工学教育におけるエンジニア教育の位置づけ

日本学術会議工学教育研究連絡委員会アンケート回答案


 日本学術会議工学教育研連から応用地質学会宛に標記のアンケートがきた。今の総務委員会には大学関係者が少ないので、回答案を考えてくれとの依頼があった。そこで、下記のようなたたき台を作ってみた。


 私ども日本応用地質学会に所属する地質エンジニアの多くは理学部地学系学科出身者です。それは日本の大学の歴史に由来します。純粋理学に対する応用科学、例えば、応用数学・応用物理学・応用化学は工学部に該当学科が設置されましたし、農学部には農業生物学科や農業化学科が設けられました。しかし、応用地質学科だけが、何故かどこにもありませんでした。確かに、工学部鉱山学科にも地質系の講座はありましたが、採鉱・冶金の流れを汲んで少し特化していましたし、講座ですから養成される人材も数が少なかったのです。そこで、伝統的に理学部で鉱山地質学・石油地質学などの実学が講じられていました。近年、資源産業の衰退と産業構造の転換に伴い、地質学を支えるインフラが資源産業から土木建設業へとシフトしましたが、依然として理学部が人材を供給し続けました。国家資格である技術士に「応用理学」という分野が設けられたのも、そうした背景があるからなのだろうと思います。ただし、理学部はそうした社会情勢の変化には対応せず、土木地質学(engineering geology)的な分野の教育を行っているところは皆無に等しいのが現実です。
 したがって、貴委員会が現行工学教育に対して抱いておられる問題意識以上に、地質エンジニアの教育に対しては危機感を抱いております。工学部でさえ、大学教育からエンジニア養成の視点が希薄になったのですから、本来、社会のニーズとは一線を画し、純粋研究を追求してきた理学部は、社会の求める人材養成よりもどうしても研究者養成に力点をおくようになるのは必然です。大学教員も、最近は、論文数による業績評価や教員任期制の導入、大学の独立法人化などが話題になっていますから、ますます自己保身に傾かざるを得ません。勢い分析機器を運転してデータを量産する研究や、コンピュータシミュレーションによるモデル構築といった研究が多くなり、フィールド(現場)に立脚した研究が少なくなってきました。これは当然教育にも反映します。フィールドでの教育は手間暇がかかり、旅費など費用もかかりますので、室内作業中心のテーマが与えられるからです。
 なお、6のプロフェッショナル・エンジニアの国際的相互承認についてですが、貴委員会とも密接な関係のある日本技術者教育認定機構(JABEE)では、機械・電気・化学・土木の4分野をお考えのようです。これでは、私ども地質エンジニアは、プロフェッショナル・エンジニアとして国際的に承認される道が閉ざされてしまいます。理学部卒業生の就職の道もなくなります。APECエンジニアに関するシドニー会議では9つのフレームワークが設定されており、その中には、geotechnical, environmental, miningなどわれわれと関わりの深い分野が存在します。貴委員会でのご討議の際にも、ぜひ地質エンジニアという理工の学際領域にある分野が存在していることをお忘れにならないようお願いいたします。できましたら、第4部の地質学研究連絡委員会(委員長斉藤常正東北大学名誉教授)とも相互に連絡を取っていただけましたら幸いです。
 以上申し上げましたように、地質エンジニアは理工の学際領域ですから、貴委員会の質問事項にストレートに対応するわけではありませんので、お答えになるかどうかわかりませんが、項目ごとに書いてみます。

1)工学教育の現状の方向
 ボーダーレス時代ですから、基礎科学は理学部、応用科学は工学部といった画然とした分け方が出来なくなっているのは事実で、工学部が工学基礎主体の教育になっていくのは理解できます。しかし、私どもと常日頃共同作業を行う機会の多い土木技術者を見ていますと、やはり現場のわからない頭でっかちな若い人が多くなったと感じております。私どもの分野でも、上述のようにフィールドのできない地質エンジニアが増えていて深刻です。今の方向が続けば、先ほどの国際相互承認とも関わって、国内の仕事まで外国の企業や外国人技術者に席巻される恐れがあると危惧しています。
2)エンジニア教育
 基礎さえしっかりしていれば応用はきく、との議論があります。確かに幅広いバックグラウンドを持つことは重要です。しかし、現在の大学で行われている工学基礎の教育は、バックグラウンドという意味ではなく、非常に狭い分野の基礎知識を詰め込むことになっているのではないでしょうか。労を惜しむ現代学生気質とも相俟って、視野の狭い自分の頭で考えることの出来ない人間が育っています。そのため、かえって応用の利かない人間が増え、産業界が困っているのが現状ではないでしょうか。
 「必要は発明の母」という命題は今でも真理です。生きた現実社会の中にこそ、まったく新しい研究テーマが存在しているのではないでしょうか。大学の活性化のためにも、学生に学習意欲を持たせるためにも、社会との接点であるエンジニア教育を大幅に拡充しなければならないと思います。
3)カリキュラム
 例示されている設計教育・倫理・マネージメント・工学英語等々は是非充実してもらいたいと思いますが、最近の大学教育は講義形式の授業形態が多く、実験実習の比率が落ちているように感じられます。自ら手を下し、自分の頭で考える訓練が不足しています。単に講義を聴くだけでは受け身の人間しか育ちません。かつて、工学部では夏休みの工場実習などが必修として課され、かなり長期間企業の現場で実習していたものです。しかし、今ではほとんどなくなっているのではないでしょうか。インターンシップなどの形で復活しつつあるようですが、まだまだごく一部でしか実行されていません。全員必修くらいに重視して欲しいものです。


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更新日:1999年7月10日