岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

明日の地質学をめざして 4


自然保護運動と地質学の役割

 現在では自然保護は一応の市民権を得ている。逗子市長選に見るように,政治的な力にまで成長してきた。こうした背景には,自然保護協会をはじめとする多くのナチュラリスト達が,高度成長の嵐の中で,公害に反対し,自然保護を叫んできた苦闘の歴史がある。その時われわれ地質屋は一体何をしていたのであろうか。もちろん,地団研は60年代半ばから環境問題に取り組もうとのスローガンを掲げてきたし,国土研は早くから災害や公害問題に取り組んできた。しかし,全体として地質屋は,経済成長のおこぼれにあずかり,列島改造の先兵としての役割を果たしてきたと言われても抗弁できない。
 こうした歴史から,今日の自然保護運動の主体は生態学者や分類学者などのマクロ生物学を研究している人達が担っており,そのまわりに多くの市民が結集している。現在は一時のような急激な自然破壊はないが,高度成長期のツケがまわっており,環境問題はかえって広く深化していると言えよう。地質災害も多発している。遅まきながらわれわれ地質屋もこの事業に加わる必要がある。しからば,地質学が自然保護に貢献する道は何であろうか。
 動物は植物に依存し,植物は土壌と気候(気温・降水量)に規制される。生物の生育する場として地球がある。文字通り土台である。生物分布をはじめ,生物の研究には,下部構造である地球をもっともっと知らなければならない。また,自然保護は,単に個々の動植物を保護することだけではなく,その生育環境を保護することでもある。その地域の地質学的バックグランドを知ることなしに,環境保全を論ずることはできない。………[生物生育の場]
 同時に,動植物もまた歴史的存在であり,現在は悠久の自然史の中の一断面に過ぎない。生物を真に理解するためには,進化学的地質学的視点が欠かせない。………[自然史の産物としての生物]
 また,歴史学が事件の年表作りではなく,過去の教訓を未来に生かすのが真髄とすれば,地質学もまた未来へ眼を向けなければならない。現在の時点では,甚だしい自然破壊に抗して,自然を守れと叫ぶのは当然であるが,自然保護は単なる原始への回帰を意味しない。やがて,自然を真によりよく利用するために,現在のように自然を征服するといった発想ではなく,自然を制御し設計していく時代になるであろう。その時,自然史に学ぶ歴史科学的な視点が重要になってくる。土木建設関係の技術者は,えてして現在という時点における最適適応しか考慮しない。自然史の発展の方向を見定め,未来に生かす地質学的なロングレンジの発想が求められる。………[歴史科学的長期的視野]
 最後に,大気汚染・海洋汚染・酸性雨・砂漠化等,どれをとってもその影響は汎世界的であり,事態の根本的解決のためにはグローバルな視野が要求される。まさに地球科学的な視点が大切になってくる。………[汎世界的視野]
 以上見てきたように,自然保護にとって地質学は重要な役割を果しうる。現在でも,各種自然環境調査報告書の冒頭には必ず地形・地質の章がある。しかし,○○層・○○岩といった一般地質の記載だけであって,それに続く植生等の章とあまりに不整合で,有機的つながりをもっていない。つまり,単なる枕詞に終わっている。要するに,片手間に知識の切り売りをしたに過ぎず,まだまだ地質学のほうからの歩み寄りが不足している。
 こうした分野を取り扱うのは環境地質学である。世界的には最近ようやく教科書がいくつか出版されるようになってきたが,資源・地震・火山・災害などが羅列されているだけで,学問としての体系化がなされていない。まだ草創期なのである。わが国は資源・エネルギーの大部分を海外に依存している。その結果,日本の地質学は生産の場から遊離して発展してきたため,諸外国に比べ,殊のほか象牙の搭的色彩が強い。実社会と深くかかわりのある応用地質学は亜流の学問として軽視され,環境地質学に至っては市民権すら得ていないのが実情である。
 しかし,誤解を恐れずに言えば,学問が飛躍的に発展した時期は,現実社会と活発で新鮮な相互作用を行っていた時である。現実こそ汲めど尽きぬ泉,斬新な発想もそこから生まれる。今,日本の地質学には現実を見据えた鋭い問題意識が必要とされているし,今日のわが国の社会状況もまた環境地質学ないし社会地球科学の誕生を必要としている。また,こうした新しい分野の創造発展がオーソドックスな旧来の分野にもインパクトを与えるに違いない。若手がもっともっと環境問題等現実社会に目を向けて欲しい。さらに言えば,多くの人が地質の専門家としても,また一市民としても,自然保護運動に身を投じ,その中から謙虚に学びとって欲しいと思う。地質屋の社会的責任でもあり,結果として自然破壊に手を貸してきたことへの贖罪でもある。
 一方,生物学の人達にとっても,地質屋が加わることが,新たな視点の拡大につながるものと考える。両者の協力共同の発展を望む。

(1986.8.22 稿)


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更新日:1997年8月19日