岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

こどもと教育 4


遊びと独創

 最近の学生は素直で従順である。悪く言えば無気力,刃向かってくる者もいない。私が所属しているところは理学部だから,独創性が求められる科学の世界で,これでは先が心配である。一体どうしてこうなったのだろうか。  私の見るところ,学生たちの幼小時の体験に問題がある。教育ママゴンや先生たちに,さあ塾だ,宿題だと口うるさく干渉され,敷かれたレールの上を歩く生活様式が身に付いてしまっていることも一因である。何よりも自然の中で思う存分遊んだ経験がないのが,致命的のように思う。
 今流行っている遊びはファミコンである。いかに目先の変ったゲームでも,所詮ソフト屋のアイディアの中で遊んでいるに過ぎない。数年前は超合金合体ロボットが大流行だった。宇宙船からロボットに変身することはできるが,やはりメーカーの設計通りにしか動かない。結局,御釈迦様の掌の中で遊ぶ孫悟空である。
 その点,自然が相手なら,いかようとも創意工夫ができるし,そうしなければ遊べない。一本の木の枝でも,剣豪の刀にでもなれば,野球のバットにもなり,はては魔法使いのほうきにもなる。私が子供の頃は,戦争中だったから,おもちゃ一つない。肥後の守一丁で何でも自分で作った。また,動物や植物の営みに目を奪われ,一日中しゃがんで見とれていたこともある。
 また,テレビ漬けの日常にも問題がある。野球やサッカーはテレビで観戦するものであって,自ら汗を流してやるものではない。文学も行間にイメージをふくらませるのではなく,テレビドラマで演出家の解釈を押しつけられる。みんな受け身である。
 これでは独創性が養われるわけがない。もっともっと自らの身体を動かし,遊びの中で創意を発揮することと,何事も忘れて遊びに熱中することの経験が必要なのではないだろうか。

(1986.5.10 稿)


ページ先頭|地質屋のひとりごともくじへ戻る
連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:1997年8月19日