岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

童話 2


岩松さまのこまいぬ

(1)

 むかし,あったてんがの。
栃尾の奥の中野俣村に,新山(あらやま)という部落があったてや。
     『ふーん』
 「ふーん」ではねえ。ムカシ(むかしばなし)には「さーんすけ」と合いの手を入れるもんだ。
村ん衆は,谷あいの猫のひたいのようなとこを耕して暮らしを立てておった。
     『さーんすけ』
 んだんだ,その調子。ばっちゃも話がのってくる。
だすけに,新山にはそれはみごとな千枚田ができておった。
     『おばあちゃん,千枚田ってなあに』
 山にはたいらなところがないすけ,石積んで段々畑にして,田んぼにしたとこよ。田植のころ月が出ると,「田ごとの月」いうて,田んぼごとに月が映って何10も見える。なじょうもきれいなもんだ。こんど見に行こうかいの。
     『うん』

(2)

 そうだの,雪どけのじぶんじゃった。道ばたにばんけ(ふきのとう)が顔を出し始めたころじゃ。わらしどもは田んぼでしみ渡りして遊んどった。
     『しみ渡りって何のこと?』
 春になると雪が溶けるべ。んだどもまだ雪のうわっつらしか溶けね。夜になればまたしみる。ほんで,雪はザラメみたいになっての,かたくなる。わらしならのっても平気じゃ。道のないとこでもどこでも行ける。 だども,かたいのはうわっつらだけで,中はやわっこいからきいつけれや。とびはねてみれ,スポーッと首までうまるぞ。けっして池の上さ行ってなんねえ。ええか。
     『うん。早くやってみたいな』
 話はどこまでいってたかいの。
そうそう,そったら静かな村に気味のわりいことが起こったと。

(3)

 夜さるになると,山犬がウォーン,ウォーンと不気味な声でほえるてんがの。今年の冬は大雪だったすけ,えさが山にのうなって,ほいで里さ下りてきただべか。おお,こわこわ。どこの家でもうわさしあったてや。
     『さーんすけ』
 次の日も,まっと部落さ近づいて,ウォーン,ウォーンとほえたと。
みんな,晩がたから木戸をしめて,家の中でじっとしておった。だあれも外に出はるものはおらんようになったてや。
次の日も次の日もほえ続ける。もう部落のど真ん中まできてほえた。
名主さまや肝入り衆が集まって相談しなすったと。だれかうち取るものはいないか。腕じまんの男どもも,鉄砲でうとうなんて気になるもんはひとりもおらなんだ。それほどすごみのあるふしぎな声じゃったてや。
     『さーんすけ』
 年よりたちは,なんまんだぶ,なんまんだぶと,仏だんにお祈りしたと。とうとうこんげなことが7日7晩続いた。

(4)

 ほかにもおかしげなことが,いろいろあったてや。
風もねえに,木の葉がざわざわなった。井戸が急にかれたり,赤い血がわいたりした。
     『ええっ,血が。こわい。』
 だすけに,みんな気味わりがって,ひとり去りふたり去りして,だんだん人がおらんようになったてや。
     『さーんすけ』
 「おら,もう年だ。山犬さ食われてもええ。」なんて強情はってたばさまも,おがんでいた仏だんの位はいがスーッと動いたもんで,こりゃ仏さまのたたりじゃと逃げ出したと。
ばさまがとなり部落の繁窪まできたとたん,ゴゴーッというものすごい音がして,山が抜けた。山抜けとは地すべりのこった。
ばさまが振り返って見ると,部落の上のほうの家からひとつ,またひとつと土砂に飲み込まれていったと。
「ああっ,おらえ(家)ものまれる!」
ばさまは腰をぬかして,へたへたっとすわりこんだてや。

(5)

 つぐの日,新山の衆は部落さもどってみたてんがの。
部落の上の山が深くえぐられて,むざんに赤はだをむきだしにしておった。谷あいの家は1けん残らず土砂にうまってしもうたてや。
     『さーんすけ』
 ただひとつ,尾根すじの高台にあった岩松さまのお屋敷だけは助かっていたと。みなの衆が,岩松さまの屋敷鎮守に集まって,どなんすべととほうにくれとった。
 突然,ひとりがとんきょうな声を出した。
「あれーっ,こまいぬはあんげなほうを向いていたかいの。」
みんなしてふり返ってみっと,なんと,いつもは右と左に1ぴきずついた木ぼりのこまいぬが,ならんで山のほうを向いて立っていたてや。
     『さーんすけ』
 よっく見ると,こまいぬの足さ,べと(どろ)がいっぺことついていたと。村ん衆はハッとした。
「そうか,7日7晩鳴き続けた山犬は,このこまいぬであったか。山抜けが起きるのを知った鎮守さまが,こまいぬを使わして,おらたちに逃げろとすすめなすったに違いない。だっれも死ななかったんは,鎮守さま,こまいぬさまのおかげじゃ。ありがたや,ありがたや。」
     『さーんすけ』
 宝歴10年の大地すべりの話じゃ。岩松家の屋敷鎮守は,今は別な場所に移されて,村の鎮守になっている。守門(すもん)神社のことよ。ああ,むろん,木ぼりのこまいぬさまも中にいなさる。
 これで息がポーンとさけた。

[注]

※ 新潟県山古志地方の昔話の決まり文句
  むかし,あったてんがの…昔々あったそうです
  さーんすけ…さようでございますか
  息がポーンとさけた…息がきれた,これでおしまい

[解説]

 新潟県は全国一の地すべり県である。とくに,東西,両頚城郡,古志郡に多い。私の父祖の地,古志郡栃尾町大字中野俣字新山(現,栃尾市)も地すべり地帯にある。ここに「岩松様の狛犬」という話が伝わっている。幼少の頃,祖母から度々聞かされたことがある。その通りに再録したつもりであるが,話の内容も越後弁も忘れかけているから,不正確かも知れない。御存じの方がおられたら,訂正していただきたい。
 岩松家の子孫である私は,地質学者になって地すべりや山くずれの研究をしている。因縁と言うべきか。私も狛犬となって,人様のために尽くしたいと思う。
 災害地質学の立場からこの民話を読むと,いくつかの重要な教訓が含まれているのに気付く。つまり,地すべりの前兆現象を後世に語り伝え,適切な避難を勧めたものと考える。
 例えば,山犬の鳴き声とは,地すべり直前の地鳴りのことであろう。地すべり土塊が移動を始めると,地下水路が断たれるため,井戸が渇れたり濁ったりする(血が湧く)ことがあるし,樹木の葉がこすれたり根が切れたりして音を出すこともある。大雪の年の融雪期には地すべりが起きやすいことも注意している。尾根筋が不動地で,比較的安全なことも教えている。
 祖先の経験に根ざした,こうした言い伝えは傾聴すべきものが多い。先年の長崎水害の時も,災害の伝承があった古い集落と,移住民からなる新興住宅地とで,犠牲者数で明暗を分けたという。災害知識の普及啓蒙が重要なことを教えている。

(1985.9.28 稿)


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更新日:1997年8月19日