岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

明日の地質学をめざして 12


現代就職事情 その1―企業の新人類観―

 今年度は私が教室主任である。主任は就職担当を兼ねている。3月末,まだ主任に交代しないうちから,会社の人が尋ねてきた。結局,訪問を受けた数は百人近くにのぼった。いくら学生のためとはいえ,こうも仕事の邪魔をされてはかなわない。どうせ時間を割くなら,こちらも儲けなくては損だ。居ながらにして企業人にアンケートができると考えれば腹も立たない。“新人類”に対する感想を中心に聞いてみた。恐らく「近頃の若い者は…」とか,「大学は何を教えてきたのか」などと苦情を言われるであろうと覚悟していたら,意外と肯定的にとらえている会社が多いのには驚いた。
 まず,オーソドックスな会社から。
◎ 近頃の新入社員は,命令しなければやらないし,命令したことしかやらない。指示待ち人間である。
◎ なるべく楽をしようとする。
◎ 自己中心的で,チームプレイができない。
◎ チャレンジ精神がない。企業は,昨日と同じものを今日売っていれば,明日はつぶれるのだ。これではわが社の将来を託するわけにはいかない。
◎ 厳しく仕込んだりすると,簡単に退職してしまう。
◎ この頃は,会社もPTAとつき合わなければならない時代になった。ちょっときついことを言ったら,母親がどなり込んできた。
などなど……,次から次へと苦情タラタラ,堰を切ったように口をついて出てくる。こうしたところは,総じて歴史のある重厚長大型産業の大手に多い。上位下達・管理主義的体質がにじみ出ている。会社パンフレットも生まじめそのもの,「来たれ若人,生きがいある職場」云々などとかなりアナクロ。だいたい「男子一生の仕事」だとか「男のロマン」なる文句はもう死語になったことをご存知ないのだろうか。これでは時代に取り残されそう。
 一方の極は主としてソフト関係の比較的歴史の浅い会社である。
◎ 新人類という言葉をほめ言葉として使っている。確かに頼りないが,関心を持ったことには結構がんばる。ただし,関心を持たせるのに失敗したら,テレビのスイッチを切るように,全く心を閉ざしてしまう。
◎ なんのかんのと言っても,彼等に未来を託すしか道はないのだ。
◎ 常識に欠けるが,怒っても仕方がない。家庭や学校で教わってこなかったのだから,会社で教えればよいのだ。それ故,社内教育がますます重要になっている。青年心理学を修めた教育学部出身者をそのために採用した。
こうした会社のパンフレットは,マンガ・イラスト・アイドルの写真などを散りばめ,一流ホテルのような独身寮を売物にしている。若干ヤング迎合的ではある。
 このように,企業の新人類観ははっきりと二大別される。新人類の持つ欠点などは両者ともほとんど認識を同じくしているが,要はその対処の仕方が正反対なのである。我々大学教師層も「近頃の学生は…」と愚痴をこぼすことが多い。まさに時代から取り残された者に共通した発想といえよう。これに対して新興勢力たる情報産業は,新人類の持つ積極面を評価し,それを会社の成長に取り込もうとしている。こういうソフト産業はハードな資産があるわけではない。文字通り「企業は人なり」である。それだけ企業教育も真剣そのもの,大学の専門学部2年ないし2年半程度のことは1年で十分教えられると豪語する。確かに授業料を払う大学と,月給をもらって8時間拘束され成績が出世に直結する企業とでは受講姿勢が違うに違いない。しかし,それだけではない。教える側の姿勢も大いに問われてしかるべきだ。彼等はいわば社運を賭けて新入社員教育に当っている。しかるに大学は,学生は単なる通過集団としてしか捉えず,お座なり教育をしている責任は棚に上げて,もっぱら学生の質の低下を嘆いている。今回のリクルート狂想曲の中で得た教訓であり,反省させられたことであった。
 ところで,わが地質調査業界はどちらのグループに属しているだろうか。残念ながら前者の「嘆き」族がほとんどであった。仕事の性質上,キタナイ・キケン・キツイの3キはなかなか改善できないかも知れないが,ヤングのセンスとフィーリングを理解しようとする気持すらないようでは,ますます若者から嫌われるに違いない。体質改善がせまられているといえよう。

(1989.9.15 稿)


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更新日:1997年8月19日