地球環境時代における地質科学
−資源中心の体系から環境中心の体系へ−

第4部 岩松 暉

(日本学術会議科学論のパラダイム転換分科会報告書―人間と社会のための新しい学術体系―, 31-39.; 日本地質学会News, Vol.6, No.7, 25-28.)


1.近代地質学の誕生

 天文学が航海や砂漠の旅行に不可欠であったと同様,地質学もまた自然を観察し自然を利用して生きていく過程で生まれた。学問的なレベルで言えば,ドイツの鉱山地帯ザクセンで活躍したG. B. Agricola (1494-1555) のDe Natura Fossilium (1546) やDe Re Metallica (1556) を嚆矢とすると言ってよいであう[1][2]。鉱物や採鉱冶金技術について系統的に記載した書物である。その後も地質学は資源探査・採掘のための実学として主にドイツで発展してきた。このザクセンの伝統はフライベルグ鉱山学校に引き継がれる(1765設立)。ここで教授として活躍し,多数の俊才を養成したのがA. G. Werner (1749-1817) である。彼はいわゆる水成論(花崗岩や火山岩なども含むすべての岩石は水中の化学的沈殿や機械的堆積によって生成されたという説)を唱えたとして悪名が高い。しかし,これはホイッグ的歴史観の立場からの攻撃であって不当であり,岩相層序学を確立して後の地質調査や地質学研究の出発点を築いた功績は大きいという[3]。その後,教え子たちの手によって世界各地で地質調査が行われ地質図が作られるようになった。
 やがて産業革命が起き,世界経済の中心は大陸からイギリスへ移る。当時イギリスで活躍したのがJ. Hutton (1726-1797) ・W. Smith (1769-1839) ・ C. Lyell (1797-1875) らである。Huttonは火成論を唱えてWernerの水成論を打ち破り,また斉一説(天変地異説を否定し「現在は過去への鍵」とする説)を体系化した。Smithは石炭運河の土木技師で,地層同定の法則など層序学を確立し,「層序学の父」と呼ばれる。LyellはHuttonの斉一説を鼓吹し,Principles of Geology (1830-1833) を著した[4]。この本は当時の地質学界に大きな影響を与え,それ故Lyellは「近代地質学の父」と呼ばれる。こうして近代地質学は産業革命期のイギリスにおいて誕生したと言われる。もっともイギリスの地質学が大陸に比して進んでいたという図式は後世故意に作られたものであって,前述の WernerやフランスのG. L. Cuvier (1769-1832) のほうが優れていたとのことである[3]。恐らく大英帝国の栄光のお陰であろう。
 しかし,いずれにせよ地質学は産業革命遂行のためには不可欠であった。鉄や石炭などの資源・エネルギーの探査を担ったからである。社会のニーズに真正面から応えることを通じて博物学から脱皮し,近代地質学へ発展したと言ってよい。このように地質学は近代工業国家の基盤を担う基幹学問だったから,社会的ステータスは非常に高かった。国際地質学会議IGCは第1回大会を1878年に開いて以来4年に1度各国持ち回りで開催されるが,開催地の国家元首クラスの人物が名誉総裁を務める慣わしがある。それだけ地質学が重要視されてきたからであろう。

2.わが国における地質学の輸入

 わが国においても地質学はまず資源地質学(鉱山地質学)として輸入された。幕末の1867年,フランス人F. Coignet (1835-1925) が薩摩藩の招きで来日し,藩内の鉱山調査に従事した。翌年は明治維新,お雇い外国人第1号として生野銀山(官営鉱山第1号)に移り,鉱山開発の指導に当たると共に生野鉱山学校を開く。次いで1872年アメリカ人B. S. Lyman (1835-1920) が北海道開拓使仮学校に赴任,石炭地質学や石油地質学を講じた。最後に,明治政府の基礎が固まった1875年,ドイツ人E. Naumann (1850-1927) が来日,東京大学初代地質学科教授に就任すると共に地質調査所を設立する(国立研究所第1号)。首都東京に君臨し,学と官の要衝を押さえたから,以後ドイツ流の学問が主流となった。お雇い外国人教師の俸給は高額で財政的に重荷だったから,早期に日本人教授に交代させる政策が採られた。例えば東大第1回卒業生の小藤文次郎 (1856―1935) は卒業後すぐにドイツに留学して当時の最新知識・偏光顕微鏡岩石学を学び,帰国するとまもなくNaumannに代わって教授となった(理博第1号)。欧米の地質学が産業革命を自ら遂行して,いわば土作りから始めて草花を露地栽培したのに対し,日本は切り花を輸入して花瓶に生けたのである。輸入学的体質と実学を軽視する風潮が根付く。日本的アカデミズムの形成である。日本列島の南と北に輸入された実学は亜流として退けられた。とはいえ殖産興業・富国強兵は後発資本主義国日本の国是である。資源地質学中心の研究教育が行われてきた。
 もちろん,他に土木地質学の萌芽もあった。日清・日露の戦争を経験して,国防上の理由から弾丸列車構想が生まれ,箱根山をくり抜いて一直線に結ぶ丹那トンネルが計画された。1918年のことである。火山岩地帯でかつ丹那断層の走る地質的に最悪のところだったから,落盤生き埋め事故が多発し未曾有の難工事となった。地質学の重要性が認識され,渡邊貫(1898-1974)ら地質学科卒業生が初めて鉄道省に採用された。彼は土質調査委員会を設置し,「地質工学」「物理地下探査法」など学際的な分野の大著を次々に著した[5][6]。土質力学の始祖K. Terzhagi (1883-1963) とほぼ同時期に活躍した斯界の先駆者であったが,鉄道省の役人であって大学人でなかったためか,アカデミズム地質学にはほとんど影響を与えなかった。例えば東京帝国大学地質学教室最後の講座構成は次のようである。第1講座が岩石学・第2講座が中・古生代を扱う地史学第一,第3講座が応用地質学(鉱床学),第4講座が新生代を扱う地史学第二,第5講座が石炭・石油を扱う燃料地質学であった。他に鉱物学教室があった。このように資源中心の学問体系を保持し続けた。

3.戦後の地質学と学問体系

 第二次大戦の敗北により国土は焦土と化した。戦後復興にとって産業再生は至上命題である。石炭・鉄鋼の傾斜生産方式が採用され,鉱山業は隆盛を極めた。金ヘン景気や黒ダイヤ(石炭のこと)なる言葉もあった。地質学は花形の学問として活躍する。この頃まで応用地質学イコール資源地質学と見なされていた。
 もはや戦後ではないと言われた1960年代,エネルギー転換と円の変動相場制移行に伴って,わが国の資源産業は決定的に衰退する。代わって列島改造時代の到来である。地質学科卒業生の進路は資源産業から土木建設産業へ完全にシフトした。ここに至って応用地質学イコール土木地質学と見なされる時代になった。応用地質学会が創立されたのは1958年のことである。
 日本列島は現在も活動している新しい変動帯に位置しており,地質が極めて悪い。そこにトンネルやダムなど大規模構造物を次々と造ってきたのである。土木地質学は世界的レベルに達していたと言ってよい。青函トンネルが好例である[7]。しかし,大学は時代のバスに乗り遅れ,依然として資源中心の学問体系を改めようとしなかったため,土木地質学は民間の手で自学自習せざるを得なかった(山本, 1980)[8]。当然理論化・普遍化に難点が出てくる。また,公共事業に伴って発展してきたため,守秘義務の壁に阻まれて,論文公表の自由もなかった。そのため,残念ながら個人や会社のノウハウの段階にとどまっている。
 以上見てきたように,外国でも日本でも地質学は資源産業と結びついて発展してきた。もともと岩石学や鉱物学は鉱物資源探査に不可欠の知識であり,岩石の顕微鏡鑑定は鉱山会社に就職するために必須の技術であった(荒牧, 2000)[9]。堆積学や古生物学もまた,石炭・石油の探鉱にとって非常に有効な手段であるとして,業界から発展してきたものである。先に土木地質の時代に大学はバスに乗り遅れたと述べたが,社会はさらに先へ進んでいる。このまま数100年来の体系を墨守していていいのだろうか。将来どうあるべきなのだろうか。
 未来を見通すには過去をふり返る視点が必要である。20世紀を総括するのにいろいろな切り口があろう。「21世紀の持続的発展に向けたメッセージ」と銘打った平成11年版環境白書は「20世紀は破壊の世紀」と決めつけている[10]。世紀前半は自然の収奪(資源開発)であり,後半は自然の破壊(乱開発)であったという。いささか乱暴であまりに否定的な総括ではあるが,確かに資源浪費の時代であった。地球が数千万年・数億年といった長い地質時代をかけて形成した化石燃料や鉱物資源を猛烈な勢いで消費したのである。炭鉱や油田の廃墟に立てば実感できる。また世紀後半,社会資本の充実をめざして公共投資が精力的に行われた。奥地まで高速道路が走り,渚や湿地はコンクリート護岸に取って代わられた。都市はコンクリート砂漠と化している。一昔前と景観は一変してしまった。  それではこうした20世紀の総括と地質科学はどのように関わってきたのだろうか。いわゆる"自然保護"派に言わせれば,資源地質学は自然収奪の主犯であり,土木地質学は自然破壊の共犯者と言うことになろう。本当に地質学は「破壊の世紀」の悪役だったのだろうか。総懺悔をしなければならないのだろうか。しかし,産業を興し社会資本を整備してきたからこそ,江戸時代の3倍の人口が養え,豊かで快適な長寿社会が実現できたのである。さもなければ,江戸時代の生活水準のまま,人生50の短命生活を余儀なくされていたであろう。功罪ともに評価しなければならない。
 もちろん反省すべき点は多々ある。資源地質学の面で言えば,鉱害や資源開発に伴う環境問題を引き起こしてきた。古くは足尾銅山鉱毒事件が有名である。採掘に伴う廃石(ズリ)の問題も大きい。かつては国内産炭地のボタ山鉱害があった。現在では鉱物資源のほとんどすべてを輸入に頼っているから鉱害問題は意識されていないが,産出国にそのツケを回しているのである。例えば,精鉱金1kgを得るには1,360tの廃棄物が出るという[11]。とくに露天掘りの場合には大規模な地形改変まで行われているから,産出国ではそれだけ自然環境が破壊され,先住民の生活が脅かされている。わが国がこうした環境コストを負担しているとは言い難い。
 土木地質学の面で言えば,大学という基盤から切り離されたところで発展してきたため,工学に引きずられ理学の視点がややもすると忘却されがちであったと言わざるを得ない。工学は歴史的視点を持たないから,現在時点での最適適応だけを考える。どうしても自然の摂理を無視した開発計画になりがちである。また,開発の主導権を土木工学が担ったため,地質学はプランニングの段階にタッチできず,設計施工に必要な地盤データを集める土木の「僕」の位置に置かれてしまったことも,乱開発につながる遠因となった。良きにつけ悪しきにつけ,土木は産官学が一体となって公共事業を推進してきたが,官尊民卑の日本社会で,機械的に産学共同反対を唱えて,社会から距離を置こうとしたアカデミズム地質学の責任は大きい。

4.人間と社会のための地質科学

 こうした反省の上に立って,地球環境時代と言われ「持続可能な開発」が求められている今世紀,地質学はどのような方向を目指せばよいのか展望してみたい。
 先に工学は歴史的視点を持たないと述べたが,裏返せば地質学の長所はそこにある。地質学は悠久の自然史の流れの中で現在を捉えるので,未来を洞察することができるからである。また,文字通り地球の科学geo-logyであり,汎世界的な視点も持ち合わせている。こうしたロングレンジの発想とグローバルな視野という地質学の長所は,21世紀の地球環境時代に必ずや必要とされるし,環境デザインに生かされるであろう。
 環境デザインとは自然との共存共栄を念頭においた開発を指す。自然の摂理を無視した経済優先の乱開発に対峙する言葉で,環境と調和しながらいかに自然を利用していくかとの視点を強調している。高度成長期には一顧だにされなかったが,現在では「心の豊かさ」を求める人が「物の豊かさ」を求める人を上回るようになった(平成12年世論調査)[12]。ハード一辺倒,ハコ物づくりの国土建設計画から住民主体の国土づくり・まちづくりへ転換が始まっている。国土審議会政策部会第1次報告「21世紀国土のグランドビジョン」でも「地域の自立と美しい国土の創造」が掲げられ,「多自然居住地域の創造」が謳われている[13]。あの列島改造を主導した国土交通省も多自然型河川工法とかエコシティーといった方向を打ち出してきた。中央省庁から地方自治体まで変わりつつある。地質学はプランニングの段階からリーダーシップを発揮し,社会に貢献しなければならない。これから地質学が活躍する舞台は環境デザインだけではない。少し蛇足を付け加えてみたい。
 わが国は環太平洋地震火山帯に属し,かつ北西太平洋モンスーン帯に位置しているため,自然災害が多い。しかも近年の都市化に伴う自然改変によって都市型災害が激発している。地質学は,従来ややもすると災害発生後メカニズムを解説するだけの解釈・解説の学問だと思われてきた。これからは防災アセスメントや災害に強いまちづくりなど,災害を未然に防ぐ文字通りの防災地質学が求められている。自然科学的なメカニズム論にとどまらず,予知予測や危機管理などソフト対策にも貢献しなければならない。
 マクロエンジニアリングも在来路線ではあるが当面続くと思われる。ただし,自然改造については十分注意しないととんでもないしっぺ返しを受けることがある。典型的な例がアラル海の悲劇である。「荒野を農地に変えた社会主義科学技術の輝かしい成果」と讃えられたが,現在アラル海は死の海と化した。近視眼的な目先の利益を追う開発は慎まなければならない。資源開発も依然として重要である。キルギスの拉致事件で明らかになったように,地質家が世界各地に散って資源探査に当たっているからこそ,石油や鉱物資源を輸入できるのであって,札束を切れば買えると思ったら大間違いである。この瞬間も縁の下の力持ちが厳しい条件の下で額に汗していることを忘れてはならない。なお,前述の資源開発に伴う環境問題に関しては,資源生産性の飛躍的な向上に貢献する必要がある。
 21世紀は農の時代である。1人当たりの陸地面積が砂漠も含めて1.5haしかないのだから,食糧問題は深刻である。今のように海外からの食糧輸入に頼っているのは,食糧安保上問題だが,自然環境上も問題が大きい。食糧輸入とは輸出国の水と土壌を輸入していることを意味するからである。本来土壌に戻すべき有機物をゴミとして捨てているのだから,輸出国の土壌は急速に疲弊し,輸入国では逆に海洋の富栄養化が進んでいる。食糧は自給自足が大前提でなければならない。明治時代,東大農学部に農林地質学講座が存在したという。今また農林地質学の復権が求められている。
 大学の地質学は伝統的に岩石・地層だけを対象にしてきたが,水や土壌にも目を向ける必要がある。とくに水問題は重要である。世界人口の5人に1人が水不足であり,毎年1,000万人もの人たちが汚染水に起因して死亡しているという。21世紀は水と食糧をめぐって戦争が起きるのではないかと言われている。安全保障は軍事やエネルギー資源だけではないのである。地質学が水を通じて世界平和に貢献できるのではないだろうか。水文地質学の発展が望まれる。
 山陽新幹線のトンネル事故が有名になり,「コンクリートが危ない」という本がベストセラーになった[14]。このように高度成長期に建設したコンクリート構造物が一斉に耐用年限に達しつつある。これからはメンテナンスの時代がくる。安全性の地質学・耐久性の地質学,ないしメンテナンス地質学も作っていく必要がある。コンクリートは人工礫岩であり,ナチュラルアナログの考え方をすれば,今まで地質学が培ってきた風化問題などの知識が役立つに違いない
。  地質汚染も深刻である。かつては農薬や化学肥料によるごく表層の土壌汚染が問題視されていた。しかし,今ではIC工場などの有機溶剤によって地下数10mもの地層や地下水が汚染されている。六価クロムなどの重金属汚染も問題である。今や土壌学の領域ではなく地質学の出番になってきた。汚染調査にとどまらず,破壊された環境の復元技術も開発する必要がある。廃棄物処理,いわゆるゴミ問題も深刻である。処分場建設にはダム地質の知識が役立つであろう。水漏れが困る点では同じだからである。さらには,高レベル放射能の地層処分も地質学に課せられた大きな使命のひとつになってきた。地下地質環境の長期安定性の評価や岩盤割れ目中の地下水挙動など,地質学に課された課題は多い。

5.新たな学問体系・教育体系の構築を

 2000年日本学術会議がホストを務めた世界アカデミー会議は,21世紀を展望して,「学術のための学術science for science」から「人間と社会のための学術science for society」へ転換しなければならないと宣言した。趣旨は次のとおりである。すなわち,伝統的なディシプリン科学は,認識と実践を切り離すことによって,また研究対象を自ら狭め深く追究することによって,目覚ましい自立的自己充足的発展を遂げた。結果として,学術の成果を社会に適用し,逆にその経験を学術にフィードバックする仕組みに乏しかった。しかし,今や学術は一国経済の国際競争力を左右するだけでなく,地球環境問題や資源・エネルギー問題などの人類的課題にまで影響を及ぼす巨大な力を持つに至った。己の好きな研究に没頭していたら,気がついてみると,地球環境は破壊され,人類生存の危機さえ招来してしまったのである。社会と学術との新しい関係の発生とその深まりという現代の特徴を前にして,軌道修正を要請されていると言えよう。われわれは再び本来の姿に立ち戻り,知識の生産と利用との関係の再構築を通じて,社会のための学術,いわば社会に埋め込まれた学術の確立を目指さなければならない。当然のことながら,研究者は広い視野と見識が要求される。文理融合さえ視野におく必要がある。
 地質学の世界でもこのような方向へシフトしつつある。国際地質学連合IUGS前会長W. S. Fyfe教授も30回国際地質学会議へのメッセージの中で,地球科学・工学・社会科学等すべてを総動員するmulti-disciplinary な総合科学への脱皮を説いた[15]。同じく元会長のU. G. Cordani教授も持続可能な世界における地質学の役割として,@地球システムのモニタリング,A鉱物資源,Bエネルギー資源,C水資源,D農地保全,E防災を挙げている[16]。既にアメリカなどではスタンフォード大学のようにDepartment of GeologyからDepartment of Geological and Environmental Sciencesに改組し,カリキュラムを抜本的に改革したところもある[17][18]
 このように地質学は「かけがえのない地球 only one earth」という認識の下に,地球環境の保全を図りつつ,爆発する人口を養い,「持続可能な開発」を実現するために環境をデザインしていく,社会地質科学ないし環境地質学へ変貌していくことは疑いない。もちろん,グローバルな問題だけでなく,防災や地域アメニティーの問題など,身近なふるさとの環境保全・創造にも貢献するものである。実際,卒業生を受け入れる地質調査業界でも,公共事業縮減に伴い,主たる業務が土木建設から環境・防災方面へ変わってきた。
 しかるにわが国の大学では依然として資源中心に編成された学問体系に基づき研究教育が行われている。しかも近年の業績主義の風潮に伴って,地質学の基本であるフィールドサイエンスの軽視が著しく,分析機器やパソコンを多用して論文を量産する傾向が強い。実際,産総研の地質文献データベースGEOLISによると,毎年新規収録数は15,000件だが,地質図付きの論文は僅か200件とのことである。フィールドサイエンスの復権が望まれる。
 社会のニーズと大学教育とのミスマッチが問題視されて久しい。当然のことながら学問体系の変化に伴って,教育体系も変わる必要がある。Multi-disciplinaryとは広く浅い知識を意味しない。Multi-disciplinary geologistを養成するためには,地質学の基本をベースにした上で,どのような講義・実験・実習が必要なのか,コアカリキュラムについて学界挙げて検討することが焦眉の課題であろう。幸い前述のように,従来の地質学は資源中心に編成されてきたため,化学的分野・生物学的分野を含んできたが,土木地質時代に物理学的分野も加わり,既に総合科学的内容になっているから,環境・防災方面へ移行することは比較的容易だと思われる。もちろん,for society は for industry と同義ではない。教育研究が卑近な意味で産業界の要請にストレートに応えるべきだと矮小化されるのは困る。
 なお,環境の時代になったらなおさらのこと,自然の摂理をわきまえた理学の視点が重要になってくる。あまりに工学寄りになってしまうのはアイデンティティの喪失につながるであろう。したがって,皆が社会へ眼を向けることは重要だが,純粋地質学も等閑視しないで欲しいと思う。自然史学など基礎分野がこうした環境地質学のベースとして重要なことは論を待たない。

6.アカデミズム地質学と地球惑星科学

 前述のように地質学を支えていたインフラが資源産業から土木建設産業にシフトし始めた1960年代,ちょうど地球科学は科学革命の時期にさしかかっていた。従来の地向斜造山論に替わるプレートテクトニクスの登場である。これを認める側とソ連流のブロックテクトニクス(垂直昇降説)を主張する側との激しい論争が行われた。どちらかというと地球物理学者が導入に積極的だったのに対し,地質学者は反プレート派が多くブレーキをかけたと言ってもよい[19]
 しかし日本の地質学からこの地球科学革命に貢献がなかったわけではない。革命前夜の50年代,深発地震面との関係を論じた久野久 (1963-1967) のマグマ成因論,都城秋穂の対の変成帯概念,杉村新・松田時彦らによる共役横ずれ活断層に注目した東西水平圧縮応力場の提唱などが行われていた。60年代初頭大洋底拡大説が出たとき,中央海嶺で広がり続ければ地球は膨張するしかないと問題になったが,このとき上記久野らの学説がプレート収束域の地質現象を示すものとして脚光を浴びた。日本列島というフィールドに根ざした研究がグローバルなテーマと結びついたのである。大洋中央海嶺と島弧,プレート生産の場と消費の場とがセットになって,はじめて辻褄が合うことになった。こうして60年代末にプレートテクトニクスが誕生し地球科学革命が行われた。その後,付加体(プレートのもぐり込みに伴って付加される地質体)に関して島弧から世界に発信するなど積極的な貢献も行っている。日本地質学会等からは "The Island Arc" という国際誌も刊行されるようになった。
 一方,1989年文部省測地学審議会は「地球科学の推進について―地球科学の現状と将来―」と題する建議を行った。重要推進課題としては,@太陽地球系エネルギー国際協同研究計画,A惑星探査,惑星の起源・進化研究,B気候システム研究,C固体地球ダイナミクス研究,D地球圏−生物圏国際協同研究計画の五つを挙げており,地質学は添え物的扱いになっていた。この建議を受けて,翌1990年国立10大学理学部長会議(旧7帝大と筑波大・広島大・東工大)は「理学部の地球惑星科学関連分野の充実について」と題する提言を行った。以来,折からの大学院重点化政策と連動して,大学院大学はすべて地球物理学科と地質学科が融合して地球惑星科学科に改組された。現在この方向の研究が進行中である。例えば,1995〜1998年全地球史解読のプロジェクトが実施された。1990年代後半には,ポストプレートテクトニクスとしてプルームテクトニクスが提唱され,全地球ダイナミクスの解明が追究されている[20]
 なお最近,総合科学技術会議主導の下,OD21(21世紀における深海掘削計画)・地球シミュレータ・地球フロンティア観測システムなどのビッグプロジェクトが進行している。地質学に関係深いのはOD21で,IODP(Integrated Ocean Drilling Program)の中心的役割を担うことが期待されており,約700億円かけて深海底掘削船「ちきゅう」を建造している。マントルに達するボーリングが計画されており,地球深部における地質現象に関して新知見をもたらすに違いない。問題はこうしたハードを生かす全国的な協力体制の整備と人材の養成であろう。幸いOD21に関しては日本地球掘削科学コンソーシアムが42大学,研究機関の参加で創設された。地球シミュレータ等もスーパーコンピュータを駆使して地球温暖化や地震予知など地球変動予測に関する基礎的研究を行うという。社会のための地質科学にとっても有用なデータが供給されるであろう。
 このように地質科学は,science for societyとしての「人間と社会のための地質科学」の方向と,知的好奇心に根ざした真理探究の学 (science for science) としての地球惑星科学の方向と,二極分解しているように見える。これらを止揚するような学問体系が構築可能なのか,それとも別個の科学としてそれぞれ発展させるべきなのか,結論は出ていない。

参考文献

  1. Agricola, G. B. (1546): De Natura Fossilium. Libri X. Froben, Basileae.
  2. Agricola, G. B. (1556): De Re Metallica. Libri XII. Froben, Basileae.  三枝博音訳著・山崎俊雄編 (1968): デ・レ・メタリカ 全訳とその研究. 近世技術の集大成, 岩崎学術出版社, 東京.
  3. 都城秋穂 (1998): 科学革命とは何か. 岩波書店, 東京.
  4. Lyell, C. (1830-33): Principles of Geology. 3 vols, John-Murray, London.
  5. 渡邊 貫 (1935): 地質工学. 古今書院, 東京.
  6. 渡邊 貫 (1937): 物理地下探査法. 古今書院, 東京.
  7. 持田 豊 (1994): 青函トンネルから英仏海峡トンネルへ―地質・気質・文化の壁をこえて―. 中公新書, 東京.
  8. 山本壮毅 (1988): 日本における応用地質学の歩み. 応用地質, Vol.29, No.1, p.26-31.
  9. 荒牧重雄 (1998), 火山とその産物. 深田研ライブラリー(特別号).
  10. 環境庁 (1999): 平成11年版環境白書―21世紀の持続的発展に向けたメッセージ―. ぎょうせい, 東京. http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/hakusyo.php3?kid=211.
  11. 谷口正次 (2001):資源採掘から環境問題を考える―資源生産性の高い経済社会に向けて―. 国連大学ゼロエミッションフォーラムブックレット, 海象社, 東京.
  12. 内閣総理大臣官房広報室 (2000): 国民生活に関する世論調査(平成11年12月調査). http://www8.cao.go.jp/survey/h11/kokumin/images/zu34.gif
  13. 国土審議会政策部会 (1999): 21世紀国土のグランドデザイン. 国土庁, 東京.
  14. 小林一輔 (1999): コンクリートが危ない. 岩波新書, 東京.
  15. Fyfe, W. S. (1996): Message from President of International Union of Geological Sciences at the General Assembly of the 30th International Geological Congress held in Beijing on August 4, 1996.
  16. Cordani, U. G. (2000): The Role of the Earth Sciences in a Sustainable World. Episodes, Vol. 23, No. 3, 155-162.
  17. Ernst, W. G. (1997): Earth Sciences' Future for the Next Decade --- An individual perspective ---. (松本尚子訳) これからの地球科学―次期10年に対する個人的考察―. 地学雑誌 106(5), 735-738.
  18. Ernst, W. G. (ed.) (2000): Earth systems: Processes and Issues. Cambridge Univ. Press, Cambridge.
  19. 松田時彦 (1991): 新しい地球観―日本における1970年代. 月刊地球 号外3, 海洋出版社, 東京.
  20. 熊澤峰夫・丸山茂徳編 (2002): プルームテクトニクスと全地球史解読. 岩波書店, 東京.

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更新日:2003年2月16日