花房峡/早水公園/海抜ゼロ/青葉/数式/知的虚栄心/福岡アジア美術館/落葉/書類整理//数独//グミ/YAHOO地図/ハイランド公園/マツバラン/風の画家

鹿児島のご隠居(2010.05)


★花房峡

 連休は晴れだというのに、昨日まで頼まれ原稿書きに追われていた。一応完成したので、今日は遠出をすることにした。今まで行ったことのないところと言えば、曽於市の花房峡と白鹿岳である。地図を見ると、白鹿岳は交通不便なところらしいので花房峡に出かけた。しかし、正直に言ってあまりパッとしなかった。渓谷沿いの遊歩道をもっと整備すればよいのに。(2010/5/4)

★早水公園

 帰途、中岳ダムに寄った後、都城の早水公園にアヤメを見に行った。かつての蛇行河川敷なのだろうか細長い。アヤメは見事だったが、万葉植物園は雑草だけみたいだった。万葉集に出てくる植物を全部植えると言っても、主として関西方面の植物だろうし、その植物が好む環境も違うだろう。それを九州の一箇所に集めようというのが、どだい無理な話なのかも知れない。(2010/5/4)

★海抜ゼロメートル

 朝、テレビで倉本聰の対談を見た。有名な富良野塾を閉じたという。塾卒業生が「海抜ゼロメートルまで戻る」という言葉を肝に銘じていると話していた。「原点に戻れ」という意味なのだろうか、「ゼロからやり直せ」という意味なのだろうか。それとも「押してもダメなら引いてみな」という意味なのだろうか。いずれにせよ、人間行きがかりにとらわれがちで、リセットするには勇気が要る。味わいのある言葉だ。(2010/5/4)

★青葉

 同窓会があって鹿大に出かけた。銀杏並木の青葉が鮮やかだった。東大の銀杏並木は、私が学生の頃と違って鬱そうとした大木になり、安田講堂も見えなくなるほどだが、ここはまだそれほど大きくない。鹿大もこの若木のように発展して欲しいが、鹿児島に帰ってこちらの話を聞くと、どうもこぢんまりとした小役人みたいな発想の教員が目立つ。これでは大物の学生が育つはずがない。(2010/5/8)

★博士の愛した数式

 明日締切の原稿を送ってホッとしたので、BSハイビジョンでドラマ「博士の愛した数式」を見た。主人公を演じる寺尾聰はミュージシャンだと思っていたが、宇野重吉の息子だけあって、さすがに演技力がすごい。原作は、学生時代からの友人がこの本は面白いよと推薦してくれたので読んだことがあった。その友人は、その後倒れて1ヶ月間昏睡状態になり、奇跡的に回復したが、今も入退院を繰り返している。私が以前病院まで見舞いに行ったことも覚えていないらしい。まさに主人公と同じである。数学者ではないが博士という点も同じだ。自宅に見舞いに行ったら、ポロポロ泣かれた。友人の回復を祈る。(2010/5/11)

★失われた知的虚栄心

 九州応用地質学会の総会があったので福岡に泊まった。ホテルでもらった毎日新聞夕刊に、特集ワイド「この国はどこへ行こうとしているのか 2010 この現実 大学生」という記事が載っており、評論家の呉智英氏が「失われた知的虚栄心」という文を寄稿されていた。九九が出来なかったり、アルファベットを全部書けなかったり、名古屋の「屋」の字が書けなかったりと、驚きの事実が紹介されていた。単に知識がないばかりでなく、「知的虚栄心がなくなった」と表現しておられた。知らないことを恥ずかしいと思わず、逆にむくれるのだという。確かに、戦前の旧制高校生はデカンショ(デカルト・カント・ショウペンハウエル)で半年暮らしたのだろうし、われわれの時代も、たとえ理系であっても、ある程度の古典や最新の学説を読んでいないのは恥ずかしいと思っていた。
 こうなった原因にはゆとり教育も一因だろうが、大学自身が教養部を潰したことも大きく作用している。その前に、入試科目を減らして受験生に媚びたことも効いている。案の定、最近、『対決 大学の教育力』(友野伸一郎著)なる新書も出て、受験産業から「大学は教養で選べ」と言われるようになった(著者は大手予備校の方らしい)。こんな当然のことを予想できなかった当時の文部省も、それに抵抗しなかった大学人も、責任を負わねばならない。(2010/5/14)

★福岡アジア美術館

 ちょうど木崎硫大名誉教授の個展「辺境の風景」があるというので、福岡アジア美術館に出かけた。ご本人がおられ、本当に久しぶりにお会いした。85歳とのことだったが、昔と全く変わらずかくしゃくとしておられ、うれしかった。油絵は、赤の使い方が印象的である。写真はネパールヒマラヤだが、タクラマカン砂漠の赤色砂岩層も赤かった。ゴビ砂漠の炎の崖を思い出した。しかし、私個人としては強烈な赤よりも、心和む緑のチベットU字谷のほうが気に入った。(2010/5/15)

★広葉樹の落葉

 団地を散歩していたら公園の脇に落ち葉が落ちている。公園だから誰も掃除をしないのだろう。私は北国の産だから、落葉は晩秋に決まっていると思っていた。南国では常緑広葉樹が今頃生え替わる。最初は不思議な光景だと思ったものだ。(2010/5/16)

★書類整理

 2004年3月31日鹿大を定年退官し、翌4月1日には上京していた。研究室の本類はどうしたか。昔は、書籍類は大学図書館が引き取ったものだが、最近は収納スペースの関係で原則として引き取らないことになっている。そこで、県地質調査業協会に全部寄贈した。私の持っているものは応用地質関係だから、学生よりも地質コンサルタントの方に役立つものが多いからである。3月末に協会所属の会社の方々がトラックで一括して運んでくださった。単行本などは「岩松文庫」としてずらりと書庫に並んだが、雑誌や報告書・書類の類は段ボールのまま放置され、今日に至った。しかし、公共事業縮減で協会財政も厳しくなり、現在の事務所を引き払って、来月からここを事務所として使用することになった。先週から卒業生の方が手伝ってくださり、整理に取りかかった。自分一人なら、愛着や思い出などいろいろあって、遅々として進まなかっただろうが、エイヤーッと、きれいサッパリ捨てることにした。(2010/5/18)

★

 昨夕から雨模様になったが、夜中にはかなりひどくなってきた。寝ていると、ケロケロと蛙の鳴き声がする。どうもわが家の庭にいるらしい。鳴き声からして小さな雨蛙のようだ。庭には池がないのに、ハテ面妖な。排水溝にでも卵を産んだのだろうか。そろそろ入梅か。(2010/5/19)

★数独

 数独というパズルがあることは知っていた。全日空機内誌に載っていたからである。しかし、出張の時には始発便と最終便が多かったから、専ら眠って体力温存に努め、パズルなど解く暇はなかった。今は文字通りの暇人、しかも雨で散歩にも出かけられない。「ラジオ深夜便」という雑誌に「脳ストレッチ」と題して載っていたので、解く気になった。ぼけ防止である。ルールを知らなかったから、初級編でつまずき、手こずったが、コツがわかったので、中級編はそれほど時間をかけずに出来た。まだ、それほどぼけていないらしいと自己満足。この雑誌で、このパズルは外国でも流行っていて、SUDOKUで通用すると知った。(2010/5/19)

★

 今日何となくすっきりしない天気、雨上がりに蛾が紅葉やクロガネモチの木のところで舞っている。花の季節ではないから、どうも産卵しているらしい。昨年はキオビエダシャクのためにマキの木が被害を受けたが、今年は紅葉なのだろうか。少々心配。(2010/5/20)

★グミ

 トイレのところに生えているグミの木に実が生った。以前は、通りがかりの中学生から食べても良いかと聞かれたものだが、最近の子はグミが食べられることを知っているのだろうか。(2010/5/21)

★YAHOO地図

 ヤフー地図が新しくなり国際測地系に対応した。Google Mapに比べたらセンスも良い(ただし航空写真は古い場合がある)ので、使ってみることにした。Yahoo Map APIは初めてである。レファレンスを見ながら四苦八苦してようやく動くようになった。ただ、既定のアイコンがどこにあるか分からないので、googleのアイコンを借用した。本当は、原稿書きが残っているのだが、何となく手が着かないので、こんな余計な作業をしてしまった。高校時代、試験の前になると無性に映画が見たくなり、映画館に行ったことを思いだした。現実逃避である。未だに進歩していない。(2010/5/23)

★ハイランド公園

 梅雨の中休みか、晴れたので、原稿も書いたことだし、夕方散歩に出かけた。わが団地で一番最後に出来たのがハイランドである。ここは若い家族が多いため、公園ではいつも小さな子らが遊んでいる。市営住宅も人が入れ替わるのか、比較的子供が多い。一方、古い戸建て住宅のある地域の公園にはあまり人影がない。高齢化したためだろう。何でも二つある小学校のうち一つがなくなるとの噂がある。(2010/5/25)

★マツバラン

 鹿児島県地学会の巡検で姶良市方面を回った。蒲生城は阿多溶結凝灰岩の絶壁を利用した山城だが、その絶壁にマツバランが生えている。松葉状をしているがランではなくシダ植物である。根も葉もなく地下茎が文枝しながら伸びていく。胞子嚢を持ち、胞子を飛ばして増えていくのだという。デボン紀に陸上に初めて進出した化石植物リニア属と近縁らしい。いわば生きている化石である。江戸時代には園芸植物として珍重されたと言われているが、最近では絶滅危惧種とか。しかし、胞子を飛ばすので、思わぬところに生えることもある。ここは採取禁止だから、自宅に自然に生えたという株を少し分けていただいた。さて根付くだろうか。もっとも根がないから根付くとは言えないが。(2010/5/30)

★風の画家

 NHKクローズアップ現代で風の画家と呼ばれる中島潔氏が京都清水寺のふすま絵を描いた話を見た。私は彼の童画が好きである。ほのぼのとした中にどこか哀しみが潜んでいる。中島氏は19歳の時、母の死と父の再婚をきっかけに家を飛び出し画家になったという。私は7歳の時に母を亡くしたが、幼かったので継母にはすぐなついたが、思春期だった姉は最後まで反抗的だった。乳がんで若くして亡くなったが、病床に母が見舞いに来るのを止めて欲しい、私だけ付き添って欲しいと言った。「良い母でありたい」と見舞いに来る母、「良い娘として振る舞う」自分、もうお芝居は疲れたと言った。死の床で本音が出たのだろう。その根深さに思わずたじろいだ。そんなことを思い出しながらテレビを見ていたが、中島氏の絵には、どれも哀しみがこもっているのが分かった気がした。彼は、金子みすゞの詩「大漁」をモチーフとした絵を何枚も描いたそうだが、いずれも死んで行く鰯の哀しみが表現されていた。中島氏の父上が亡くなってから心境が変化したそうで、清水寺に収められた「大漁」には温かみが加わっている。鰯の大群を導く先頭の鰯には亡き母が重ねられているという。天国を目指しているのだろう。(2010/5/31)
/もくじに戻る/花房峡/早水公園/海抜ゼロ/青葉/数式/知的虚栄心/福岡アジア美術館/落葉/書類整理//数独//グミ/YAHOO地図/ハイランド公園>/マツバラン/風の画家
更新日:2010年5月31日