社会資本整備のコスト縮減における地質調査の役割

(NPO)地質情報整備・活用機構 岩松 暉 (鹿児島県地質調査業協会第22回技術講演会資料, p.1-4, 2004)


1.はじめに―地質学と土木建設産業―

 わが国では地質学は大学理学部で、土木工学は工学部で教授されており、全く別個の学問と思われている。しかし、実は近代地質学誕生時から両者は密接な関係を持って発展してきたのである。英国地質調査所のホームページには”William Smith -- A man who changed the world --“という特別なホームページが誇らしげに掲載されている。さらに最近、” The Map that Changed the World” (S. Winchester, 2001)(野中邦子訳(2004)『世界を変えた地図―ウイリアム・スミスと地質学の誕生―』)という彼の伝記が出版され、全米のベストセラーになったという。ちょっとしたスミス・ブームである。スミス(1769-1839)とはどのような人物か。彼は測量士として仕事を始めたが、湿地帯の排水工事や石炭運河の建設に従事し、その過程で特定の化石が特定の地層に産出することなどに気づき、それを根拠に世界で最初の着色地質図を作成した。後に地層同定の法則や地層累重の法則と呼ばれるものである。しかし、当時の地質学は、化石はノアの洪水の証拠と主張されるなどいわゆる聖書地質学で博物学の域を出ず、地質学会も貴族階級の鉱物・化石コレクターの会食クラブだったから、彼のような農民出身の技師などは地質学会の入会すら拒否されたという。後年、調査事実や実験に基づく実証的な研究こそ科学であると認識されるような時代になり、晩年になって彼は当の地質学会から名誉あるウォラストン・メダルを贈呈され、「イギリス地質学の父」と称えられた。墓標にも刻まれている。このように近代地質学は産業革命期に土木建設と密接に関わる実学として誕生し、近代科学に脱皮したのである。

2.丹那トンネルと土木地質学

 わが国の地質学はフランス人F. Coignet(1835-1925)が薩摩藩の招きで幕末の1867年に来日、藩内の鉱山開発に当たったのを嚆矢とする。明治になると1872年アメリカ人B. S. Lyman(1835-1920)が北海道開拓使仮学校で教鞭を取り、石炭地質学や石油地質学を講じた。最後に1875年ドイツ人のE. Naumann(1850-1927)が来日、東京大学の教授となった。以来、ドイツ流のアカデミズム地質学が主流となった。 したがって、地質学が土木建設と結びついたのは、ずっと遅れて丹那トンネル工事の時である。日清・日露の両戦争を通じて、物資や兵員を東京から博多までいかに早く輸送するかが大きな問題となり、弾丸列車構想が生まれた。しかし、当時の東海道線は、箱根山を迂回して現在の御殿場線を通っていたので、遠回りの上に勾配がきつかったから、後押しの補助機関車を連結してあえぎあえぎ登らざるを得なかった。東海道三大難所の一つと言われた所以である。そこで熱海と三島を直線トンネルで結ぶ案が浮上した。これなら距離も短く勾配も緩い。大幅な時間短縮になる。こうして1918年丹那トンネル工事が開始された。
 しかし、このコースは地質学的に見ていろいろ問題が多い。まず箱根火山に由来する温泉変質の著しいところである。また中央部を活断層である丹那断層系が横断している。さらに、丹那盆地の真下を通過するから、当然、地下水が豊富なところである。これは中央部に縦坑を掘り、東西両口と中央の3個所から同時に掘り進め、工期を短縮しようとの計画があって、わざと短い縦坑で済む土被りの薄い盆地を選んだのだという。もっぱら工学的な配慮だけから選択したルートだったのである。鐵道省熱海建設事務所(1933)『丹那トンネルの話』には「工事着手當時にあっては、土木技術者は地質といふ事には、大して關心を持って居りませんでした」と正直に書かれている。当初は「斷層」と「斷崖」の違いさえ知らなかったという。当然のことながら出水・落盤が相次ぎ難工事となった。ついに1921年大落盤事故が発生、16人が生き埋め、17人が生きながら閉塞されてしまった。その後も坑内洪水が発生したり、北伊豆地震で坑道が変位したりするなどさまざまなトラブルがあり、魔のトンネル・死のトンネルと言われた。結局、16年の歳月と当時の金額で2,500万円の巨費を投じ、67名の犠牲者を出して完成した。
この過程で「鉄道省では従来線路に関し地質学的の研究をおろそかにしていたことを痛感し」、1930年には江木鉄道相主唱で、鉄道の地質研究10カ年計画が打ち出された。またこの間の1923年、渡邊 貫・広田孝一・佐伯謙吉ら3人が地質学科卒業生として初めて鉄道省に入省した。丹那トンネル工事で地質学の重要性を認識したため採用したのだという。渡邊は入省5年後の1928年には『土木地質學』を著し、1930年には土質調査委員会を組織している。彼は大著『地質工學』(1935)の緒言で、「土木地質學なしには經濟的工事は不可能なり」と喝破し、「地質學者と土木技術者との完全な提携が欲しい。その仲介者の役目を果すものが我が土木地質學である」と述べた。現在の言葉で言えば、「トータルコスト縮減のためには十分な土木地質学的調査が重要」ということであろう。丹那の痛切な反省から、事態は良い方向に向かうかに見えた。

3.戦中戦後の地質学と土木建設

 しかし、時代は軍国主義へと流れて行く。戦争遂行には資源とエネルギーが欠かせない。「石油の一滴は血の一滴」なる標語が生まれ、地質学は資源開発へ総動員され、大学の地質学教育も資源一辺倒になる。生産量を増やすためにはコストや採算は度外視された。実際、石油採掘に坑道堀が採用され、鉱山と同じように坑道を掘って石油を採掘する試みさえ行われたという。竹槍精神が強調され、力ずくで事を達成しようとする風潮が蔓延した。当然、土木建設にも反映する。渡邊が指摘したような「十分な地質調査に基づき、経済的効率的な設計を行う」ことが忘れ去られ、コンクリートを厚くして遮二無二建設することが是認された。大学の工学教育からも地質学はすっぽり抜け落ちた。
 敗戦を迎える。世の中は一変したが、上述の点は何ら変わらなかった。戦後復興は、やはり資源とエネルギー、鉄鋼・石炭の傾斜生産方式が採用され、地質学は資源と結びついて優遇されたから、土木方面へは何の関心も示さなかった。もはや戦後ではないと言われたのは1960年代である。それまで1ドル360円の固定レートで保護され輸出競争力を付けてきたが、独り立ちを迫られ変動相場制に移行させられた。内需拡大が至上命題となり、高度経済成長にひた走る。金を使うことが善であるとばかり、経済合理性などは度外視された。地質調査に基づいて合理的な計画を立案するよりも、目的を達成するためには金に糸目を付けず遮二無二建設が行われた。したがって、工学教育から相変わらず地質学が抜け落ちたままでも痛痒を感じなかったのである。

4.サッチャー改革の教訓

 黒字減らしのために湯水のごとく金を使ってきたが、気が付いてみたら巨額の財政赤字を抱えていた。さてどうすべきか。一転、緊縮財政・構造改革である。これにはイギリスやニュージーランドなどの先例がある。鉄の女サッチャー英国首相は有名なサッチャー改革を断行し、経済を立て直したとして名高い。公共工事では地質調査の費用もずいぶん削られたという。大学も大なたを振るわれた。この超緊縮財政は一見成功したかに見える。
 しかし、その後、ひずみが噴出したらしい。1993年、土木建設・地質関係の役所・学会・職能団体からなるSite Investigation Steering Groupから”Site Investigation in Construction”シリーズの4部作が出版された。その第1巻が”Without site investigation ground is a hazard”である。丹那トンネル事故を彷彿とさせる標題である。不十分な事前の地質調査に起因して、工事期間が延長したり、余分の費用がかかったりした例が列挙されている。例えば、「国家経済開発局(National Economic Development Office: NEDO, 1983)によると、工場建設プロジェクトのうち37%が予期していなかった地盤問題で工期が延びている。全国家屋建築審議会(National House-Building Council)が毎年クレームに対して500〜1100万ポンド支払っているが、そのうちの過半数が地質工学的な問題に起因していた。高速道路建設の10大プロジェクトでは、最終コストが予想価格よりも35%増加したが、この増分の半分は不十分な地質調査に基づく計画か、調査結果の不十分な解析に起因していた」等々である。
 そこで、イギリスでは日本の技術士に相当するChartered Engineerの他にChartered Geologistの資格を設けた。Chartered Engineerか、このChartered Geologist が3年間の地質工学ないし応用地質学の実地経験を経てGeotechnical Specialistになり、さらにGeotechnical Specialistの経験を5年間積むと、Geotechnical Adviserの資格を得るようにしたという。こうした学識見識を持ち経験十分な専門家を多数養成し、彼らが建設プロジェクトを担当することによって、前述のようなマイナスを回避する策に出たのである。

5.わが国の今後の社会資本整備

 バブルがはじけ、もはや公共事業に湯水のごとく金を投じることは出来なくなった。「コスト縮減」の声がかしましい。既に造ってしまったもののメンテナンスには手を抜けないから、新規事業が大幅に圧縮される。当然、最上流に位置する地質調査費にしわ寄せがくる。サッチャーの過ちを繰り返そうというのであろうか。今こそ渡邊の至言「土木地質學なしには經濟的工事は不可能なり」を思い起こそうではないか。
 以前私は環境デザインにおける地質学の役割について論じたことがある。建設プロジェクトを企画構想→調査計画→事業計画策定→予備調査設計→実施計画策定→詳細調査設計→用地買収→工事発注→施工→維持管理の一連の流れでconstruction management(CM)と捉えると、地質は、デザイン段階はもとよりいずれの段階でも重要な役割を担えるし、担う必要があるのではないだろうか。
 全国地質調査業協会連合会(全地連)では、今回「コスト構造改革に資する地質調査を効果的に実施するための10の提案」なる報告書を公にした。すなわち、
I 地質調査技術の有効活用(4項目)
(1)地質調査技術者の計画段階への参画、(2)設計段階への参画、(3)施工段階への参画、(4)契約後の受託者提案制度の活用
II 地質調査の適切な発注(3項目)
(5)分離発注とJVの活用、(6)プロポーザル方式の活用、(7)随意契約の活用
III 地質調査関連技術者資格の活用(2項目)
(8)現場技術者の評価と活用、(9)管理技術者の評価と活用
IV 全地連会員事業所の活用(1項目)
である。全く同感である。実現を願う。
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更新日:2004年9月30日