雪の正月/賀状/住所録整理/PHP/吉井淳二美術館/新潟到着/孫到着/ピタゴラスイッチ/就活ラジオ/バスケ/クロツラヘラサギ/スパランド/縁起担ぎ/台風一過/さざれ石/馬ヶ背/日向蛤/新温泉/ジャンボアート/雪の硫黄山/霧島神宮古社/新年会/富士山/ラーメン博物館/貝類博物館

鹿児島のご隠居(2011.01)


★雪の正月

 雪の正月である。わが家の前にある中学校正門の門松も雪をかぶり、車の轍もない。静かな正月、妻と二人、コタツでテレビを見る。庭にヒヨドリがやってきた。昼、何十年ぶりかで雪かきをした。もちろん、スコップなどないから、ブラシを使った。(2011/1/1)

★賀状

 雪のため配達されないかと思っていた賀状が午後になって配達された。年々年賀欠礼が多くなり、元日に届く賀状も少なくなる。友人・知人の賀状には、退職後地域でボランティアをしているといった内容が多くなり、教え子からのものには、子供が大学生になったとか、赤ちゃんが生まれたといった内容が多くなった。(2011/1/1)

★住所録整理

 晴れたがまだ雪がある。新潟にいた頃と違ってスノータイヤなど持ち合わせていない。ドライブに出かけることは諦め、年賀状の整理をする。住所録データベースの更新である。転居した人も結構いる。定年退職後、故郷に帰ったという人が多い。若い教え子は転勤である。栄転なのだろうか。ワープロ変換ミスでお名前を間違えている方を見つけた。住所が正しかったから届いていたのだろうが、お名前を間違えるなど失礼千万。冷や汗が出た。(2011/1/2)

★PHP

 うすら寒い日で、出かける気がしない。今日配達された賀状は、幸い皆こちらから出した方々ばかりだったから、賀状を書く必要もない。そこでwebプログラム言語のPHPを勉強することにした。産総研地質図にマウスオーバーしたら、その箇所の地質情報を表示するためには、javascriptではダメだと聞いていたからである。今までFORTRAN、マシン語(アセンブラ)、N88Basic、Visual Basic等々の言語を使ってプログラミングをしてきたが、皆忘れてしまった。それだけITの世界はめまぐるしく変わってきたのだ。(2011/1/3)

★吉井淳二美術館

 雪の正月でどこへの出なかったから、吹上浜海浜公園に野鳥を見に出かけた。しかし、天気予報が外れて陽が出ない。それに風があって寒い。吉井淳二美術館に行く。小さな部屋にテーブルや椅子があり、壁に絵が掛けられている小さな美術館である。なかなか雰囲気がよい。東京の美術展のようにぞろぞろ人混みをついて行くようなものは疲れるだけだ。新しく国登録有形文化財になった旧鯵坂医院も見た。昭和の建築物も文化財になる時代になったのだ。昭和は遠くなりにけり。帰途、海浜温泉に浸かる。野鳥観察のはずが、易きに流れた。(2011/1/4)

★新潟到着

 万歩計を累計して日本一周をしようという「日本一周歩こうかい」なるサイトがある。鹿児島を出発して1980kmようやくわが故郷新潟に到着した。在京中はデスクワークが主だったが、それでも地下鉄通勤で最低でも1日5,000歩は歩いていた。ところがこの正月は大雪だったため、家に閉じこもり、2,000歩程度しか歩かない。身体が鈍ってしまった。人類誕生して僅か500万年、進化の過程では、まだ縄文人の生活様式に合った身体構造にしかなっていない。早起きして日光を浴び、体内時計をリセットして、さあ今日も狩りに出るぞと、ドーパミンなど元気の出る物質を分泌するのである。それなのに夜更かし朝寝坊・運動不足、身体に良くないことばかりしている。人生80年とは言っても、人生50年用にしか作られていない身体を医療と栄養で無理矢理伸ばしているに過ぎない。物忘れ・腰痛から癌まで、皆身体の耐用年数を経過した証拠である。(2011/1/5)

★孫到着

 冬休み娘たち家族が来る予定だったが、変更になって、今日、小3の孫息子だけがお子様一人旅でやって来るというので、空港まで出迎えに出た。空港では鹿児島県内の名水が幾種類も売っていた。やはり火山地帯の水が多い。帰途、車の中で孫曰く、「サンタさんは頭がいいよ。ボクの第一希望だったコマをくれたよ。今まで持っていたものと違うやつなんだ。」 微苦笑。(2011/1/8)

★ピタゴラスイッチ

 孫がしばらく雑誌の付録で遊んでいたが、そのうちに飽きてきたらしい。ピタゴラスイッチを作るという。NHK教育テレビで夕方やっている番組である。ラップの芯や古カレンダーの丸めたものを繋いで、ビー玉を転がしている。結局、子供は自分で創意工夫して遊ぶのが好きなのである。「子供は遊びの天才」というが、古今東西変わりはない。私が子供の頃は家の周辺に木や竹がたくさんあったし、おもちゃなどない戦後の貧しい時代だったから、肥後守(折りたたみ式小型ナイフ)とノコギリで、おもちゃは自作した。人間は道具を使う猿だと言われるが、こうした遊びは創造性かん養に欠かせない過程だと思う。(2011/1/9)

★就活ラジオ

 私が現役教授の時には、学生の就職の心配をしたことがない。売り手市場だったからである。この頃は「就活」という言葉がある。今日は少し早く寝たせいか、ラジオ深夜便を聞こうとポケットラジオのスイッチを入れたら、深夜便ではなく就活の話をしていた。最近はネットで情報収集するらしい。コメンテーターのアドバイスは、ネット情報は表向きの良い情報しか出していない。実際にその企業に出かけていって、一般社員に会ってみることを勧めていた。疲れている顔をいているか、生き生きしているかで、実態がわかる。現場主義がお薦めとのことだった。バーチャル情報は五感による現場情報にはかなわない。大いに肯ける。(2011/1/10)

★バスケットボール

 孫は3Dのアニメ映画を見に出かけた。長時間座ったままだからエネルギーを発散し切れていない。そこで針金ハンガーとスーパーの袋で即席のバスケットを作ってやった。飽きもせずシュートの練習をしていた。男の子は身体を使う遊びのほうが好きだ。(2011/1/11)

★クロツラヘラサギ

 男の子を家に閉じ込めておくのは不可能である。肌寒かったが、出かけることにし、少しでも南のほうをと思って吹上浜海浜公園に出かけた。途中から小雨模様になったので、絶滅危惧種クロツラヘラサギを見てから帰る。何と市内は晴れていて、路面も乾いている。雨を求めて南下したようなものだ。都市農業センターの芝生でサッカーの相手をさせられた。3Dアニメの主人公はゴールキーパーだった由で、キーパー役をやるという。こちら夫婦はフォワード、すっかりくたびれた。(2011/1/12)

★スパランド裸・楽・良

 孫と郡山にあるスパランド裸・楽・良に泊まった。温泉だけでなく温水プールやジム・卓球場などがある。チェックアウト後も1日無料で使えるから実質2日間楽しめる。なかなか良かった。孫も大喜び。じじばばのほうは卓球や水泳のおつき合いでグロッキー気味。(2011/1/13)

★縁起担ぎ

 今日のグラウンドゴルフでもホールインワンをやって、罰金50円を取られた。前回もそうだったが、たまたまお財布に50円玉が入っているときに限り、ホールインワンが出る。験を担いでこれからいつも50円玉を持参しようか。
 孫は藺牟田池の白鳥に餌をやると言って、キャベツの葉っぱ持参で雪のちらつく中、出かけていった。子供は風の子である。(2011/1/15)

★台風一過

 朝起きたら雪が数センチ積もっていた。今日は孫が帰る日である。北海道まで飛行機が飛ぶか心配したが、ネット情報では飛んでいるらしい。スノータイヤなどないから、タクシーで駅まで行き、リムジンバスで空港へ。溝辺は晴れていて、雪の霧島山が美しい。孫を送った後、空港のレストランで昼食を摂り、食後のコーヒーを飲みながらホッと一息。幼稚園の頃はただ可愛い可愛いだけだったが、小3ともなると、引っかき回され、オタオタした。まさに台風一過である。(2011/1/16)

★さざれ石

 防災講演会のため、日向市に行った。ジオパークに関連して「ふるさとの自然を守る会」の方々から日向市のジオサイトをご案内いただいた。米ノ山から小倉ヶ浜を展望した後、大御神社で「さざれ石」を拝見、どうも尾鈴溶結凝灰岩に関連したラグ角礫岩のように思えた。小倉ヶ浜では砂丘砂に埋められた旧防波堤を見た。人為より自然のほうがはるかに偉大である。自然の摂理に反することをやったらこうなるとの良い見本だ。(2011/1/19)

★馬ヶ背

 翌日は遊覧船で海上から雄大な尾鈴岩体の柱状節理を存分に見学させていただいた。すばらしいの一語に尽きる。(2011/1/20)

★日向蛤

 日向蛤は碁石の白石に使われるとして名高い。内湾性のハマグリと違う外洋性の荒磯に棲むチョウセンハマグリという種とのこと。なお、現生の生きているものでなく半化石を使うのだそうな。しかし、乱獲により、現在はメキシコ産を使っているらしい。(2011/1/20)

★新温泉開業

 先日、藺牟田池の帰りにいちき串木野市冠嶽園の近くに温泉が開業したことを知った。早速偵察に出かけた。入浴料280円也。鹿児島市内の銭湯より安い。少々狭いが設備は整っている。少し先へ行った市比野温泉街のホテルよりはるかに安いから、地元の人で一杯だった。皆顔見知りのようで、誰々さんのところに男の子が生まれたとか、パチンコで自殺者が出たそうな、何事もほどほどが肝心、などと誠に賑やかである。都会の銭湯は黙々と体を洗っているが、昭和中期の銭湯の再来のようで懐かしかった。先日伺った日向市では温泉施設が廃業した由。石油高騰のあおりらしい。その点、鹿児島はどこを掘っても温泉が出るし、燃料費は無料、恵まれている。(2011/1/22)

★ジャンボアート

 霧島でジオパークフォーラムがあった。うれしいことがあった。「2年前にはジオパークなぞ自分たちと関係ない」と言っていたガイド団体の方から、「今ではどっぷりはまっています」と言われたことである。2つは、商工会議所青年部が創意工夫を発揮して、活発に動いていることである。このフォーラムでもボランティアを集めて、成功の下支えをしてくださった。写真は彼らの発案による子供たちの霧島の絵を集めたジャンボアートである。 (2011/1/23)

★雪の硫黄山

 フォーラムの基調講演をしてくださった尾池JGC(日本ジオパーク委員会委員長)ご夫妻を案内して霧島を巡った。えびの高原は何と雪、硫黄山も写真の通り、新燃岳の活動に伴う立ち入り禁止の看板だけが見える白一色。せめて不動池くらいは目の前だから見えるだろうと出かけたが、全く見えない。 霧島に来て火口湖の1つも見ないのはと、御池に変更。ところがこちらは晴れていて、表日本と裏日本の関係を見せつけられたような気がした。(2011/1/24)

★霧島神宮古社

 もちろん、霧島神宮にも参拝したが、ガイドさんから、裏側の古社が良いですよ、と言われて初めて行ってみた。早朝の木漏れ日の頃は荘厳な感じがするとのこと。坂本龍馬もこの道を通って高千穂峰に登ったらしい。(2011/1/24)

★新年会

 団地老人クラブどんぐり会の新年会があった。席はくじ引き。真ん前は80歳のおばあちゃま。ダンス教室をやっておられる由。色つやも良く若々しくてお元気。脱帽した。(2011/1/25)

★富士山

 日本の地質調査業の先覚者深田淳夫さんが亡くなられた。今日はそのお別れの会、行きの飛行機の窓から富士山がくっきり見えた。深田さんは業界人というよりは最後まで学者肌だったなあと考えながら、富士を眺めた。お別れの会は開会の辞もスピーチもなく、懐かしい面々が集まって、こもごもに思い出を語らった。これも深田さんらしいと思った。(2011/1/27)

★ラーメン博物館

 明日は真鶴で濱田隆士さんの葬儀がある。東京のホテルは満杯だったので、新横浜に泊まった。近くにラーメン博物館があるという。夕食を食べに出かけた。昭和30年代の路地裏のようなセッティングになっていた。妙に懐かしい気がする。そうだ、父が本社勤務になったとき、技術屋は現場が職場、デスクでハンコ付きはイヤだと、家族を呼び寄せず、ホテル暮らしをしていた。今では単身赴任は当たり前だが、当時はあからさまな反抗だった。Yシャツはクリーニングに出せるが、下着は出せない。私が下宿に持ち帰って洗濯させられた。洗濯板の時代である。その洗濯物を受け取りに出かけるとき、新宿近くの都電電停への近道がこんな路地裏だった。ぽん引きのお姉さんが、私の学生服姿を見て、「チェッ、学生さんか」と言って、フーッとタバコの煙を吹きかけた。ムカッとしたが、後ろにはヒモがいるに違いない。黙って、そそくさと足早に通り過ぎたことがある。(2011/1/27)

★遠藤貝類博物館

 濱田隆士さんが助手になった時の最初の学生が私である。そのせいか、病気で倒れる直前までずいぶん可愛がっていただいた。貝化石の学名を初めて教えていただいたのも濱田さんである。そこで葬儀終了後、真鶴半島突端にある遠藤貝類博物館を見学した。館長さんから子供たちを対象に海の学校をやっているとのお話を伺い感銘を受けた。(2011/1/28)

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更新日:2011年1月29日