鹿児島市地盤図の刊行にあたって

 鹿児島市地盤図編集委員会委員長 岩松 暉(『鹿児島市地盤図』巻頭言, 1995)


 鹿児島は世界でも有名な火山国である。温泉などの恵みも多いが,災害も多い。各種の火砕流堆積物,中でも入戸火砕流堆積物(いわゆるシラス)が県本土の過半を覆い,溶結凝灰岩も広く分布する。当然,沖積平野もこのような火山性の後背地から供給される堆積物,主として二次シラスから構成されている。いずれにせよ鹿児島の地質はわが国の中でもかなり特殊な存在である。
 一方,岩盤分類や液状化判定基準など地質や土質に関する各種の基準は,関東地方など一般的な砕屑性堆積物しか存在しないところの地質に基づいて制定されるのが普通である。例えば,溶結凝灰岩は軟岩の範疇に入れられ,リッパー施工が求められるが,リッパーでは歯が立たず発破が必要になる。一般的な液状化判定基準を適用すると,沖積シラスは液状化しにくいことになるが,実際には桜島の大正噴火の際にも液状化が起こったらしい。
 いわば地元の風土病に対して,それを知らない大都会の医者が作った処方箋を機械的に当てはめようとするのに例えられる。つつが虫病の高熱を風邪と誤診するようなものだ。やはり,風土病のことは地元のホームドクターに聞くのが一番よい。しかし,それが単なる田舎の藪医者であっては困る。腕の立つ専門医を養成することが不可欠である。そうでなければ,技術的に難しくチャレンジングな仕事は中央業者に発注され,ルーチンでつまらない日銭稼ぎしか地元業者には来ないであろう。
 では,技術水準を高めるためには何をなすべきか。大学が努力するのは当然であるが,応用地質学は現場の科学であり,わが国では企業人が主たる担い手である。やはり,業界の奮起が望まれる。県の地質調査業協会で技術講習会を熱心に行っておられるのもその試みの一つであろう。もう一つは論文を書く風潮を作ることではないだろうか。各社それぞれに優れた技術やノウハウを持っていても,企業秘密の壁やお役所に課される守秘義務によって陽の目を見ていない。結局,ドングリの背比べで積み重ねにならないのである。資源産業は,鉱区権で保護されているためか,データ公表が比較的フランクに行われている。だから他者の成果の上に立って新たな業績を追加できるのである。したがって,企業人の学位保持者も多い。結果として業界全体のレベルアップが図られる。世界的に有名になった黒鉱鉱床や鉱脈型金鉱床などが次々に発見されたのもそれが一因なのではないだろうか。応用地質ないし土木地質の世界でも,業界全体の急速なレベルアップを図り,土木の人達に一目も二目もおかれる存在になりたいものである。
 ともかくも地元の意地を見せたい,地元でなければできないことをやりたい,地元の学問・技術水準をあげたいと,常日頃から考えていた。最初に思いついたのが鹿児島県地質図の編纂である。プレートテクトニクスが生まれ,プレートのもぐり込みに伴う産物として注目されていた白亜紀の四万十層群も,旧鹿児島県地質図では時代未詳中生層と一色に塗られていた。誠に恥ずかしい。幸い時の今吉副知事にお話したところ快諾いただき実現できた。これも県図は20万分の1が普通だった時代に,10万分の1の倍精度の精密なものにした。明治維新をやった薩摩は,やはり時代の先端を行かなくては,とお話したのを覚えている。
 次は地盤図である。液状化のことが心配だった。鹿児島に転勤してきたばかりの頃,九州大学の山内豊聡先生に,乱したシラスは普通砂より液状化しやすいと伺ったことがあるからである。鹿児島は地震保険でも一等地で掛け金が一番安い。だから逆に,地震に対する備えが不十分である。桜島が爆発すれば震度6の地震に見舞われるかも知れない。大正当時より埋め立て地も増え,人口は比較にならない。災害要因が蓄積している。備えあれば憂いなし,先ず何よりも地盤の状況を把握しておくことが先決である。もちろん,ジオフロントやウオーターフロントなど,都市再開発にとっても,地盤図は欠かせない。しかし,既存の地盤図は20数年前まだボーリング数もごく僅かだった時代に作られたものである。そこで,県地質調査業協会にお話しすると同時に赤崎市長さんにもお願いした。地盤図があるのは政令指定都市のような大都会がほとんどである。なぜ鹿児島でとの声もあった由であるが,幸い県協会役員の方々が趣旨をご理解くださり,編纂事業がスタートした。
 最初は毎週会社の方が一人私のところの研究室に来てボーリングデータをパソコンに入力することから始まった。(社)全国地質調査業協会連合会からはボーリングデータ管理システムのソフトを無償提供いただいた。しかし,いざ入力となると,オリジナルデータを記載した担当者の専門や技量の違いによって,同一地層でも名称など記載内容がまちまちで,困惑することがしばしばだった。どうしても標準になるコアが欲しい。平成2年度に「桜島大規模噴火に伴う地盤振動災害の予測図作成」とやや大仰なタイトルで文部省科学研究費を取り,オールコアボーリングを実施した。これをもとに対照表を作って,データの解釈に当たった。ただし,データベースの一次資料は原文のままにしてある。なお,採取したコアを公開して,協会の技術講習会を開き,記載の統一なども試みた。以上が準備段階のいわば前史である。
 平成4年度になると,産学共同の機関として鹿児島大学に地域共同研究センターができたので,早速,県協会のほうから「鹿児島市地盤図作成」という研究題目で共同研究プロジェクトをお申込みいただいた。こうして,研究代表者を私とし協力機関を(社)鹿児島県地質調査業協会とした研究プロジェクトが平成5年度に発足した。鹿大側では工学部・農学部の先生方にも委員になっていただいた。これが事実上の正式な編集委員会(別記参照)である。以来幾度かの全体委員会,各分野ごとの小委員会や作業部会を積み重ね,ようやく今日の刊行を迎えた。なお,この間,委員会の作業に基づき,委員を中心に『地質と調査』誌に「鹿児島県の地盤」「地盤情報データベースと鹿児島地盤図の作成」「1993年鹿児島豪雨による地盤災害とその対策工」といった論文を発表できた。前述したような論文を書く風潮が徐々に出てきたのではと内心喜んでいる。
 このような経過を経て本書が完成した。開発計画や防災対策の立案などにお役に立てば幸いである。なお,今回は鹿児島市域のしかも平野部に限った。斜面災害のことを考えると台地部の表層地盤の問題も重要である。ハザードマップなども必要であろう。また,国分・隼人地区や志布志湾沿岸など発展著しいところも手つかずである。対象地域を広げる必要があろう。さらに,沖積シラスの液状化に関しては,今回時間がなくて実行できなかったが,鹿児島の地盤特性に応じた判定基準の開発など,基礎的研究も重要である。北海道南西沖地震では,火山性砕屑物が液状化したとの記録もある。桜島の大正噴火から数えてもう80年,阪神大震災の経験に鑑み,避けて通れない課題であろう。地盤図からは多少それるが,前述の溶結凝灰岩の力学特性と施工性に関する研究も鹿児島県にとっては重要である。鹿児島県は災害常襲地帯であり,復旧工事に多大の精力を割かれるのはやむを得ない。しかし,もう少しこうした基礎的研究にも力を注ぐ必要があるのではないだろうか。1993年の豪雨災害被害額は3,000億円を超したという。平均10年に1度1,000億円の被害を出すとすれば,事前の調査研究に毎年1億円費やしたとしても,その1%に過ぎない。人命のことを考慮すれば,これほど安い投資はないのではなかろうか。関係各方面のご理解とご助力をお願いしたい。第2第3の地盤図が続刊されると共に,次の世代によって本書の抜本的な改版が実現することを切望する。
 刊行に漕ぎ着けるまでの長い間,県協会からは物心両面にわたるご援助をいただいた。企業関係の委員の方々は,日常業務をかかえ多忙な中を頻繁にボランティアではせ参じてくださった。鹿児島県・鹿児島市はじめ本文に記した諸機関からはボーリングデータのご提供と公表のご許可を快く承諾していただいた。(社)全国地質調査業協会連合会からはボーリングデータ管理システムのソフトをご提供いただいた。また,鹿大の諸先生からは熱心な学問的ご指導をいただいた。鹿児島大学地域共同センターには研究室の提供などいろいろ便宜を図っていただいた。以上のみなさまに心から感謝の意を表する次第である。
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更新日:1998年2月15日