書評「土壌汚染リスクと不動産評価の実務」

岩松 暉 (「日本地質学会News」 Vol. 7, No. 9, pp.7-8, 2004)


川口有一郎・和田信彦・廣田祐二・大岡 健三・本間 勝 著『土壌汚染リスクと不動産評価の実務』(株)プログレス刊,2004

 近年,地質汚染が社会問題化している.東京都が汚染土地を和解金85億円で買い戻した事件など記憶に新しい.マイホームを購入する時にも土壌汚染が気になる.ISO14000シリーズにも土壌・地下水汚染の評価が加えられたという.これに基づき企業の環境格付けも行われるようになってきた.こうした背景もあって,遅まきながら2002年5月29日,土壌汚染対策法(土対法)が公布された.早速汚染ビジネスが登場,折からの公共事業縮減と相俟って,ゼネコンや地質コンサルタントの多くがターゲットにし始めた.中には環境地質学的視点の全くないかなりいかがわしいものまで群がっている.この混沌を整理し,キチンとした科学に基づく調査と評価・汚染修復対策が求められている.そうでなければ安心して生涯の買い物である土地を購入できない.
 こうした時,本書が刊行されたのは誠に時宜を得ている.汚染ビジネスブームに便乗した際物と違う本格的な書物と言って良い.本書の著者らは,ファイナンス研究科教授・地質汚染診断士・不動産鑑定士・保険業務部長・不動産学部講師など,土壌汚染と不動産の調査研究に長年の実績をもった実務者である.本書は次の5章からなる.
1.土壌汚染の診断・浄化費用
2.土壌汚染の法的検討と不動産ビジネスへの影響
3.不動産鑑定評価とその運用の方向性
4.心理的嫌悪感(スティグマ)が及ぼす不動産への被害と法的解釈
5.企業の土壌汚染リスクと環境保険
 このうち,われわれ地質家が関心のある第1章が約1/3を占め,一番分量が多い.足尾鉱毒事件などの歴史から説き起こし,わが国の地質汚染の現状を述べ,さらに汚染機構を科学的に深く解明している.本章を通読してみると,土壌汚染はまさに地質学の一分野であることを具体的な例で知らされる.土対法は何もなかったのに比べれば一歩前進とはいえ,さまざまな不備が指摘されている.これも地質学がこうした地質汚染のような社会が切実に要求している諸問題に真正面から応えてこなかったことの反映でもある.2005年から国際惑星地球年(IYPE)が始まる.その副題には「社会のための地球科学」が掲げられており,研究テーマの9番目に土壌が挙げられるという.わが国の地質学は日本の現実社会と国際的流れからあまりにも遊離してしまったのではなかろうかと恐れる.
汚染状況調査についても,プロ向けのマニュアルではなく,「だれでもできる」を冠した汚染分析や評価の仕方が解説されている.単なる分析法の仕様書と違って,ちょっとしたコツなどが随所に織り込まれ,長年の経験に裏打ちされていることがすぐわかる.これから不動産を買う人は,本書を片手にぜひ自分で概略調査をしたらどうだろうか.専門業者委託の必要性を判断するときにも役立つし,こちらがそうした知識とデータを有していることは,業者の調査姿勢にも必ず好影響を及ぼすからである.
本章の最後には浄化工法とその費用にも触れ,地質環境学からみた不動産評価の問題点を鋭く衝いている.
後段の法的諸問題や不動産評価・環境保険などについては,門外漢の評者には評する資格はないが,ずいぶん勉強になった.土壌汚染地の価値とは,単純化すれば,汚染のない状態の土地の価値から汚染調査・浄化費用と心理的嫌悪感(スティグマ)による減価を差し引いたものである.土地の使用価値に比して諸々の減価が大きいと,その土地は売れずブラウンフィールド(汚染されないまま放置される土地)になってしまい,担保にもならない.したがって,今後の企業活動において環境汚染を出すことはリスクが大きい.これを回避するために環境保険がある.金で解決すればよいとして汚染を助長するかと思っていたが,環境地質学的な調査に基づき厳密に査定するので,保険金が高くなり,結果として抑止力になるという.地質断面図などが多数引用されている法律や経済の本を読んだのは初めてである.環境地質学が今後の地質汚染を抑止し,美しい国土へ修復することに大きく貢献することを期待する.
 最後に,本書は土対法を念頭に置いてあるから仕方がないが,農薬・肥料汚染などノンポイント汚染(不特定多数の汚染源)についても触れて欲しかった.農業汚染は,広く薄くではあるが,わが国においても農産物輸出国においても深刻である.今後,そうしたことまで含めた総括書を上梓して欲しい.
 国際惑星地球年に当たって,地質家にぜひ読んでもらいたい本として推薦する.


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更新日:2004年8月30日