21世紀に持続的発展を可能とする地球科学のあり方

岩松 暉 (日本学術会議JABEEシンポジウム基調講演)


1.はじめに

 主催者から標記のようなタイトルをいただいた。「持続的発展を可能とする」とはリオ宣言で有名になったsustainable developmentの訳であろうか。sustainableは辞書を引くと「持続可能な」とあるが,当時,某お役所は「持続的」と名誤訳をしたという。まだ開発優先の考え方が濃厚だった時代の発想だったのだろう。さて,標記タイトルのニュアンスはどこにあるのだろうか。開発優先でそれを可能にする科学技術を生み出せという意味なのか,それともリオ宣言の趣旨に則り,有限の地球という認識に立って,人類生存の方策を探ろうという意味なのだろうか。もともとsustainの語源は「下から支える」であり,生命を維持する,家族を養うという風に使われる。今よりもっと楽をして贅沢をしたいという訳ではないだろうから,後者の意味だと勝手に解釈してお話しを進めることとする。

2.20世紀を振り返る

 未来を見通すには過去をふり返る視点が必要である。20世紀を総括するのにいろいろな切り口があろう。科学技術面では「原子力時代」・「宇宙時代」といった言葉もある。しかし,それらをもたらしたのも人間社会である。社会からの切り口では,20世紀は「帝国主義と社会主義の世紀」だった。覇権を求めて相争う「戦争と革命の世紀」でもあった。資本主義と社会主義は一見対極にあるように見えるが,どちらも産業革命が生み出した双子の兄弟である。共に富とパンを求めて工業化に狂奔した。科学技術も総動員され急速に発展した。「原子力時代」・「宇宙時代」もその産物である。その結果何を招来したか。地球は満身創痍となり,人類生存の危機さえ叫ばれるような事態に立ち至った。マルクスが貧しい労働者に腹一杯食べさせたいと「必要に応じて受け取る」共産主義社会を夢見たとき,人間の生産力が地球環境にまで影響を与えるとは思いもよらなかったに違いない。
 「21世紀の持続的発展に向けたメッセージ」と銘打った平成11年版環境白書は「20世紀は破壊の世紀」と決めつけている。世紀前半は自然の収奪(資源開発)であり,後半は自然の破壊(乱開発)であったという。いささか乱暴であまりに否定的な総括ではあるが,確かに資源浪費の時代であった。地球が数千万年・数億年といった長い地質時代をかけて形成した化石燃料や鉱物資源を猛烈な勢いで消費したのである。炭鉱や油田の廃墟に立てば実感できる。また世紀後半,社会資本の充実をめざして公共投資が精力的に行われた。奥地まで高速道路が走り,渚や湿地はコンクリート護岸に取って代わられた。都市はコンクリート砂漠と化している。一昔前と景観は一変してしまった。
 それではこうした20世紀の総括と地球科学はどのように関わってきたのであろうか。いわゆる"自然保護"派に言わせれば,資源地質学は自然収奪の主犯であり,土木地質学は自然破壊の共犯者と言うことになろう。本当に地質学は「破壊の世紀」の悪役だったのだろうか。総懺悔をしなければならないのだろうか。
 世紀前半,確かに地質学は資源とエネルギーを担う基幹学問であった。4年に1度開かれる国際地質学会議(IGC)では,国家元首クラスの要人が名誉総裁を務める慣わしがある。どこの国でもそれだけ地質学が重要視されてきたのだ。近代工業社会の建設にとって不可欠だったからである。わが国においても,国立研究所の第1号は地質調査所だったし,お雇い外国人教師の第1号は鉱山技師のコワニエだった。コワニエは官営鉱山第1号の生野鉱山の指導に当たった。不平等条約を改正して欧米列強に伍し,文明開化の実をあげるには殖産興業が最優先課題だったのである。第二次大戦後も石炭・鉄鋼の傾斜生産方式が採用され,地質学は戦後復興を支えた。焼け野原から世界第二の経済大国へのし上がる土台を築くのに大きく貢献した。
 世紀後半になると,わが国においてはエネルギー転換が行われ,僅かにあった石炭産業が潰され,全面的に輸入石油に頼るようになった。鉱物資源もまた然りである。代わって地質学を支えるインフラは土木建設産業にシフトした。にもかかわらず,当時のアカデミズム地質学は従来の学問的枠組みに閉じこもり,時代のバスに乗り遅れてしまった。そのため,土木地質学は民間の手によって進めざるを得なかった。このことはサイエンスとしての基盤の脆弱性を意味した。とはいえ若い変動帯ゆえに地質条件の劣悪な日本列島で,大型構造物の建設を可能にしたその技術的レベルは高く評価される。社会資本(インフラ)の充実に果たした役割は大きかった。インフラはラテン語ではmoles necessarie(人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業)に当たるとのことである(塩野,2001)。ローマはインフラを整備し,領民に豊かな生活を保障したからこそあの長期に及ぶPax Romana(ローマの平和)を保ち得たのだという。わが国も同様,この狭い4つの島に1億人を超す人口を抱え,世界一の長寿国として豊かで快適な生活が営めたのはインフラを整備し,経済大国を実現したからである。さもなくば,江戸時代の生活水準のまま,人生50の短命生活を余儀なくされていたであろう。功罪ともに全面的に評価しなければならない。インフラ整備=公共事業=悪といった短絡的な図式はいただけない。地質学が果たした積極的役割も正当に評価する必要がある。
 もちろん反省すべき点は多々ある。土木地質学の面で言えば,大学という基盤から切り離されたところで発展してきたため,工学に引きずられ理学の視点がややもすると忘却されがちであったと言わざるを得ない。工学は歴史的視点を持たないから,現在時点での最適適応だけを考える。どうしても自然の摂理を無視した開発計画になりがちである。また,開発の主導権を土木工学が担ったため,地質学はプランニングの段階にタッチできず,設計施工に必要な地盤データを集める土木の僕の位置に置かれてしまったことも,乱開発につながる遠因となった。官尊民卑の日本社会で,機械的産学共同反対を唱えてリーダーシップを取ろうとせず,社会から距離を置こうとしたアカデミズム地質学の責任は大きい。

3.環境デザイン

 こうした反省の上に立って,以下今世紀,日本の地質学が果たすべき役割について考察してみたい。
 先に工学は歴史的視点を持たないと述べたが,裏返せば地質学の長所はそこにある。地質学は悠久の自然史の流れの中で現在を捉えるから,未来を洞察することができるからである。また,文字通り地球の科学geo-logyであり,汎世界的な視点も持ち合わせている。こうしたロングレンジの発想とグローバルな視野という地質学の長所は,21世紀の地球環境時代に必ずや必要とされるし,環境デザインに生かされるであろう。
 私が最初に環境デザインについて述べたのはバブルの真っ最中1988年のことである。「来るべき21世紀には、環境と調和しながらいかに自然を利用していくか、環境設計が重要な課題となる」と述べ,当時は「環境設計」と言っていた。その後も別な場所で、「単なる自然保護運動でもなく、また、公害たれ流しの後始末としてのppmの環境問題でもなく、人間が主体的に環境に関わっていくといった視点が重要になってくる。環境設計というと、若干、神をも畏れぬ不遜の響きがするが、自然との共存共栄を念頭においた開発が求められている」と述べ、「自然との共存共栄を念頭においた開発」と定義しており、今流行の「持続可能な開発」とか「共生」という言葉は使っていない。
 当時は一顧にだにされなかったが,今では「心の豊かさ」を求める人が「物の豊かさ」を求める人を上回るようになった(総理府世論調査)。ハード一辺倒、ハコ物づくりの国土建設計画から住民主体の国土づくり・まちづくりへ転換が始まっている。国土審議会政策部会第1次報告「21世紀国土のグランドビジョン」(1999)でも「地域の自立と美しい国土の創造」が掲げられ,「多自然居住地域の創造」が謳われている。あの列島改造を主導した国土交通省も多自然型河川工法とかエコシティーといった方向を打ち出してきた。中央省庁から地方自治体まで変わりつつある。地質学はプランニングの段階からリーダーシップを発揮し,社会に貢献しなければならない。

4.その他の課題

 これから地質家が活躍する舞台は環境デザインだけではない。少し蛇足を付け加えてみたい。マクロエンジニアリングも在来路線ではあるが当面続くと思われる。ただし、自然改造については十分注意しないととんでもないしっぺ返しを受けることがある。典型的な例がアラル海の悲劇である。荒野を農地に変えた社会主義科学技術の輝かしい成果と讃えられたが、現在アラル海は死の海と化し、農地も荒れ地に戻ったという。近視眼的な目先の利益を追う開発は慎まなければならない。資源開発も依然として重要である。キルギスの拉致事件で明らかになったように、地質家が世界各地に散って資源探査に当たっているからこそ、石油や鉱物資源を輸入できるのであって、札束を切れば買えると思ったら大間違いである。この瞬間も縁の下の力持ちが厳しい条件の下で額に汗していることを忘れてはならない。
 21世紀は農の時代である。1人当たりの陸地面積が砂漠も含めて1.5haしかないのだから、食糧問題は深刻である。今のように海外からの食糧輸入に頼っているのは、食糧安保上問題だが、自然環境上も問題が大きい。食糧輸入は輸出国の水と土壌を輸入していることを意味するからである。本来土壌に戻すべき有機物をゴミとして捨てているのだから、輸出国の土壌は急速に疲弊し、輸入国では逆に海洋の富栄養化が進んでいる。食糧は自給自足が大前提でなければならない。明治時代、東大農学部に農林地質学講座が存在したが、今また農林地質学の復権が求められている。
 大学の地質学は伝統的に岩石だけを対象にしてきたが、水や土壌にも目を向ける必要がある。とくに水問題は重要である。世界人口の5人に1人が水不足であり、毎年1,000万人もの人たちが汚染水が原因で死亡しているという。安全保障は軍事や資源だけではないのである。21世紀は水と食糧をめぐって戦争が起きるのではないかと言われている。地質家が水を通じて世界平和に貢献できるのではないだろうか。
 山陽新幹線のトンネル事故が有名になり、「コンクリートが危ない」という本がベストセラーになった。このように高度成長期に建設したコンクリート構造物が一斉に耐用年限に達しつつある。これからはメンテナンスの時代がくる。安全性の地質学・耐久性の地質学、ないしメンテナンス地質学も作っていく必要がある。コンクリートは人工礫岩であり、ナチュラルアナログの考え方をすれば、今まで地質学が培ってきた風化問題などの知識が役立つに違いない。
 最後は「あとしまつ工学」である。地質汚染の調査には既に実績があるが、単なる調査にとどまらず、破壊された環境の復元技術も開発する必要がある。廃棄物処理、いわゆるゴミ問題も深刻である。処分場建設にはダム地質の知識が役立つだろう。水漏れが困る点では同じだからである。さらには、高レベル放射能の地層処分も地質学に課せられた大きな使命のひとつだと思う。

5.JABEEと21世紀の地質学

 以上,今後社会から地質学に期待されるであろう課題について列挙した。翻って,本シンポジウムのテーマであるJABEEとこれらの諸課題との関連を見てみよう。人材を送り出す側の基準が社会の要請とマッチしていなければ困るからである。
 われわれの分野は「地球・資源およびその関連分野」である。関係諸学会でご議論いただいた結果が,分野別要件の「補足説明」にキーワードとして揚げられている。地圏の開発と防災,資源の開発と生産,資源循環と環境の3主要領域のうち,資源については他の演者に譲り,「地圏の開発と防災」についてだけ触れることにする。末尾に再掲しておいたが,従来の地質学のカリキュラムでは軽視ないし無視されてきた「風化」「水」「情報」「地形」「力学」「開発」「災害」「環境」「汚染」等々といった分野が取り入れられている。まさに時代の要請に添った内容と思う。問題は大学側がこれを真摯に受け止め,実践することであろう。

1)地球構成物質と資源

地球の構成,鉱物・岩石,地殻の構造,火成活動と火成岩,堆積作用と堆積岩,変成作用と変成岩,風化・熱水変質作用,地球物理,地球化学,資源地質,テクトニクスと鉱床,金属資源,非金属資源,燃料資源,地熱・温泉,水資源,鉱床成因論,鉱物工学,鉱物合成

2) 流体地球と人間圏との相互作用

大気と海洋,海洋化学,地球流体物質の起源と進化,炭素・酸素・窒素の地球上における循環と移動,放射性および安定同位体,鉱物および元素の溶解・沈殿,水―岩石相互反応,二酸化炭素の物理化学および固定,C-H-O-N系物質の相関係および物理化学,海洋地質,海洋資源,気象・気候

3) 地球の探査

地質調査法,地質図と地質図学,物理探査・検層,地化学探査,リモートセンシング,航空写真判読,測地,資源探査,海洋探査,原位置試験法

4) 地球情報の解析・評価

地球統計学,地球情報学(多次元評価手法),地理情報システム,地層解析,地質構造解析,地形解析,水文・水理,地球環境評価,資源評価・予測,地盤評価

5) 地圏情報を生かした設計・開発

土木地質,水文地質,構造地質,岩盤・土の力学,各種構造物やライフライン(交通,電気,ガス,水道など)の設計,地圏の安全な開発法(斜面造成,地下空間,埋め立て),土地利用計画,地域開発計画,環境インパクトの予測・評価・低減(地下水変動,地盤沈下など)

6) 地球災害の防止・軽減

地震と活断層,火山活動・火山災害,第四紀地殻変動,プレートテクトニクス,地形発達過程,地すべり・斜面崩壊・土石流,流域管理(水および土砂災害の評価および管理システム),自然災害の評価・軽減法

7) 地球環境の理解と保全・修復

地球史(地史・古生物,地球年代学),地球環境変動および変遷史,気候変動,人間活動と地球温暖化,酸性雨問題,地球砂漠化,海洋汚染,土壌汚染,地下水汚染,地下水変動・枯渇,人工建造物の保護,廃棄物処分(CO2,産業廃棄物,放射性廃棄物)
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更新日:2002年6月2日