フィールドジオロジストの養成と大学教育

日本応用地質学会平成11年度研究発表会シンポジウム「21世紀へのビジョン」講演 1999.10.27


 筆者がこのままではフィールドワークのできる地質家がいなくなると警鐘を鳴らしたのは一昔前のことである。当時はバブルの真っ最中だった。杞憂と受け止められたのだろう、学界も業界も具体的対策を講じてはくれなかった。その結果が現在の状態である。フィールドワーカーは今や絶滅危惧種になった。ここで先見を誇っても、愚痴をこぼしても仕方がない。現状を直視した上で、何をなすべきか真剣に議論し、今度こそ具体的な行動に移らなければならない。手をこまねいていては、過ちを繰り返すことになり、もはや取り返しがつかなくなるであろう。やがて朱鷺同様、人間国宝的な高齢地質家と外国人労働者に頼らざるを得なくなるに違いない。純日本産のキンと中国産の優々の姿が近未来像である。
 では、大学の現状はどうであろうか。周知のように全国の大学から地質学科(地学科)がなくなった。地質という名称が残っているのは新潟大と信州大だけである。大学教員を養成してきた旧制大学は一足先に地球惑星科学に変身したから、助手層など若手教員自身、フィールド調査が出来なくなった。自称フィールドジオロジストでも、実際はサンプリングジオロジストであることが多い。当然、教育面に影響が出ている。
 その上、大学では学力崩壊が始まっている。少子時代の影響で低学力者でも進学できるようになったのである。実際、本学にもアルキメデス(浮力)もピタゴラス(三角関数)も知らない理学部生が相当数いるのが、残念ながら現実である。大学間格差だけならまだよい。受験秀才の集まる東大でも、年々入試問題が易しくなったと言われているのに、ここ20年で合格最低点が15点も下がっているという。東大工学部進学生に同一問題で数学の試験をした追跡結果によると、約10年で平均点が10点下がったとのことである。有名私大経済学部で分数の演算ができない学生がいると報道されたのは記憶に新しい。つまり、大学生全体の学力が低下しているのである。論理的思考が苦手で、まともな日本語が書けないというのも共通している。経団連が若年労働力の減少と質の低下を深刻に懸念しているという。誠にもっともである。
 もう一つ難問が控えている。技術者資格の国際相互承認である。現在の技術士はAPECエンジニアに移行できるだろうが、問題は今後資格を取得する若年層である。技術士受験資格に学歴条件はないが、APECエンジニアでは「認定accreditもしくは承認recognizeされた教育課程を修了した者」という学歴要件が付いているからである。すでにそのための日本技術者教育認証機構JABEEが発足した。ここが定期的にカリキュラムをチェックするというから、今までの測量士補や理科教員免許のように、他学部聴講でごまかすわけにはいかない。現状の理学部地学系学科(地球惑星科学科・地球科学科・地球環境学科など)を卒業しても資格取得は無理であろう。そもそも技術者資格の国際相互承認は、サービス業における相互参入の前提なのだから、無資格者の多い日本の企業と有資格者をそろえた外国の企業が競争入札した場合、勝敗は自明である。海外業務はもとより、国内の仕事まで外国企業に席巻されかねない。日本の企業も外国の大学を卒業した有資格者を採用せざるを得なくなる。まさに朱鷺の優々である。
 それではどうしたらよいのであろうか。結論から先にいうと、工学部に地質工学科を作るしか手がないであろう。国立大学の独立法人化は、教育の機会均等と学問の自由にとって好ましくないと考えるが、少子時代を迎えて、国立大学の整理縮小は必然でもある。新制大学理学部の多くは工学部に吸収され、理工学部になるに違いない。この時が一つのチャンスであろう。それこそ一昔前、全地連参与の黒田秀隆氏と論争したことがある。氏はアカデミズムに堕した理学部を見捨てて工学部に地質学科を作ろうと主張しておられた。これに対して私は、「工学部で教えた経験からすると、工学部学生にとって、土や岩は材料であって自然ではない。やはり理学部に留めおくべきだ」と反論したものである。しかし、今や黒田氏の軍門に降らざるを得ない。理学部では、名は体を表すの言葉通り、学科名称の変更は学生の質の変化として現れてきているし、フィールドワークのできる教員も駆逐されつつある。地質学会の会員ですらない人まで現れた。「アカデミズムに堕した」と指弾されても首肯せざるを得ない現実があるからである。
 ただし、理工学部地質工学科を作るには欠かせない条件がある。すなわち、それにふさわしい教員を配置することである。大学人という人種は極めて保守的で、学科の看板だけ世間受けするように塗り替えて、内実は全く従来通りとするやり方が常套手段だからである。土質力学中心の地盤工学科では、土木工学科と何ら変わらないし、博物学者や思弁的な地質学者だけの地質学科では話にならない。教員の総入れ替えを行うくらいの覚悟が必要である。そのためには、教員資格審査の弾力化が鍵となる。偏差値という数字で選別されて進学し、その中から論文数という数字で選ばれたのが大学教員である。つまり数直線上のエリートである。これではフィールドワーカーは教員になるのが難しい。民間会社や現業官庁にいて現場をよく知っている人を大学教員に登用できる道を開かなければ、大学の新生は不可能である。諸外国のように、兼職教授制度を設けるのも一法ではないだろうか。大学教員は、ただ何となく無目的に大学に進学してきた学生に、いかに学問の面白さを伝えるか苦心しているのが現状である。生きた現場と掛け持ちしている教員が、現場へ学生を連れて行って教育するのは学習の動機づけとして最高である。インターンシップ制度が採用されるようになった背景もそこにある。
 上記のような大学改革がうまくいったとしても、フィールドジオロジストに対する社会的需要がなかったら、やはりよい学生は集まらない。従来は土木構造物の立地場所が決まった後、建設段階で地質調査を依頼されることが多かった。あたかも白いキャンバスに絵を描くかのように、地質地形を無視した設計がはびこっていた。だからこそ、乱開発が行われ、自然が破壊されてきたのだ。プランニングの段階から、自然の摂理をわきまえた地質家がかんでいたら、かくも無惨な日本列島の姿はなかったに違いない。現在でも開発の前に考古学的発掘が義務づけられている。三内丸山や吉野ヶ里のような画期的発見が相次ぎ、日本の古代史が一変したのはそのお陰である。環境アセスメントだけでなく、開発の前にはプランニングの段階からキチンとした地質調査を行うことを法律で義務づけ、地質家が環境デザインで腕を振るうようにしなければならない。かつて地質調査所で「地質調査に関する法律」制定の動きがあったという。所内の反対で頓挫したそうだが、今からでも遅くはない。もう一度制定に取り組む必要があろう。
 次に、地質家の活躍する舞台である。今までは土木地質が主流だった。しかし、学級崩壊ではないが、建設崩壊なる言葉も出てきた。好むと好まざるとに関わらず、大規模開発型の在来路線を続けていくことはできない。国際応用地質学会IAEGも名称をInternational Association of Engineering Geology and Environmentsと変更し、環境という言葉を追加した。やはり環境方面への進出をにらんでいるからであろう。地質家とは、地域住民からむしろ旗で迎えられる乱開発の先兵というのでは、若者から敬遠されて当然である。アメニティー空間の創造や防災まちづくりなど、市民から歓迎される新しい職域を開拓し、地質家の需要を増やすことも大切である。
 以上、かなりドラスティックな提案を行った。討論のきっかけになれば幸いである。学界・業界、産学官総力を挙げて具体的な行動に立ち上がって欲しいと願う。
 なお、10年前に全地連や建コン協に行った提案とは次の8項目である。参考までに再録しておく。現在の時点でも通用する点も含まれていると考えるからである。
  1. 地質屋の社会的地位の向上
  2. 業界立研究所・研修センターの設立
  3. 大学への寄付講座の設置
  4. 学生フィールド旅費貸付金制度の創設
  5. フィールド宿舎(付地質工学博物館)の建設
  6. 文部省への働きかけ
  7. 地質調査業そのもののPR
  8. 女性の働ける職場環境
 各項目の詳しい解説は鹿大応用地質講座「かだいおうち」ホームページ「地質調査業界への提案」を参照されたい。
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更新日:1999年10月19日