ボストン浮世絵展/しながわ区民公園/有朋自遠方来/新燃岳噴火関連調査/三寒四温/克灰袋/KAIZEN/蒲生和紙/拓本/東北・太平洋沖地震/171/フェールセーフ/衛星携帯電話/震災名/生活スタイル/ハコベ/1分診療/観音池/羽島白浜温泉/薄墨桜/和の心/作業員被爆/津波被害/川上小学校/弥五郎の里/小松帯刀邸/仰げば尊し/どんぐり会花見/慈眼寺公園

鹿児島のご隠居(2011.03)


★ボストン浮世絵展

 会議が終わって今日は帰るだけ、どこかへ出かけようと夕方の飛行機を取っていた。ところが今にも雨が降りそうな薄ら寒い日である。美術館か博物館にしようとネットで調べたら、山種美術館でボストン美術館所蔵の浮世絵展をやっているという。保存状態が非常に良いと聞いていたし、先日テレビで浮世絵の復元の話をやっていたから、出かけることにした。肉筆浮世絵もあったが、髪の生え際など実に細かい。テレビでの予習もあったので、見方が少し変わった。(2011/3/1)

★しながわ区民公園

 まだ時間があったので、大森海岸で下車してしながわ水族館に行ったら生憎休館日、区民公園を散歩した。小さいながら梅林があり、見頃だった。(2011/3/1)

★有朋自遠方来

 大学院時代からの友人が新燃岳調査に来るという。霧島温泉に泊まればよいのに、私に会うため鹿児島のホテルを取ったらしい。何年ぶりかで呑んだ。先年交通事故で生死の境をさまよったというのに、完全に元気な姿に戻っていたのもうれしかった。先月も産総研の若い友人が訪ねてくれた。田舎の隠居を忘れずに訪ねてくださる方がいて幸せである。まさに、「有朋自遠方来、不亦楽乎」である。(2011/3/4)

★新燃岳噴火関連調査

 昨日の友人は土壌汚染が専門だが、一緒に化学屋さんや地下水屋さんも来られた。皆で火山灰や水の調査に行くという。早速、一緒させてもらった。写真は農村を走っていたときの光景である。黒いビニールシートが軽石・火山灰にすっかり覆われていた。さぞ大変なことだろう。同情に堪えない。立ち寄ったコンビニのドアに大学生ボランティアのチラシが貼ってあった。頼もしい若者もいる。(2011/3/5)

★三寒四温

 今日は寒い。この寒気が明日は東京に行き、雪が降るらしい。先日、温泉で、妻が聞いてきた話。ある人が「うちの子は三寒四温を3月は寒くて、4月になると暖かくなるという意味だと思っていたのよ」と言って笑っていたとのこと。こう寒いと、そのお子さんの言うとおりだと思った。やむなく一日中コタツに入り、ウェブプログラミングなどして暇つぶしをした。運動不足で腰が痛い。(2011/3/6)

★克灰袋

 新燃岳噴火のことでバタバタしていたが、桜島は新燃岳以上に活発な活動を続けている。団地の降灰集積所にも「克灰袋」が山積みされていた。(2011/3/9)

★KAIZEN

 以前MOTTAINAIという言葉が世界的に有名になったが、今度はKAIZENという言葉が世界的に通用しているらしい。今日のテレビニュースで知った。トヨタ生産方式の基本概念らしいが、上からの命令で実行するのではなく作業者が自分で知恵を出して変えていくボトムアップが特徴らしい。トヨタ方式は行き過ぎて過労死を生むなど悪名が高いが、マンネリのお役所仕事を見てきた者として、大学を含むお役所にもKAIZENが必要と思った。(2011/3/9)

★蒲生和紙工房

 県立博物館では、いよいよ桜島大正噴火100周年企画展の準備が始まった。先ず、拓本用の和紙を入手するために、蒲生和紙工房を訪ねた。和紙の製造現場を実際に見るのは初めて、大変興味深かった。ご夫婦でやっておられるようだったが、こうした伝統が受け継がれることを願う。(2011/3/11)

★拓本採り

 先日手ほどきを受けた加治木の柁城小学校の記念碑を今度は自分たちの手で拓本採りをすることにした。なかなか手加減が難しい。拓本道という言葉があるそうで、大変奥深い。(2011/3/11)

★東北地方・太平洋沖地震

 上記拓本採りを新聞記者が取材に来た。その記者のケータイに地震の第一報が入った。そのうちに街のスピーカーが津波注意を呼びかけ始めた。三陸の地震だというのに、鹿児島湾まで津波がやって来るのか、とその時は正直そう思った。帰宅してテレビをつけたら、M8.3(その後8.8と訂正)だという。昭和三陸津波以上の災害になるのではと直感した。東北には親戚・知人も多い。心配だ。交通も麻痺しているようで、13日からの日本ジオパークネットワークの霧島訪問も交通混乱で延期になった。(2011/3/11)
 さらに13日にはM9.0と訂正された。テレビで連日悲惨な状況が伝えられている。どうも明治三陸大津波に匹敵しそうだ。(2011/3/13)

★171

 被災地に電話をかけて輻輳の原因を作ってはならないのが、災害の常識だ。そこで登場したのが災害時伝言ダイヤル171である。親戚が心配なので、何度かかけたが、録音がない。まだ110番や119番のようには一般に浸透していないことを思い知らされた。(2011/3/12)
 14日になって漸く電話が通じた。内陸部でしかも地盤の良いところだからとは思っていたが、肉声を聞いて安心した。

★フェールセーフ

 福島の原発で事故が相次いでいる。地震時に停電するのは常識だ。当然自家発電装置を持っているはずである。それも地震で破壊されることもある。そのくらいの二重三重の備えがしてあると思っていた。それなのに冷却機能が完全消失とは。フェールセーフシステムが全くなっていない。これでは、今後、いくら原発は安全だと言っても信用されないだろう。(2011/3/13)

★衛星携帯電話

 今回の東北関東大震災で、携帯電話がほとんど使い物にならなかったという。輻輳だけでなく、基地局の倒壊や停電のためらしい。昼のニュースで各社が移動基地局車を派遣すると報じていた。道路事情が多少良くなったからであろう。それにしても各社のアンテナがあちこちに林立しているのは景観上もみっともないし、資源の無駄遣いである。各社でお金を出し合って、携帯電話専用の衛星を打ち上げてはどうだろうか。そのほうが経済的にも安く付くような気がするし、災害時にも不通にならない。おまけに海外でも使える。検討して欲しいものだ。(2011/3/17)

★震災の名称

 東北は雪だという。被災地にとっては酷だ。避難所で亡くなるお年寄りも出たとのこと。言葉も出ない。このところNHKテレビに釘付けである。しかし、消防科学の連載講座原稿締め切りが近いので、しばらくテレビを切ってパソコンに向かっていた。書き上げて送信した後、自衛隊が原子炉に放水したのが成功したかどうか気になったので、新聞社のウェブサイトを開いてみた。そこで気づいた。どうもNHKだけが「東北関東大震災」と言っているらしい。西日本新聞はじめ九州内の新聞はどれも「東日本大震災」である。九州人から見れば、東北も関東も皆、東日本だ(もっともどこも共同通信加盟なので、共同通信が使用しているのかも知れないが)。しかし、関東の人は、東北を田舎と蔑視しているから、一緒くたにされたくないとの心情がある。NHKがわざわざ「東北関東大震災」というのは東京人の発想なのだろう。(2011/3/17)

★生活スタイルの大転換

 福島原発に関連して東京では計画停電が実施され、大規模停電回避のため、節電が呼びかけられている。オール電化生活に変更した世帯などパニックに違いない。事故のあった福島原発は廃炉になるだろうし、新規立地もきわめて難しい。第一、全町移転したくらいの大量避難者に対する賠償や、農作物の風評被害に対する賠償など天文学的数字になり、東電自体の経営基盤が揺らいで、とても設備投資に手が回らないだろう。電力需給逼迫が長期にわたることは避けられない。
 禍を転じて福となす、今のエネルギー多消費型の社会を見直す良い機会である。「24時間働けますか」なるCMはやはり異常だ。24時間営業のコンビニや自販機は廃止、さらには残業も無くし、夕方には帰宅して、夜は一家団欒に当てる生活に戻るべきである。海外での学会の経験を思い出した。パーティーで酒は飲んだが、あまり食事を取れなかったので、腹が空いた。夜食でも食べようと街へ出た。午後7時になると、どこも店が閉まっていて真っ暗、遠くにポツンと明かりが見える。あそこに店が開いていると、行ってみたら、何と日本の大手コンビニチェーンの店だった。パンが買えて空腹は満たされたが、何だか大変恥ずかしい気がした。「政治主導」を唱えるのなら、今こそ政治主導で、クリーンエネルギーだけで生活できる社会システムに大転換すべき好機であろう。当然、関東圏や三大都市圏への一極集中はダメで、地方で生業が成り立つ政治にしなければならない。
 関東大震災後、後藤新平は抜本的な帝都復興事業を企画実行した。今回も抜本的な社会改造計画が必要であろう。菅直人は第二の後藤新平になれるのだろうか。どうもそうした壮大なビジョンがあるようには思えない。民衆が政治に絶望したとき、ファッショが台頭する。時代の分かれ目のような気がする。(2011/3/19)

★ハコベ

 今日は日曜というのに雨模様、銭湯に出かけた。温泉に浸かりながら、被災地の人たちはどうしているのだろう、と申し訳ない気がした。路傍にはハコベが咲いている。春である。藤村の詩を口ずさみながら、被災地の人々にも春が早く訪れることを祈った。(2011/3/20)

★1分診療

 ニュースを見ていたら、東電副社長が原発設計段階での甘さを謝罪したと報じていた。また、浦安市長がご自慢の100トン地下貯水槽が液状化で使用不能になったとも言っていた。
 津波学の権威S先生からのメールに、地球の年齢を人間の寿命にたとえると、古文書も含めて観測記録があるのは1分に満たない、数十秒の診察でその人の的確な診断が出来ますか、とあった。今まで科学技術過信があったのではなかろうか。とくにどんなに地質条件が悪くても、近代土木技術で造ってみせるとか、100年確率でも大丈夫とかいった発想は、今後もう通用しないというべきであろう。復興計画もハード中心の公共事業を行う従来の土建政治の延長ではダメである。地質学をベースとした「地的社会」が求められている。(2011/3/22)

★観音池

 久しぶりに天気がよい。羽島の温泉に行くことにした。途中、観音池公園の桜を見に寄り道した。案の定、結構咲いていた。27日にはさくら祭をやるという。会社や町内会の場所取りの札がぶら下がっていた。津波被災地は雪だというのに、こちらは春である。(2011/3/23)

★羽島白浜温泉

 羽島の白浜温泉に初めて行ってみた。露天風呂からは甑島がよく見える。やはり、外洋に面した海は色が違う。この温泉は夕陽がウリだという。さぞ見事だろう。近くにホタルの里というのもあるらしいから、ホタルの季節に来て夕陽を見てみよう。(2011/3/23)

★薄墨桜

 桜島大正噴火のことで県立図書館に調べものに来た。ここには岐阜県の根尾村(現本巣市)から寄贈された薄墨桜が植えてある。木曽川治水のご縁なのだろうか。ご本家より先に咲き始めていた。(2011/3/24)

★和の心

 寝床でラジオ深夜便を聞いていたら、ワールドネットワークというのをやっていた。外国人から見ると、大災害で略奪や暴動も起きず、乏しい食糧を分け合って助け合う姿が驚異に映るらしい。こうした極限状態になると本来の姿が見えてくる。エコノミックアニマルと言われてきた日本人だが、本来は農耕民族・森の民である。長い間助け合って暮らしてきたDNA、つまり和の心が、こうしたときに発現したのだ。食うか食われるか、闘争に明け暮れしてきた砂漠の民には、信じられない光景なのだろう。しかし、一部とはいえ、空き巣や義援金詐欺などもあるらしい。嘆かわしいことだ。(2011/3/25)

★作業員被爆

 福島原発のタービン建屋で復旧作業をしていた作業員が放射能で汚染された水に入って被爆したという。本来タービン建屋は水のないところだし、ここに消防が注水したわけではない。恐らく原子炉とタービン建屋が地震時に別々の動きをし、両者をつなぐ配管が損傷して漏れたのだろう。柏崎原発でも中越沖地震時に原子炉本体は無事だったが、周辺装置から出火があった。この事故を本体は安全だったと軽く見て教訓を学ばなかったのだ。周辺装置を含めて全体としてシステムが成り立っているのを忘れている。活断層のサンアンドレアス断層を横断する石油パイプにはフレキシブルパイプが使われている。原子炉とタービン建屋とのパイプには、当然、こうしたフレキシブルパイプが使われているものと思っていた。システムダウンは得てして周辺装置から発生する。
 思い出したことがある。入試の集計プログラムに千万円単位の費用がかかると言われて、足し算と並べ替えだから、私なら1日で作ってあげると言ったことがある。確かにメインプログラムは足し算と並べ替えだが、欠席した場合、出席しても一部科目を受けなかった場合、はては受験生が答案用紙を飲み込んで配布数と回収数が合わなかった場合など、ありとあらゆる事態を想定したサブルーチンを作るのに膨大な手間と時間がかかるのだそうである。メインプログラムを通っているときにはよいが、どれかのサブルーチンを通ったときに、それに不具合があると、システムダウンが起きるのだと、お金がかかる理由を説明されて、なるほどと思ったことがある。原発技術者は原子炉本体の安全性だけに注意を集中して、周辺装置の耐震性などを含めたシステム全体の安全性を軽視していたのではないだろうか。(2011/2/25)

★津波被害

 岩手県立博物館の方から、三陸海岸調査報告のメールを頂戴した。荒涼とした風景はメディアの伝える通りでしたが、違うのは、そういった風景が360度展開していることです、とあった。写真をもらうより、ありありと光景が目に浮かんだ。胸を打たれた。(2011/3/26)

★川上小学校

 昨年、国の登録有形文化財になった肝付町の川上中学校に写真撮影に出かけた。真向かいに小学校がある。3月24日卒業式・休校式との看板があった。たくさんの笑い声で満ちていただろうに、最後は4人だったらしい。集落の人たちが横に「やまびこ館」という物産館をつくっていた。特産品だけでなく日用雑貨も扱っている。街へ買い物に出られない人たちのための万屋も兼ねているようだ。(2011/3/27)

★弥五郎の里

 帰途、弥五郎の里で花見をしようと、食事がてら立ち寄ったら、桜はまだで岩ツツジが満開だった。(2011/3/27)

★小松帯刀屋敷跡

 いつも案内看板は見ていたが、狭い道で駐車場がないから、行ったことがない。今日は暖かなので徒歩で行ってみることにした。途中、シラス台地の崖を下りたが、山桜が見事だった。屋敷跡には立派な石垣が残っていた。(2011/3/28)

★仰げば尊し

 卒業式も終わったのに、わが家の前の中学校から「仰げば尊し」の曲が流れてきた。近頃は卒業式でも歌われないはず、懐かしい。のぞいてみたら、車が数台ゆっくりと正門を出て行き、教員や生徒さんたちが手を振って見送っている。転任する先生方なのだろう。そうか、今日は離任式なのだ。この古典曲も出番があって良かった。(2011/3/29)

★どんぐり会花見

 今日は快晴、今日は団地老人会どんぐり会の花見の日である。新年会の時に日程を決め、会場の都市農業センターに予約してあったので、東北の人たちには申し訳ないが決行することになった。もちろん、震災の義援金は送った。団地公園の清掃を市から請け負い、その謝金を貯めてあったので、そこから支出した。午前中グラウンドゴルフをして、お弁当を食べながらにぎやかな花見となった。
 帰宅したら、岩手から津波調査の報告メールが入っていた。惨憺たる状況が克明に書いてある。こちらは関係者を紹介し、人と人を結びつけただけで何も出来ない。誠に申し訳ない。(2011/3/30)

★慈眼寺公園

 谷山の病院に人間ドックのため出かけた。遅い昼食を食べ、近くの慈眼寺公園に寄ってみた。公園内にあるサクラ園のソメイヨシノが満開だった。少し高台のふるさと考古歴史館のところはまだ3分咲き程度、わずかな標高差がこんなにも効くのかと驚いた。川の土手にツクシを発見、今年の初見である。(2011/3/31)

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更新日:2011年3月31日