科研費不参加の記―弘海原清先生を悼む―

岩松 暉


 わが国にコンピュータが導入されたのは恐らく1960年代初頭であろう.私が学生の頃,東大理学部物理学教室に電子計算機が入った.教室一つ分を占領している.早速講習会が開かれた.マシン語とアセンブラである.ややこしいことをやって,出来るのは四則演算,ばかばかしい.気象学を専攻した同期生は中央気象台の計算機のほうが早いと,卒論の計算に気象台に通っていた.地質の計算はせいぜいノルム計算くらい,丸善の7桁対数表と計算尺で十分である.何も鉛筆を削るのに日本刀を持ち出すことはない.電算機は見限ることにした.
 一方,私は日本に初めてできた構造地質学講座の最初でただ一人の学生だったが,当時はTectonophysicsもJournal of Structural Geologyもまだ創刊されていない.図書室に通ってはGSA Bulletinなど一般の雑誌から構造を論じた論文をカードに採っていた.それがカードケース一杯になったので,分類整理をしようと,南光堂のパンチカードに切り替えた.針金でソートする代物である.それでも地域別・対象別など抽出することができ,便利だった.その後,地質調査所で始めた地質文献データベースGeoLisのプロトタイプのようなものを作っていたことになる.ここまでが大学院時代までである.
 博士失業するところを救っていただいて新潟大学の助手になった.いつの頃か,弘海原清という方から科研費のメンバーになってくれとのお手紙を頂戴した.「わだつみ」と発音することすら知らなかった.構造地質学は力学を使うから電算機に馴染みがあると思われたのだろう.恐らく1973年の特定研究「広域・大量情報の高次処理」のお誘いだったと思う.もちろん,汎用大型電算機の時代であり,IBMに負けないような国産電算機を作ろうと,電電公社がDEMOSの製作を国策として推進していた時代である.新潟大学のような地方大学にも電算機があったかどうかすらわからない.いずれにせよ,電算機とは今までタイガー計算機を使って大量の計算をしていた気象屋や地震屋が使う高速計算機に過ぎないと思っていた.
 データベースにしても,フォーマットとは固定ビット長を決めることであり,英数字とせいぜい半角カタカナが使えるだけで,仙台と川内の区別もつかない時代だったから,地名を多用する地質学では使えないと思っていた.もちろん,プリンターもドットプリンターだから,絵を描かせるなどは無理だった.年輩の方には,アルファベットや数字を使って,モナリザを描かせたものを見たことのある人も多いと思う.そんな時代だったのである.
 そういった次第で,弘海原先生と面識があったのなら義理人情で承諾したかも知れないが,一面識もないので,すげなく断ってしまった.なお,当時,東大理学部数学科には純粋数学コースと応用解析コースがあり,純粋数学はエレガントに解答を導き出し,応用解析学は泥臭く力ずくで近似解を求める,といった偏見があったのも背景にあったかも知れない.不明を恥じている次第である.
 当時,コンピュータとは高速計算機と考えていたのは私だけではないだろう.地質学へのコンピュータの利用が始まったのは1960年代後半である.国際数理地質学会IAMGが創立されたのは1968年であり,その発行する雑誌名がMathematical GeosciencesやComputers & Geosciencesであることが端的に示しているように,計算機として利用する側面が強く,当然でもあった.情報化時代とか情報化社会といった言葉が使われるようになったのは,パーソナルコンピュータが普及しだした1980年代である.弘海原先生はそれに先だって,1975年情報地質研究会を立ち上げられた.その先見の明には脱帽である.
 鹿児島大学に移って三軸圧縮試験機を作った.地方大学には技官がいない.8ビットのマイコンチップを使って作動させることになり,妙なところでマシン語の知識が役立った.構造地質学の講義で使うシュミットネットはどの教科書のものも真円ではない.写真複写で反復複写されたからである.やむなくコモドールのPETやシャープのMZ80Kなどパソコンの走りを使って,プロッタでステレオネットを描かせたりした.こんなことがご縁で,情報地質研究会に参加させていただき,先生に親しく接する機会を得た.学会創立の際には弘海原初代会長の下,初代編集長を務めた.今や日本情報地質学会の造語Geoinformaticsは国際的に通用する.学問の世界だけでなく,ICTは地質調査業など産業にも大いに活用されている.先生の先見性は広く社会にも貢献しているのである.深く感謝すると共にご冥福をお祈りする次第である.

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更新日:2011年6月23日