戦 時 南 方 の 石 油
岩 松 一 雄 著
は じ め に
本備忘録は昭和6年4月から21年12月までの間
(一部欠落?)、日石台湾鉱業所在勤中担当した当時世界9位の深掘井と海軍委託井の概要および、終戦後中国政府に資産引継ぎのため、中華民国の台湾石油事業接管委員会から留用を命ぜられた事情は、第1章に記した。
その間昭和16年12月から20年4月までは、太平洋戦争開戦と同時に台湾軍参謀部より、陸軍南方燃料廠要員として徴用され、台北歩兵1連隊にて2週間の軍事訓練を受けた後、ルソン島で独立工兵3連隊に配属され、南下中スラバヤ沖海戦に遭遇したが、昭和17年3月1日東部ジャワのクラガン海岸の敵前上陸に成功した。
工兵隊は3月3日油田並びに精油所を占領すると共に、油井火災の消火および破壊油田と精油所施設の復旧作戦は第2章において詳述した。
ジャワにおける任務を終るや、18年秋昭南本部に地質部の開発課新設に伴い課長として転属し、石油および天然ガスの合理的回収技術に関する専管業務の制定に着手した。
また19年夏、内地からの要請に基づき航油原料に適する油質の、中スマトラ地区ドリー構造の緊急開発計画の策定と、陸軍南方燃料廠の業績については第3章に総括した。
昭和20年3月に至り、戦況の悪化に伴う内地油田緊急開発要員として、徴用解除となり帝石台湾鉱業所出礦坑鉱場に復職し、8月終戦となり台湾は中華民国に還付されるや、接収要員として台湾省政府に留用され、21年12月業務完了により内地引揚げ帝石に復帰したが、昭和6年台湾赴任以来従事した作業メモにして、その大部分は『日石百年史』および『帝石五十年史』には採録されていないものである。
尚、本備忘録記述の経緯は、平成2年9月13日防衛研究所戦史部付防衛大教官中山隆志氏が、日石社史編纂室の紹介とて来訪され、台湾における海軍保留油田の試掘並びに大戦におけるジャワ油田の占領、並びに在シンガポール陸軍燃料本部の実績に対する事情聴取をされた折、補足説明の目的を以て防衛研究所へ資料として平成3年4月提出したものである。
も く じ
- 第1章 台湾の石油事情
- 1.1 台湾の石油資源に海軍が着目
- 1.2 台湾総督府の殖産奨励
- 1.3 海軍委託井制度の実施
- 1.4 台湾における石油さく井技術水準の躍進
- 1.5 国民政府の台湾石油事業接収
- 1.6 国民政府経済部の帝石資産の引継ぎと中国石油公司設立
- 1.7 中国石油公司の重力探査
- 1.8 戦後の新発見油田ガス田
- 1.9 出礦坑油田深層ガス発見
- 1.10 日石時代完成した錦水の世界的深井
- 1.11 終戦引揚げ帰国
- 第2章 第16軍採油隊の編成と南方燃料本部瓜哇工廠の設立
- 2.1 開戦の前夜
- 2.2 治集団ジャワ採油隊編成の経緯
- 2.3 戦前蘭印政庁の油田に関する防諜工作
- 2.4 ジャワ油田の占領と施設の破壊状況
- 2.5 チップおよびオノクロモ精油所の破壊状況
- 2.6 復旧作業計画
- 2.7 スラバヤ市郊外クルッカ油田火災井の消火作業
- 2.8 敵性人技術者の利用
- 2.9 第16軍司令官より賞詞の授与
- 2.10 チップ石油工業学校の設立
- 2.11 瓜哇工廠が実施した土木工事
- 2.12 ウォノサリー油田の現況
- 2.13 ジャワにおける石油作戦の指揮系統
- 2.14 総括
- 第3章 陸軍南方燃料本部の業績
- 3.1 本部と工廠の組織
- 3.2 本部長山田清一中将
- 3.3 開発部の新設とバンドン研究所開設
- 3.4 全廠徴用者の賃金是正実施
- 3.5 中スマトラ地区ミナス油田群の新規開発成功
- 3.6 陸軍南方燃料廠の成果
- 3.7 地質部開発課で検討した諸問題
- 3.8 総括
- 3.9 帝石徴用員の犠牲と阿波丸事件
-
- 補遺
<注> 湾岸戦争でイラク軍がクエートの油井に火を放って撤退したという事件があった。その直後防衛研究所の方が石油技術者だった亡父に取材に来られた。戦争で放火された油井火災を消火した唯一人の生き証人だから、その時の話を取材したいとのこと。その時亡父がメモとして作成し提出した備忘録がこの文章である。製本して防衛研究所・日本石油(株)・帝国石油(株)・石油資源開発(株)等の資料室にお届けした。最近、資料価値があるから読みたいとのご要望があったので、ウェブに公開する次第である。(2005.7.7 暉)
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連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:2005年7月7日(補遺:2012年5月6日)