21世紀における日本の応用地質学の発展方向

 岩松 暉(『応用地質』準備中)


1.はじめに

 筆者は,前3報1),2),3)で現在,地質学,就中応用地質学の後継者養成が危機的状況にあることを指摘し,当面の対策について提言した。これは誇張ではない。「雇用弾性値」という概念がある4)。GNP(国民総生産)が1%伸びるためには,0.25%の労働力の伸びが必要との理論である。今後GNPが3〜4%順調に伸びていくとすると,労働力は0.75〜1%伸びる必要がある。しかし,周知のようにわが国の出生率は年々低下しており,18歳人口は西暦2000年までに50万人減少する。人手不足の時代は長期間続くものと覚悟しなければならない。こうした数少ない労働力を製造業や金融業・サービス業など他産業と分かち合う訳であるから,3Kといわれる地質調査業界がよほど若者にとって魅力あるものになっていかなければ,他産業以上に深刻な人手不足となろう。たとえ昨今の不況で多少求人難が若干解消されたとしても一時的なものに過ぎない。大学も業界もこの事態を深刻に受けとめ,有効な手だてを早急に打つ必要に迫られている。石川啄木も「年老った者は先に死ぬ。老人と青年との戦ひは何時でも青年の勝になる。さうして新しい時代が来る」と述べている(『唯一つの言葉』)。若者をいかに地質学に引きつけるかで勝敗が決するのである。給与改善・休暇の増加など労働条件の改善は当然実行されなければならない。
 しかし,地質学は自然を相手にしている以上,いわゆる3Kであることはある程度やむを得ない*)。しからば地質調査業界や土木建設業は滅びるしか道はないのであろうか。あるいは発展途上国の青年に全面的に依拠するしかないのであろうか。否,青年は本来いつの時代でも進取の気性に富み,意気に感ずれば労をいとわず邁進するものである。3Kを補って余りある夢と生きがいを与える必要がある。青年にとって夢は必須栄養素なのだ。かつて学生時代,卒業した先輩達が「山を駆け野を巡り/地の幸を求め行く/喜びを君と語らん…」と声高らかに歌っているのを聞いたことがある。彼らが活躍した時代は石炭は黒ダイヤと呼ばれ金ヘン景気なる言葉があった時代である。地の幸(資源とエネルギー)に直接かかわる地質屋は戦後復興の旗手として大いにもてはやされ尊敬されていたから,誠に意気軒昂たるものがあった。翻って現代青年は新人類と呼ばれ,無気力・無感動などと罵られる。しかし,これは夢を与えて来なかった大人の責任である。資源産業が衰退し,地質学を支えるインフラは土木建設に変化してきた。時代の流れに沿い歴史を見据えた大きな夢を青年に与えてやることが急務であろう。
*) 3Kのうち「キタナイ」には土などを扱う汚れ仕事との意味もあるが,土木建設業というと談合・癒着といったダーティーなイメージが常に付きまとい,青年の潔癖な正義感には違和感があって受け入れられないという側面があることも事実である。業界の近代化を期待する。

2. 国民の地質学に対する期待

 地質学が話題になるのは「地球大紀行」とか「生命の歴史」といったテレビ番組くらいで、震災があっても地震学だけが関わりがあると思われているおり、地質学を想起する人はいない。阪神大震災1周年に土木学会・建築学会・地震学会など関係学協会でmemorial conference in Kobeを開いた際、企画段階で関係団体を挙げたときも地質学会等に呼びかけようと気のついた人は誰もいなかった。確かに、科学博物館で展示してあるのは化石や鉱物だし、科学技術館ではロボットやロケットあるいはコンピュータなどばかりである。学校で教えている教科としての地学も博物学的色彩が強く、文科系の暗記科目と見なされている。このような学校教育・社会教育の故に、学会関係者の念頭に地質学が浮かばなかったのだろうか。それだけではなさそうである。筆者から地質学関係学会に連絡したにも関わらず、当日、地質学者の出席はほとんど皆無で、全体会議の際、活断層に関する質問には、地震学会会長が専門家として指名され回答していた。一方、地震工学者や土質工学者から堆積盆の形態や縄文海進の話が出て、表層地質の重要性が強調される始末であった。これでは、地質学は浮き世離れした高踏的な趣味の学問と見なされ、世間一般から忘れ去られても仕方がない。国や地方自治体の関係者や一般市民も多数参加した会議だったから、当面、予算配分など地質学は蚊帳の外になろう。
 しかし、大学の地質学者が世の中に背を向け、46億年の昔話の世界に閉じこもろうと、実社会では地質学は大きな貢献をしており、また、期待されているのである。昨年(1995年)総理府が「科学技術と社会に関する世論調査」を行った5)。図-1は科学技術がとくに貢献すべき分野は何かとの質問に対する回答である。地球環境や自然環境の保全と答えた人が一番多く67.8%であった。以下第6位まで、エネルギー・資源・廃棄物処理・防災などと続く。このように、国民が科学技術に期待し、具体的に解決して欲しいと願っていることの大部分が地質学の深く関わる分野である。このような国民の意向は政財界・官界も無視できない。やがて、地質学は日の当たる分野として脚光を浴びる時代が来るに違いない。

図-1 科学技術が貢献すべき分野(1995年2月総理府世論調査)

3.地球環境問題への応用地質学の貢献―自然改造から環境創造へ―

 資本主義も社会主義も産業革命の双子の兄弟であり、幸福の源泉は有り余る財貨を生産することであるとばかり,生産力の向上を一義的に推し進めてきた。その結果,公害をばらまき,地球環境にまで影響を与えるに至り,「人類生存の危機」すら語られるような事態を招来した(応用地質学もまたこうした自然改造・列島改造ブームの中で発展し利益を得てきたことは否めない)。ローマクラブからリオサミットまで、地球環境問題が国際問題として取り上げられるようになったのは当然であろう。中には江戸時代に戻れと,農本主義を主張する人や、極端な場合には反科学主義を唱え,近代科学こそ人民抑圧・自然破壊の元凶であるとする者まで現れた。
 しかし,一度禁断の木の実を食べた人類は決して元に戻れないであろう。何よりも昔とは比較にならないくらい増えた人口を養う必要がある。体重40kg以上の大型動物で個体数がもっとも多いのは人類であり、第2位の100倍以上いるという。しかも今後人口爆発と称されるような急増期を迎える。当然、無制限な欲望の肥大を放置しておいてよいはずはない。ある程度利便性を犠牲にしてでも環境の許容する範囲で生活していかなければならないが,かと言って江戸時代に戻ることは誰も望まない。まして今まで先進国並みの豊かさを享受できなかった発展途上国の人々を貧困のままに放置しておいて,環境問題だけを強調し成長の抑制を強要するのは先進国側のエゴであろう。しからば南北共に豊かさを享受するためにはどうしたらよいのであろうか。資源制約を乗り越えていくためには,やはり科学の進歩に期待するしかない。すなわち,巨大なまでに発展した生産力を,利潤追求一本槍から地球環境と平和という基準に照らして適当に社会的規制を加えつつ,人間が人間らしく生活できるよう活用していかなければならない。われわれ応用地質に従事している者の立場から言えば,社会資本を充実し,地球規模の社会基盤の整備に貢献する責務がある。すなわち,インフラテクノロジーの面で貢献する道が大きく開かれている。これからは物質的豊かさから快適なアメニティーを求める時代,すなわち真の豊かさを求める時代であり,一般の人々から尊敬をかち得るに違いない。

以下、未完

3.マクロエンジニアリングと応用地質学

4.応用地質学から応用地球科学へ

5.学問としての地質学の発展

6.教育・啓蒙・市民権

7. 工学部に地質工学科を

8.おわりに

引用文献

  1. 岩松 暉(1991): 大学における地学教育と地質調査業. 応用地質, 32(4), 184-187.
  2. --------(1992): 国立大学地球科学系学科の改組の動きと応用地質学における後継者養成. 応用地質, 33(4), 220-226.
  3. --------(1995): 急展開する大学改革と応用地質学教育の危機, 応用地質, 36(2), 173-177.
  4. 島田晴雄(1994): 日本の雇用―21世紀への再設計. ちくま新書, 238pp.
  5. 内田盛也(1995): いま、工学教育を問う―若者に夢と情熱を与えるために―. 日刊工業新聞社, 230pp.
  6. E.P.デビッドソン・中川学編(1982): マクロエンジニアリング[巨視的創造科学の方法]. 東海大学出版会, 194pp.
  7. 小宮山宏編(1992): 地球環境のための地球工学入門. オーム社, 215pp.
  8. 渡邊 貫(1935): 地質工学. 古今書院, 627pp.

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更新日:1997年8月19日