岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

こどもと教育 6


子供と読書

 県の母親大会があり,託児所用に絵本を貸して欲しいという。中3の長女が幼児の好きそうな絵本を30冊ほど選んでくれた。泣き叫ぶ子,走り回る子,テンヤワンヤのにわか託児所。1・2冊なくなっても不思議ではない。娘がプンプン怒っている。「新しい本なんていらないからね。元の本を絶対に探してきてよ。」 彼女の気持ちはよくわかる。一つ一つに思い出があり,愛着があるのである。
 娘が生まれた頃は,絵本といえば小学館かトッパンの『いぬとねこ』の類か童謡絵本の類しかなく,店先の回転書架で売っていた。地方中核都市の新潟でも,良い絵本は手に入らなかった。東京出張の折,丸善に行って至宝堂の絵本を買って来た。普通は会員頒布だが,丸善ではバラ売りしていたのである。ちょうどその頃,松谷みよ子のあかちゃんの本シリーズや福音館のブルーナ・あんあんの本シリーズなどが発行された。しかし,町一番の大きな本屋でも売っていることは稀で,近所の本屋さんには相変らずトッパンしかない。そこで,出張のみやげに時々1冊ずつ買い与えた。だから,とても大事にしており,次の本を買ってもらうまで,飽きずに眺めていた。
 少し大きくなると,岩波の絵本『ちびくろさんぼ』『きかんしゃやえもん』『ひとまねこざる』などが気に入って,暗記するくらい読まされた。『ちびくろさんぼ』では,虎がヤシの木を回るところで,決って「ぐるるる……」と声に出して唱和する。こちらは早く寝かせつけたいから,端折って飛び飛びに読むと,「ちがうよ。つぎはレールバスがケロロン,ケロロンというの」と,断固として全部読むことを要求した。話の内容は全部知っているのに,読んでもらいたいらしい。リズムが気に入ったのだろうか。長期出張の時,『やえもん』をテープに吹き込んで与えたが,全然喜ばなかったところをみると,やはり,スキンシップがうれしいかららしい。あぐらの中にすっぽり入れて,膝掛け毛布をかけ,その上からしっかり抱いて,ゆっくりゆすりながら読むのが一番気に入っていた。
 当然のことながら,娘は本の虫になった。最初は手当り次第。すごい読書量である。そのうちに,少女小説に夢中になったり,ミヒャエル・エンデに凝ったり,年齢に応じて読書遍歴を続けている。
 こうして1冊1冊買い与えたのが,弟が生まれる頃には相当の量になった。姉にとっては,これは誕生日のお祝い,これはお父さんのお土産,これは保育園のクリスマスプレゼントと,全部に思い出があり,暗記するまで読んでもらったものである。しかし,弟の場合,物心ついた時には本に取り囲まれていた。それに自分のための本ではなく,わが家の本である。興味がわくはずがない。その上,半年雪に埋もれている新潟から,常夏の鹿児島へ越して来た。姉は知的能力がついた代りに少々ひよわだったので,それに懲りて,男の子は外へ出て真っ黒になって遊べとの方針をとったから,尚更である。学校に行くようになっても本には見向きもしない。せいぜい図鑑。昆虫に凝ったときは昆虫図鑑,恐竜のときは恐竜図鑑という次第。学校図書館から本を借り出すように先生に強制されるから,やむなく借りてはくるが,1ページも開かないまま返す始末である。
 ところが,高学年になると,雨の日などわが家の本の部屋(家庭文庫の部屋)に入って,ひらがなばかりの幼年童話や絵本をパラパラ読むようになった。その後の進歩は急速である。何も押しつけないのに,分厚い長編をかなりのスピードで読むようになった。夢中になってしまい,1冊読み終るまでは寝ようともしない。変貌ぶりにはこちらが唖然とした。やはり,本に囲まれて育ったのが,有形無形の影響を与えたのであろう。

(1986.9.19稿 米良の里にて)


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更新日:1997年8月19日