岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

明日の地質学をめざして 8


火山と人 6 桜島

 雄大に火を噴く桜島は,錦江湾に映え,観光鹿児島のシンボルにふさわしい。東洋のナポリと呼ばれる所以である。維新の志士平野國臣は,
我むねの
燃ゆる思ひにくらぶれば
煙は薄し桜島山
と歌った。人の頭ほどもある島デコン(桜島大根),小粒ながらとても甘い島みかん,ビワなどの特産品に恵まれ,それに静かな湾内はハマチの養殖にもってこい。火山と温泉を求めて観光客は引きも切らず,町営フェリーは鹿児島から大隅半島へ抜ける唯一の交通路として町のドル箱だった。そのため無税の島と言われ,ガンとして鹿児島市との合併を拒否したという。

◎自然の猛威
 それも今は昔語り,桜島を東京湾に移せるものならくれてやりたいとは知事さんの言。三原山大噴火のニュースが世間を賑わせていたころ,桜島でも2mを越す巨大噴石が落下し,ケガ人を出していた。1,000mの山から火の玉が飛んでくるのだからたまらない。鉄筋の屋根はブチ抜くし,火事になる。子供達はヘルメット姿で学校へ通う。有村部落では対岸の鹿児島市内へ集団移転することになった。
 桜島が全国ニュースで流されるのは,こうした噴石被害とドカ灰の話ばかり,観光客はめっきり減り,ホテル倒産も出た。農業被害も甚大。亜硫酸ガスで花芽がやられる。灰の付いた葉っぱを食べて蝶の幼虫や昆虫が死に,花粉を媒介するものがない。
せっかく人工受粉しても,赤灰(塩素ガスや亜硫酸ガスを含んだ火山灰)が付くとみかんがぱっくりとヒビ割れし,商品価値が下落する。ビニールハウスなら灰に強いかと島デコンのハウス栽培をしても,灰が積もって中は真っ暗,日照不足で昔のような大玉は育たない。海でも火山ガスを活発に吹き上げ,いつも泡がボコボコ出ている。タギリと称する。このガスに水銀が含まれていることから,水銀汚染魚が現れ,タチウオなどは出荷停止となった。当然,水俣病の連想から他の魚種まで売れない。漁民もまた泣いている。
 火山灰は山自体も荒廃させる。雨で湿ると固まって,ちょうどセメントを吹き付けたようになり,雨水がしみこまなくなる。降雨は一気に涸れ沢に集中して土石流を発生させる。山腹の植生も枯らしてしまったから,浸食のスピードはものすごく,往年の七高生は,昔の恋人に久しぶりに会ったら梅干しばばあになっていたと嘆く。
 火山灰被害は島外にも及ぶ。夏は東風にのって鹿児島市方面へ,冬は逆に大隅半島方面に降る。ロードスィーパーなる超大型の掃除機が走り回っても焼石に水,灰かぐらの街と化す。車は昼でもヘッドライトをつけ,冷房は必需品。学校ではプールにビニールの被い,桜島喘息が児童を悩ます。眼病も多い。もちろん,洗濯物は外に干せない。火山ガラスだから,オムツにでも付けばチクチクして赤ん坊がむずかる。主婦泣かせである。

◎桜島火山活動史
 このように活動が活発になったのは昭和47年以来のこと。平均すると1日に1回は爆発している。対岸の市内でも,空震で窓がふるえ,半開きのドアがバタンと閉まるなどは日常茶飯事。ガラスが割れることもある。鹿児島に地震がほとんどないのは(建築基準法ではもっとも規制がゆるい由),毎日桜島がエネルギーを放出してくれるからともいう。ガマン,ガマンか。
 しかし,こんな激しい活動も過去の活動に比べればものの数ではない。地質時代に遡って桜島の生い立ちを探ってみよう。約2.2万年前,氷河期の真っ最 中,錦江湾の湾奥部にあった姶良火山が大爆発を起こし,大規模な火砕流を噴出してカルデラが出現した。この火砕流が入戸火砕流で,鹿児島県本土の半分と宮崎県の一部を覆い,いわゆるシラス台地を形成する。それから約1万年後,後カルデラ丘として桜島火山が誕生した。その時大量の軽石を主として薩摩半島に降らせた。いわば桜島の産声である。地元では降下軽石をボラという。肥料持ちが悪く,耕作不能。これまた農民泣かせ。
 歴史時代に入ってからも活動は続き,古くは和銅元年の記録がある。中でも天平・文明・安永の噴火は大規模で,大量のボラを噴出し溶岩を流した。大正3年の噴火では莫大な溶岩が海峡を埋め立て,ついに桜島は大隅半島と地続きになってしまった。昭和21年にも溶岩を流出したが,同じような周期で大噴火があるとすれば,今がまさにその時期,不気味である。もっとも昭和の噴火はごく小規模なもので,勘定に入れないほうがよい,周期があるとすれば102年のオーダーだとの説もある。

◎それでも火山に生きる
 大正噴火は現在の比ではなかった。溶岩と大量のボラ,厚い火山灰に覆われ,それこそ死の島と化した。多くの人達が島を去った。しかし,歯を食いしばって島に残った人も多かった。溶岩を掘り起こし,火山灰を取り除いて,その下の肥沃な土壌と上下入れ換えるのである。気の遠くなるような天地返し。こうした血のにじむ努力の末,冒頭に述べた豊かな島を築いてきたのだ。大正以来桜島の砂防に費やした国費だけでも天文学的額なる。1世帯1億円の立ち退き料を出して無人島にしたほうが安いという人もいる。島民の血と汗を知らない者の言である。
 火山が静かにさえなればきっと元の宝の島になると信じて,じっと耐えている島びと達,われわれに何が出来るのであろうか。鹿児島県では桜島のマイナスイメージを払拭し,逆に火山を売り込もうと,来年国際火山学会議を開催する。災害など暗い面は極力避けて欲しいとの但書つきの協力要請があった。しかし,一回限りのイベントをやって,本当に島民の幸福につながるのだろうか。島の苦しみを正面から見据えて,暖かい行政の手を差し伸べ,一つ一つ解決していくしかないように思う。

(1986.11.27稿 『採集と飼育』1988年3月号掲載)


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更新日:1997年8月19日