岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

大学・学問・学生 7


『科学と仮説』

 標題はポアンカレの著書名から拝借した。本書は科学を志す者が一度は紐解かなければならない名著と言われている。中ほどに次の有名な言葉が書かれてある(岩波文庫版による)。
「人が事実を用いて科学を作るのは,石を用いて家を造るようなものである。事実の集積が科学でないことは,石の集積が家でないのと同様である。」
 この語句はとくにわれわれ地質屋が肝に銘ずべき言葉である。地質学は博物学から派生したためか,未だに単なる記載を科学と勘違いしている向きが多いからである。「○○地方の地質」とか「○○地方産出の新第三紀貝化石について」とか,あるいは「○○地方の花崗岩質岩類」といった類の,○○のところの固有名詞が違うだけの論文があまりにも多い。狭い日本でやることがなくなると,海外調査を行うわけである。
 こうした事実の記載は決して無意味ではなく,ポアンカレの言うように科学という家を建設するための素材として大変重要である。しかし,どんな家を建設するかという目的意識が明確でないと,瓦礫を集めてくる恐れがあるし,建材として優れた石でも捨ててしまいかねない。理論地震学の泰斗佐藤泰夫先生(東大名誉教授)は,鹿大での最終講義の際,「新聞記者が地震の様子をいくら克明に報道しても,それは地震学ではありません。」と述べられた。
 私の恩師木村敏雄先生(東大名誉教授)も,退官記念巡検の挨拶で,ご自分の助手時代を振り返り,「先生に教わった通り,化石を集めて鑑定するといった,ありきたりの研究方法を適用しただけであって,研究ではなく作業であった。ただただ惰性であった。」と述懐されている。後に独創的な研究をされた先生だからこそ言える反省の弁である。しかし,一度習い憶えた分析技術や鑑定能力を,職人的武器にして一生世渡りしている人もかなりいる。
 私が教養学部生の頃,立見辰雄先生(現在東大名誉教授)から,「どこに何がありました」式に単なる岩石の分布図を作ってくるのは,ペインター(色塗り地質屋とでも訳そうか)であってジオロジスト(地質学者)ではないと,お聞きしたことがある。例えば,同じ砂岩分布地域を調査するにしても,ダムを造るための調査と,堆積学的な研究のための調査では,露頭の見方が異なる。ダム建設のためには風化の程度や割れ目の入り方が重要であるが,堆積学にとって大切な古流向などは無視してもよい。目的意識のないペインターが調査すると,結局,「灰白色中粒砂岩」などとありきたりのことしか観察して来ない。見れども視えずで,「露頭を読む」ことができないのである。したがって,労を惜しまず徹底的に歩き回っても,露頭観察が不十分だから地層の対比が誤っていたりして,出来上がった地質図は信用がおけない。
 こういうペインターが研究をしようと背伸びするとどうなるか。やはり記載だけでは物足りないから,“考察”をしなければならない。粗粒岩は浅海を示し,不整合は造山運動を指示するといった教科書的知識をもとに,「昔々海がありました。ある日突然山ができました。」といった陳腐な地史を論ずる。気の利いた人は,他人(とくに外国人)の提出した最新流行のモデルを機械的に適用して,アッと驚くような目先の変わった大胆な説を唱える。一見,両者は全く違うように見えるが,実は同じ病根から出ている。露頭を読む力がないため,露頭からの発想がないのである。結局,本質的に新しい自分なりの理論がなく,他説の受け売りの域を出ない。だから,フィールドを重視して,ともかく徹底的に山を歩かせますと,それを売り物にしている大学から,安易なプレート論者がたくさん輩出したのも不思議ではない。
 地質学は,フィールドの事実に基礎を置き,緻密な論理によって理論を組み立てなければならない。先の例は,いわば,瓦礫の中で宮殿建設の白昼夢を見ているようなものである。ウサギ小屋でもよいから,日本の石を用いて自前の家を建てたいものだ。それにはどうしたらよいか。明確な目的意識を持ち,フィールドを歩くとき,考えながら歩くことである。テーマが漠然としていて自覚されていなければ,いくら曇のない眼で自然を虚心坦懐に見ると美辞麗句を並べても,所詮,見れども視えずである。また,色眼鏡で自然を見るようでは困るが,作業仮説がぜひとも必要である。小は,この地層は隣の沢ではどの付近に出るであろうということから,大は,その地域の構造発達史まで,その時点での自分なりの考えがなければならない。作業仮説があれば,それを実証しようとして,露頭の観察がより細かくなる。また,仮説に矛盾する事実が見つかったら,その事実を包含する新たな仮説を考え出さなければならない。このようにして,毎日毎日その日のデータに基づいて仮説を修正し,より精密な理論に仕上げていくのである。もちろん,地質図もより正確なものになっていく。先の大学の修士論文の指導に同行したことがある。修士最後の夏だというのに,データシートにはルートに沿って岩質を示す色が塗ってあるだけで,地質図になっていない。その地域の地質構造についての具体的なイメージも持っていないのである。それを先生は怒りもせず,「この砂岩とあの砂岩はつながるのではないか。何,走向方向に伸ばすと食い違う? それなら,ちょうどここに実断層が書いてあるではないか。これを生かそうや。」と,鉛筆でどんどん結んでいかれる。後に論文になって公表されたときには,ものすごいクリッペ(根なし岩体)となっていた。全く唖然としたものである。
 では,このように重要な役割を果す仮説の一般的条件は何であろうか。藤井陽一郎氏(茨城大教授)の講演によれば,次の4条件が必要である。
   @ Simple(単純明快)
   A Elegant(優美)
   B Comprehensive(包括的)
   C Predictable(予見可能性)
プレートテクトニクスなどは,まさにこの条件を満たしている。プレートという単純な仮定により,さまざまな地質現象を統一的に説明できたし,トランスフォーム断層を論理的に予見して発見に導いたからである。
 このような独創的な仮説を発想する条件もまたある。プレートテクトニクスが生まれた1960年代を振り返ってみると,大洋中央海嶺や海溝あるいは島弧において,さまざまの地質学的地球物理学的事実が次々に明かになってきていた。わが国においても,和達=ベニオフ帯とマグマ生成との関連が故久野先生によって論じられていたし,杉村さん(神戸大)たちのグループが,横ずれ断層系の意義を強調し,日本列島の第四紀応力場が東西水平圧縮であることを明かにしていた。海嶺における地磁気の縞模様が発見されたのもこの頃である。こうした断片的な多くの事実を総合して,R.S.DIETZ(1961)らが海底拡大説を唱え,J.TUZO WILSON(1965)らがプレートテクトニクスの体系を構築していった。いわば,多くの人が石を切り出し,彼等が家を組み立てたと言える。石がなければ家はできないが,同時に,石の集積から家をイメージする豊かな発想がなければ,実際に家はできない。本質を見抜く研ぎすまされた鋭い感性と柔軟な発想が大切なのである。大局的なものの見方も重要である。
 こんな超一級の仮説でなくとも,日本のフィールドの中から新たな仮説を生み出したいと思う。しかし,仮説は天才が発想するもので,われわれ凡人には不可能なのであろうか。もちろん,否。天才もまた人間である。ただ,それが独創的な研究へつながるか,単なる思いつきに留まるかは,それを実証するための血のにじむような地道な努力が必要なのである。また,こうした努力を通じてこそ,新たな発想が生まれるのだと言えよう。

(1986.4.17 稿)


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更新日:1997年8月19日