岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

大学・学問・学生 15


DC狂想曲

 今、本学部では博士過程(DC)を持つ理工系総合大学院構想でもちきり。右往左往と表現してもよい。背景には、農学水産系の連合大学院設置が目前に迫り、バスに乗り遅れた焦燥感がある。また、文理改組により旧6(新制大学発足当時から理学部だった新潟・金沢・熊本などの旧医大系大学、これにお茶の水女子大を含めて7大学ともいう)と肩を並べたと思ったら、またまたDCで差をつけられた悔しさもある。要するに、自分たちのステータスシンボルとしてDCが欲しいと焦っているのである。その証拠に、地方大学として鹿児島大学はどのような方向に発展していくのか、新しい大学院の内容はいかにあるべきか、また、どのような学生を育てていくのか、といった肝心の教育の問題が一向に話題にならないからである。まして、大学の自治といった観点からの議論は皆無で、文部省の意向はどうか、競争相手の大学の進捗状況、文部省の審査に合格するためには何編くらい論文が必要かといった低次元の話が多い。工学部に至っては、英語の論文なら3点、中央の学会誌の和文論文なら2点などと、論文に点数を付け、それで特別昇給の査定を行うといったクレィジーぶり。
 私見では、結論から先に言うと、形だけDCのミニ東大を作っても意味がないし、かえって害が大きいと思う。まず何よりも教員の質の問題がある。例えば、私が前にいた旧6の一つ新潟大学では、30代半ばになっても学位を取れない助手は看護学校の先生として転出させられたし、学位は助手採用の当然の前提だった。熊本大学でも教養部に配置換えされてしまった。しかし、本学では学位は自立した研究者としての出発点ではなく、助教授へのパスポートである。
 また、発想が豊かで新しいことにチャレンジするタイプの人があまりにも少なく、学生時代に教わったことから一歩も出ようとしない。先のような論文点数制では、ますます数を追うようになり、手慣れた手法でのデータ出しや単なる記載に精を出すことになってしまう。私の恩師の木村敏雄先生は、これは作業であって研究ではない、と言われた。化石の鑑定では並みの研究者よりはるかによくできるという技官の方を知っている。研究のために基礎作業は必要だが、何のためにやるのか目的意識がなければ技官と同じである。それどころか最近ではコンピュータのパターン認識が進み、コンピュータによる微化石の鑑定まで実用化されてきた。自動分析装置の進歩もめざましい。分析や鑑定の技術だけで研究者の顔ができる牧歌的な時代は終わった。
 教師のほうが作業を研究と勘違いしているから、当然教育内容まで反映する。卒論でも地質調査技術の修得が一面的に強調され、少しでもオリジナルなことをさせようとすると反発を招く。本学の卒論の方針は、前半は地質の分布図作り、後半はサブテーマと称して、採集してきた岩石や化石の分析・鑑定の室内作業をやらせるのである。意識的な目で観察しなければ、自然も見えてこないのであって、メインテーマなしにどこに行ったら何がありました式の地質図を作っても、その地質図すら信用がおけない。漫然と観察するので、せいぜい砂岩・泥岩といった粒度の違いくらいしか識別してこないからである。こうした教育では、博士に相応しい新鮮な発想の人材が養成されるはずがない。私の手元にいくつかの大学の卒論があるが、その姿勢の違いは歴然としている。
 学生の側にも問題がある。ゼミをやってもゼミにならない。ひどいものだと言うよりも、“無惨”としか形容できない。卒論で少し研究的なことをやってもらおうと思っても、自分のような者に研究だなんてとてもとてもと、尻込みする。受験勉強ですり減らせれていない感性の持主がいるのではないかと期待していたが、負け犬根性が染みついているのである。先輩はマップ作りだけで卒業したのだから、それ以上のことを苦労してやる必要はないとも言う。DCを担う主体となるべき学生がこれでは、DCは夢のまた夢。
 こうした現状では、文部省にこびて形だけ大講座制など新しい装いのDC大学院を実現したとしても、東大のミニチュア版どころかカリカチュアにしかならない。作業を研究と取り違えるような困った“研究者”を養成したのでは、世に害悪を流すだけである。まず何よりも職業訓練学校的な教育をやめ、大学らしい大学にすることが先決だと思う。DC待望論者は得てして、うちの学生は質が悪い、素材が悪ければ磨いても光らない、などと学生を馬鹿にした態度を取り、技術教育を正当化する。学生に対する信頼がなければ教育ははなから成立しない。土産物の水石の中にはニスを塗って光らせたまがいものがある。偏差値秀才も受験競争というニスを塗られただけの水石が多い。本学の学生の中には、磨けば自ら光を発する玉の原石がいるように思う。ニスが塗ってないだけ磨きやすい。彼らの芽を摘むような教育だけはやめて欲しいと願っている。
 一方、旧制帝大のDC進学率の実績を強調する人がいる。しかし、2期校コンプレックスから学歴消しのために進学した者がかなりおり、研究者にふさわしかったか疑わしい。旧6では学歴コンプレックスがないから、そのまま就職する人が多かったが、会社・官庁や高校にいて学位を取った学問好きな人も相当数いた。母校に誇りを持てるような大学にしたいと痛感する。

(1986.12.28 稿)


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更新日:1997年8月19日