岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

こどもと教育 5


共働きの子育て

 今夏(1986年),小学6年になる息子とその友達を連れて帰省した。10日間ほど人様の子供を観察する機会を得た。彼は天真爛漫,素直な大変良い子であるが,少々気になる点もいくつかあった。どうも共働きの子育て共通の欠陥を典型的に持っているように感じられた。
@ そのひとつが金使いの荒いことである。無駄遣いをたしなめると,ボクのお小遣いだよ,と反論する。しかも物を大切にしない。両親とも月給取り,合せれば相当の収入になる。子供と付き合うことが少ないことの申し訳に,ついつい要求するものを買い与えてきたのであろう。愛情表現が金を与えることにすり替えられている。
A 悪気は全くないから,先に天真爛漫と書いたが,要するに傍若無人である。年寄りがテレビのニュースを見ていても,ガチャガチャとマンガ番組に切り換える。2階にいながら1階のものを取ってきてくれと平気で年寄りを使う,などなど……。子供と接する僅かの時間,両親は精一杯子供のために尽くしてあげたのであろう。人はみんな自分の召使,自分で身体を動かさなくても,要求が全て満たされたのである。
B 現代っ子は誰もテレビ好きだが,聞きしにまさるテレビっ子である。「美女大接近」なる番組を面白がって見ていた。一方,本には全然興味を示さない。本の読み聞かせなどする時間がなかったのだから,無理もない。テレビが母親代りだったのである。
C その他,全く後片付けをしようとしない(長ずると空き缶のポイ捨て人間になる?)とか,食事のマナーの悪さだとか,日常の基本的なしつけに問題がある。
 以上,気の付いたことを列挙したが,わが子とて五十歩百歩,いろいろ反省させられた次第である。しからば,「婦人よ家庭に帰れ」で,こうした問題が基本的に解決するであろうか。どうもそうは思われない。ルソーは,「子どもを不幸にするいちばん確実な方法はなにか。…(中略)…それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」(『エミール』)と言っている。飽食日本・経済大国日本と言われて久しい。経済的豊かさのみを追い求め,GNP神話にしがみついてきた物質文明のゆがみが集中的により先鋭な形で共働き家庭に現れているに過ぎないのだと思う。発想を転換し,心の豊かさや自然との触れ合いを大切にする価値観が社会全体に共有される必要があろう。
 同時に,子育ての理念にだけ解消されるものではなく,共働きの子育て固有の問題もある。今年から男女雇用機会均等法が施行され,女性の社会進出が促されるだろうという。しかし,実態はどうもバラ色ではないようだ。総合職と一般職と二本立で採用する企業が多い。前者は残業・転勤OKの「キャリァウーマンコース」で,子育てをしながら勤められるような生易しいものではないらしい。高率のハイミスが出ることは疑いない。一方,後者は転勤がない代りにお茶汲みなどの雑務を主な仕事とする「職場の花コース」である。大部分20代で結婚退職といったお定まりの道を歩むものと思われる。
 われわれ大学人の立場からすれば,大学で学んだ専門を生かせる職場で,プロとして活躍していって欲しい。同時に,次の世代を立派に育てることも大変重要である。共働き家庭の子育てでは,一方的に女性に負担がかかりやすい。女性の側が髪ふり乱し,必死で仕事と子育てとを,辛うじて両立させているのが現状である。子育ては両性共同の事業であり,夫側の十分な協力が欠かせない。しかし,子育ては明日の日本の存立にかかわる重大問題であり,個々人の努力に任せるのではなく,社会全体として子育てを支援する体制が必要であろう。例えば,育児休業制度の普及,保育園・学童保育の質的量的充実,あるいは子育て後の職場復帰の促進など直接的な施策はもとより,職住接近などの住環境整備や労働時間の短縮なども不可欠になってくる。要するに,職場で自己の適性を生かして精一杯活躍できると共に,子育てに十分な時間が保障されなければならない。日本人は働き蜂との批判がある。残業残業で追いまくり,モーレツ会社人間をよしとした結果,次世代に無気力人間や新人類を生んだのではないだろうか。もっと大らかにのびのびと子育てができるような労働環境を整備してこそ,明日の日本の活力と繁栄が約束されるのだと思う。

(1986.8.19 稿)


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更新日:1997年8月19日