人間と社会のための地質学

岩松 暉 (日本応用地質学会九州支部会報「GET九州」24号論説)


1.はじめに

 世は激動の時代である。国際情勢も緊迫しデフレ不況も先が見えない。虐待死など殺伐とした世相を反映した暗いニュースばかり。冷戦構造の崩壊後,共生の時代が始まるのかと期待していたらこの有様である。やはり末世なのであろうか。末法思想が流行ったのは平安末期,やはり激動期だった。しかし,栄華の夢に酔っていた貴族達にとっては確かに末世だっただろうが,古代から中世へ大きな歴史的転換を果たす産みの苦しみだったのである。以後貴族に代わって武士階級が歴史の表舞台に登場した。現在の激動もまた,新しい時代の幕開けを告げるファンファーレなのであろう。
 閑話休題,科学技術の面ではどうであろうか。原発や食品をめぐるトラブル隠し・環境ホルモン・狂牛病などなど,やはり暗いニュースが多く,科学技術不信の声が高い。製造業の比重が下がり,次代はITと喧伝されが,これもバブルがはじけ先行き不透明。漠とした不安に包まれている。社会と同様,激動期に入ったのだろう。科学技術の面でも大規模な歴史的転換が始まったのではないだろうか。ここでは日本学術会議で行われている議論を紹介する。

2.行き詰まり問題

 帝国主義植民地主義の時代,富の拡大は領土拡大で達成しようとした。しかし,二度にわたる世界大戦の結果,植民地の再分割は行き詰まった。以後は自国における生産性を高めるしかない。いずれも科学技術を総動員することによって達成しようとした。すなわち,20世紀前半は軍事科学に,後半は市場経済のための科学に莫大な投資が行われ,これによって科学技術は爆発的に発展した。その結果,先進国では豊かで快適な社会を実現し,ライフスタイルと価値観を大きく変化させた。一方,エネルギーと資源の浪費は地球環境を破壊し,人類生存の危機さえ叫ばれるような事態を招いた。世紀末にいたって第二の行き詰まりに直面したのである。第一の行き詰まり問題は地球の空間的有限性であったが,今度は資源と環境の有限性であった。

3.日本の計画 Japan Perspective

 こうした人類史的課題としての「行き詰まり問題」を解決し,持続可能な社会を実現するために,第18期日本学術会議は「日本の計画 Japan Perspective」を提案した(詳細は『学術の動向』2003年1月号参照)。「行き詰まり問題」解決のためには,「問題を取り巻く環境を変革する」タイプと「問題に直面している主体の意識や価値観を変革する」タイプと二つある。前者は20世紀的やり方であり,今後は後者の方法が採用されなければならない。すなわち,人類社会の持続的発展のためには,欲望の抑制や方向転換,多様性の尊重,平等の確保に特徴づけられる意志決定システムの進化が求められている。これを「持続可能性への進化Evolution for Sustainability」と呼ぼう。この進化は,科学技術の利用による物質循環とともに,「多様性の受容とその上での新たな展開」を可能にする情報循環が同時かつ調和的に実現することによってのみ達成される。とくに「学術によって駆動される情報循環」が重要である。日本学術会議は情報循環のあり方に関して,次の4つの問題群を設定して研究を開始している。
  1. 人類の生存基盤の再構築
  2. 人間と人間の関係の再構築
  3. 人間と科学技術の関係の再構築
  4. 知の再構築

4.Science for Society

 学術研究に即して考えてみる。科学研究には「観測型研究」とそのもたらす情報に基づき社会に助言する「設計型研究」,さらには個別領域の研究を俯瞰する「俯瞰型研究」とがあり,それらの相互間および社会との情報循環が必要である。しかるに伝統的ディシプリン科学は,認識と実践を切り離すことによって,また研究対象を自ら狭め深く追究することによって,目覚ましい自立的自己充足的発展を遂げてきた。科学のための科学Science for Scienceだったのである。結果として,学術の成果を社会に適用し,逆にその経験を学術にフィードバックする仕組みに乏しかった。社会と学術との新しい関係の発生とその深まりという現代の特徴を前にして,軌道修正を要請されていると言えよう。われわれは再び本来の姿に立ち戻り,知識の生産と利用との関係の再構築を通じて,社会のための学術Science for Societyの確立を目指さなければならない。当然のことながら,研究者は広い視野と見識が要求される。統合システムの科学が必要である。

5.人間と社会のための地質学

 では地質学ではどうあるべきなのだろうか。どのような変革が求められているのだろうか。地質学におけるパラダイム転換というと,激変説→斉一説,地向斜造山論→プレートテクトニクスの例がよく挙げられる。現在はポストプレートテクトニクス時代と言われ,プレート運動も包含したプルームテクトニクスが全地球テクトニクスとして提唱されている(丸山・他,1993)。しかし,このような地質学という学問の中におけるパラダイム転換ではなく,学問の枠組みそのものを変えるもっと大きなパラダイム転換が求められているのではないだろうか。古代貴族政権内部での政権交代ではなく,近世へのジャンプが期待されているのだ。地質時代になぞらえれば,現在は紀epochのレベルではなく,代eraのレベルの境目なのではないだろうか。
 地質学史を振り返ってみる。天文学が航海や砂漠の旅行に不可欠であったと同様,地質学もまた自然を観察し自然を利用して生きていく過程で生まれた。学問的なレベルで言えば,ドイツ・ザクセンのG. B. Agricola (1494-1555)を嚆矢とすると言ってよいだろう。De Natura Fossilium (1546)やDe Re Metallica(1556) など鉱物や採鉱冶金技術について系統的に記載した書物を出版した。以後,地質学は資源探査・採掘のための実学として主としてドイツで発展した。さらに産業革命期のイギリスに引き継がれ,ここで近代地質学が確立する。以後今日に至るまで基本的に資源中心の学問体系が世界中で教授されてきた。工業化社会を担う基幹学問であり,まさに資源とエネルギーを追い求めた20世紀にふさわしい学問内容だったと言えよう。
 しかし,現在は前述のような「人類史的行き詰まり問題」に直面している。こうした課題に貢献することなく,前世紀の栄光に固執し従来の学問体系を墨守していては,早晩消え去るしかないであろう。すなわち,地球環境科学の中核を担う学問として大きく脱皮することが求められているのだ。地質学の学問的枠組みを資源中心の体系から環境中心の体系に変えなければならない。学術会議流に表現すれば「人間と社会のための地質学」である。幸いにして時代が求めている地球環境問題にしても,俯瞰型研究にしても,地質学は応える準備と資格を持っている。地球が地質学の学問対象であることは言うまでもないし,地球環境を研究するためには総合的アプローチが不可欠だが,地質学は理学の中の他分野と異なり,構造地質学のような物理学的分野,岩石学のような化学的分野,古生物学のような生物学的分野とすべてを包含した総合科学的色彩が強く,既にそうした総合的教育が行われているからである。
 これからの社会が地質学に要求する分野を具体的に見てみよう。先ず環境デザインが挙げられる。従来の開発最優先路線から自然との共存共栄を念頭に置いた土地利用計画が求められている。プランニングの段階から自然の摂理をわきまえた地質家がタッチしなければならない。わが国は自然災害が多い。まさに災害列島である。自然科学的メカニズム論にとどまらず,防災アセスメントや災害に強いまちづくりなど文字通り災害を未然に防ぐことに貢献しなければならない。予知予測や危機管理などソフト対策も範ちゅうに入る。水問題は深刻である。世界人口の5人に1人が水不足であり,毎年1,000万人もの人たちが不潔な水が原因で死亡している。伝統的地質学は岩石や地層しか取り扱わなかったが,もっと水文地質学の比重を高めなければならない。地質汚染も深刻である。農薬や化学肥料の使用に伴う土壌汚染だけでなく,有機溶剤や重金属による地下深部の汚染まで存在する。高レベル放射性廃棄物も含む廃棄物処分場建設に関しても地質学の出番が求められている。その他,高度成長期に建設した構造物のメンテナンスや農地保全・砂漠化防止など枚挙にいとまがない。もちろん,従来の土木地質の需要もあるだろう。

6.大学カリキュラムの抜本的改革

 上記の諸課題については,応用地質学会やコンサルタント業界は近年それなりに実績を積んできた。今年度の応用地質学会研究発表会(高松)では環境地質セッションが1/4を占めるようになったし,業界の売り上げに占める環境・防災関係の割合は着実に伸びつつある。
 問題は大学である。このように学問において産業革命以来の大転換が訪れようとしているのに気づいている大学人が少ないからである。大学院大学は地球惑星科学になり,ますます社会のニーズから遠ざかりつつあるし,地球環境科学科に改組した地方大学も,看板を塗り替えただけの羊頭狗肉のところが多い。教育内容も資源中心時代のまま,教員達が自分の受けた教育と同じような教育をしているのが実情であろう。国立大学の独立法人化を目前にして生き残りのために「地域貢献」が叫ばれている。しかし,公開講座でお茶を濁しているようではダメで,社会が求めている有為の人材を輩出することが,教育面における第一の社会貢献である。そのためには先ず,謙虚に社会の声に耳を傾けること,教員同士でどのような人材を養成するのか真摯な議論を行ってコンセンサスを得ることが重要である。その上で早急にカリキュラムを時代にマッチしたものに再編し,一致協力して実行に努めなければならない。

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更新日:2003年2月18日