岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

こどもと教育 13


私の中学時代

 中学は三回転校した。最初の札幌はマンモス校だったが,後の秋田・新潟は一学年二クラスの小さな村の学校である。田圃の中の木造校舎,周りに学校農園があった。農家の子弟が大部分だから,卒業後は,長男は農業を継ぎ,次・三男は東京へ集団就職,進学するのは一割程度である。それ故,「農業の時間」に力が入れられ,まっすぐ畝が耕せないと叱られた。中学生ともなると立派な労働力,春秋には一週間の田植休み・稲刈り休みがある。英語なぞは,三年の教科書までついに進まなかった。
 したがって,中学時代というと,野山で遊んだことしか記憶にない。夏は裏山でターザンごっこ,池での水泳,筏乗り,魚釣り。大木の上の小屋が悪童どもの秘密基地である。畑から盗んだ西瓜をみんなで食べた。冬はもちろんスキー,田圃に水を張って下駄スケートもした。学校では薪ストーブの上に弁当を載せて暖めた。たくあんの匂いが教室中に満ちて授業にならない。兎にも角にも幸せな時代だった。現代中学生がかわいそう。

(1989.1.26 稿,『明和中PTA新聞』第38号,平成元年3月10日付掲載)


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更新日:1997年8月19日