池めぐり//拓本/櫻島大爆發寫眞帖/田の神/トンボ/姶良歴史民俗資料館/旧友/霧島ジオパーク誕生/降灰置き場/えびの高原/白鹿岳/悠久の森/敬老祝/クモ/原五社神社/中秋の名月/着せ替え人形/南冥館/競走馬/二宮金次郎/B級グルメ/傀儡/傘のいらない街

鹿児島のご隠居(2010.09)


★池めぐり

 今日も猛暑日一歩手前である。少し遅かったが、思い立って霧島に行くことにした。霧島市役所のレストランが野菜バイキングで人気という。高速道路も無料化されたことだし、先ずそこで昼食を摂ってから山へ登ることにした。食事は奥さんの評価では五つ星だった。えびの高原はさすがに涼しい。先週来た時と違って、ススキがたくさん生えてきていた。やがて「えび」色になるのだろう。(2010/9/3)

★

 時々雨がぱらついたので、六観音で引き返し、国民宿舎で温泉に浸かった。ここの露天風呂は韓国岳が見えてなかなか良い。風呂から上がって外へ出たら、見事な虹が架かっていた。露天風呂で見つけて、慌てて上がり、浴衣のまま車にカメラを取りに出てきた男性に会った。(2010/9/3)

★拓本

 先月来お世話になっているコレクターの方から、桜島大正噴火の写真帖もあることを思い出したとのご連絡をいただいた。姶良歴史民俗資料館に貸し出してあったらしい。早速、拝借に伺った。姶良市文化財係の方に記念碑を全部拓本に取りたいという企画をお話ししたら、収蔵庫までご案内いただき、拓本の見本を見せていただいた。何と4面とも拓本を取り、立体的に石碑が再現してあるではないか。世の中にはその道のプロがいるものだと、感心した。早速、弟子入りをお願いした。(2010/9/7)

★櫻島大爆發寫眞帖

 写真は拝借した写真帖である。発行者は鹿児島市内の写真館だが、印刷は名古屋でしている。鹿児島市内は地震の被害で新聞社や印刷所も被害を受けたので、名古屋で印刷をしたのだろう。(2010/9/7)

★田の神と記念碑

 東谷山の桜川公園にも桜島爆発記念碑があるというので写真撮影に出かけた。耕地整理の最中に桜島が噴火したらしく、耕地整理記念碑の横面に櫻島爆發とあった。記念碑の横には田の神様が祀ってある。その頃までは田の神信仰が篤かったのだろう。今は宅地になっていて田んぼは全くない。(2010/9/8)

★トンボ

 午後は袴腰港にある記念碑の撮影と思ったが、何しろ暑い。藺牟田池に避暑に出かけた。水位はすっかり回復して満水状態だった。トンボもたくさん飛んでいた。交尾中のシオカラトンボもいたが、少々小ぶりである。今年の異常気象のせいか。もちろん、有名な希少種ベッコウトンボは時期(4月~5月)ではないからいなかった。池を一周してから、温泉に浸かった。極楽極楽。(2010/9/8)

★姶良歴史民俗資料館

 資料を返却に姶良歴史民俗資料館に伺ったついでに館内を見学した。帖佐には松原塩田と呼ばれる大規模な塩田があったらしい。桜島大正噴火による地盤沈下で一面の海と化したとのこと。あと昭和30年代を再現したコーナーもあって懐かしかった。(2010/9/9)

★旧友

 福岡から若い友人たちがやってきて、一緒に呑んだ。昔、学会の支部長をやっている頃、彼らは若手のバリバリ、幹事さんとして活躍していただいた。支部長の仕事は、評議員のお偉方を黙らせて、若手が自由に腕がふるえるようにすること、と心得て動いていたつもりである。今では彼らが頼もしいリーダーである。夢や展望を語り合って、楽しい宵だった。(2010/9/14)

★霧島ジオパーク誕生

 旧友と呑んでいる最中にケータイに電話があった。霧島がジオパークとして認定されたとの知らせである。2県にまたがる複数市町村を束ねてきた推進室と、それを学術面だけでなく全般にわたってサポートした井村さんのご苦労に敬意を表したい。これからの発展を期待する。本当におめでとう。(2010/9/14)

★降灰置き場

 この1ヶ月、猛暑日続きで、しかも降灰もひどかったから、散歩も控えてきた。今日は朝から恵みの雨、ぐっと涼しくなった。夕方上がったので、久しぶりに散歩に出かけた。降灰置き場に「克灰袋」が積んであった。この10年間、あまり見かけなかった光景だが、昭和火口が活発に活動を始めたせいで、またまた降灰に見舞われるようになった。ヤレヤレ。(2010/9/15)

★えびの高原

 涼しかったのは昨日だけ、今日も暑い。霧島に出かけることにした。環境省の看板に「えびの」の語源は硫黄山の硫気でススキがえび色になるからとあったので、確かめに出かけたのである。しかし、ご覧の通り。硫黄山の活動が止んだためか、それとも時期が過ぎてススキもほうけたからだろうか。さすがに高原だけあって、もう赤トンボが飛んでいた。硫黄山のてっぺんで不動池を見ながらお弁当を食べ、高原キャンプ場で昼寝をした後、温泉に浸かり、御池・霧島東神社と巡って帰った。内閣府への報告書概要版提出や消防科学への連載講座など一応片付いたので、気持もゆっくり出来た。(2010/9/16)

★白鹿岳

 今日も暑い。霧島には立て続けに行ったので、財部の悠久の森に行くことにした。折角、高速道が無料になったから、道の駅すえよしで、名物のランチバイキングでも食べてからと思って、11時半頃到着したら、何と40人も行列。お弁当を買って、曽於市のパンフレットに載っていた白鹿岳で食べることにした。ところが、道の駅の人たちは誰も場所を知らない。財部出身の人を連れてきた。曽於市で一番高い山だそうだから行ってみたいと言ったら、「いえいえ曽於郡全体で一番高い山で、霧島はもちろん志布志湾から桜島まで全部展望できます。新しい道も出来ましたから、ぜひいらっしゃい」と誇らしげに教えてくれた。財部町時代には郷土の誇りだったのだろうが、広域合併すると、僻地として忘れ去られてしまう。考えさせられた。白鹿岳はなるほど眺望絶佳、涼しい風が吹いて最高だった。(2010/9/19)

★悠久の森

 その後、目的の悠久の森へ。ところが駐車場のところで交通止め。車だけのことだろうと、ロープをまたいで中に入ったら、路肩の盛土崩壊が各所にあり、土石流も出ていた。妻が言うには、以前は苔むした岩があって、静かな良いところだった由。これも自然の摂理か。半分ほどで引き返し、霧島神宮近くのホテルで温泉に入ってから帰宅した。(2010/9/19)

★敬老祝

 今日は敬老の日、町内会から祝いの品が届いた。「昨日は長距離ドライブをしたのだぞ、年寄り扱いするな」と言いたいところだったが、そんなへそ曲がり爺さんにはなりたくないので、有り難く頂戴した。中味はお茶と羊羹だった。
 今日は桜島安永噴火の記念碑を探しに吉野に行くつもりだったが、猛暑なので止めて、内閣府から送ってきた『災害の教訓-火山編-』の校正を一日中していた。その間にいつの間にかうたた寝。やはり年寄りである。(2010/9/20)

★クモ

 桜島爆発記念碑が大崎町にあると聞いた。教育委員会に場所を教えていただいたが、何しろまだ真夏日、今日は止めて蟄居していた。庭に水撒きをしたら、大きなクモが巣を張っていた。コンパクトデジカメのマクロ機能はやはりあまりよくない。(2010/9/21)

★原五社神社

 天気予報は晴れのち雨、降らないうちに吉野にある桜島安永噴火記念碑の撮影に出かけた。安永噴火の際、黒神地区から移住してきた方たちが開拓したのが、ここ上ノ原(かんのはい)である。本来、藩主から永住地として与えられたのは現在の吉野中学校当たりだったが、桜島が望めるところを希望して、ここに移住してきたらしい。故郷の産土の神・腹五社神社を分祀して祀った由。その本社である腹五社神社は大正噴火で埋まり、埋没鳥居があるとして名高い。黒神は何回も被災しているのに、舞い戻っているのである。故郷とはそのようなものか。転勤族の子として生まれ、コスモポリタンで育った私だが、分かるような気もする。ある意味では故郷を持たない者にはうらやましくも思う。(2010/9/22)

★中秋の名月

 夕方から時々激しい雨、お月見は無理と思っていたら、雲の切れ間から顔を出した。近くに見えるのは金星か。(2010/9/22)

★着せ替え人形

 今日は雨模様で徘徊不能。妻が私の衣類を買いに出かけるからつき合えと言う。実は来月地文研OB会巡検が阿蘇である。私は巡検なのだから、今ある作業服で十分だと思っていた。しかし、妻は、裾がすり切れているとか、シミが着いているとか、理由を挙げて、ダメだと主張する。私の方は、作業服は汚れていて当たり前だと反論したが、寄り切られた。どうもデパートなどの洋服売り場は苦手である。しぶしぶついて行って、上下いろいろ試着させられた。全くの着せ替え人形である。あてがいぶちを買ってきた。ヤレヤレ。(2010/9/23)

★南冥館

 今日は快晴、谷山方面に用があって出かけたついでに足を延ばし、枕崎まで行くことにした。途中、川辺の道の駅で名物の豆腐定食を食べた。東京根岸、笹乃雪のように格式張った高級感はないが、素朴で美味しかった。枕崎市役所に立ち寄り、文化財マップを貰おうとしたら、文化課は南冥館にあるという。ちょうど「風の芸術」展をしていたので鑑賞、抽象画や抽象彫刻が多く、私の趣味には合わない。さわやかな風を連想させるものが少なかった印象を受けた。
 その後、妙見神社に寄り、国産紅茶発祥の地を見た。1931年インドからアッサム種を輸入して栽培した由。「紅茶のおかあさん」なる看板があった。(2010/9/24)

★競走馬の隠居所

 今日はわが家の前の中学校の運動会、早朝からうるさいので逃げ出すことにした。桜島の足湯で朝食のサンドイッチを食べた。ここは源泉50℃の掛け流し、とても熱い。係の人がやってきて、ぬるくしてくれた。それから大崎町のくにの松原を見た後、大正噴火の記念碑がある野方へ向かった。途中、日本軽種馬協会JBBAの「競走馬のふるさと南九州案内所」があったので立ち寄った。各賞に優勝し、何億円も稼いだ名馬が余生を送っているところらしい。立派な施設だった。人なつっこくて寄ってくるものもいたし、知らんぷりのものもいて、馬にも個性がある。(2010/9/26)

★廃校の二宮金次郎

 大正噴火の記念碑は移住者3代目が、若者が出て行った後、集落の歴史を伝えようと昭和末期に建てた新しいものだった。帰途、安永噴火の記念碑も撮影に大隅町折田の笠祇神社に行った。神社の前は小学校の廃校、草むらの中に二宮金次郎像だけがポツンと建っていた。寂寞の感あり。今の子供たちは金次郎のことを知っているのだろうか。(2010/9/26)

★B級グルメによる町おこし

 NHKクローズアップ現代でB級グルメによる町おこしが成功しているとの報道があった。関一橋大教授のコメントに、B級グルメは一次×二次×三次産業=六次産業だとあった。民が主体、町を丸ごと味わっていただく、お持てなしの心といったキーワードも出てきた。これぞユネスコのいうジオパークの精神だと思う。(2010/9/28)

★傀儡政権

 昼間生命保険の外交員が2人訪ねて来た。若いお嬢さんたちである。どうも家内が加入しているところのようだ。「私は傀儡政権だから、家内任せで保険のことなど知らない」と言ったら、「かいらい」って何ですかと聞き返された。世界中から大国の傀儡政権がなくなって、良い世の中になったのだろうか。(2010/9/29)

★傘のいらない街

 今日は内閣府で会議がある。日帰り出張だが、天気予報では東京は雨という。内閣府庁舎の地下は地下鉄に直結していることを知っているから、傘を持たずに出かけた。羽田空港から地下鉄を乗り継いだ。便利と言えば便利だが、何となく自然に反しているような気がした。ふと、チリの鉱山で閉じ込められている鉱夫たちのことを思った。(2010/9/30)

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更新日:2010年9月30日