岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

明日の地質学をめざして 3


自然保護と山崩れ

 鹿児島県には多くの自然が残っている。全国には原生自然環境保全地域が5箇所,自然環境保全地域が9箇所あるが,そのうち県内には2箇所ある。前者に指定されているのが屋久島で,後者が大隅半島の稲尾岳である。同一県内に2箇所も指定地があるのは,北海道と岩手県だけである。それだけでも,いかに鹿児島県は自然に恵まれたところかわかる。
 私は,環境庁の依頼で,屋久島を1983年に,稲尾岳を1985年に調査したことがある。今回は稲尾岳の調査に基づいてお話したいと思う。稲尾岳はイスノキ・ウラジロカシの照葉樹林がほぼ自然のまま残されているので有名である。現地は太平洋に面しているためか,山頂部は夏でも霧がかかり,湿気が多い。こうした湿潤温暖な気候が照葉樹の生育に適していたのだろうか。
 現地に行ってみて驚いた。保全地域の周辺は見事に伐採されており,山頂部の保全地域だけが,丁度砂漠のオアシスのように孤立して残っているのである。しかも伐採地には無残にも山崩れが無数に起きている。そこで,1947年から1981年までの4種類の空中写真を取り寄せて,眺めてみた。1947年のものでは,全山緑に包まれ,ほとんど山崩れは認められない。ところが,年を経るごとに伐採地が海岸部から奥地へじわじわと侵入し,それと共に山崩れも奥地まで広がっていく様子がよくわかる。詳しく見ると,伐採直後の裸地にはほとんど山崩れは存在しないが,やや植生の回復した10年前後の幼齢林に山崩れや土石流が多発していることがはっきり認められる。よく言われるように,伐採後10年程度経過すると根が腐食して土壌緊縛力が衰えるのに,新しく育った若木の根系はまだ未発達なためである。このように,森林伐採が山地荒廃を誘発しているのは明白である。
 一方,自然環境保全地域の空中写真をよく見ると,古いものではあるが,やはり山崩れの跡地が認められる。第一,この地域は,鬼界カルデラや池田カルデラあるいは開聞岳などの火山がすぐ近くにあるから,6,000年前以降全山それらの噴出物で覆われたはずである。しかし,その堆積物は現在では尾根付近の緩斜面にしか残っていない。つまり,急傾斜部では山崩れなどにより浸食し去られたのである。このことは,土石流扇状地の堆積物を見るとよくわかる。古い火山灰を新しい土石流が覆っていたりして,火山灰と土石流堆積物が何枚も交互に重なっているところがある。すなわち,地質時代にも山崩れや土石流が何回も発生していたことを示している。
 したがって,「自然に全く手をつけるな,自然を保護しさえすれば,何もかもうまくいき災害もなくなる」といった論調があるが,これは誤りである。裸地が出現した後,植生が侵入し,それと共に風化が進行して土壌が厚く形成される。それが一定の量に達すると崩壊するのである。崩れたところはしばらく安全だが,別の風化部分が次々に崩れる。こうして,全体として表土が更新され,下流に農耕に適した肥沃な土壌を供給する。もしも土砂の供給がなかったなら,下流は海岸浸食や地盤沈下が進行して大変なことになる。また,山崩れが起こることによって,森林も若返り生気を取り戻すのであろう。このようなサイクルが繰り返されることによって,自然は全体としてバランスを保ってきたのである。なお,生態学のほうで「極相林」という概念があるが,ある極相に達した以降は不変であると理解したら,やはり誤りであろう。不変とはエントロピーの無限大を意味し,それは滅亡へとつながる。極相林とはあくまでも動的平衡の一断面を意味するものであって,生々流転・世代交代してこそ自然は永続するのである。その点で極相林という言葉は誤解を招きやすく不適切である。誤ったいわゆるエコロジストや政治的エコロジスト運動を生まないためにも改めるべきではないかと考える。
 それでは,森林を伐採してもしなくても山崩れが起こるのなら,自然を保護するのは無意味であろうか。否である。とくに従来のような大規模皆伐によって,広大な面積が一時に露出すると,浸食が著しく活発になり,植生の回復が追いつかないスピードで進行する。その結果,全山荒廃して裸になることもありうる。中世ヨーロッパの過ちを二度と繰り返してはならない。また,前述の表土の更新サイクルが人為的に短縮されると共に,未熟成の土砂が供給され,下流の農地が荒地化してしまう。
 やはり,森林の防災機能・環境保全機能は大きい。厚い防護樹林帯をきめ細かに配置するなど,山崩れを最小限に食い止める施業方法が講じられるべきであろう。山地の土壌保全と林業経営を両立させる施業のあり方を早急に研究し実行してもらいたいものである。

(1986.3.26 稿)


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更新日:1997年8月19日