落葉/輝北ダム/千本銀杏/耕地整理紀念碑/鐘の鳴る丘/銭湯/ホールインワン/にわか庭師/木枯らし/展望温泉/坂の上の雲/店じまい/残り紅葉/にわか賀状/菜の花/ジョウビタキ/雪椿

鹿児島のご隠居(2010.12)


★落葉

 昨夜木枯らしが吹いたせいか、庭が落葉で埋まっている。紅葉の季節から落葉の季節になったのだ。そこに大学院時代の同期生の奥さんから、「先月主人が亡くなりました」との年賀欠礼葉書が舞い込んだ。学部時代の同級生は全員健在だが、同級生の死は初めてである。何とも言えない気持だ。合掌。(2010/12/1)

★輝北ダム

 テレビのニュースで垂水の千本銀杏のことを報じていた。フェリー代を倹約して、無料高速道路を使って鹿児島湾を一周、曽於弥五郎経由で行くことにした。途中、渡り鳥でもいるかと思って輝北ダムに立ち寄った。このダム建設時の岩盤検査直前に見学に来たことがある。完成してからは初めてだ。しかし、残念ながら渡り鳥の季節には少し早かったようだ。(2010/12/4)

★千本銀杏

 個人が自分の持ち山に営々と銀杏を植え続けたのだという。まだ若木だが、これだけたくさんあると見事だ。ちょうど桜島が爆発した。(NPO)かごしま探検の会が認定した「世間自然遺産・僕立公園」とあった。このNPOはうちの卒業生が代表理事を務めている。彼もやるなあ。(2010/12/4)

★耕地整理紀念碑

 桜島大正噴火の記念碑を調べていたら、田上にもあるとの情報を頂戴した。「耕地整理記念碑」である。何百回も通った道だが、耕地整理など関心がなかった。「灯台もと暗し」である。なるほど桜島の噴火で工事が中断したとある。(2010/12/6)

★鐘の鳴る丘

 この頃小3の孫が荒れて、母親を困らせているらしい。反抗期なのだろう。あるいは学校が学級崩壊していることの反映かも知れない。いずれにせよ母親に甘えているのだ。私が同年の時には、母親は引き揚げの苦労で亡くなり、父が帰国するまで一時孤児状態、伯母の家に厄介になっていた。当時、ラジオで「鐘の鳴る丘」という戦災孤児を主人公とした連続ドラマをやっていた。自分のことのように思って、欠かさず聞いたものだ。今でも主題歌はよく覚えている。幸い学校の担任が優しい女の先生で、とてもよくしてくれた。私にとって母親のような存在だったのだろう。結婚退職した後も、婚家まで訪ねていったことがある。孫は甘える母親がいるのだから幸せだ。(2010/12/8)

★銭湯

 昨日から冬将軍到来である。寒い。温泉に行こうと思ったが、露天風呂には入る気がしない。そこで近くの銭湯に十年ぶりくらいで行くことにした。午後3時頃だからガラガラだろうと思って出かけたら、駐車場は満杯である。つまり、高齢化が進んで、暇人が多くなったのだ。鹿児島の銭湯はみな天然温泉、サウナ・打たせ・超音波・バブルetc.何でもある。それに敬老パスだと100円である。悪いような気もするが、今までずいぶん長く(たくさんとは言わないが)市民税を納めてきたのだから、まあ良いだろう。(2010/12/9)

★ホールインワン

 今日は土曜日、グランドゴルフに参加した。何とホールインワンをやってのけた。ビギナーズラックという奴である。罰金50円を取られた。2ラウンド目から突然のにわか雨、誰も傘を持っていない。ゴミ袋をかぶって帰る。メガネは曇るし、酸欠になりそう。近くだから事なきを得た。(2010/12/11)

★にわか庭師

 サザンカの季節もそろそろ終わったので、剪定をしてみた。上面を水平にするのは結構難しい。遠くから見ればよく分かるが、近くでは分からないからである。自分を客体視できないのも同じ理屈であろう。(2010/12/)

★木枯らし

 今日は木枯らしが吹いて最高気温7度、真冬並みである。モミジの枯れ葉が引っかかってクルクル舞っている。こんな日は温泉に限る。銭湯に出かけてきた。いつも妻に待たされるので、今日はサウナで粘ってみた。15分くらいで降参。(2010/12/16)

★展望温泉

 朝グランドゴルフをした後、晴れて小春日和になったので、指宿へ出かけた。菜の花が咲き始めていて、海も長閑である。ホテルの5階、展望温泉に入った。420円也。誰もいない。市内の銭湯のようにサウナやバブルなどの施設は一切無いが、豪華だし、泉質もちょっと硫黄臭があって温泉らしい。何よりも展望絶佳なのが良い。知林ヶ島から宮ヶ浜港まで一望できる。鷹が手が届くようなところまで飛んできて、ガラスに突き当たる前にさっと身を翻す。高いビルを崖と間違えたのか、本当にビルに巣があるのか。男湯を覗きに来るとはメスか?(2010/12/18)

★坂の上の雲

 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を見た。船舶は皆石炭を焚いて走っており、ロシアでは華やかな宮廷文化が栄えていた。遠い昔の話である。しかし、日露戦争は1904~1905年のこと。私が学生時代だった1960年代からすると、僅か半世紀前の話である。現役時代に講義で「戦後」と言ったら、学生達は湾岸戦争を思い浮かべたらしい。確かに第二次大戦が終わってから半世紀だったから、私たちの世代が日露戦争を昔話と受け取ったと同じ感覚で、第二次世界大戦を受け止めていたに違いない。
 明治憲法体制は68年続いた。社会主義ソ連は74年、自民党政権も65年、だいたいそのくらいで制度疲労が起きて、人民にノーを突きつけられるのだろう。学問の世界でも然り。それこそ「戦後」はマルクス経済学が一世を風靡し、史的唯物論が典型的に適用できる分野として、歴史学と地球の歴史を取り扱う地質学では、主流であった。現在、その3分野ではマルクス系の学説は科学史の一コマとしてちょっと触れられるに過ぎない。教科書からも姿を消した。地質学では、地向斜造山論に固執してプレートテクトニクスを拒み、日本の地質学を20年遅らせたとして責任を問われている。学生達の感覚が案外正しいのかも知れない。(2010/12/19)

★店じまい

 地質図編纂の打ち合わせ後、年末だとのことで繁華街天文館に繰り出した。何と県内の焼酎銘柄が全部揃っているとして有名だったお店が閉店していた。昨今の不景気の影響だろう。そういえば何となく人通りが少ない。
 酒席で阿久根出身の方に聞いた話。議会を開かず専決処分を繰り返したり、職員給与を公表したりと、いささか常軌を逸した行動をする市長に、やり方はともかく、結構、快哉を叫んでいる人が多いという。阿久根市は新幹線にも素通りされ、これといった産業もない。したがって、市民の平均収入は極端に少ない。他市町村職員に比して同等でも、一般市民から見れば公務員給与は羨望の的、議員歳費は不労所得に見えるらしい。中国の沿岸部と内陸部との格差ほどひどくはないにしても、県内にも南北問題があるのです、とのことだった。やはり、不景気と貧困が背景にある。(2010/12/21)

★残り紅葉

 今日は少しうすら寒い。年賀状の提出期限が明日なので、専ら印刷をしていた。庭の紅葉は全部散ってしまったが、雲間から日が差したときに、たった2葉残っていた紅葉が真っ赤に映えた。(2010/12/24)

★にわか賀状

 今日はクリスマス、孫娘から電話があり、サンタからもらったキーボードを聞かせてくれた。ジングルベルである。そこで、賀状提出期限だということを思い出し、慌てて印刷して中央郵便局まで出しに行ってきた。そんなこんなで、今日が土曜日でグランドゴルフの日だということをすっかり忘れ、失礼してしまった。庭ではヒヨドリが木の実の試食にやってきていたが、まだ熟れていないのか、すぐ立ち去った。(2010/12/25)

★菜の花

 世の中は御用納めである。こちらは仕事ではなく、世の中自体を納めてしまった身だから、特別な日ではない。それでも年末、妻の買い出しのお供で指宿の道の駅まで出かけた。流行っているところだから、朝9時過ぎに出かけた。陽も出てきたことだし、外で菜の花でも見ながらお弁当を食べることにし、本土最南端の駅「南大山」駅まで来てみた。開聞岳と菜の花がマッチしていて見事。どうせ3時間に1本しか来ない無人駅だから、ホームでお弁当でも広げようと思っていたのに、田舎の香水の臭いがきつい。近くに畜舎でもあるのだろうか。駅前の漬物会社直営店に逃げ込む。愛想の良い女性が全種類を試食させてくれた。ついついたくさん買い込んでしまった。池田湖まで行って弁当にすることにしたら、天候急変、湖だというのに荒波が立っている。結局、車の中で食事をして、指宿のいつものホテルで温泉に入る。やはり一人っきり。極楽極楽。(2010/12/28)

★ジョウビタキ

 今日は荒れ模様、霰が降ったり、雷鳴がとどろいたりと、散々である。コタツに潜ってノートパソコンに向かい、来月の講演スライドづくりに専念した。時折陽がさすと小鳥がやってきて、苔の上を歩き回って、何かついばんでいる。虫でもいるのだろうか。まるまると太っているが、ジョウビタキらしい。尾羽をしきりに振る。(2010/12/30)

★雪椿

 朝起きたら雪である。一日中降り続いた。大晦日の大雪は珍しい。生垣の椿も“雪椿”となった。今年の紅白も小林幸子は派手派手の大げさな衣装で雪椿を歌うのだろうか。彼女も私も新潟出身、我が故郷、越後も大雪だろうか。(2010/12/31)

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更新日:2010年12月31日