技術者教育の国際相互承認制度

地質学会News 2000年1月号(印刷中)


1.APECエンジニア

 周知のようにグローバリゼーションの動きはとどまることを知らない。貿易自由化の促進のために関税障壁の撤廃が行われている。第二段として、世界貿易機構(WTO)は専門職業人の自由な移動促進の枠組みを策定した。つまり、サービス貿易の自由化、人の相互参入である。既に、金融・保険業などでは相互参入が進んでいるし、青い眼の弁護士も登場しようとしている。その際、司法資格や技術者資格などが国によって不統一なことが障害となる。たとえば日本の技術士は、国内資格で海外では通用しない。そこで、国際的に通用する技術者資格制度の創設が焦眉の課題になっている。
 欧米ではすでにワシントン協定が存在し、相互に承認している。APECでも1996年人材養成作業部会において、「APEC技術者資格相互承認プロジェクト」が開始された。いずれは両者が統合されて世界標準資格となり、グローバルエンジニアが国境を越えて活躍する時代になるであろう。
 APECで合意されたAPECエンジニアになるための条件は、下記5項目を満たす必要があり、学歴要件が必須となった。
  1. 認定または承認されたエンジニアリング課程の修了者
  2. 自己の判断で業務を遂行する能力があると各国の管轄機関から認定された者
  3. 上記課程修了後、少なくとも7年間の実務経験を有する者
  4. 少なくとも2年間、重要な業務の責任者としての経験を有する者
  5. 継続的な専門能力開発を満足すべきレベルで維持している者
 一方、日本の技術士は受験資格に学歴条件はなく、個人の努力如何で誰でも資格が取得できる。したがって、従来、日本の地質コンサルタントは卒業後独学で地質工学を学び、応用理学の技術士になってきた。しかし、今度は大学の学科ないしコースのカリキュラムが認定機構から認定されないと、そこの卒業生は永久に資格を取得できないことになる。
 なお、APECの定める技術部門は当面次の9分野である(カッコ内は科技庁の訳)。
したがって、地質技術者が資格を取得する場合、当然、geotechnical分野ということになろう。

2.日本の対応

 一方、わが国でもこれに呼応して、1998年日本学術会議の吉川会長が談話を発表、技術者教育認定制度の導入と国際的に整合性のある技術者資格の確立を訴えた。これを受けて、1999年11月日本工学会および日本工学教育協会が中心となって、日本技術者教育認定機構(JABEE)が設立された。
 今後このJABEEが「高等教育機関の技術者教育プログラムの審査、認定、公表」に当たることになるが、定款によれば、会員資格は「本会の目的に賛同し、事業を推進する法人及び団体」となっており、主として学協会がその主体を担う。恐らく法人化されていない任意団体の発言権は小さなものにならざるを得ないだろう。
 JABEEが審査する項目は下記の6項目である。
  1. 教育目的(大まかな目的、理念)
  2. 教育目標(具体的なターゲット)
  3. 教育手段
  4. 教育環境
  5. 教育効果の現状分析
  6. 教育改善
 現行測量士補のような単なる書類審査だけでなく、実地訪問して教職員や在学生に面接したり、教材や試験問題のサンプル抜き取り調査などをしたりして、厳密に審査するという。その評価によって、認定有効期間が1年〜5年と定められる。更新時も厳しい再審査があり、自動的に継続されるわけではない。
 なお、1999年1月に各大学(ただし実際は工学部長にしか届いていない)に配布されたアンケートによると、JABEEが予定している分野はAPEC案と異なり、次の4つに絞られ、geotechnicalは省かれている。これを土質と訳したために、土木に含まれると解釈したからであろうか。
 そこで、資源・素材学会では、APEC原案にminingがあるのだから「資源および資源関連分野」も入れるよう、JABEE設立準備会に申し入れを行った。地質関係では、1999年10月、日本応用地質学会・地盤工学会・全国地質調査業協会連合会の3者会談がもたれ、両学会からgeotechnicalに対応する分野を入れるよう同様の申し入れをすることになった。

3.理学部地学系学科における意味

 仮にgeotechnicalがJABEEの専門分野に加えられたとしても、日本の理学部の現行カリキュラムでは認定されることは難しい。APEC作業部会のカリキュラム案<注>にあるような岩盤力学・土質力学などエンジニアリングの専門教員が皆無に等しいからである。これからはボーダーレス時代と言われて久しいのに、日本は諸外国と異なり、あまりにも理学と工学が画然と分離しすぎていると言えよう。縄張り意識の強い日本では、当然他学部聴講や単位互換でごまかそうと考えるだろうが、JABEEが行う認定はあくまでも教育プログラムであって個人認定ではないし、外国のチェックが厳しいから、こうした便法ではなかなか難しいに違いない。
 このAPECエンジニア制度が動き出すと、日本と海外の企業が国の内外で入り乱れて仕事をするようになる。資格がなければ、海外はもとより国内の仕事もできなくなるから、理学部卒業生は今までの大きな就職先であった地質コンサルタント系に就職することは難しくなる。現実に企業人の中には工学部に地質工学科ないし応用地質学科を作ろうと主張する人まで現れた。さもなければ、中国・韓国など外国から人材を採用するしか手がないという。実際、地質家は就労ビザが取れるので、正式社員として雇用している会社も増えてきた。
 報道によれば、中央教育審議会の小委員会が大学を下記の3つの類型に分け、それぞれの類型ごとに入試や教育内容を検討することにしたという。
  1. 高度な研究に力を入れる大学
  2. 職業に直結した教育が中心の大学
  3. 一般教養を身につけさせることに主眼をおいた大学
 恐らく(1)は10大学(旧制大学)、(2)は理学部も存在する比較的大きな新制大学、(3)は教育学部を主体とする中小大学を念頭においているに違いない。こうした差別化を受け入れるか否かは別として、仮に(3)の教養大学ならば、今の不況下、学生の就職は絶望に近い。未曾有の少子高齢化社会を迎え、大幅定員割れを起こした弱小大学は淘汰されるか生涯学習センター化される運命にある。(2)の大学のうちいくつかは、総合理工学部として再編され、職業人養成の位置づけがより明確にされるであろう。このタイプの大学は、当然、APECエンジニアの問題に真剣に対処し、カリキュラム改革やそれに見合った人事を行わなければならない。資格も取れず就職もないようでは、結果的に(3)と同じになるからである。また、資格の取れない学科には留学生も来なくなるであろう。(1)の純アカデミックな地球惑星系の大学は研究者養成が主眼とはいっても、全員研究職に就ける訳ではないし、エンジニアリングに関する素養が全くない卒業生では、(2)の大学の教員としては採用されにくいから、やはり対応が必要であろう。

4.地質学に与える影響

 このような話題では、「大学は職業訓練校ではない」「理学は基礎科学であって卑近な実用を目指すものではない」「応用技術にストレートに結びつかない学問分野があってもよいし、そうした分野も重要である」等々の議論が必ず出る。すべてその通りである。確かに学問は内的必然によって発展するし、今はマイナーな分野でも将来脚光を浴びるかも知れないからである。
 しかし、同時に、近代地質学が産業革命期にその中心地イギリスにおいて誕生した例を持ち出すまでもなく、学問は、生きた現実と切りむすび、歴史の大きなうねりに乗ったとき飛躍的な発展をとげる。明治から戦後復興期まで確かに日本の産業構造の中で資源産業が中核的位置を占めてきた。当然、地質学の社会的地位も高かった。わが国の国立研究所の第1号が地質調査所であったという事実がそのことを示している。しかし、「もはや戦後ではない」と言われた頃から高度成長期に入ると、産業構造は変化し始め、地質学を支えていたインフラは資源産業から土木建設産業へ明確にシフトした。地質学科卒業生の大部分が地質コンサルタントに就職する時代になったのである。さらにこれからは地球時代、地球環境の保全や持続可能な発展のために、環境デザインなどで地質学の貢献が求められている。また、近年世界各地で大災害が続発しており、防災面でも地質学が重要視される時代になっている。
 しかるにわが国の地質学はこうした時代の変化に対応しきれなかった。いや対応しようとさえしなかった。地質学が比較的化学に強いのも資源指向だったからである。大学教育で岩石や化石の鑑定が重視されたのも、これらが基礎科学だからではなく、それぞれ金属鉱山業や石油石炭産業に就職する際不可欠な職業技術教育だったからである(岩松, 1996; 荒牧, 1998)。ここ数年、文部省主導の下、地球環境科学を名乗る学科が新設されたが、人類誕生以前の古環境、つまり地質学そのものを研究していて、今日的な環境問題に具体的に貢献する姿勢に乏しいのが残念ながら実情である。
 このAPECエンジニアの問題は、泰平の夢を覚ます黒船来襲にも喩えられようが、攘夷を唱え、旧来の学問的枠組みを守ろうとするのは、あまりにも後ろ向きであろう。前述のように諸外国はボーダーレスの研究教育を行っており、その中から全く新しい芽が出て来るに違いない。例えば、超伝導のように原子のオーダーの研究はもはや物理学そのものである。工学は技術であって学問ではないなどとお高くとまっていると、完全に後塵を拝することになるとして物理学者たちは危機感を募らせているという。地質学も地球科学・工学等すべてを総動員するmulti-disciplinaryな総合科学になっていく必要があろう。教育面でも、フィールドワークが出来て、数学・物理や情報科学にも強く、かつ、広い社会的視野とエンジニアリングのセンスも合わせ持ったmulti-disciplinaryなgeologistを育てなければならない。そのためには抜本的なカリキュラム改変が求められる。それは即、JABEEの認証に適合したカリキュラムとなる。攘夷ではなく開国して文明開化を行うのである。問題はそうした分野を教えることのできる教員の登用であろう。

<注>APECのカリキュラム案

GEOTECHNICAL ENGINEERING

Indicative Scope of Education Programs

The following science subjects are normally included in programs:

General geology
Petrology
Geochemistry
Mineralogy
Hydrogeology
Sedimentation and stratigraphy
Quaternary geology
Engineering topics normally include the following:
Applied thermodynamics
Structural geology
Rock mechanics
Soil mechanics
Exploration geophysics
Mining and exploration geology
Applied geochemistry
Applied hydrogeology

追記

 JABEE設立後の新しい情勢について追加する。先ず対象技術分野が7分野に拡大された。新規分野は材料・資源・情報処理である。その他の分野について質問したところ、追加は拒まないとのことであった。関連学協会がJABEEの会員になり、分野別基準(カリキュラム)案を策定して欲しいという。もちろん、専門学会の意向だからといって、国際基準にもとるようなカリキュラムでは、卒業生が将来国際資格を取得できないから可哀想だと、釘を刺された。
 実際の審査は、認定を受けたい教育機関がJABEEに申請すると、JABEEは関連する会員学協会に教育プログラム審査委員会の選出を依頼する。教育機関が提出した所定の自己点検書に基づき、この審査委員会が実際に現地に赴いて審査を実施する。審査結果に応じ、JABEEが有効期間を決めて認定する、といった手順によるというから、学協会の役割が非常に重要になった。
 学協会の役割では、エンジニア資格取得後の継続教育(Continuous Professional Development : CPD)の面でも大きい。日本の技術士制度に対する外国からの批判には、前述の学歴要件の欠如と、終身資格だという点がある。日進月歩の技術革新の時代、大学で教わった知識の通用する期間の半減期は情報処理関係で4・5年、土木建設関係で7・8年というから、日常不断の研鑽が求められる。欧米では、この大学卒業後のCPDを学協会が担当しているのである。わが国でも医学関係は既にそうなっている。
 なお付言すれば、このような技術者資格制度急浮上の背景としては、冒頭述べた国際化だけでなく、終身雇用制度の崩壊がある。転職が普通の時代、企業内教育(OJT)は割に合わない。大学により質の高い人材を求めるようになった。また、転職に際しては前の会社での経歴は役に立たないから、客観的な技術者評価の規範が必要である。企業も資格を見てトップハンティングする時代になったのである。さらに、技術者の社会的地位の向上も狙いの一つという。技術の粋、携帯電話の無料配布が象徴しているように、技術の価値を低く見る風潮があり、技術者のなり手が減少している。若手技術者に希望を持たせたいとのことだった。

<参考>JABEEの専門分野別基準案

土木および土木関連分野

この基準は、土木および土木に関連する分野の技術者教育プログラムに適用される。

1.カリキュラム
学生が以下の内容を修得できるようなカリキュラムであること。

  1. 応用数学の修得
  2. 微積分を基礎とする物理、または一般化学の修得
  3. 土木工学の主要分野(土木材料・力学一般/構造工学・地震工学/地盤工学/水工水理学/交通工学・国土計画/土木環境システム)のうち、最低3分野の修得
  4. 土木工学の主要分野のうちの1分野以上において、実験を計画・遂行し、データを正確に解析し、工学的に考察し、かつ説明する能力
  5. 土木工学の専門分野を総合する科目の履修により、土木工学の専門的な知識、技術を統合して課題を探求し、組み立て、解決する能力
  6. 以下に示すような、実務上の問題点と課題を理解し、適切に対応する基礎的能力

2.教員(教授、助教授、および講師)

  1. 大多数の教員は、工学系または関連する系の学位(博士号)を有するとともに、教育経験によって、科目を教える資格があること。
  2. 教員団には、技術者資格を有しているか、またはカリキュラムに関わる実務経験によって、科目を教える資格のある教員を含むことができる。

参考文献

荒牧重雄(1998), 火山とその産物. 深田研ライブラリー(特別号), 171pp.
岩松 暉(1996), 大学学部における地学教育の危機的状況と打開策. 地学雑誌, 105(6), p.730-739.
JABEEホームページ
科技庁ホームページ
土木学会ホームページ
APEC Secretariat

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更新日:2000年1月14日