バッタ
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生命の誕生
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散歩再開
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漬物定食
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阿蘇神社
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南阿蘇ビジターセンター
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紫尾温泉
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上場高原
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擬似黄葉
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根津美術館
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黒田清輝墓
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岡本太郎記念館
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恋文横町
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秋到来
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佐多岬
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びわ茶
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匠の技
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SATOYAMA
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筋トレ
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スカイツリー
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関東大震災絵巻
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土への郷愁
鹿児島のご隠居(2010.10)
バッタ
内閣府報告書の手直しをしていたが、モニターを見続けるのも疲れる。庭に出たらバッタがいた。ケータイでパチリ。(2010/10/2)
生命の誕生
先日東京出張の折、内閣府地下の書店で科学雑誌Newtonを買った。姶良カルデラの超巨大噴火の話が載っていたからである。これは帰りの飛行機の中で読んだ。今日は内閣府報告書手直し文も完成したので、暇が出来た。Newtonのトップ記事「生命の誕生」を読み始めた。私が教養学部生だった頃には、まだ分子生物学は今のように隆盛ではなかったが、動物学や植物学の講義では、既にDNAやRNAといった言葉は出てきていた。もっともその頃はデオキシリボ核酸やリボ核酸と呼んでおり、今のように略語のDNAがそのままで一般人に通用するようになるとは思っていなかった。確か試験問題は「遺伝子の本体について論ぜよ」だったように記憶している。さて、この記事、ATP(アデノシン3リン酸)・ヌクレオチド・リボソームなどなど、生物学用語がやたらと出てくる。どれも言葉としては聞いた覚えがあるが、内容はちんぷんかんぷん。読みながらいつの間にか寝てしまった。教養の講義を深くキチンと理解いていたら、この記事も理解できたのだろう。ダメ学生に合格点をくださった先生のおなさけに感謝する。(2010/10/3)
散歩再開
10月になってようやく少し涼しくなったので、散歩を再開した。彼岸花はもう終わりに近く、名もない花が咲いていた。猛暑日が続いて何時までも夏だと思っていたが、植物のほうは確実に秋になっていたのだ。(2010/10/4)
漬物定食
東大地文研OB会の巡検が阿蘇であった。初日は外輪山を回ってカルデラを展望した。昼食は漬物屋が経営しているというお店で漬物とのっぺ汁付きおにぎりを食べた。なかなか珍しいので、パチリ。(2010/10/6)
阿蘇神社
午後は阿蘇神社と霜宮神社の火炊き神事を見学した。阿蘇神社は肥後一の宮だが、単なる神社ではない。阿蘇大宮司家は中世以降、肥後の大半を領有する大荘園領主だったらしい。(2010/10/6)
南阿蘇ビジターセンター
2日目はお決まりの火山博物館見学と中岳湯釜見学だったが、阿蘇は植物の宝庫でもあるとのことで、ビジターセンターも訪れた。鹿大地球環境科学科出身の女性が熱心に説明してくれた。野草園もあり、いろいろな蝶も飛んでくるという。(2010/10/7)
紫尾温泉
今日も上天気、真夏日になるという。いつも霧島なので、今日は出水に出かけることにした。途中、紫尾温泉に立ち寄る。紫尾神社の拝殿の下から温泉が湧いているとして名高い。それ故、神の湯と言われている。ここは30年以上前、学生達と良く泊まったところだ。当時は1軒しか旅館がなかった。地域の共同浴場があり、旅館から下駄を履いて入りに行ったものだ。温泉水を利用して柿の渋抜きをするのが有名である。「あおし柿」という。(2010/10/11)
上場高原
コスモスで有名な上場高原にやってきた。連休とて駐車場は満杯である。竪穴住居を模した古代マーケットで地域の特産品を売っていた。(2010/10/11)
擬似黄葉
今日は学会のシンポジウム、懇親会の後ホテルに帰る途中、後楽園横を通った。一瞬、黄葉だと思ったが、黄色のライトアップだった。いくら東京でも、今年は暑かったから紅葉は例年より遅いかも知れない。(2010/10/14)
根津美術館
折角泊まったのだから根津美術館に行くことにした。在京中はちょうど改装のため閉館していたからである。創立70周年特別展「南宋の青磁」をやっていた。青磁は「宙をうつすうつわ」と呼ばれているそうな。焼き物の好きだった亡父を思い出した。付属庭園のもみじの中に少し色づいたものもあった。(2010/10/15)
黒田清輝墓
お隣の長谷寺に立ち寄った。桜島大正噴火の報告書に黒田清輝の絵を使わせてもらったので、黒田清輝の墓に詣でることにしたのである。養父の黒田清綱と同じ形の変わったお墓である。土饅頭ならぬ石饅頭だ。説明によると、法律修学のためフランスに留学したのだが、そこで自らの資質に開眼したという。(2010/10/15)
岡本太郎記念館
さらに近くの岡本太郎記念館にも立ち寄った。受付で写真撮影は自由だからカメラをお持ちならどうぞ、と言われた。美術館は撮影禁止が普通である。岡本太郎にふさわしく型破りの美術館だ。(2010/10/15)
恋文横町
表参道から渋谷は一駅である。運動を兼ねて歩くことにした。飛行機の時間までは間があるので、かつてよく通った恋文横町跡を探すことにした。何しろ半世紀前のこと、間違えて道玄坂を登ってしまった。駒場寮生と一緒によく行ったし、地学教室の先生方にもご馳走になった。今はこの標識だけ。(2010/10/15)
秋到来
今朝は寒くて目が覚めた。少し厚い蒲団に変えることにした。庭に出たら、サザンカや沈丁花がいつの間にか咲いている。ついこの間まで猛暑日だったのがウソのよう。(2010/10/16)
佐多岬
今日はさわやかな晴天、本土最南端の佐多岬まで遠出することにした。かつてここは某企業の私有地、有料道路になっており評判が悪かった。さすがに人の住む集落までは無料になっていたが、それより奥では車1台ではなく、1人500円取られた。レストランは閉鎖、展望台も壁ははげ落ち、ガラスは破れて、転落防止のネットが張ってあるだけ。佐多岬は渡り鳥や蝶の渡りが見られる日本でも有数の絶好ポイント、商業主義でヒンシュクを食らわなかったら、こんなにもさびれなかったろうに。(2010/10/17)
びわ茶
途中、根占の物産館に立ち寄ったら、鹿児島大学との共同研究と銘打ったびわ茶を売っていた。鹿大焼酎は単に鹿大演習林の水を使ったと言うだけだから、お粗末と思ったが、これは研究成果らしい。鹿大も遅まきながら地域貢献を始めたのだろう。試しに買い求めてみた。(2010/10/17)
匠の技
コレクターの方から桜島大正噴火関係の書籍が見つかったとの連絡を受けた。2冊お借りしたが、1冊は保存状態がきわめて良い。素人がコピーして痛めては大変と業者にお願いした。ついでにもう一つの綴じ金具が錆びて切れバラバラになった本もお礼代わりに製本し直して貰うことにした。今日出来上がってきたが、なんと修理の跡が全くわからない。それぞれの道に匠はいるものだと、いたく感心した次第である。(2010/10/18)
SATOYAMA
今名古屋でCOP10が開かれている。日本の里山プロジェクトが関心を集めているという。SATOYAMAでそのまま通用するらしい。かつて屋久島で都会育ちの環境原理主義者たちとやり合ったことがある。自然は神聖不可侵で一木一草たりとも採ってはいけないという。60億の人口を養うためには自然に手をつけざるを得ない、石器時代ぐらいの人口まで大虐殺をすれば別だが、と話したが、納得してもらえなかった。里山は人間の手が加わった擬似自然である。自然保護運動も成熟期を迎えつつあるのかと思った。(2010/10/19)
筋トレ
ハートピアというところには筋トレ器具や温水プールがあるという。電話をかけて聞いたところ、初回講習を受ければ利用証を発行するというので出かけてみた。何と正式名称は障害者自立交流センターとのこと。障害者手帳のない人でも1回130円で利用できる由。初回は理学療法士がメニューを作ってくれた。何だ元気ではないですかと、結局、全種目やらされ、少々くたびれた。(2010/10/25)
スカイツリー
会議が秋葉原であった。神田秋葉原と銘打ったホテルに泊まったが、浅草橋のほうが近い。看板に偽りありとは思ったが、翌朝、噂のスカイツリーを見に隅田川まで行ってみた。雨が降っていて残念。在京時にはあのすぐ近く住んでいた。(2010/10/28)
関東大震災絵巻
折角泊まったのだから、神奈川大学まで「関東大震災を描く」展を見に出かけた。菅原白洞という画家の描いた全3巻の絵巻と当時の子供たちの絵や新聞等の資料が展示されていた。何とも無惨な光景だが、白洞の筆致が漫画的で何となくほのぼのとしており、しかも聖観音も描かれて仏教思想が背景にあるから、少し救われる思いがした。(2010/10/28)
土への郷愁
散歩をしていたら、団地を囲むフェンスの外側に猫の額のような畑が作ってあった。ここのフェンスは低いからまたぐことも出来るだろうが、背の届かないくらい高いフェンスの外側にも花を植えている人を見かけたことがある。どうやってよじ登ったのだろうか。恐らく田舎から出てきた市営住宅の住民だろう。土への思いを断ち切れないのに違いない。(2010/10/31)
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土への郷愁
更新日:2010年10月31日