大学学部における地学教育の危機的状況と打開策

 岩松 暉(『地学雑誌』特集号:いま地学教育を考える, Vol.105, N0.6, 730-739.)


1. はじめに

 周知のように少子時代を迎え、18歳人口が2050年にはピーク時の1992年に比べて約80万人減少するという(図 1)。これに伴い大学にもリストラの嵐が吹き荒れている。国立大学で1大学平均の入学定員が1,100名程度だから、いくら大学進学率が上がったとしても、10や20の大学を取り潰しても追いつかない。こうした一般的な状況の他に、地学には特殊に厳しい状況がふりかかっており、大学地学教育は危機的状況にある。
図-1 高等教育進学者の推移[学校基本調査報告書より作成]

 筆者は地方国立大学に在職しているので、主として地方国立大学の学部教育を中心に現状と問題点を指摘し打開策を考えてみたい。幸い全国10数大学で集中講義を行った経験があるから、国立大学全体の動向はある程度反映しているものと考える。しかし、地球物理学や地理学については門外漢のため、地質学教育に主眼をおいて述べたい。

2. 大学改革の現状

 1991年大綱化の方針が出されて以来、各大学でこれに沿った組織改革が進行している。基本的には旧制大学は大学院を基礎組織とする大学院大学へ、新制大学のうち旧医科大学系(戦前から大学だった大学で新制大学発足時から理学部のあったところが多い)は総合大学院を持つ大学へ、そしてその他の文理改組系大学(旧制高校や師範学校を母体として戦後大学に昇格した大学で、後年文理学部から理学部が独立した)はリストラへと、種別化が従前より顕著な形で行われた(岩松, 1992, 1995)。
 地学分野においては、これより先に地殻変動が始まっていた。1989年3月の文部省測地学審議会による「地球科学の推進について―地球科学の現状と将来―」と題する建議が発端である。早速これを受けて翌1990年、10大学理学部長会議(旧制7帝大と東工大・筑波大・広島大)が「理学部の地球惑星科学関連分野の充実について」と題する提言を行った。以来、瞬く間に大学院大学は地球惑星科学科に改組されてしまった。旧医科大学系大学も、単なる教育機関ではなく研究もやれる大学として生き残っていくためには、この動きに追従するしかない。地学科から地球惑星科学科・地球学科等へ衣替えしつつある。その他の文理改組系大学については、改革の遅速に応じて信賞必罰、文部省の対応も分かれている。もちろん、早いところは従来の体制が守られ、遅いところは複数学科が合同して地球生命科学科・地球環境科学科等の複合学科になった。結局、地質という名称が学科名に残っているところは、新潟大と信州大の地質科学科だけになってしまった。東大は文部省にとって聖域なのか従前のまま地学科地質鉱物コースだが、これも時代の流れには逆らえないだろう。
 学科名など看板の問題に過ぎず、教育内容さえキチンとしていれば内実は同じだと思われるかも知れない。しかし、名は体を表す、必ず実体にまで影響を及ぼす。例えば、農学部は数年前に改組が終了し、卒業生を出している。林学科の砂防工学や農業土木工学科の土質工学は生物環境学科へ、農業機械工学は生物生産学科へ所属した。この看板で学生を募集したところ、両学科とも高校で生物を履修し、数学・物理の苦手な学生が大挙入学してきた。しかも女性の比率が激増した。当然、3Kは嫌われる。農業生物系も収容能力には限界があるから、最終的には成績で専攻の振り分けが行われる。物理を履修していなくて数学に弱く、かつ生物すらダメな学生の掃き溜めとなった。「10年後は日本製トラクターは買わないほうがよい」との笑い話が自嘲気味に語られている。教員側の思惑とは無関係に学生の質が変わってしまったのである。地球生命科学科等でも同様の現象が起きるであろう。そもそも新しい看板を掲げて学生を募集しておきながら、内実は従来同様の学生を育てようとした羊頭狗肉の発想が間違いである。例えば地球環境科学科なら、従来同様の地質屋を養成しようとするのは誤りで、やはり生物学・地学・化学などの知識を合わせ持った環境屋という新しい人材の養成を目指すべきであろう。確かに環境屋を受け入れる産業の受け皿はまだ小さい。だからこそ新しいタイプの人材がいかに世の中に必要かアピールすべく優秀な人を育てなければならないのである。

3. 大学改革の教育への影響

 以上概観した大学改革が地質学教育に決定的な影響を与えることは明白である。何よりも大学院大学が地球惑星科学科に変わったことが大きい。これらの大学が学問をリードしてきたし、大学教員を供給してきたからである。地球も惑星の一員であり、他の惑星と比較検討することによって地球の認識もより深まることは疑いない。AGIの"Glossary of Geology"には昔からgeologyの研究対象としてplanetが入っていた。地殻表層だけでなく、地球惑星全体を対象とする以上、研究手法もハンマーとクリノメーターとスペキュレーションといった在来手法だけでは対応できない。数学・物理学・化学・情報科学等々を積極的に導入し、先端科学として発展していかなければならない。その結果、全く新しい地球像が浮かび上がってくるであろう。数学が苦手だから地質学科に進学したなどと自慢げに話す地質屋がいつまでも横行するようでは困る。遅れた地質学のイメージを払拭し、学問水準を飛躍的に高めることによって、地球科学を多くの若者にとって魅力あるものにしていく役割を果たして欲しい。
 地球惑星科学はこうした積極面を持つと同時に、憂慮すべきマイナス面も持つことに留意しなければならない。それはフィールドを中心とした研究教育が軽視されることである。地質学上のいかなる理論も天然の事実に合致しているか否かによって検証される。どのように精緻な理論であっても、自然とかけ離れた仮定に基づいて演繹されたものならば、いずれ捨て去られる運命にある。一方、複雑な自然のシステムを対象とする地質学においては、依然として帰納的な方法も有効である。露頭こそ情報の宝庫であり、もの言わぬ石に何を語らせるかが地質屋の力量なのである。したがって、従来、岩石鑑定や地質調査法などの実験実習が地質学教育の中で大きなウエイトを占めていた。職人芸で前近代的だとそしられようと、ものを見る眼はコンピュータや分析機器には取って代われない。これら実験実習は助手層などの若手が担当するのが常である。この層のフィールドジオロジストとしての力量が近年とみに落ちており、その供給源である大学院大学の地球惑星科学へのシフトが、この傾向をますます助長するに違いない。このことは、学問としての地質学の発展にとっても、産業界に送り出す人材の養成にとっても、ボデーブローのように利いて来るであろう。
 教員評価のあり方もじわじわと教育に影響を与えつつある。最近は自己点検や大学評価など、教員の業績審査が厳しくなっている。過去、大学はぬるま湯に浸かり、研究をしない自由を享受しているなどと批判されてきたから、一般社会と同様、点検評価が必要なことは言うまでもない。しかし、客観的評価となると、どうしても論文数がものを言うことになり勝ちである。分析機器や試験機を運転すれば自動的にデータは出てくる。データブックのような何の面白味もない論文や、これにホラ話という味付けをした荒唐無稽な論文が増える所以である。あるいは外国の調査事例など地名が違うだけで何ら新味のない論文が増える。また、フィールドをせっせと歩いたり、長期観測などしていては、1年に1編も論文が書ければいいほうである。これでは業績審査に落後してしまう。コンピュータシミュレーションなどで目新しいモデルを提出したほうが短時日で人の目を引く論文が書ける。若手の博士失業も深刻だから、よりよい就職口にありつけるためには、より早くより多くの論文を生産しなければならない。当然、壮大なライフワークに取り組む人はいなくなり、結論が確実に得られそうなちょっとした小さな目先の変わったテーマを研究するか、自ら視野を狭めることによって、その道の権威になろうとする。これでは本格的な大物の研究者は育たない。まして、IUGSのFyfe会長の望んだmulti-disciplinaryなgeologistなぞ望むべくもない(第30回IGC講演)。
 また、レフェリーのある学会誌に掲載された論文しか業績と認めない慣行が出来上がって、紀要や報告書など一切ノーカウントになったのも影響が出ている。実際、東大紀要や京大防災研のbulletinなどは廃刊になった。大きな折り込みの地質図や膨大な記載の付いた地質の論文は学会誌のようなページ数制限のあるものより、紀要などに充実した論文が載っていた。しかし、学会誌となるとスケッチマップのような簡略な地質図しか載せられない。地形も入っていない小さな図では地質調査が多少好い加減でもボロが出ない。地質調査がだんだん軽視されていくであろう。
 こうした風潮が教員に重くのしかかっているから、必然的に研究重視になり、教育は雑用視される。学生を一人前のジオロジストとして育て上げようとの姿勢が消え、自分のデータを出すテコに使う傾向が蔓延しつつある。学生も暗記中心の教育に慣れ、自分の頭で考え研究方向を自ら切り開いていくことが苦手になっているから、ルーチンの仕事を与えられることを好む。こうして小ぎれいな卒論を書いたとしても、研究の意義も本当には理解しないまま卒業するので、大学を出ても地質図すら描けず、自分の大学にあった○○会社製のX線装置の操作方法しか知らないといったオペレーターのような人間が続々と輩出している。このことは産業界では深刻に受けとめられており、最近では大学の銘柄で採用する従来方式を改め、個々の卒論指導教官を見て決める傾向すら出てきた。
 複合学科になったところは、より一層深刻である。従来同様フィールドのできる地質屋を養成することはほとんど不可能であろう。例えば、筆者の勤務する鹿児島大学では、化学科の無機化学系講座と生物学科のマクロ生物学系講座および地学科全部(つまり地質系講座と地球物理系講座)でもって地球環境科学科を創設することになった。学問体系としてはそれなりに筋が通っている。地球環境は、地圏だけでなく水圏も生物圏もあるから、幅広い分野からの総合的アプローチが不可欠である。ある意味ではこの新学科は理想的とさえ言える。
 しかし、教員同士の共同研究ならともかく、教育となると問題が大きい。化学・生物学・地質学・地球物理学それぞれにとってバックとなる基礎科目の修得は不可欠である。一人の学生に従来と同様の質と量の科目を4分野全部詰め込んだらパンクするのは目に見えているし、第一時間が足りない。講義の増えた分、実験実習の時間が切りつめられ、選択制になるのは必然である。講義はたった1時間受け身で聴講して2単位だが、実験実習は午後一杯使ってかなりしんどいのに1単位に過ぎない。当然、選択者は激減するであろう。また、各分野垣根を低くして選択の自由を広げるというのも今回の改革の目玉だから、学生は単位の取りやすい科目をつまみ食い的に選択することになる。たとえ地質系のコースに配属されて卒論をやることになったとしても、基礎的素養が不十分で従来のレベルではとてもついて来れそうにない。結局、指導教官がその卒論に必要最低限のことを家庭教師のようにつきっきりで教え込んで、何とか卒論をこなすのが精一杯であろう。これも卒論という制度が残った場合のことであるが。
 その卒論の指導システムも変わっていくであろう。従来は、教授・助教授・助手からなる講座単位で学生を教育した。同一講座でも教員の専門は少しずつ異なるから、多少とも視野は広くなったし、個人のクセが教育に反映することは避けられた。しかし、改革に伴って学生数は大幅に増えるし、1学科2〜3の大講座に編成替えされるから、大講座で教育するのは難しい。勢い教授から助手まで個々の教員にそれぞれ学生が個別につく個人指導が原則となる。前述のような視野の狭い教員についた学生は悲劇である。
 卒論の判定評価についても困難を伴う。従来は学科全体で卒論発表会を行い、一人前のジオロジストとして資格があるか否か教員全体で判定していた。あまり偏った教育をしていると、そこで批判されるから、前述のデータ出しのテコに使うようなことは自粛せざるを得ない。しかし、複合学科では他の分野は教員とて全く理解できない。指導教官がOKしたら合格と見なすということになるのは必然である。ここでもタコ壺人間を養成する傾向が助長される。
 総じて複合学科は一部の例外を除いて広く浅く自然科学の知識を聞きかじった中途半端な教養人(?)を世に送り出す恐れが強い。4年かかった教養生である。修士で今までの学部卒だとか、修士で一人前の地質屋として就職させるとかいう人もいるが、体系的な基礎がないので、これまた期待薄であろう。それよりは前述のように、新しい看板に相応しい新しいタイプの人材を養成することに全力を投入すべきであろう。

4. 現代学生気質と就職

 以上述べたように教員の質も変わりつつあるが、それ以上に学生の質の変化も著しい。少子時代が現実のものとなり、一人っ子かせいぜい二人っ子が普通になった。親の期待を一身に受け溺愛されて育った「小皇帝」である。地球は自分を中心に回転してきた。自己中心的で依頼心が強く、易きについて困難に立ち向かう気概がない。フィールド調査のような3Kは嫌われて当然である。受験戦争の激化に伴い、都会の進学校からしか大学に進学できなくなった。郡部には塾や予備校がないからである。自然の中でどろんこになって遊んだ経験がない彼らにとって、自然=田舎であって、イヤなところつらいところでしかない。木の枝1本あれば野球のバットにもチャンバラの刀にでも、はたまた魔法使いの空飛ぶ箒にでも千変万化する。本来子どもは遊びの天才である。しかし、今は超合金合体ロボットからファミコン世代が大学に入ってくる。いくら目先が変わっていようと所詮玩具メーカーやソフト屋の設計通りにしか動かない。お釈迦様の掌中の孫悟空である。創造性欠如はいたしかたない。その上、学校では管理主義教育・暗記教育が徹底して与えられるから、自分の頭で考えようとする姿勢すらない。論理的思考が苦手である。先生はいつも正解を握っており、自分達は演習問題を与えられているだけだと思っている。試験で良い点を取る学生でも(あるいはそういう学生ほど)フィールドに放り出されると途方に暮れてしまう。敷かれたレールのないところでは、どちらに向かって走ってよいかわからないからである。授業でもマニュアル的なものが喜ばれ、フィロソフィーのようなことを話すと評判が悪い。卒論も同様、ルーチンの作業が歓迎される。
 理科離れも深刻である。今の学生はバブルの真っ最中に育った。物を作る製造業の地位が下がり、マネーゲームで浮かれる人たちが脚光を浴びていた。会社の社長さんたちはほとんど法経学部出身で、理工系出身者はそれにアゴで使われている。日本という国を操縦している官僚も政治家も、ほとんどが文系の人たちである。文系のほうがカッコよい。大学志願者の中に占める理工系学部志願者の割合は、1985年の24.8%から1993年には19.5%へと激減した。
 高校の学習指導要領も変わった。従来1年次に物・化・生・地の基礎的部分を集めた理科Tという科目があり、曲がりなりにも全員が地学の基礎を知っていた。その他に2科目の選択制であった。現在は3年間で理科2科目だけでよい。理系文系未分化の状態にある1年生では、どちらに転んでもよいよう多くの高校で化学を必修にしているという。その後、理系は物理、文系は生物(もしくは地学教師のいる高校では地学も)を選択すればよい。地学は文系科目で暗記物と扱われている。
 また、目前の入試では、理系学部の受験科目数は多く、数学や物理は0点か満点かリスクを伴う。入学後も理工系は卒論だ実験だと負担が大きい。文系は長い休暇をフル活用して海外旅行をエンジョイしたり、バイトで稼いでいる。理系は夏休み返上でフィールドを歩いたり、汚れた白衣を着て実験室で立ちん坊。おまけにバイトもままならない。誠に割が悪い。理系離れが進んで当然である。
 その上今度は平成不況が襲ってきた。就職氷河期と連日マスコミで報道される。数少ない理系の学生は工学部や医学部など実学系学部に流れていった。理学部にはそのおこぼれしか来ない。どこの大学でも数学科や物理学科の地盤沈下が激しく、ほとんど全入に近いか定員割れを起こすところも出てきた。地学科や生物学科は競争率の上ではそれほど低くはない。しかし、半数が文系出身者で女性の比率も急増している。微積分はもとより少しでも数学の出てくる講義をすると、その講座の専攻希望は激減する。対数や三角関数を使えない理学部生さえ相当数いるのである。これでは授業は成り立たない。最近では地質調査業界でも数学や力学に弱い人では勤まらない時代になったのにである。野外調査だけしていればよかった時代は過ぎ去り、法面設計など設計や施工管理まで地質屋が担当する時代になってきたし、物理探査なども駆使しなければならないからである。しかるに大学の実情は社会の要請とは正反対で時代に逆行している。
 そこで入学時のガイダンスで数学・物理学を教養部時代に履修するよう呼びかけてはいるが、留年したくないのは当然だから、高校時代に教わったことのない科目を履修するような冒険は誰もしない。必修にすれば解決するが、大量留年は必至だから、教養部への迷惑を考えるとそこまでは踏み切れない。結局進学してくると、数学の弱い学生は地質系の講座を、山歩きの嫌いな学生は地球物理系の講座を専攻することになる。消去法である。これでは地球科学の革新などとてもおぼつかない。
 こうして学生時代には当面イヤなことは避け得たとしても、平成不況の昨今では、卒業後の就職には地質調査業くらいしかない。しかし、地質調査業は3Kでなかなか厳しいし、前述のように大学で教わったこととはかなりかけ離れたことを要求する。別な分野に就職したり、中には卒業しても就職しない者までいる。そこら辺を文部省から突かれ、地学科縮小の根拠とされている。卒業生がその道のプロにならないようでは国費の無駄遣いという訳である。確かに一理あり、当然大学改革に跳ね返ってくる。専門を生かす職業に就く割合は、従来でも地球科学科を名乗るところのほうが、地学科や地質鉱物学科に比べて明らかに少なかった(図 2)。地球惑星科学科や複合学科ではもっと少なくなるであろう。女性の就職難を考えると就職率の低下はさらに一層進むに違いない。ますます文部省に縮小の口実を与えることになる。
図-2 新制大学地学系学科卒業生の進路

 大学院大学のほうにも問題がある。大学院重点化に伴い、大学院の学生定員が大幅に増加した。従来1講座2名だったのが5名になったのである。しかも文部省から定員充足をきつく迫られているから、勢いレベルを落とさざるを得ない。新制大学大学院の修士試験に落ちた者が大学院大学の博士課程前期課程に合格した話など枚挙に暇がない。当然、「悪貨は良貨を駆逐する」グレシャムの法則が働く。「赤信号みんなで渡れば怖くない」を実践し、優秀な学生まで足を引っ張られる。地球惑星科学科にはさすがに数学や物理の弱い学生はいないだろうが、前章冒頭で述べたような期待に応えて地球科学を発展させてくれる人材が育つか少々心配である。

5. 地質学凋落の原因

 以上、教育制度の面から地質学教育の危機的状況とその原因について述べてきた。次に学問の側面から見てみたい。与えられたテーマから逸脱するかも知れないが、この面にもメスを入れなければ、現状を打開するための解決策も生まれないと考えるからである。
 かつて「金ヘン景気」「黒ダイヤ」などの言葉があったように、地質学は戦後復興の旗手としてもてはやされた。資源とエネルギーなくして産業復興はできないからである。この時期、地質学界も戦時中の閉塞状況から脱して、極めて活発で生き生きしていたという。それが今日の停滞を招いたのはどうしてであろうか。やはり、以下述べるいくつかの点で時代というバスに乗り遅れたからであろう。
 近代地質学が産業革命期にその中心地イギリスにおいて誕生した例を持ち出すまでもなく、学問は、生きた現実と切りむすび、歴史の大きなうねりに乗ったとき飛躍的な発展をとげる。明治から戦後復興期まで確かに日本の産業構造の中で資源産業が中核的位置を占めてきた。当然、地質学の社会的地位も高かった。わが国の国立研究所の第1号が地質調査所であったという事実がそのことを示している。しかし、「もはや戦後ではない」と言われた頃から高度成長期に入ると、産業構造は変化し始め、地質学を支えていたインフラは資源産業から土木建設産業へ明確にシフトした。地質学科卒業生の大部分が地質コンサルタントに就職する時代になったのである。
 しかるにわが国の地質学はこうした時代の変化に対応しきれなかった。いや対応しようとさえしなかった。地質学が比較的化学に強いのも資源指向だったからである。大学教育で岩石や化石の鑑定が重視されたのも、これらが基礎科学だからではなく、それぞれ金属鉱山業や石油石炭産業に就職する際不可欠な職業技術教育だったからである。その点、土木建設にとっては、物理的側面の教育が必須である。しかし、構造地質学講座がごく僅かの大学に設置されたに過ぎず、多くの大学では古生物学者である地質学講座の教授が構造地質学を講じてお茶を濁しているのが現状である。そうした講義すらないところもある(ヒーリー・原田, 1991)。まして応用地質学ないし土木地質学の講座はほとんど設置されなかった。現在でも筆者の講座が唯一の応用地質学講座として存在するのみである。これすら明1996年春には廃止される運命にある。
 もっともこの間の事情は世界的にも共通している。イギリスやカナダの大学で地質学系がかなりドラスティックに再編されたし(岡田, 1989;天野, 1996)、アメリカやカナダの地質調査所でも大幅な人員削減が行われたという。やはり経済のソフト化が背景にある。製造業の地盤沈下は、そのバックにあった資源産業の地位低下を意味するし、冷戦構造の解消が資源安保の相対的重要性を失わせているのかも知れない。金さえあれば資源は安定的に供給されるとの甘い認識も生まれている。こうした経済情勢の変化に、国際的にも地質学は敏感に反応して来なかったのが、世界的なリストラにつながったのであろう。
 しからば地質学は不要なのであろうか。否である。現在では環境問題が厳しくなり、環境サミットさえ開かれる時代になった。地球環境の保全やさらには持続可能な発展(sustainable development)のための環境デザインなどで地質学の貢献が求められている。また、1990年代は国際防災の10年(IDNDR)である。世界各地で大災害が続発しており、防災面でも地質学が重要視される時代になっている。例えば、阪神大震災でも、震度7の震災の帯は、活断層が伏在していたからではなく、結局地盤の影響だということになり、都市地盤を事前に精査しておくことの重要性を土木関係者が口にするようになってきた。実際、これを機に京大防災研究所にはじめて地質学の教授が誕生するという。
 京都や北京で開かれた最近の国際地質学会議(IGC)のセッションでエンジニアリングと環境・防災分野が急速に増えているのは、上記の課題に積極的に応えようとの国際的な動きの現れであろう。これがまた世界的なリストラを跳ね返す道でもあることが認識されているに違いない。一方、日本地質学会学術大会の分科会の内容はどうであろうか。IGCの内容とはますます離れつつあり、日本の地質学が社会のニーズと乖離していることを示している。近年の大学改革に伴い、地球環境科学科や講座が数多く新設された。真正面から上記課題に取り組むのなら誠に喜ばしい。しかし、文部省受けを狙って流行語を取り入れただけで、環境地質と称して従来通り人類誕生以前の古環境を研究しているところが多い。IGCの環境セッションでも日本人とくに大学教員の姿はあまり見かけなかった。地質時代の古環境とは地質学そのものの研究であって、事新しく環境地質と呼ぶ必要はない。環境地質とは先に述べたような今日的課題に直接資するものでなければならない。このように羊頭狗肉をやっていては、地球環境を名乗っただけにかえって罪深く、社会から指弾され没落を早めるだけであろう。
 また、野外調査手法も前世紀以来ハンマーとクリノメーターのままで、実社会では戦前から積極的に活用されている物理探査など全く教育されていない。日本の地質学は衰退しつつある資源産業と共に心中するのであろうか。
 もちろん、資源無くして人類の繁栄はない。資源地質学は依然として重要である。かつて、陸成層ばかりの中国大陸に石油は産出しないと言われていた。しかし、中国の地質学者たちは陸成層に巨大油田を次々と発見し、今日の驚異的な経済成長を支えてきた。中国で地質屋の社会的地位が高いのは当然である。政府には日本の省に当たる地質鉱産部すらある。やはり、地質学の新しい理論が新たな資源を見い出し、新たな産業を興して雇用を生み出すことが、地質学の浮揚に根本的に貢献することになるのは論を待たない。
 第二に純粋地質学の分野でも学問的魅力を失っている。テクトニクスという術語は本来地質学用語であった。しかし、プレートテクトニクスは一般には地球物理学用語と見なされているのが実情である。確かに久野の玄武岩マグマ成因論や杉村・松田らの横ずれ活断層の発見と広域応力場の復元など1950年代に沈み込み帯である島弧から積極的な貢献を行った例はある。さらに遡れば、和達の深発地震面や沢村の南海スラストなども挙げられる。しかし、大部分の日本の地質学者はプレートテクトニクスに反対し、従来の地向斜造山論に固執した。松田(1992)によれば、日本地震学会に比べて日本地質学会の講演でプレート語が登場したのは何と10年の遅れがあったという。日進月歩の学問の世界で10年の歳月は決定的である。論理的に明解なプレートテクトニクスが若者を魅了し、地球物理学に人材が流れたのは当然であろう。
 ここでプレートテクトニクスを例に挙げたが、単にプレートテクトニクス導入の遅速を論じているのではない。自己革新できなかった保守的体質を問題視しているのである。かつて「地質学の近代化」が叫ばれたことがあったが、どうもかけ声倒れで、全体としては実践されなかった。このようになった背景には、地質学には地質学の法則があるとして、物理・化学的に地球を研究することを排斥した動きがあったという。たとえどのように革新的な理論であったとしても、自己を絶対化した時には、その瞬間から時代に見捨てられてしまうというのが、歴史の教訓である。

6. 今後いかにすべきか。

 以上述べたように、地質学とくにフィールドに立脚した地質学の教育は危機的状況にある。地球惑星科学の方向が定着したという現状を踏まえた上で、今後如何にしたらよいのであろうか。前章の凋落の経過から教訓を汲み取らなければならない。つまり、時代の変化に敏感に適応し、時代を切り開いていく先見性が求められている。
 では時代はどのように動いていくのであろうか。20世紀前半は資源地質学、後半は土木地質学であった。私見では21世紀は社会地球科学の時代になるであろう。土木地質学は土木構造物を作るための調査といった目的学的色彩が強く、どちらかというと開発優先で経済成長を支えてきた。しかし、筆者の定義する社会地球科学は"only one earth"という認識の下に、地球環境の保全を図りつつ、爆発する人口を養い、sustainable developmentを実現するために、環境をデザインしていく、地球科学・工学等すべてを総動員するmulti-disciplinaryな総合科学である。もちろん、グローバルな問題だけでなく、防災や地域アメニティーの問題など身近な住環境にも貢献するものである。従来の環境地質学や地質工学等も含まれる。社会のニーズがそのような方向にあることは1995年の総理府世論調査からもわかる(図 3)。国民の科学技術に期待しているものの第1位から第6位までが、環境にしろ、資源にしろ、防災にしろ、地質学が直接関わる分野である。地質学が現在の苦境を脱して脚光を浴びる学問分野として再生していく素地がここにある。
図-3 科学技術が貢献すべき分野(1995年2月総理府世論調査)

 ただし、この国民の期待に応えるためには、岩石学や層位学など、従来通りの古典的カリキュラムをそのまま教えるだけではダメである。国民の期待を真正面から受け止め、それを実現できる力量を学生達に身に付けさせる必要がある。山が歩けて露頭が読め、数学・物理や情報科学にも強く、かつ、広い社会的視野とエンジニアリングのセンスも合わせ持ったmulti-disciplinaryなgeologistを育てなければならない。抜本的なカリキュラム改変が求められる。それを教えられる教員の登用が急務になる。
 さて、それでは現在の大学にこれを望めるであろうか。極めて疑わしい。それが出来るくらいなら、バスに乗り遅れなかったはずだからである。教師自身が視野が狭くなっている上に、業績主義で駆り立てられているし、何よりも教師自身が古典的地質学の教育しか受けておらず、それが唯一無上のものと思っている人が多い。この現状を考えると外部の血を入れるしか解決の方法がないと思う。教員の資格審査を弾力化し、地質調査所や土木研究所などの国立研究所、現業官公庁さらには民間会社等との大規模な人事交流を行うのである。中国など諸外国のように官公庁など外部との兼職教授を認める制度を新設する案も考えられる。もしくはもっとドラスティックな案(あるいは現実的な案)としては、浮き世離れした理学部に見切りをつけ、新制大学理学部を総合理工学部に改組して地質工学科ないし地球工学科を新設する案もある。工学部で教えた経験からすると、土木の学生にとって、土や岩は材料であって自然ではない。やはり地質学は理学部に置くべきだというのが筆者の年来の主張であったが、理学部で地質のプロを育てることが難しくなった以上、やむを得ない選択であろう。あるいはそれも難しかったら、民間に研修センターを作るしか手がないのかも知れない。民間会社の新入社員を再教育するのである。いやがる学生を追いかけ回すのに多大の無駄なエネルギーを割いている大学に比べたら、はるかに効率がよい。少なくともプロになろうとして入社した人だから真剣に学ぶであろう。
 なお、卒業生の就職のことを考えると、研究者養成を主眼とした地球惑星科学科や自然史学科(古生物学などの純粋地質学を研究教授する学科)などは、大学院大学にだけ少数あればよい。現在でも博士失業は深刻なのに、今回の急増策の影響が出始める数年後は、もっと悲惨な状態になることは目に見えているからである。学位保持者の民間進出で博士失業解消を唱える人もいるが、現実的ではない。昔も博士は型が出来上がっていて使いにくいとの評価であったが、現在のようなタコ壷人間は、もっと需要がないからである。それに博士課程の社会人入学が認められて数年たったが、理学系博士課程で与えられる研究テーマが業界の望むものとあまりにかけ離れているため、最近では理学部出身者でも工学系博士課程に社員を入学させる企業が増えている。こうしたマイナスイメージを既に植え付けてしまった実績があるからでもある。

7. おわりに

 繰り返すようだが、筆者が応用地質学を専門としているからといって、地球惑星科学や自然史科学(純粋地質学)の重要性を否定するものではない。応用地質学と純粋地質学との関係について、かつて次のように述べたことがある(岩松, 1991)。地質学を1本の樹に例えれば,社会という大地にしっかりと根を下ろし,養分を吸収して新しい領域を開拓している太い幹が応用地質学であり,その上に緑豊かに繁っている葉が純粋地質学である(図 4)。根や幹がなければ葉は存在し得ないし,葉が繁り日光(物理・化学などの関連諸科学)の恵みを得て大いに光合成を行わなければ,幹も大きくなれないのである。今の日本の地質学は,根が貧弱で萎れている樹に例えられよう。筆者の主張は、Fyfe教授の言うmulti-disciplinaryな方向に脱皮する必要があると言っているに過ぎない。
図-4 応用地質学と純粋地質学

 また、黙々と山を歩き地質図さえ描ければよいといった職人教育を主張するものでもない(もっとも地質図すら描けない地学科卒業生が多くて困っているのも事実ではあるが)。そのような古典的地質屋は前述のように現代ではもう役に立たない。multi-disciplinaryで学問的にもレベルの高い人材が求められている。そのような人材を世に輩出しない限り地質屋の社会的ステータスを上げることは不可能である。
 最後に一言、かなり過激な論調になってしまった。また、否定的側面を強調しすぎるとの反論もあろう。確かに複合学科だとて、将来優秀な人材が出ることもあるに違いない。しかし、例外的な事例を除き、マクロに見れば筆者の述べた方向に推移すると考える。希望的観測に基づいて手をこまねいていては、時機を失してしまう恐れがある。過去バスに乗り遅れた前車の轍を踏んではならない。事態をクールに厳しく受け止めるところから、打開策は生まれると信じて、小論を書いた次第である。これを契機に議論が巻き起こり、学界全体として一歩踏み出すことを強く期待して筆を置く。

引用文献

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更新日:1997年8月19日