明日を切り拓く地質学―環境デザインと地質学の役割―

岩松 暉(『明日を拓く地質学』, 日本地質学会, 9-26, 2001)


1.はじめに

 本シンポジウムの前座として、総論的なお話をする巡り合わせになった。したがって、やや抽象的になってしまうことをお許し願いたい。主として環境デザインについて述べるが、時間があれば、その他21世紀に期待される地質学の内容にも触れることにする。
 学会のニュースにプログラムが載ったら、早速お叱りのメールをいただいた。タイトルが間違っている、「地質学者はいかにしてその分野での地位を失ったか、また失いつつあるか」というほうが正確だとのこと。確かに全体としてみれば地質学がピンチに陥っているのは事実だが、だからこそ、このようなシンポジウムが企画されたのである。しかし、全部が全部ダメだったわけではない。地質家が新領域を開拓して来た例も多々ある。今日は釜井さん以下の皆さんに、その実例をご紹介いただくことになっている。なお、このメールには、大学における地質学が実学の視座を失ったのが主因だと、お叱りが続いていた。大学人の一人として誠に耳が痛い。

2.地質学凋落の原因

 考えてみると、子供の頃は身の回りの自然に対して好奇心に満ち満ちていた。小学生の自然に対する疑問の6割が地学関係だという。それが中学・高校と上に行くにしたがって地学はマイナーな存在になり、大学では地質学科ないし地学科を名乗るところが激減した。こんなに不人気になった原因はどこにあるのであろうか。第一に学問としての地質学が停滞していることが挙げられる。世間では地球科学イコール地球物理学だと思われている。プレートテクトニクスなど、いわゆる地球科学の革命に日本の地質学がどれほど貢献したのだろうか。いくつかの例外を除けば、どちらかというとブレーキをかけるほうが多かったように思う。また、地球物理学が、いろいろ批判はあるにせよ地震予知など社会のニーズに真正面から取り組もうとしたのに対し、地質学は社会から距離を置こうとしてきた。機械的な産学共同反対を唱え、結果として実学を軽視してきたのである。しかし、近代地質学が産業革命期に誕生した例を持ち出すまでもなく、生きた現実と切りむすび、歴史の大きなうねりに乗ったとき、学問は飛躍的な発展をとげるのである。
 実学といえば応用科学だが、地質学者、とくに大学の地質学者の中には、基礎科学が土台であって、その知識を応用するのが応用科学だ、つまり知識の切り売りで済むと思っている人が多い。しかし、私は逆だと考えている。地質学を1本の樹に例えれば、社会という大地にしっかりと根を下ろし、社会のニーズという養分を吸収して、新しい領域を開拓している太い幹が応用地質学であり、その上に緑豊かに繁っている葉が純粋地質学である。根や幹がなければ葉は存在し得ないし、葉が繁り日光(物理・化学などの関連諸科学)の恵みを得て大いに光合成を行わなければ、幹も大きくなれないのである。今日のわが国の地質学は、根が貧弱で萎れている樹に例えられよう。
 もう一つ、地質学が不人気な原因に地質家の社会的地位の問題がある。私たちの先輩は「山を駆け野を巡り、地の幸を訪ね行く…」と声高らかに歌い、意気軒昂だった。戦後復興は資源とエネルギーがなければ出来ない。地質関係は花形の職場だった。私が学生の頃もその名残があり、地質学科の学生は財閥に就職できて給料2倍と言われていたものである。やがて資源産業が衰退し、地質学を支えるインフラが土木建設産業に取って代わった。列島改造のかけ声の下、新幹線が走り、高速道路網が張り巡らされた。高度成長である。もちろん、高度成長イコール悪ではない。その結果としてわが国は豊かな経済大国となり、世界一の長寿社会を実現した。問題は、土建屋主導で自然の摂理を無視した乱開発が行われたことにある。本来なら自然のしくみを一番熟知している地質学がリーダーシップを発揮しなければならなかったのである。本論で述べる「環境デザイン」の視点が求められていた。しかし、当時の地質学は、時代の変化に対応することなく、象牙の塔に閉じこもった。やむなく応用地質学は民間人の手によって土木地質学として発展し、社会資本の充実に大きく貢献した。しかしながら、プランニングは地質学の与り知らぬところで行われ、サイトが決まってから施工のための調査を依頼されることが多かった。結局、地質家は土木の僕と見られるようになったのである。バブルの頃、女子学生に土木と言ったら何を連想するかと聞いたことがある。「ご迷惑オジサン」との答が返ってきた。工事現場に立てかけてある例の看板である。地質家は乱開発の先兵として調査に出かけるのだから、しばしばムシロ旗で迎えられることもあった。イメージが悪いのが当然である。
 平成11年版の環境白書には、20世紀は自然の収奪と破壊が行われた「破壊の世紀」だったと書かれてある。世紀前半は自然の収奪(資源開発)であり、後半は自然の破壊(乱開発)であったという。資源とエネルギーがあったればこそ、これだけの人口を養い豊かな生活ができたのだから、いささか乱暴な総括ではあるが、確かに地質学が前半では主役、後半では片棒担ぎとして破壊に果たした役割が大きかったことも事実である。1960年代、地質調査所で地質調査に関する法律を作ろうとした動きがあったという。開発の前に地質調査が義務づけられていたら、今日のような無惨な日本列島にはならなかったのではないだろうか。自然の摂理をわきまえた地質家の関与が重要だったのである。所内の反対でつぶれたのだそうだが、誠に残念と言うほかない。今からでも遅くはない、法律制定が求められている。これについては後述する。
 自然災害でもそうである。災害が起きると、他人の不幸に思いいたすことなく、自分の学問的興味だけで飛んできて勝手な放言をする。その結果、住民はパニックに陥り、行政は振り回される。同じ地質学者から「学災(学者災害)」と批判される始末である(太田,1993)。しかも、地質学者が3人いれば3人3様、全く異なる説を唱える。一般人としては、どれを信用して良いかわからない。あるいは、地質の先生がテレビに出てきて、事後予知やメカニズムについてとくとくと解説し、こんな自明のことを放置していたのは行政の怠慢であるなどと非難する。その結果、地質学は解釈と解説の学問とのイメージが定着した。社会に対して具体的な貢献がないのである。その点、工学系の学会は見事で、災害があるといち早く公式調査団を派遣し、統一見解を発表して行政に具体的なアドバイスをする。われわれも見習う必要があるのではないだろうか。

3.期待される地質学

 では、不人気だからといって、地質学はもう不要なのだろうか。総理府が3年に1度実施する世論調査を見てみよう。発達を期待する科学技術分野として、地球環境から防災までの上位6位は、すべて地質学が深く関わっている分野ばかりである。これは1998年度の調査だが、1995年度も上位は全く同順位。民意は長い目で見れば必ず施策に反映される。やがて地質学は再び脚光を浴びる学問として甦るであろう。ただし、今までと同じ地質学ではなく、生まれ変わった地質学として登場するに違いない。私は、21世紀の地質学は、持続可能な開発を支える地質学、環境地質学が大きな比重を占めるものと思っている。ただし、ここで環境地質学というときの環境とは、人間生活と環境が相互に影響を及ぼし合っているという意味の環境であって(高須・田崎,1993)、鉱床生成時の環境といった物理化学条件でもなければ、人類誕生以前の古環境でもない。これらは地質学そのものである。麗々しく環境地質学と銘打つ必要はない。地球環境科学講座と称して、地質学そのものを研究しているのは羊頭狗肉の謗りを免れない。つまり、今までの地質学になかった人間の寿命のオーダーでの時間尺度が求められているのである。この活断層から明日地震が起きても不思議ではないし、1,000年後かも知れないといった無責任な話では困るのであって、10の1乗から2乗年のことに対して、的確な情報を提供できなければならない。もちろん、爆発する人口を養うためには、地球工学の側面も不可欠だろうと思う。

4.環境デザイン

 私が最初に環境デザインについて述べたのはバブルの真っ最中1988年のことである。当時は「環境設計」と言っていた。そこでは、「来るべき21世紀には、環境と調和しながらいかに自然を利用していくか、環境設計が重要な課題となる。工学は現在という一時点での最適適応を考えるが、地質学は悠久な自然史の流れの中で現在を捉え、未来を洞察することができる。また、文字通り地球科学であり、汎世界的な視点も持ち合わせている。こうしたロングレンジの発想とグローバルな視野という地質学の長所が、環境設計に当たっては一番重要になってくる。このような地質学の武器を生かしつつ、環境設計という課題に具体的に対応できるだけの学問内容を創造し、技術革新していかなければならない。それも残された20世紀のこの10年の間に確実にやり遂げる必要がある。そうしてこそ、地質学の存在意義が社会的に高く評価されるであろう。」と述べた。しかしながら、ミレニアムの今年、20世紀最後の年になっても、残念ながらこの提言は実行されなかった。当時は、大学も売り手市場、業界もバブルに浮かれていた時代だった。危機感が全然なかったからであろう。
 その後も別な場所で、「単なる自然保護運動でもなく、また、公害たれ流しの後始末としてのppmの環境問題でもなく、人間が主体的に環境に関わっていくといった視点が重要になってくる。環境設計というと、若干、神をも畏れぬ不遜の響きがするが、自然との共存共栄を念頭においた開発が求められている」と述べ(岩松, 1990)、「自然との共存共栄を念頭においた開発」と定義しており、今流行の「持続可能な開発」とか「共生」という言葉は使っていない。なお、生態学者によると、人間活動は必ず環境負荷を与えるから自然との共生symbiosisなどあり得ないのだそうで、環境省は日本語の共生を英訳するときには「調和的共存harmonious coexistence」と言っている。ここで、「単なる自然保護運動でもなく」と述べたが、その場合の自然保護とはprotection(防御的自然保護)という意味である。従来、地質学会は何でも反対するprotection派だと見られてきた。しかし、これでは人間は生きていけない。これからはconservation(保全的自然保護)で行かなければならないと思う。日本自然保護協会(Nature Conservation Society of Japan)沼田真会長の比喩を借りれば、元金には手をつけてはいけないが、利息は利用させていただこうというものである。地質学は共生の具体的方策を提示する義務があると思う。
 その後、国連環境計画UNEP(1994)がエコデザインという言葉を使っている。これは単なる自然環境の保全だけでなく、あらゆる産業において原料調達から製造・流通まで環境負荷を少なくするための指針である。私の言う環境デザインとは多少異なり、もっと広い意味で使っている。

5.今後の社会経済環境

 環境デザインの内容に入る前に、前提条件、つまり社会経済環境について考えてみたい。1994年に開かれた世界地質調査所コンソーシアムで、カナダのBabcock所長は、今後の地球科学に大きなインパクトをもたらす変化として、(1)人口の増大と都市化、(2)汚染と土地の劣化、(3)地球規模の気候変動、(4)"新材料社会"の4つを挙げた。
 まず人口爆発である。体重40kg以上の動物で個体数が一番多い種はヒトだが、第2位は何だかご存知だろうか? 何でも極地に住む何とかアザラシで数千万頭だそうである。人間もこのくらいにまで大虐殺をすれば、protection派のいうように、自然に手を付けることなしに暮らすことができるだろう。年間100万人を超す観光客が訪れる北海道の美瑛の丘も、もともとは鬱蒼とした原生林を切り開いて作った農地である。今また、この丘もブルで平坦化されようとしている。地質学は環境に決定的なダメージを与えることなしに、100億の人口を養う道を提示する必要があるし、土地劣化防止策を開発する義務がある。Babcock所長のいうあとの2つ、気候変化と新材料については、環境デザインと若干外れるので省略する。
 では、わが国ではどうであろうか。今までの成長社会から成熟社会に移ることを前提に考えなければならない。わが国を取り巻く環境変化には以下のような事項が挙げられる。
  1. グローバリゼーションの進展
  2. 少子・高齢社会の進行
  3. サービス産業化の進展
  4. 高度情報社会の到来
  5. 価値観(ライフスタイル)の多様化
  6. 多発する災害と危機管理意識の向上
  7. 環境・エネルギー制約の強まり
  8. モビリティの向上
  9. 農産漁村地域の活力低下
一々説明しないが、これらを前提において考えることが必要である。
 なお、スウェーデンのThe Natural Step(1989)は持続可能な経済社会の条件として、次のような4つを挙げている。
  1. 地殻の物質をシステム的に自然界に増やさない
  2. 人間社会で生産した物質をシステム的に自然界に増やさない
  3. 自然の循環と多様性を支える物理的基盤を守る
  4. 効率的な資源利用と公正な資源配分を行う
 自然界に存在しない化学物質を増やさないなど、他の3つの条件は同意できるが、第1の条件は、少々無理ではないだろうか。やはり資源とエネルギーがなければ、産業が成り立たないからである。もちろん、必要だから、あるいは儲かるからというだけで、むやみやたらと開発して良いわけではない。
 一方、社会資本という代わりに、社会的共通資本という概念が出てきた。従来は物理的空間的施設が社会的インフラだったが、その他に自然資本と制度資本という概念を導入したのである(宇沢,1994)。例を電力問題に取ろう。真夏にクーラーをつけながら高校野球のテレビを見る時が電力使用のピークなのだそうだが、今までは発電所の増設で対処してきた。原発必需説の根拠もそこにある。しかし、風力や太陽光などの自然資本を使ったり、ピーク時料金制を導入して、コストコントロールしたりする制度資本を活用すれば、電力使用量を抑え、ハード建設を抑制できる。真偽のほどはわからないが、夏の甲子園を止めるだけで原発が要らなくなるとの説もある。

6.国土づくりと地質学

 いずれにせよ、わが国は未曾有の財政赤字に苦しんでいる以上、今までのように湯水のごとく公共事業に公的資金をつぎ込めないことは確実である。後述するように、高度成長期に建設した各種施設のメンテナンスにも多額の費用が必要になる。ハード万能主義からソフト対策に転換せざるを得ない。例を挙げよう。抗生物質と耐性菌のいたちごっこは周知の通りである。最近の医学では、菌を殺すことから細菌の無害化の方向へ進みつつあるという。社会的インフラについても同様である。今まで強引にコンクリート構造物を造ってきたが、今後は自然征服から自然との共生へ方向を転換する必要がある。ハードを造る手段としての土木地質学から、自然との調和した環境を創造する環境デザインへ変わっていかなければならない。自然の摂理をわきまえた地質学の知識が、「生きる知恵」として重要視されるであろう。
 すでに世の中はそうした方向へ変わりつつある。環境基本計画(1994)は、「大気環境、水環境、土壌環境等への負荷が自然の物質循環を損なうことによる環境の悪化を防止する」と述べ、循環を基調とする経済社会システムを実現するとうたっている。国土審議会政策部会第1次報告(1999)も1998年に出された新全総に基づき、「21世紀国土のグランドビジョン」を打ち出した。ここでも「地域の自立と美しい国土の創造」が掲げられ、次のような4つの戦略推進指針が提言されている。
  1. 多自然居住地域の創造
  2. 大都市のリノベーション
  3. 地域連携軸の展開
  4. 広域国際交流圏の形成
連携軸など道路網の整備といった在来型公共投資路線が見え隠れするにせよ、列島改造時代の全総とは質的に変わってきた。本当はこうした審議会に地質家の委員が入り、主導的役割を果たすべきものと考えるが、残念ながら蚊帳の外に置かれているのが現状である。
 こうした路線転換は時代の流れであり、ゼネコンや土建族議員が抵抗しようと、変わらないであろう。もう社会資本はかなり充実してきており、これからはストックを活用し、メンテナンスしていく時代であって、大型プロジェクト依存の時代は終わったのである。今までは物質的豊かさや快適性利便性を追求してきた。それによって経済大国になり、長寿大国など得たものも大きかったが、その代償も大きかったのではないだろうか。都市はコンクリート砂漠と化し、地方は過疎で荒れ果てた。環境破壊が深刻になっている。家庭もまた破壊された。兎小屋・通勤地獄・過労死などが常態では、子供がすくすく育つはずがない。少年の凶悪犯罪が激増していることが端的に示しているように心の荒廃も進んだ。
 これからは心の豊かさを求める時代であり、地方の時代である。家庭を再構築しなければならない。広域ローカル型社会資本という言葉がある。つまり、広域市町村程度の広がりを単位として、環境と調和したアメニティ空間を創造していく時代なのである。そこで、あちこちでまちづくり・村おこしといったことがブームになっている。しかし、今まで3割自治だったから、地方、とくに市町村には政策立案する人材が育っていない。やむなく東京のプランニングコンサルタントに依頼して作ってもらう事態となる。そこには建築や都市工学出身者ぐらいしかいないから、白いキャンバスに絵を描くかのような勝手なプランが平気で作られている。キャンバスの下に地面があることに思いいたっていないのである。そのため、とんでもないところに手をつけて地すべりを起こしてしまうようなことがしばしばある。プランニングの初期の段階から地質家がタッチするようなシステムが絶対に必要と思う。
 住み良いまちの条件としては、健康・快適・便利・安全といった4条件があげられる。ここでもアメニティが挙げられており、新全総でいう多自然型居住地域という方向とリンクする。環境省だけでなく、国土交通省もコンクリートでガチガチに固める従来方式を反省して、多自然型河川工法とか、斜面との共生21プラン、あるいはエコシティーといった方向を打ち出してきた。自然災害についても、ハード万能主義からソフト対策への転換を打ち出した土砂災害防止法が本年(2000年)4月に成立した。以上見てきたように、中央省庁から地方自治体まで方向転換が始まっている。コンクリートジャングルの殺伐とした都会生活に、国民はもう十分疲れ切っている。自然回帰は必然の流れである。
 環境アセスメントにしても、従来のような先に結論ありきの環境アワセメントではなく、真に自然環境を科学的に把握することが求められる。地質学の出番である。防災にしても、前述のようにハード一辺倒からソフト対策へ重心が移りつつある。地震・火山噴火だけでなく、地すべりやがけ崩れ、あるいは土石流・洪水といった自然現象は、人類誕生前から存在していた地質現象であって、人間の力では屈服させることは不可能である。災害との共存を図らなければならない。しかし、人的被害だけは絶対出してはならない。予知予測が重要になる。やはり、土木工学から地質学へ主役の交代が必要である。
 なお、土地利用というと、住民の利害関係が輻輳するため、得てして絶対反対!ということになる。反対を唱えるのは簡単だが、結局、現状維持の超保守勢力になっては困る。学問的見地から最適解を見いだし、具体的な提案をする必要がある。その時点での政治的力関係に左右されることなく、長い目で見て歴史の評価に耐えるデザインをしなければならない。

7.地質調査に関する法律の制定

 プランニングの話が出たので、ここで地質調査に関する法律制定について提案したい。前述の地質調査所で考えられた地質調査法(1962)は次のような内容を持っていた。地質調査所の業務を円滑に進めたいという、いわば内向きの内容である。
  1. 地質調査
    他人所有地への立ち入り調査の合法化
    所長権限による災害緊急派遣
    他省庁との円滑な連携・共同作業
    行政当局に対する技術・業務上の連繋強化
  2. 地質調査結果
    調査結果の提出義務づけと提供
    外国資料集積・整理の合法化
  3. 国際交流
    海外資源調査などの法的措置
    国を代表する政府機関との位置づけ
 私の提案しているのは、国全体としての施策で、開発行為をするに当たって、事前に地質調査を義務づけようとするものである。また、地質情報の公開と収集を義務づける必要もあると思う。現在、文化財保護法では、開発の前に発掘が義務づけられている。その結果、吉野ヶ里遺跡や三内丸山遺跡など続々見つかり、日本の古代史が一変したことは周知の通りである。従来も公共工事に当たって、地質学的に面白いさまざまな現象が見つかっているが、守秘義務の壁に阻まれて、陽の目を見ないまま、闇に葬られている。地質調査に関する法律が制定されたら、単に地質コンサルタントの仕事が増えるだけでなく、学問的にも大きな収穫をもたらすに違いない。なお、地質調査に関する法律として現在あるのは国土調査法だが、これは土地分類調査、いわゆる表層地質図を作成する法的根拠でしかない。

8.21世紀に必要とされる地質学

 これから地質家が活躍する舞台は環境デザインだけではない。少し蛇足を付け加えてみたい。マクロエンジニアリングも在来路線ではあるが当面続くと思われる。ただし、自然改造については十分注意しないととんでもないしっぺい返しを受けることがある。典型的な例がアラル海の悲劇である。荒野を沃野に変えた社会主義科学技術の輝かしい成果と讃えられたが、現在アラル海は死の海と化し、農地も荒れ地に戻ったという。近視眼的な目先の利益を追う開発は慎まなければならない。資源開発も依然として重要である。キルギスの拉致事件で明らかになったように、地質家が世界各地に散って資源探査に当たっているからこそ、石油や鉱物資源を輸入できるのであって、札束だけで買えると思ったら大間違いである。この瞬間も縁の下の力持ちが厳しい条件の下で額に汗していることを忘れてはならない。
 21世紀は農の時代である。1人当たりの陸地面積が砂漠も含めて1.5haしかないのだから、食糧問題は深刻でである。農林地質学の復権が求められている。大学の地質学は伝統的に岩石だけを対象にしてきたが、水や土壌にも目を向ける必要がある。とくに水問題は重要である。今年オランダのハーグで世界水フォーラムが開かれ、水の安全保障7つの挑戦ということが打ち出された。
  1. 生活に必要な最低限の水の確保
  2. 持続可能な管理で生態系の保護
  3. 食糧供給の確保
  4. 水資源の共有
  5. リスク管理
  6. 水を価格評価
  7. 水資源の適正管理
世界人口の5人に1人が水不足であり、毎年300〜400万人、汚染水が原因で死亡しているという。安全保障は軍事や資源だけではないのである。21世紀は水と食糧をめぐって戦争が起きるのではないかと言われている。地質家が水を通じて世界平和に貢献できるのではないだろうか。
 山陽新幹線のトンネル事故が有名になり、「コンクリートが危ない」という本がベストセラーになった。先にも述べたように、これからはメンテナンスの時代がくる。安全性の地質学・耐久性の地質学ないしメンテナンス地質学も作っていく必要がある。コンクリートは人工礫岩であり、ナチュラルアナログの考え方をすれば、今まで地質学が培ってきた風化問題などの知識が役立つに違いない。
 最後の蛇足は「あとしまつ工学」である。地質汚染の調査には既に実績があるが、単なる調査にとどまらず、破壊された環境の復元技術も開発する必要がある。廃棄物処理、いわゆるゴミ問題も深刻である。処分場建設にはダム地質の知識が役立つだろう。さらには、高レベル放射能の地層処分も地質学に課せられた大きな使命のひとつだと思う。

9.おわりに

 以上、縷々述べた課題を実践するためには、従来の枠組みの中の教育をしているだけでは済まない。Fyfe国際地質科学連合(IUGS)前会長は、第29回国際地質学会議(IGC)において、multi-disciplinary geologistsの養成が急務と強調した。アメリカでもこの方向に沿った大学改革が行われている。スタンフォード大学のErnst教授(1997)によれば、アメリカで成長しつつある若い学問分野は、水文学、水理地質学、ネオテクトニクス/地形学、大陸縁海洋学、応用地質学、地質災害、環境科学、表面化学/水の地球化学、物質科学などで、縮小傾向にある成熟した学問分野は構造地質学、岩石学、鉱物学、古生物学、地域地質学、層序学などであるという。そこで、スタンフォード大学は、大胆な教育プログラムの改革を行ったとのことである。学生は次の5つのコース、すなわち、ある程度専門的な生物学、地球科学、エネルギー工学、土地利用計画、環境経済学の5コースに所属することになっている。最近、"Earth Systems"という地球システムコースの初級教科書が出版された。その内容は、従来の地質学の範ちゅうを大きくはみ出している。これは修士課程でも同じで、博士課程では理学・工学・経済学のいずれかを専攻するのだという。
 翻って、わが国の地学系学科の内実はどうであろうか。時代の要請に応えていると胸を張って言えるか自省してみる必要があろう。昨年(1999年)、日本技術者教育認定機構(JABEE)が発足した。サービス貿易の自由化という時代の流れに対処するために、国際的に通用する技術者資格の統一が要請されており、これに呼応する動きなのである。日本地質学会・日本応用地質学会・日本地下水学会の3者合同で、「地質工学」分野の設置を申請した。この内容を見ると、まさにグローバルスタンダードが持ち込まれており、日本の大学も否応なしに変わらなければ、卒業生の就職すらままならない事態となる。外圧に屈するといった受け身の姿勢ではなく、時代の負託に応えるために、積極的な自己変革が求められる。
 引き続き、各分野でその地位を確立してこられた方々の示唆に富む貴重なご経験をお聞きできるものと期待している。これで前座を終わりたい。
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更新日:2001年12月20日