「生産と生活の場に立つ地学」の新たな創造を!

『地学団体研究会第44回総会シンポジウム要旨集』,15〜18, 1990


T.地質学の地盤沈下
 これからは地球科学の時代と言われている。しかし,そのかけ声とは裏腹に,地質学の影は極めて薄い。小中学生の発する疑問の半分以上が地学に関するものだという。しかるに,高校では極めて冷遇されており,辛うじて文系コースで細々と教えられているに過ぎない。受験戦争に役立たないからだという(せめて理学部地学科ぐらい地学を必修科目に指定せよとの声も聞くが,受験者激減を心配してどこの大学も躊躇している)。大学でも不人気である。偏差値が低いために,やむなく選んだという不本意入学が跡を絶たない。したがって,卒業してからまで地質はやりたくないと,土木建設・資源素材といった地質学を生かせる業界に就職する人は2割を切っている。
 こうした原因の一つは,地質屋の社会的地位が低いからである。かつての財閥はすべて鉱山会社から成長した。産業革命は資源なくして遂行できない。その頃の地質屋は,日本の資源とエネルギーは俺達が支えているのだ,と主流派としての自信に満ちあふれていた。これも戦後の金ヘン景気まで,資源産業の衰退と共に脇役へと転落する。新しい時代に即応できなかったのである。
 こうした社会的な背景ばかりでなく,学問的にも停滞していることがもう一つ挙げられる。昨年春に出された測地学審議会の建議を持ち出すまでもなく,世間一般でも地球科学崇n球物理学と考えられている。これは単に地球物理学者の文部省に対する発言力が強大であるといった政治のレベルの問題ではない。やはり学問レベルで地質学が見劣りがし,地質学界も活気を失っていることに主因がある。地球物理学には,プレートテクトニクスの壮大な仮説にしても自分達が生み出してきたとの自負があり(確かに地質学からの本質的貢献は少なかった),今また地震予知や地球環境問題など社会的ニーズに真正面から取り組んでいるとの使命感がある。意気軒昂たる息吹に満ちている。地質学は旧大陸,地球物理学は新大陸,老大国イギリスと新興国アメリカにでも対比されようか。当然,若者達にとって地質学は魅力のある存在ではない。

U.純粋地質学と応用地質学
 しかし,地球物理学のほうが何時も地質学をリードしていたわけではない。前述のように,資源産業華やかなりし頃は地質学のほうがはるかに革新の息吹にあふれていたが,一方地球物理学は寺田寅彦の随筆に見られるように高踏的サロン的であった。やはり,近年地震予知計画など地球物理学が社会のニーズに積極的に応える姿勢に立ったとき,急速に発展してきたと言える。これに反し,地質学は実社会から遊離し,趣味的博物学的方向に,いわば先祖返りしている。資源産業の衰退と土木建設業の隆盛といった,地質学を支える下部構造の変化に敏速に対応できず,象牙の塔に安住しているうちに,いわばバスに乗り遅れてしまったのである。
 普通,純粋科学が基礎にあって,それを実地に応用するのが応用科学だと言われている。応用など基礎をしっかり身につけていれば簡単にできる,単なる知識の切り売りで済むのだ,との考えが底にある。しかし,純粋科学と応用科学は車の両輪であり,両々相俟って発展するのである。かつて雪博士として名高い中谷宇吉郎は「実用方面に力をつくすと学者があたかも堕落したようにいう人がある,実用目的があってこそ始めて学問の研究に拍車がかけられるのである」と述べたという(渡辺,1952)。地質工学の創始者渡辺 貫もまた「このGeomechanik(大地の工学)の研究方法が結局は地質学の根本原理を培うものであることはもとより論をまたない明白な事実である」と喝破した(渡辺,1935)。私は応用地質学と純粋地質学との関係を次のように比喩的に考えている。地質学を1本の樹に例えれば,社会という大地にしっかりと根を下ろし,養分を吸収している太い幹が応用地質学であり,その上に緑豊かに繁っている葉が純粋地質学である。根や幹がなければ葉は存在し得ないし,葉が繁り日光(物理・化学などの関連諸科学)の恵みを得て大いに光合成を行わなければ,幹も大きくなれないのである。今の日本の地質学は,根が貧弱で萎れている樹に例えられよう。
 実際に戦後の地質学の歴史に例をとってみよう。海外の領土を失い,狭い国土でいかにして多くの人口を養うのかが当時の焦眉の課題であった。緊急開拓事業が実施され,こうした実践的課題の解決に当たった農林省の若手技師たちの手によって水文地質学や土壌学が発展させられた。また,折から各地で問題となっていた沖積平野の地盤沈下に関連して,学界から疎外されていた第四紀が見直され,今日の第四紀地質学の基礎が築かれた。その様子は初期の民科地団研『速報』に見ることができる。当時の地団研は「国民のための科学」を標榜して生き生きと活動し,若手研究者や学生達を魅了していた。ファッシズムからの解放感や新生民主日本への期待といった側面だけでなく,学問的な面でも魅力があったのである。こうして戦争直後の地質学は地団研を軸に新展開を見せ,地球物理学なぞよりもはるかに新鮮で活気に満ちていたといえる。しかし,これら新しい分野を開拓し,それを体系的な学問へと発展させたのは主として官界の地質技師たちで,『速報』18(1950)の地辷り・山崩れシンポジウムの報告には,「然し乍ら,大学研究者の参加が殆どなかった事は,此の方面え(ママ)の無関心を示すもので,非常に残念」と書かれている。
 その後,井尻・新堀(1963)は地質学の新しい目標は自然改造・国土改造にあると指摘し,生産と生活の場に立つ,広く関連分野も取り入れた新しい地学の創造が焦眉の課題であると次のように主張した。
 「第二次世界戦争後,実践(生産と人間生活)が地質学に要求しているものは,地下資源にだけ脉絡をたもち,地殻の研究にだけとじこもる地質学ではなく,広く宇宙の空間から地球の中心にまで目をそそぐ地学である。換言すれば,現代の実践的要求は,地下の資源をさぐり,そのために地殻の歴史をたどる,といった,視野のせまい地質学,いわゆる鉱山地質学のそれではなくなってきている。そして,それにかわって,干拓をおこなって国土を改造し,河川の流路をかえて自然を大改造する,という,視野の広い,総合的な地学が必要になってきている,と結論できる。」
 前述のような産業構造の変化を見据えた上での先駆的な主張だった。もちろん,当時の八郎潟干拓やベーリング海峡閉め切りによる気候改造といったトピックスをふまえたものであり,科学に対する無条件のオプティミズムが見られるが。また,『科学運動』(1966)も「近代化と総合化」と共に「生産との結合」を唱え,「生産力が発展するにつれて,人間が自然に働きかける領域がひろまり,地学のテーマや研究分野がひろく,多面的になり,それに対処するためには,これまでの地学の変革が不可欠になりつつある」と訴えた。しかし,残念ながら不幸にしてその時期は日本列島改造論による乱開発の開始と一致したため,その負の影響もあってか研究者には受け入れられず,大学人はますます象牙の塔に閉じ込もってしまった。地団研もまた,一部の人を除き,全体としてはアカデミズムの枠にとどまった。それから今日まで,地質学の沈滞は覆うべくもない。

V.21世紀の世界と今後の地質学
 現在,測地審の建議の方向に沿って,地質学科の地球惑星科学科への改組や,名称変更に至らないまでもそうした専門家の採用が行われている。宇宙空間から地球の中心まで,研究のターゲットを広げること自体は結構なことであるが,果たして地質学の進むべき道はそのような方向だけでよいのだろうか。
 21世紀を目前にした現在,人類生存の危機が叫ばれ,地球環境問題が深刻な問題として現実味を帯びて立ちはだかっている。排出ガスによる環境汚染と地球温暖化,フロンによるオゾン層の破壊,酸性雨,森林破壊,砂漠化,新規化学物質によるケミカルハザードやバイオハザード等々,どれをとっても解決は大変難しい。核の冬など核戦争による徹底した最悪の環境破壊の危険も依然として存在している。これらの背景には,利潤追求第一主義の乱開発や発展途上国における人口爆発があり,南北間の貧富の格差がある。
 今から30年前,自然改造・国土改造を高らかに唱ったとき,さらには百数十年前,マルクスが「能力に応じて働き,必要に応じて受け取る」高度に生産力の発達した共産主義社会の夢を描いたとき,果たして今日のように人間の生産活動が地球環境にまで影響を与えると見通していたであろうか。もはや人間は神の領域にまで手を出してしまったのである。これからの社会は利便性や快適さの追求もほどほどにして,エネルギー消費を最小限に抑え,貴重な資源を人類全体で共有しながら,自然と調和をはかりつつ暮らしていかなければならないであろう。これは何も急進的なエコロジストグループの言うように,自然に決して手を加えるなという意味ではない。上手に自然を利活用し,元金には手を付けず利子だけを人間が使わせていただくのである。そのためには,単なる自然保護運動でもなく,また,公害たれ流しの後始末としての「ppmの環境問題」でもなく,人間が主体的に環境に関わっていくといった視点が重要になってくる。「環境設計」というと神をも畏れぬ不遜の響きが若干するが,自然との共存共栄を念頭においた開発が求められているのである。その際,網の目のように複雑に相互にからみ合った有機体としての自然を利用していくためには,現時点での最適適応や局所的な判断では大きな過ちを犯しかねない。その点,地質学は悠久の自然史の流れの中で現在を捉え,未来を洞察することができる。また,文字通りgeoー(地球)logy(科学)であり,汎世界的な視点も持ち合わせている。こうしたロングレンジの発想とグローバルな視野という地質学の長所が今こそ力を発揮しなければならない。とくに,世界中の自然と資源を荒し回った日本人の責任は大きい。日本の地質学の貢献が求められる所以である。
 かつて提唱された「生産と生活の場に立つ地学」は,本格的に実践されなかったとはいえその意義は失われていない。ただ,自然を征服し人間の意のままに従わせるといったニュアンスは,もはや現状にはそぐわない。上記のような現実社会の提起している切実な課題と切り結ぶ新たな地質学の創造が望まれている。もう一度,このスローガンに新しい命を吹き込む必要があるのではないだろうか。こうした課題に学問内容において応えていくとき,地質学の新たな展開と純粋地質学の再生も実現するであろう。21世紀まであと10年,この10年間に本気になってそのための基礎を構築しなければ,もはや地質学に未来はない。

引用文献

地学団体研究会(1966):『科学運動』,築地書館, 322p.
井尻正二・新堀友行編著(1963):『地学入門』,築地書館, 326p.
民主々義科学者協会地学団体研究部会全国部会(1950):速報, 18, 4p.
渡辺 貫(1935):『地質工学』,古今書院, 627p.
--------(1952):地質工学の現在及び将来. 地質工学,1輯,1-4.

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更新日:1997年8月19日