土砂災害とのつきあい方

(NPO)地質情報整備・活用機構 岩松 暉(平成16年度防災安全中央研修会, p.117-121)


1.災害とは

 みなさんは「自然災害」というと何を連想されるでしょうか。普通の方は、すぐ地震・火山噴火あるいはがけ崩れ・土石流・洪水といった語を思い浮かべることでしょう。しかし、ちょっと待ってください。無人島でがけ崩れがあっても誰も災害とは言いません。こうした現象は人類誕生前の何億年も前からあった「自然現象」であり「地質現象」です。異常な自然現象が起きた結果、人命が失われたり、財貨が被害を受けたときに、はじめて「災害」と呼ぶのです。昔寺田寅彦が「『地震の現象』と『地震による災害』とは区別して考へなければならない。『現象』の方は人間の力ではどうにもならなくても『災害』の方は注意次第でどんなにでも軽減され得る可能性があるのである。」と指摘したことがあります。

2.防災と減災

 災害因となる自然現象が中小規模なら技術の力で対抗することが可能です。ハード対策です。わが国は巨額の公共投資をして営々と社会資本を整備してきました。その結果、世界でもまれに見る安全・安心な国になりました。例えば、風水害による死亡リスク(人口当たりの死者数)は確実に減少してきました(図1)。途上国で地震があると何万人という犠牲者が出ますが、わが国で同程度の地震があっても、恐らく数十人規模しか死者は出ないでしょう(阪神大震災のような都市直下型地震は別ですが)。しかし、ハード対策は限界に来ています。これ以上ハード的に被害を減らすためには、費用が幾何級数的に増大します。天気予報の的中率を50%から5%上げるためには、コイン投げから観天望気に切り替えるだけで済みますが、80%を85%に上げるためには、気象衛星を打ち上げるなど何百億円もの投資が必要です。それとまったく同じ理屈なのです。何十兆円という巨額の公共投資をしても、死亡リスクはそれほど目に見えて減少しないでしょう。まして大規模な自然現象に技術力で対抗するなど不可能です。自然の前では人間の力など微力なのです。
 ではどうすればよいのでしょうか。神に祈るしか方法はないのでしょうか。そんなことはありません。寺田寅彦のいうように、自然現象を制御することは出来なくても、それを災害にしない、あるいは被害を軽減することは努力次第で可能です。ソフト対策が重要になってきました。100%災害を防ぐといった自然征服の発想から、被害を最小限に食い止める減災の方向へ発想の転換が必要です。

3.土砂災害

 それでは土砂災害について見てみましょう。国土交通省は建設省時代から土砂災害を「地すべり」「がけ崩れ」「土石流」と3大別してきました。先に述べたように、これらは自然現象であって、災害と混同している点で問題ですが、便利なので一般によく使われています。「地すべり災害」あるいは「崩災」などといった言葉もありますが、ここでもいちいち「災害」という語を付けずに、この国交省の分類に従うことにします。単純化して特徴を列挙すると下記のようになります。いずれも豪雨や雪解けなど降雨や地下水の増加が引き金(誘因)となって発生します。地震が誘発することもあります。
 その他、最近では規模・運動様式とも地すべりとがけ崩れの中間に位置する大規模崩壊(地すべり性大規模崩壊)も話題になっています。横断道など開発が山地に及んできた結果でしょう。
 これら3種の土砂災害のうち、地すべりは戦後大きな問題になり、1957年に地すべり等防止法が制定されました。戦後の食糧難時代、北陸の穀倉地帯で発生したからでしょう。これによってハード対策が進行し、ほとんどニュースに登場しなくなりました。最近は道路の拡幅などに伴って、人為的に不安定にしたために発生する例が出ています。地すべりと反対に、がけ崩れは増加しています。都市化が進み、都市近郊の丘陵地帯が開発されるようになったからです。土石流もなかなかなくなりません。農林業が衰退して山が荒れたため、山崩れが発生しやすくなったからでしょうか。山崩れの土砂が川をせき止めて天然ダムを形成、それが決壊して土石流になることもあります。

4.祖先の知恵に学ぶ

 このように土砂災害は土地利用の変化など人間の営みと密接に関わって消長変化してきましたが、しかし、人為的要因だけで発生するわけではありません。そもそも岩石が風化してふかふかの肥沃な土壌が形成されると、それは力学的弱化を意味しますから、表土層が適当な厚さになると山崩れが発生します。その崩土(がけ崩れの土砂)をもっとも効率よく下流に運ぶ手段が土石流であり洪水なのです。その結果、われわれの住む平野が形成され、農耕が成り立っているのです。もしもコンクリートで固めることによって自然を現状のまま永久に固定することが可能だとしたら、われわれの住む平野はとうの昔に海岸浸食によってなくなっているでしょう。山崩れや土石流・洪水などはなくてはならない自然の摂理なのです。
 われわれの祖先はそれを知っていたから、ある時は敬して遠ざかり、ある時には適当にいなしたりして、自然災害とはほどほどに仲良くつきあってきました。例えば、信玄堤は雁行状(逆ハの字形)に配列しており、土石を含んだ洪水の奔流は川の中心部を流れますが、上澄みは周辺の田畑にオーバーフローするようになっています(図2)。肥沃な土壌が客土されますから、当年は不作でも翌年は豊作となります。軽くいなす例です。しかし、明治になって日本は近代土木技術をオランダ人から学びました。海抜ゼロメートル地帯に住むオランダ人は、一滴も漏らすなとの発想になって当然です。以後コンクリート製連続堤防が各地に造られます。土砂流量の多い日本の河川では当然河川敷に土砂が溜まり、天井川になってしまいました。
 鹿児島では土石流扇状地を洗出と言いますが、藩政時代ここは耕作禁止だったそうです。幕府から外様として締め付けられ、8公2民という過酷な税制を採っていた薩摩藩でも、僅かな年貢収入より農民を失うことを恐れたのでしょう。敬して遠ざかる例です。われわれも祖先の知恵に学び、力ずくで自然を押さえ込む姿勢を改めるべきではないでしょうか。
 鹿児島県の現行宅地造成基準では、崖肩を望んで30度ラインまでは宅盤にしてよいが、それ以上近づいてはいけないことになっています(図3)。今までシラス災害などで被害が出たところはすべてこの30度ライン内に入っていたからです。祖先の知恵に学び敬して遠ざかることにしたのです。
 国のほうも遅まきながら敬して遠ざかる方法に転換しました。2000年に制定された「土砂災害防止法」では、従来のハード対策とともに総合的な土砂災害対策の必要性を打ち出したのです。危険個所については警戒区域(イエローゾーン)や特別警戒区域(レッドゾーン)を設けるなどして、住宅等の新規立地の抑制や既存住宅の移転促進など私権制限にまでわたることができるようになりました(図4)。これに基づいて、都道府県ごとに警戒区域等の設定が行われつつあります。

5.地域防災力の向上

 もちろん、災害対策がソフト対策へ転換したからといって、死者が出るのは困ります。地質現象を社会現象としての災害にしないことが肝要です。そのためには、ハザードマップ(災害危険個所分布図)やリスクマップ(被害予測図)の整備など、事前の調査研究が重要になってきます。住民にとって本当に役立つこうしたマップ類の整備が求められています。
 同時に地域の防災力を高める努力もしなければなりません。防災はお役所がやるものと思っている向きもありますが、55万都市鹿児島でも消防署員は300人程度です。例えば、地震で鹿児島が壊滅的被害を受けたとき、300人で55万人を助けるのは不可能なことは明らかです。阪神大震災でも救助された人の大部分は家族や隣人によるものでした。消防や警察・自衛隊に助けられた人は僅か2%だったそうです。「自分の命は自分で守る」のが防災の基本なのです。
 ではどうしたら地域の防災力を高めることができるでしょうか。孫子の兵法ではありませんが、敵を知り己を知ることが大切です。まず「敵を知る」つまり自然現象そのものの知識や災害に役立つ知識を身につけることが必要です。台湾では集集地震によって山が緩んだため、雨期になったら山崩れが頻発しました。台湾成功大学の謝教授によると、死ぬのは都会育ちの漢族が多く、山岳少数民族は誰も死ななかったとのことです。山岳少数民族は、どこが危ない場所か、どのような前兆現象があったら逃げればよいか、自然を熟知しているからでしょう。日本人も最近は自然から切り離された生活をしています。他山の石としなければなりません。それに同一地域では土砂災害は数十年から百年周期で発生します。祖父母から孫へ伝承されるくらいの周期です。核家族化に伴ってこうした伝承の道は閉ざされています。学校教育や公民館の社会人教育など、あらゆる機会を通じて防災教育を行いましょう。前兆現象の知識も知らなければなりませんが、異常と認識するためには、普段の状態を知らなければなりません。普段から裏山や川を見回り、平常の状態を知っておくことが重要です。土砂災害の前兆現象については、毎年梅雨前に市町村役場から配布される広報に必ず載っています。もう一度熟読しておいてください。
 さらに、「己を知る」こと、つまり自分たちの住む地域がどのようなところなのかを知っておくことも肝要です。どこが危険個所なのか、どこに防災施設や設備があるのか、避難所はどこか等々日頃から目配りをしておくことが大切です。福岡の水害で地下室が水浸しになって死者が出ました。すぐ近くに水防用土嚢の備蓄場所があったのだそうです。それを知っていれば、地下室への水の侵入を防げたかも知れません。また、災害弱者のことも忘れてはなりません。阪神大震災のとき、淡路島の北淡町ではまだ地縁社会が健在でしたから、隣のお年寄りがどの部屋に寝ているといったことまで知っていたので、的確な救助が行われたとのことです。
 しかし、知識だけあってもいざというときに行動できなければ何もなりません。自主防災組織があるところとないところでは大違いです。東京都の郊外国分寺市ではなかなか教訓的な活動をしています。ここでは昼間、男手はほとんど都心に働き出ていますから、お年寄りか女子供しかいません。そこで、熟年層を対象に防災まちづくり学校を開いて働き手を育てました。彼らが自分の町内に帰ってきて、町内会とは別に防災会を組織したのです。町内会は別な仕事があるからでしょう。ハザードマップも役所が作って上から与えるのではなく、自分たち自身で町内を歩いて危険個所などを診断して歩きました。防災ウオーキングというのだそうです。その結果を「何丁目防災診断地図」といった家が一軒一軒わかるようなスケールの地図にして印刷配布しています(図5)。防災ウオーキングに参加した人は印刷物になっていなくても頭にインプットされていますから、いざというときに役立ちます。
 皆さん方の町にはどのくらい自主防災組織があるのでしょうか。ないところは早急に結成し、あるところは活動の活発化を図りましょう。みんなで裏山や川筋を見回り、いざというときのために避難訓練や救助訓練を日頃から行いましょう。
 今年も新潟や四国などあちこちで水害や土砂災害が頻発しました。日本列島は環太平洋地震火山帯に属し、かつ北西太平洋モンスーン地帯に位置しています。したがって、災害列島でもありますが、世界でも稀な水に恵まれた豊葦原瑞穂国です。災いと恵みは表裏一体なのです。自然災害とはほどほどに仲良くつき合っていきたいものです。

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更新日:2004年10月1日