故 露木利貞先生のご逝去を悼む

岩松 暉(『日本応用地質学会九州支部会報』No.14, 1993)


 本支部評議員,鹿児島大学名誉教授露木利貞先生は,平成4年8月19日未明,急性肺炎のため逝去されました。享年69歳でした。
 先生は大正12年和歌山にお生まれになり,旧制第三高等学校より東京帝国大学理学部地質学科に進学されました。昭和22年9月ご卒業後,大学院特別研究生として引き続き教室に残られましたが,昭和25年6月新設の鹿児島大学文理学部に講師として赴任されました。以来38年間,評議員・理学部長・電子計算機室長などの要職を歴任されるなど,鹿児島大学の発展のためご尽力されました。先生は鹿児島の地をこよなく愛され,第二の故郷として定年ご退官後も永住されました。
 先生は,東京大学の卒業論文では大塚弥之助教授に師事され,故郷和歌山の白浜温泉の温泉地質学的研究に取り組まれました。その成果は,大塚先生の名著『地質構造とその研究』に「露木卒論による」として裂罅分布図が引用されております。鹿児島に赴任されてからも温泉の地質学的研究に終始一貫精魂を傾けてこられました。従来新しい火山活動との関連が余りにも強調されてきた温泉を,一般地下水としての性格に着目してとらえなおし,「地域地下水」の概念を提唱されました。これは火山山麓以外にも多くの温泉を発見する学問的裏付けを提供されたことを意味し,温泉王国鹿児島の礎を築いた恩人でもあります。こうした成果は『鹿児島県の温泉』『宮崎県の温泉』と題する一連のご著書として刊行されております。
 昭和40年文理学部改組により理学部が発足した際,このような従来の大学人とはいささか異なった研究をされておられる先生がご在職だったため,応用地質学講座が開設されました。鉱山地質学とは違った今日的な意味での応用地質学講座が,わが国で最初に設けられたことになります。わが応用地質学会にとって誠に幸いなことでありました。以来,温泉に限らず,地熱開発はじめ,シラスなど特殊土の災害や土工についての地質工学的研究などに幅広く貢献されました。ご退官後は応用地質㈱顧問として,現役時代以上に全国の現場を飛び回って斯学の発展に尽くされました。
 学会においても土質工学会シラス研究委員会委員,日本温泉科学会評議員,本支部評議員などを歴任され,その他,国や地方自治体の各種審議会委員を務められるなど,学問の世界に閉じ込もることなく社会的にも大きく寄与されました。
 こうしたご功績により,昭和56年に環境庁長官感謝状,昭和62年に環境庁長官表彰状,平成2年には南日本文化賞を受賞されました。また,平成4年9月には勲2等瑞宝章を授けられ,従3位に叙せられました。
 先生は「鷹揚地質学」と皮肉られるほど大変温和な方で,当時同じ講座の助教授だった私に対しても,「良きにはからえ」と,決してご自分の考えや方針を押しつけることなく,自由に振る舞わせてくださいました。学生を叱る時も,活字にすると随分きついことをおっしゃっておられるのに,誰も反発する者もなく素直に受け入れていました。私が同じ文言を口にすると角が立つに違いありませんが,やはりご人徳だと常々感に入っておりました。もっとも「仏の露木」をいいことに,随分お目こぼしにあずかった者もいたようです。
 こんなこともありました。在籍8年で除籍された学生が,「やっと自分も定職に就くことができましたので,在学中先生にお借りしたお金を返しに来ました」と,先生が退官されたことを知らず,大学まで訪ねてきたことがあります。「来る者は拒まず,去る者は追わず,自由放任」のように見えましたが,蔭では生活の面倒まで見ておられたのです。こうした細やかな面もお持ちでした。
 お若い頃は麻雀を嗜まれ,学生達を相手に徹夜もされたとのことです。後半はゴルフに凝られ,教職員の方々と週末にはよく出かけられました。このように学問や仕事の上だけでなく,趣味などを通じても学生・教職員と人間的なお付き合いをされておられました。そのため,卒業後も先生をお慕いする者が多く,毎年正月の御用始めの日には市内在住の卒業生が先生のお宅に集まる習慣になっていました。
 ただ,先生はどちらかと言うと筆の遅いほうで,〆切を過ぎてから書き始められるようなところがままありました。退官記念誌も発行予定が大幅に遅れましたが,病床にまで校正刷りを持ち込まれ,ご他界後印刷に入るような状態でした。これは,他人には鷹揚な反面,ご自身には厳しく,何事もいい加減には済まされないご性格も合わせお持ちだったことを示しています。「発行が4年以上遅れている」と責めたてたのがお身体に障ったのではと後悔しているところです。こうして完成した『九州における温泉と地質―付鹿児島県地質図』は結果的に先生の絶筆となってしまいました。この本は単に九州の温泉をまとめただけでなく,地質学をベースにした温泉学のテキストとしても大変な名著であると思います。
 思い出を書き綴るときりがありません。謹んで先生のご冥福をお祈りする次第です。

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