本地質学会札幌大会でも市民講演会「地質遺産の活用でまちおこし―ジオパークの試み―」が開かれた。最初に産総研佃榮吉地質調査総合センター代表からジオパークについて概略の紹介があった後、北海道大学岡田弘名誉教授の特別講演「洞爺湖・有珠山ジオパークの魅力―活発な地球を学び親しもう」があった。また、事例紹介として、白滝黒曜石遺跡や様似町アポイ岳など、道内各地の取り組みも紹介された。
 一方、10月には地質百選の解説書『日本列島ジオサイト―地質百選―』がオーム社から刊行されたが、好評を博して4刷りまで増刷された。これもジオパーク運動の普及に大いに役立った。
 10 月4 日糸魚川市長・豊岡市長の呼びかけにより、ジオパーク連絡協議会発起人会がGUPI 事務所で開かれた。集まったところは下記の通りである。
白滝黒曜石(北川遠軽町長・他)
アポイ岳(坂下様似町長)
洞爺湖・有珠山(山中壮瞥町長・他)
五浦海岸(天野茨城大教授)
箱根・小田原(白木小田原市企画部長・他)
糸魚川(米田糸魚川市長・他)
山陰海岸(馬場新温泉町長・他)
四国(永野相愛会長)
雲仙(河本雲仙岳災害記念館長・他)
霧島(前田霧島市長)
天草御所浦(長谷御所浦白亜紀資料館長:オブザーバー参加)
この会議では、発起人代表として壮瞥町長・新温泉町長・糸魚川市長および雲仙地区代表(後日決定)を選び、連絡協議会設立総会開催準備をお願いすることになった。
 10 月28 日には東京新聞・中日新聞サンデー大図解「日本の地質遺産」が見開き2ページオールカラーの特集を組んでくださった。これにはGUPI岩松会長の「地質多様性が自然をはぐくむ」と題するコラムが掲載され、中でジオパークについて解説している。この大図解は、後に友好紙の北海道新聞や西日本新聞にも転載された。これも大きな反響を呼び、また各地からの問い合わせが増えた。
 12月26日、日本ジオパーク連絡協議会の設立総会が文京シビックホールで開かれた。総勢50 人で大変盛会だった。構成は、白滝黒曜石遺跡・アポイ岳・洞爺湖有珠山・小田原箱根・南アルプス・糸魚川・山陰海岸・雲仙・霧島の9 地域が正会員、五浦海岸・石見銀山・四国・天草御所浦の4 地域がオブザーバーである。規約や中央省庁・学会等に対する要請文を採択したが、選出された役員は以下の通りである。
会長:米田徹(糸魚川市長)
副会長:山中漠(壮瞥町長)・中貝宗治(豊岡市長)・吉岡庭二郎(島原市長)
理事:坂下一幸(様似町長)・小澤良明(小田原市長)・小坂樫男(伊那市長)
監事:北川健司(遠軽町長)・前田終止(霧島市長)
 連絡協議会設立を受け、日本地質学会ジオパーク設立推進委員会のホームページは閉鎖し、日本ジオパーク連絡協議会のホームページを立ち上げた。これはマスメディアから、情報源が複数あると混乱するとの苦情が寄せられたためである。このホームページは、いずれ日本ジオパークネットワークが立ち上がる予定なので、臨時にGUPIサイトに置いてあるが、正式なドメイン名http://www.geopark.jpは既に取得してある。また、連絡協議会関係者によるメーリングリストも同時に開設した。これは翌2008年になって、日本ジオパーク委員会委員や日本地質学会ジオパーク支援委員会委員も参加し、全ジオパーク関係者の情報交換の場として機能するようになった。
 なお、設立当初は実質的には自治体代表者の会議であったが、その後、各地でジオパーク推進協議会のような名称の協議会が立ち上がり、ユネスコのいう地元での持続可能な運営組織の萌芽的形態が出来つつある。また、各地で講演会・見学会・ガイド養成講座などが精力的に行われるようになった。

5 制度整備

 2008年からは本格整備の段階になった。上記のような社会への発信と共に、審査認定機構づくりについて、中央省庁との折衝が背面で進行していた。これには産総研が中心となり、時にGUPI岩松会長も同行した。連絡協議会結成にみるような地方の盛り上がりを受けて、ついに2008年1月外務省が音頭を取り、中央省庁連絡会議が開かれ、日本ジオパーク委員会の構想が練られた。主としてアカデミーを中心にして構成し、関連中央省庁はオブザーバーとして参加すると共に、ユネスコへの窓口は文科省及び外務省が当たってくれることとなった。国の正式機関ではないから重みのある委員長を据えて欲しいとの中央省庁側の要請に応じて、尾池和夫京都大学総長にお出ましをいただくことになり、国際惑星地球年日本の小玉喜三郎会長と産総研渡辺真人氏およびGUPI岩松会長が京都大学にお願いに出向いた。幸い快諾を得て、5月28日に第1回日本ジオパーク委員会(JGC)が開催された。委員は以下の通りである。
伊藤和明 NPO 防災情報機構会長
尾池和夫 京都大学総長(委員長)
加藤碵一 産業技術総合研究所フェロー
小泉武栄 東京学芸大学教授
鹿野久男 (財)国立公園協会理事長
瀬古一郎 全国地質調査業協会連合会会長
高木秀雄 早稲田大学教授(日本地質学会)
中川和之 時事通信社編集委員(日本地震学会)
中田節也 東京大学地震研究所教授(日本火山学会)
町田 洋首都大学東京名誉教授(副委員長:日本第四紀学会)
松本 淳首都大学東京教授(日本地理学会)
また、参加した中央省庁のオブザーバーは下記の通りである。
外務省、文部科学省、文化庁、農林水産省、林野庁、経済産業省、国土交通省、環境省

 もちろん、社会への発信も平行して行われていた。たとえば、日本地理学会は3月30日に「ジオパーク,ジオツーリズムの現在と可能性」と題するシンポジウムを行った。人文地理・自然地理・地質の関係者がジオパークとジオツーリズムについて議論した。前年までのように地質学界内での閉じた世界から幅が広がった意義は大きい。
 2008年5月には、日本地質学会のジオパーク設立推進委員会の役割は終了したとして、代わりに天野一男茨城大学教授(GUPI副会長)を委員長とする日本地質学会ジオパーク支援委員会が発足した。地質学会メンバーが各地で働きかけて、運動の輪が広がりつつある。
 6月22日からはドイツのオスナブリュックで第3回国際ジオパーク会議が開かれ、日本からも大挙参加した。洞爺湖・糸魚川・山陰海岸・島原の4地域と産総研渡辺真人氏およびGUPI矢島道子理事が講演を行って注目を浴びた。
 9月2日ユネスコ松浦事務局長の来日に際して、日本のジオパーク関係者との懇談の機会を設けてもらった。参加者は下記の通りである。

松浦ユネスコ事務局長、ユネスコ堀内氏
外務省安東国際文化協力室長、同省濱田事務官
文科省渡辺室長(ユネスコ国内委員会事務局次長)
同省国際統括官付日俣係長
日本ジオパーク委員会委員長 尾池京大総長
日本ジオパーク連絡協議会会長 米田糸魚川市長
同副会長 山中壮瞥町長、中貝豊岡市長、吉岡島原市長
ジオパーク委員会事務局 産総研渡辺氏
 席上、松浦事務局長から、「ジオパークは良い事業と思っている。地球をしっかり研究し、地球に関わる遺産を保全し多くの人に見てもらうことは大事である。今年はユネスコが音頭を取った国連国際惑星地球年であり、ジオパークはそれに先駆けて活動している。個人的にはもっと大仕掛けにできればよいと思っており、国際的に広めていきたい。日本の活動を高く評価している。」といったお話があった。
 9月20日には日本地質学会秋田大会の際、市民講演会「男鹿半島・大潟村・豊川油田をジオパークに」が開催され、また「地域振興と地質学―ジオパークが開く地域と地質学の未来―」と題するシンポジウムが開かれた。10月17日には高知における全地連技術e-フォーラムで岩井國臣(社)国土政策研究会会長が「究極の観光資源・ジオパーク」と題する講演を行っている。
 遡るが、夏には、日本ジオパーク及び世界ジオパークへの申請書受付を行った。連絡協議会参加メンバーの大部分から申請書がJGCに提出された。
 これを受けてJGCは9月4日に第2回委員会を開催して審査方針を審議し、以後書類審査だけでなく、手分けして現地視察を行うなど精力的に活動し、10月20日の第3回委員会で、世界ジオパークネットワークへの推薦候補として洞爺湖有珠山・糸魚川・島原半島を決定した。
 一方、11月11日には和歌山市で開催された第85回近畿ブロック知事会議で『ジオパーク構想に関する支援についての緊急提言』が採択され、関係省庁などに伝えられた。
 12月8日のJGC第4回委員会では最初の日本ジオパークとして、アポイ岳、洞爺湖有珠山、糸魚川、南アルプス(中央構造線エリア)、山陰海岸、室戸、島原の7箇所を認定した。
 2009年2月20日には日本ジオパークネットワーク設立宣言を行うセレモニーが東大理学部小柴ホールで開かれる予定になっている。

<付表> 各地にあるジオパーク関係組織

白滝黒曜石遺跡ジオパーク構想推進協議会(北海道)
様似町アポイ岳ジオパーク推進協議会(北海道)
洞爺湖周辺地域エコミュージアム推進協議会(北海道)
糸魚川ジオパーク協議会(新潟県)、糸魚川ジオパーク推進市民の会
小田原・箱根ジオパーク推進連絡会(神奈川県)
南アルプス世界自然遺産登録推進協議会(長野県・静岡県・山梨県)
山陰海岸ジオパーク推進協議会(鳥取県・兵庫県・京都府)
隠岐の島ジオパーク検討委員会(島根県)
室戸ジオパーク推進協議会(高知県)
島原半島ジオパーク推進連絡協議会(長崎県)
霧島ジオパーク推進連絡協議会(鹿児島県・宮崎県)

(2008/12/13)


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更新日:2008年12月13日