岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

地質屋のひとりごと 3


学歴消し

 現在,国立大学の受験機会の複数化が大問題になっている。また,新たな序列化が行われるのではないか,2期校制時代の弊害が再来するのではないかと心配されている。確かにその恐れが強い。
 私がかつて新潟大学に勤めていた頃,信州大学には大学院がなかったため,大学院には信州大出身者が多数いて,「新潟大学付属信州大学大学院」などと言われたことがあった。信州大の故郷原教授に,「さすが信州は教育県,進学熱が高いですね。」と,お話ししたところ,「本当に研究をしたいのだったらいいのだが,履歴書に書く最終学歴をいい大学にしたいという思惑があるんだよ。だから,競いあって京都大学など旧帝大の大学院に行きたがる。新潟には2番手が行くんだ。ぼくはこれを『学歴消し』と呼んでいる。」と,2期校コンプレックスの根深さについて語ってくださったことがある。
 言われてみると,なるほど新大の学生は第一志望に新大を選んだのであって,どこかの落武者ではないから,卒業生も新大卒を卑下していない。もちろん,稀には博士課程大学院に進学する人もいたが,大学だけが研究の場ではない。会社や官庁に入ってからでも,あるいは教員になってからでも,熱心な人は研究を続けていたし,中には学位を取る優秀な人もいた。学会に行っても,いわゆる研究職以外の講演者に,新大出身者がかなり多いことは事実である。
 その後,鹿児島大学に転勤して来て,はじめて郷原さんの言うことがわかった。「どうせ俺なんか,三流大学の三流先生に教わっているんだから」と自嘲する学生がいたので,愕然としたことがある。そこで,専門書や参考書の執筆を頼まれた場合,どんなに多忙でも断らないことにした。他大学の学生も私の教科書で勉強しているのだから,その著者に直接教わる君たちは一番恵まれているのだと,自信を持ってもらいたかったからである。偏差値の悪い学生は,負け犬根性で向上心を失っているし,良い者は学歴消しに走る。研究者になるには,単に真面目だけではだめで,やはり豊かで斬新な発想と,進取の気性が必要である。その点でどう見ても研究者に向いていない人が,旧制帝大の大学院に進学したがるのは困ったものである。かえって,就職した人の中に,ユニークな発想の人がいた。それぞれ他大学の学生に劣らない良い点をたくさん持っているのに,それが殺されてしまっていたように思う。
 新制度がこの愚を繰り返さないことを願う。

(1986.5.20 稿)


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更新日:1997年8月19日