岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

明日の地質学をめざして 16


大学理学部における地質学教育の将来構想について

 現在日本地質学会では,沈滞気味の地質学を活性化させ,21世紀へ飛躍するために,評議員会に将来構想検討委員会を設けて検討している。その大学教育分科会委員長秋山雅彦氏から1990年5月に私の専門である応用地質学のminimum essentialsは何かとのアンケートが来た。これはその回答に付けた付帯意見である。

 先日のアンケートは「応用地質学」についてしぼってのご質問でしたので,あのような回答になってしまいましたが,個別分野を離れて地質学教育に関して私なりの考えを述べさせていただきます。

1) 地質学の将来構想が先決

 アンケートは,結局,現状の地質学の内容を前提として設問されており,本末転倒だと思います。個別分野の専門家を養成するためにはこれも必要あれも必要とminimum essentialsを列挙することは可能ですが,地質学にはたくさんの分科があるわけですから,積分すれば膨大になります。これでは学生がパンクするのは目に見えています。それよりももっと問題なのは,こうした発想では旧態依然たる地質屋の再生産になってしまうということです。私の考えでは,21世紀の地質学は,測地審や国立10大学理学部長会議のいう地球惑星科学だけでなく,地形学・生態学なども含んだトータルとして地球を見る文字通りのearth science(「地球学」あるいは「ゲオノミア」と名称はどうあれ)に発展していくのは必然だと思います。地質学だ,地球物理学だ,と狭い枠で縄張り争いをしている時期ではありません。そもそも○○屋などと呼ばれるのは職人であり,専門馬鹿の証拠です。AGIの "Glossary of Geology"でgeologyを引くと,"the study of the planet Earth"と明快に地球科学全般を指す言葉として使われており,月や他の地球外天体についてもふれられています。外国の地質学者や地球物理学者はお互いの分野はもとより応用方面にも詳しいことに驚かされることがあります。だからこそ新しい分野を開拓できるのでしょう。わが国でももっと広い視野を持った地球科学者の出現が望まれます。今,地質学会で大学教育を云々しているのも,結局,21世紀を担う人材を如何にして養成するかという問題意識から出発したのではなかったのでしょうか? 残された20世紀の10年が正念場です。ただし,天文学や気象学などまで含めた高校地学のような寄せ集めであってはなりません。惑星も天文学の対象としてではなく,地球科学的手法が適用できるほど身近な存在になっただけのことです。もちろん,例えばプレートの移動速度の観測には天文学と,地球環境問題には気象学との協力が大いに必要ですが,学問体系としては当面固体地球科学としてまとまっていたほうがよいと思います。したがって,将来像としては総合的な地球学を念頭においてはいますが,以下,アンケートの趣旨からいって地質学を中心に述べます。

2) どのような教育が必要か

 私が学生だった頃は化石をスケッチして名前を憶えさせられたものでしたが,これからはコンピュータによるパターンマッチングで機械的に鑑定が行われるでしょう。既に石油メジャーでは微化石の自動鑑定がなされていると聞きます。岩石の化学分析にしても然り,要するに職人教育だったのです。こうしたオペレーターや技官のする仕事を憶えさせるのに若い柔軟な頭脳をムダ遣いするのは損失です。他分野の人から地質屋は難しい専門語を振り回して煙に巻くとよく言われます。Technical termというと聞こえはよいのですが,要するに仲間うちしか通用しないジャーゴンでしかありません。地質屋という殻に閉じ込もりゲットーに安住しているのが現状でしょう。まず,こうした視野の狭い職人を養成してきた従来の教育に対する反省から出発すべきだと思います。
 私なりに考えた改善点を列挙してみます。研究者養成と社会人養成のどちらに重点をおくか大学によって異なるとは思いますが,一応ひっくるめて述べます。
 @ 何よりも自然の好きな学生を育てる=家庭教育・幼児教育の改善も含む
 受験競争が激化し,都会の進学校からしか大学に進学できなくなっています。「高校が大学を決定する」とまで言われ,幼児期から塾だ模試だと詰め込み勉強に追われて,自然の中で泥んこになって遊んだ経験のない者が多くなりました。自然の大きさを畏敬し,自然に感動する者は少ないのです。自然イコール辺鄙な片田舎であり,うとましいものでしかありません。自然の渚よりもコンクリートで固めたマリーナのほうが好きです。したがって,フィールド調査など苦役でしかありません。このような者になまじ地質学を教えると,乱暴に自然を破壊する乱開発の先兵になるのがオチです。最近,「地球に優しい」という言葉が流行り始めましたが,地球科学を志す者は何よりも地球に優しくなければならないと思います。
 A 幅広い基礎科学の素養を身につけさせる=教養部教育の抜本的改善
 昔は数学に弱い学生が地学科に進学してきました。しかし,前述の地球科学の将来像から言えば,数学・物理学・化学・生物学などの基礎科学はしっかりと身に付けていなければならないのは当然です。少なくとも今のように“食わず嫌い”が多いのは困ります。もっとも,アンケートに例示されたような“Chemistry for geology”といった道具としての周辺科学ではありません。それは,現在の地質学の水準で必要とされている化学の特定分野だけをつまみ食いする発想です。今は無関係に見える分野であっても,将来の地球科学では大いに必要とされる分野があるに違いありません。そうした知識よりも化学的なものの見方考え方を身に付けることが重要なのです。化学の目で地球を見てみると,全く新しい視界が開かれるかも知れません。また,化学全般を修得していれば,地球科学の発展に関連してある分野が必要になったとき,たとえ忘れてしまっていても,後込みせずやってみようという気になると思います。数学・物理学・生物学等についても同様です。教養部時代に理学部他学科学生と同様の基礎教育をしっかりと行うべきだと考えます。
 B 地質屋にも地球物理学・地形学の教育を=理学部地学科の専門教育
 上記のような素養を身につけた学生が教養から理学部に進学してきても,彼らに旧態依然たる地質屋養成の職人教育を施しては何もなりません。幸い新制大学には地学科の中に地球物理学関連講座を併設しているところが増えています。ただ残念ながらまだ呉越同舟で,有機的に機能しているとは言えません。もっと融合した真の地球科学科に生まれ変わることが急務です。とくに,研究者層の供給源である旧制大学の脱皮が望まれます。カリキュラムについては,上記将来像に応じたそれこそminimum essentialsを議論しなければなりません。この場合,研究者養成に主眼をおく大学と社会人養成に主眼をおく大学とで,重点の置き方が変わってくるのはやむを得ないでしょうが,ここに述べた@〜Fの視点はどちらにも欠かせないと思います。
 C 自然を見る確かな目を=フィールド軽視は自殺行為
 かといって,地球科学は単なる応用物理学でも応用数学でもありません。地球ないし惑星という自然を対象とする学問です。どのような理論も天然の事実で検証されなければなりません。つまり,広い意味でのフィールドサイエンスなのです。私事ですが,かつて進論で地質調査の手ほどきを故久野 久先生に受けました。海外出張の多い多忙な先生でしたから,「テキストブックを読めばわかることは自分で勉強してくれ」と,自分の大学だというのに1学期分の講義を1週間の集中講義で済ませてしまいました。しかし,「自然を見る目は黒板では養えないから,フィールドだけはどんなに忙しくてもつき合う」とおっしゃって,進論はまるまる2週間現地指導に来てくださいました。
 理学部ではなかなか応用地質学を受け入れてくれないので,工学部の土木の学生に地質学を教えたらどうかと考えたことがあります。しかし,普通の土木屋さんにとっては土は単なる材料に過ぎないのであって,どうも自然というもののとらえ方が根本から異なるような気がします。フィールドからの発想がないのです。従来は地質的に良好なところに構造物を作ってきましたから,すべてc(粘着力)とφ(内部摩擦角)がわかれば片づくと思っていたフシがあります。しかし,これからは地質的に難しいところにも手を付けざるを得なくなりましたから,見通しのきく土木屋さんは地質学の重要性を唱えるようになってきました。土質力学の始祖テルツァギーも晩年「現場における粘り強い克明な調査と観察によってのみ解決できる」との信念に達し,応用地質学に立ち戻ったと言われています。
 医学でも超音波診断・X線CT・MRIなど各種の新技術が開発されていますが,それらの映像の解釈については,結局,たくさんの事例を知っている経験豊かな医師の診断が確かだと聞きました。後述のジオトモグラフィーが完成して地質屋が不要になるかといえば,決してそのようなことにはなりません。熟練した医師に相当するフィールドに精通した地質屋さんの判断が最終的には一番大切になってくるのです。こうしたとき,本家の地質学のほうがフィールドを忘れては,もはや救いようがないと思います。
 D ハンマーとクリノメーターからの脱却=地球物理的手法の導入
 EPMAやSEM・TEMあるいは質量分析計など大型の分析・観察機器が地質学でも使われるようになりました。一方,野外調査では未だに1世紀前と同じくハンマーとクリノメーターが幅を利かせています。しかし,石油など資源業界では早くから物理探鉱が行われ,地質屋も物探の知識がなければ話にならない状態になっています。最近は応用地質方面でも同様です。いずれジオトモグラフィーなども実用化され,地下地質が三次元的に容易に把握される時代になるでしょう。大学の地質学教育でも各種の物理探査法を取り入れる必要があると思います。
 E 社会のニーズにも敏感に=社会的視野の育成
 学問はそれ自身の持つ内的必然によって発展する側面があるのは事実ですが,大局的に見れば,インフラストラクチャーである社会との交互作用によって発展します。近代地質学が産業革命の中で誕生したのは有名ですが,個々の分科をとっても急速に発展した時期は社会のニーズとマッチしたときです。今,地球惑星科学がクローズアップされているのも,宇宙産業の発展や地球環境問題の深刻化と密接に関連しています。現在のわが国の地質学は社会という土壌からの栄養補給を忘れ,趣味の世界に矮小化しているように思います。有島武郎は「夫れが単なるカード・ボックスの整理にすぎないような仕事でも,そのことが偶々大学構内の片隅で行はれているというだけで,夫れを学問と云ったり学者としたりすることは間違っている。学問とは学者とは何等かの方法で人生に光明を与えるものでなければならぬ。」と述べたそうですが,やはり地質学も世の中と無縁であってはなりません。これからの社会的ニーズは資源地質や地質工学だけでなく環境地質方面も射程に入ってくると思います。こうしたニーズに積極的に応える姿勢に立ったとき,純粋地質学もまた質的な発展をとげるものと思います。もちろん,卑近な意味での実用を主張するものではありません。人間の自然観世界観を豊かにすることも「人生に光明を与える」ことになると思います。
 F 応用地質学教育の充実
 大学の使命は,学問それ自体を発展させることと共に,有為の人材を社会に送り出すことでもあります。現在地質学を支えているインフラストラクチャーは主として土木建設方面ですが,こちらの業界は慢性的な人手不足に悩んでおり,これからも地質屋の需要は増える一方だと思います。惑星科学の専門家はそれほど世の中に数多く必要になるとは思いませんが,土木地質ないし地質工学のプロは大量に必要です。「応用などは基礎をしっかりやっていれば簡単だ」と知識の切り売りで済むと考えている人が多いようですが,やはり視点が違うのです。その知識にしても,力学や水理学など社会に出て一番使うものについて,ほとんど教育がなされていません。化石や岩石の鑑定にしても,かつてのインフラストラクチャーであった石油や鉱山業に行くための職業教育だったのです。実際,古生物学や堆積学は石油探鉱に役に立っていました。しかし,現在では「地質屋は評論家で,地質学は役に立たない」などと極論する土木屋さえおります。物探も含めた応用地球科学の教育がもっともっと行われてしかるべきだと考えます。

3) 教育改革の進め方

 上述のような教育が行われればわが国の地球科学が飛躍的に発展すると思います。では,具体的にどこから着手すればよいのでしょうか。

(3-1) 教育体制
 初等中等教育における偏差値教育・管理主義教育あるいはセンター試験のような中央集権的な入試などは非常に問題ですが,一般論になりますのでここでは省きます。
 @ 縦割り入試の廃止
 先ず入試の際,学科ごとの縦割りでとるのは廃止したほうがよいと思います。高校とくに理科コースで「地学」がほとんど教えられていない現状では,地質学ないし地球科学に正しい認識を持っているわけではありませんし,何よりも現在の高校はまさに予備校そのものであり,人生や自分の適性を考えるゆとりは全くないからです。結局,受験産業の提供する大学の難易度と自分の偏差値で進路を決めるしか方法はないのです。一部の大学で行われているように理類ないし理学部でとって,教養時代に進路を決めさせるほうがベターだと思います。入ってきた学生に対して,教養部と理学部の教員が協力して魅力のある地学概論や地学ゼミを展開し,自然の好きな優秀な学生を地学科にスカウトすればよいのです。地学関係のサークルを活発にするのも一法でしょう。
 A 教養部教育の充実
 最近,教養部の改組・廃止や早期専門教育の実施などの動きがあります。確かに教養部時代に遊び癖が付いてしまって勉学の習慣がなくなり,知的好奇心すら失われるというゆゆしき事態があるのも事実です。しかし,これは高校時代の校則・体罰・補習につぐ補習といった徹底した管理主義教育に対する反動であって,いわば人間性回復の正常な反応なのです。決して教養部教員のせいだけにするわけにはいきません。まして教養部無用論の根拠にはなりません。逆に一層の充実が求められる理由ではないでしょうか。旧制高校のように,デカンショ(デカルト・カント・ショウペンハウエル)で半年暮らし,人生や友情あるいは天下国家を考える重要な時期にする必要があります。もちろん,どこの理系学部・学科に行っても通用するような数学・物理学等々の前述の基礎科目や語学を徹底的に身に付けさせることが主眼であることは論を待ちません。前述のように,この時代に地学科にスカウトするわけですから,教養部教員には真の意味で力量があり,人間性豊かな人物を配置することが大切です。従来,教養部教員はteaching professorと言って専門学部教員より一段低く見る向きがありましたが,とんでもないことです。
 B 理学部教員の自己啓発
 21世紀を担う人材を養成するためには,理学部教員自身が新しい学問体系を創造し得る学問的力量を身に付ける必要があります。そのような第一線の研究に裏打ちされたカリキュラムを組むことが不可欠です。例えば,私が学生の頃の地史学の授業は生層序学に基づくもので,結局,化石の産する古生代以降の世界各地のstratigraphyと古典造山論に終始していました。しかし,historical geologyというからには,今日の地史学は,生物の進化だけでなく,大気や海洋の起源・深成作用・変成作用・変形運動・地震火山活動など全てを包含した地球生成以来46億年の歴史,つまりトータルとしての地球史でなければなりません。ところが,自分が30年前に教わったと同じような授業を繰り返している人が多すぎます。そのような方は勇退していただくしかありません。やはり,教員評価を厳しくして淘汰すべきでしょう。それに,65才定年制をとっている大学は少なくとも63才に短縮すべきだと思います。個人差はありますが,加齢と共に活力が失われるのは自然の理ですから。←本音ですがあまり過激なので取り消します。私自身もなるべく早く大学を去るべきだと考えています。
 C 学科改組
 当然,上記将来像に見合った新しい研究教育体制を創設しなければなりません。血の出る改革が必要になります。しかし,だからと言って,当面流行の分野だけにする愚は避けなければなりません。生物科学で分類学のようなクラシックな分野は不要だとしてなくしてしまった大学がありますが,遺伝子資源といった問題が脚光を浴びる状況になって困っているのではないでしょうか。前車の轍を踏んではいけないと思います。栄枯盛衰は世の習い,将来どの分野が重要になってくるかわからないですし,学問の正常な発展のためには,いろいろな分野がバランスよく存在する必要があるからです。
 D 単位互換制度の活用
 共通一次試験以来,徹底した輪切り現象が生まれ,どこの大学の学生も同質者集団になり,しかも地元出身者の比率が高くなっています。これでは活気が失われて当然です。やはりホモではなくヘテロにしなければ,活性化は望めません。大学間の壁を取り去って大いに交流を広める必要があります。幸い単位互換制度というのがありますから,これを活用しない手はないと思います。1大学10〜20人程度のスタッフでは専門分野に欠落が出て当然ですから,この制度で相互に補い合うのです。他大学の学風に触れ,他大学の学生と交流することによって,必ずやよい意味の刺激を得るに違いありません。
 E 大学院のクロス進学
 現在では全ての大学に修士課程大学院があり,博士課程を持つところも増えています。その結果,出身大学の大学院に進学する人がほとんどになりました。これでは上記と同じく井の中の蛙になってしまいます。単位互換制度によって他大学の専門家を知る中で,そちらの大学院にクロスして進学する風潮が出てくるとよいのですが。

(3-2) 社会的ステータスの向上
 以上を実行に移すにしても,優秀な人材が確保されなければ絵に描いた餅に過ぎません。実際はどうでしょうか。理学部入試で一番人気がなく,低学力でも入れるところが地学科だということは,恐らく全大学に共通して言えることでしょう。語学や数学・物理学などの基礎学力がないため,理学部における専門教育に重大な支障をきたしているのが実情です。その上,第二志望など不本意入学者の率が高いという問題もあります。
 どうしてこのように人気がないのでしょうか。前述のように自然が好きな子供達が少なくなったのも一因でしょうし,高校で教える地学という教科に魅力がないのかも知れません。しかし,基本的には地質屋の社会的ステータスが低いことにあると思います。同じコンサルタントでも弁護士は名士扱いを受けますが,地質コンサルタントは土木屋の下請けでしかありません。かつて資源産業では地質屋は重きをなす存在でした。企業の死命を制する資源探査において地質学が本質的な貢献をしていたからです(最近は物理探査の力を借りないと話にならなくなり,相対的に権威が低下しているようですが)。やはり,実社会において「地質学は役に立つ」と言われるようでなければ,社会的地位は向上しません。上述のような応用地質学教育がどこの大学でも行われると同時に,「使える地質学」,応用地球科学の創造が不可欠です。欧米ではgeologistの権威は大変高く,土木屋はその管轄下に施工に当たっていると聞きます。わが国でも一日も早くそのような状態にもっていきたいものです。そうすれば自動的に優秀な人材が集まります。

 以上,縷々述べましたが,従来の延長線上での小手先の手直しではなく,スクラップアンドビルドを含む大胆な改革が求められていると思います。八方美人的提案でなく,抜本的な改革案を期待しております。

(1990.7.23 稿)


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更新日:1997年8月19日