岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

大学・学問・学生 14


当世学生気質

 私の駄文「薩摩隼人いまいずこ」が南日本新聞に載った。鹿児島の教育はあまりに管理主義的であり,子供の創造性の芽を摘んで駄目にしていると,痛烈に批判したもの。反感ばかり買って非建設的ではと,掲載を渋った。翌日,早速の反応。鹿児島商工会議所からの講演依頼の電話である。予想外でビックリ。同じような問題点を感じておられたとのこと。今の経営陣はかつてのモーレツ社員,恐らく新入社員の腑甲斐なさにイライラしておられるのだろう。教育の専門家ではないから系統だったお話はできないと講演はお断りしたが,現代の学生気質について,私なりにまとめてみた。
 先日教務委員会の慰労会があった。酒席での学生部次長(事務官)の言。「鹿大に転勤して来たら学生自治会もないので驚いた。今回の交通規制にしても,全学生を代表する交渉相手がいなくて困る。自治って大事なことだと思うのですが。」確かに昔ならば反対運動が起きたに違いない。しかし,交渉で合意したら,その後は実行された。今はこちらが強圧的に出れば,文句も言わず運命とあきらめて従順に従うが,見張りを止めるとすぐ元の木阿弥になる。同じような話を東大の学生部長からも聞いた。さすが文部省直轄大学,この大学だけ事務官の学生部長である。やはり現代の東大生を嘆いて言うには,「キャンパスを歩いている東大生を見ると,子供っぽくなったと思わないかい。君達の頃のように自治を要求する者なぞ薬にしたくてもいないよ。手とり足とりしなければならない。曲がりなりにも国をリードすることになる人材がこんな体たらくでは,日本の将来が心配だ。われわれが学生の頃は敗戦直後,国中疲弊しきっていたが,新日本の建設といった目標があり,努力すればもっとすばらしい社会が実現できるに違いないと信じていた。しかし,今の学生は努力したって所詮,と冷めている。」かつては学生運動を抑え込むのが学生部の主要な仕事だったはず,今ではその学生部が一番ラジカルとは。ヤレヤレ。
 本当に最近の学生は従順。講義も真面目に出席し,黙って聞いている。単位を取るためにただ座っているだけ,要するに全て受身である。質問攻めにして先生を困らせるような悪童はいない。私の学生時代には,「そんなこと教わったことがないから知りません。」と答えたばかりに放校になった後輩がいた。「不勉強でまだそこまで勉強していません。」と答えたら,勘弁してくれたはず。今やこんな話をしたら時代錯誤である。最小の努力で最大の効果を上げようというのが現代っ子,卒業研究でも従来の線並みにしかやろうとしない。
 大体集団が嫌いである。コンパで安酒を浴びてバカ騒ぎするなどは昔話。気のあった2・3人の友人と高級なスコッチでも飲むほうが好きだ。それも酒を飲みながら,人生や恋愛を論じ,政治をめぐって口角泡を飛ばす議論などはダサイ。音楽を聞きながら,黙ってグラスをなめる。お互い自分の心の中にまで踏み込まれるは嫌いだから,突っ込んだ議論などやらないのである。
 学問はもとより,スポーツにもトコトン打ち込む者は少ない。ハードトレーニングを強いられる「部」は敬遠され,「同好会」や「愛好会」が盛んである。苦しい基礎体力作りなどしなくてもゲームを趣味として楽しめばよいと言う。
 どうも恋愛もできないらしい。昔は失恋して1週間もメシがノドを通らなかったなどという学生が毎年いた。今は簡単に同棲する。しかし,一緒に住むとなると,20何年別々に育ったわけだから,物の考え方から習慣まで違う。すぐパーンと衝突して別れる。自分のことは反省せず,今度は相手をボロクソにけなす。セックスあって恋愛なし,恋愛とは互に高め合うことなどは古い古い。
 こうした彼らの生態を見ると,オジサン教師達は,青春を燃やす術を知らないのではないかと心配する。新人類だの異星人だのと言われる所以である。無気力症侯群やキャンパス症侯群などという言葉も流行った。リベラリズムの香を残した老教授は,今の学生は管理されたがっている。これではファッシズムに丸ごともって行かれてしまうのではないかと,心配されておられた。
 このようになった原因は,やはり幼少時からの管理主義教育と受験競争にあると思う。自立心を育てなかったと同時に,一人ひとりをバラバラな孤独な人間にしてしまった。集団への帰属意識が希薄なくせに,管理されたがっているという矛盾も理解される。長く政権の座にあった保守勢力は,連帯を毛嫌いし,何とか分断しようと努めてきた。それが見事に成功して,皮肉にもこのような大量のリモコン人間が生まれた。仕事よりも家庭や趣味を大事にし,命令されなければ動かない。それも最小限のことしかやらない。経営者達の嘆きが聞えてくる。自業自得と言うべきか。
 考えてみると,日本の高度成長を支え,今日見るような経済大国に仕上げたモーレツ社員や会社人間達は,戦後のいわゆる民主教育を受け,自発性が身についていた人達である。また,先の東大学生部長の言うように,当時は為政者も社会全体の目標を呈示してきたし,革新側も社会主義の理想を熱っぽく説いてきた。今や経済は失速し,社会主義国の現実は色褪せて見える。保革を問わず,もう一度青年に夢を与える義務と責任があると思う。

(1986.10.25 稿)


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更新日:1997年8月19日