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鹿児島のご隠居(2009.10)


★徘徊老人

 この1年間、文化財の写真を撮りに、GPS片手に県本土内をくまなく回った。足で稼いだかなり膨大なデータベースとなった。元々鹿大博物館の依頼が発端だから、私がプロバイダ代を負担する筋合いはない。鹿大サーバに置くべきものだが、鹿大サーバはIPアドレスで学外マシンからのアクセスを制限している。いちいち鹿大まで出かけるのは面倒だ。実は名誉教授は学術情報センターの利用証を持っているので、VPN(Vertial Private Network)という公式の制度を利用すれば、学外からアクセス可能である。しかし、何事も先例が横行するお役所的体質の国立大、いろいろ手続きが面倒そうだ。誰も責任を負いたくないのである。そこへ数理情報科学科から学外からアクセス出来る学科独自のサーバの提供申し入れがあった。Webメールサーバをftpサーバに改造してくれるという。ご好意に甘えて、使わせてもらうことにした。30万円くらい改造費がかかったらしい。感謝感激である。今日から早速データをそこの移した。URLはhttp://eniac.sci.kagoshima-u.ac.jp/~kaum/である。できあがってみると、徘徊老人の軌跡図のようだ。ご笑覧いただきたい。(2009/10/1)

★鹿大イネ遺伝資源保存水田

 鹿大博物館の講演会に出かけた。帰りに農学部の田んぼを通ったら、「イネ遺伝資源保存水田」という看板が立っていた。国立の時代には学内に看板など何もなかった。もっとも学生サークルや自治会の立て看はあったが。独法化して良くなったのはこういう広報面だけかも知れない。いずれにせよ、こんな実験田があったとは知らなかった。もう実っているもの、まだ青々としたもの、背の高いの低いの、いろいろとある。どれがジャポニカでどれがインディカか分からない。もう少し詳しく解説してあるともっと良かったのだが。(2009/10/3)

★中秋の名月

 ニュース番組で今日は中秋の名月と言っていた。早速ベランダに出てみたら、誠にきれい。天体望遠鏡があったらなあと思った。これはデジカメの10倍ズームで撮影したもの。(2009/10/3)

★上場高原

 コスモスが見頃というので出水市の上場高原まで遠出した。ここは旧石器~縄文の遺跡がある。それに因んで「竪穴住居」が作られ、「古代マーケット」と称して特産品が売られていた。アケビを売っていたので買ってきて食べた。何十年ぶりだろう。懐かしい。上場高原は牧畜が盛んだから、ここの牛乳を使った手作りアイスクリームも食べた。非常に美味しかった。(2009/10/4)

★異常渇水

 帰途、藺牟田池に立ち寄った。異常渇水で干上がっている。浮島も湖底に着地し、白鳥が湖底を歩いていて、貸しボート屋さんは商売あがったり。明日以降しばらく雨が降るというから、水位が回復すると良いが。(2009/10/4)
 6日のNHKローカルニュースで藺牟田池に棲むベッコウトンボが渇水のためピンチと報じていた。(2009/10/6)

★素顔の白洲家

 妻が図書館から牧山桂子著『次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家』を借りてきたので、私も読んだ。型破りの個性的な夫婦だったらしいが、娘の文章も軽妙洒脱で面白かった。 (2009/10/5)

★長袖

 前日とうって変わって今日は雨、薩摩川内市に所用で出かけたが、上着を今秋始めた着用した。夜も長袖のパジャマに着替えた。昨夜までは寝苦しかったので、アイスノンを愛用していたが、今日からは要らなくなった。季節の移り変わりが早いのか、台風のせいなのか。(2009/10/5)

★危機管理

 市内は小雨だが、台風18号が種子島を暴風圏に巻き込み北上中である。明日、内閣府中央防災会議の桜島大正噴火分科会を鹿大で開催する予定にしているのに困ったものだ。伊藤委員長と内閣府防災担当から電話があり、念のため、今日中に鹿児島入りをするとのこと。さすが専門家だけあって、危機管理がしっかりしている。(2009/10/7)

★学食

 午前中、鹿大で会議があった。終了後、内閣府の人とコンサルの人と一緒に学食に行った。私が現職だった頃より数等きれいになり、安いのには変わりはないが、メニューも豊富になった。彼らは久しぶりの学食ということで、懐かしそうだった。(2009/10/8)

★知林ヶ島

 三連休最終日、フラワーパークの年間パスポートを持っているのだからと山川へ出かけることにした。道の駅指宿で鮮魚を仕入れて、氷と共にスチロールバッグに詰め、それから知林ヶ島に立ち寄った。残念ながら満潮だったのか砂州はつながっていなかった。(2009/10/12)

★オオゴマダラ

 フラワーパークでは園内バスに乗って解説してもらった。半年前に乗った時と同じ人だった。半年前はまだ新前ですと謙遜していたが、今日は、なかなか堂に入った説明だった。オオゴマダラの温室では成体と幼虫と蛹を一度に全部見ることが出来た。ラッキー。なお、桜の「伊豆の踊り子」が狂い咲きしていた。(2009/10/12)

★キンモクセイ

 庭のキンモクセイが咲いた。丸坊主に刈り込んだから今年は咲かないかと思っていたが、季節を忘れず咲き始めた。今日も25度、真夏日だが、朝夕寒くなって確実に秋が近づいている。(2009/10/15)

★古代のロマン北南

 黎明館に企画特別展「古代のロマン北南」を見に行ってきた。青森の三内丸山遺跡と鹿児島の上野原遺跡の対比である。北は大型動物が多く、南は小動物が多いから、石器の大きさにも差が出るとか、地形がチマチマしたところでは、階級差があまりなかったなど、いろいろ面白い知見を得られて収穫だった。(2009/10/15)

★サザンカ

 庭に出て白いサザンカの花びらが散っているのに気づいた。生垣のサザンカのうち、白いのが植えてある方は、西日が良く当たるところだから、赤いものより早く咲くのだが、もう咲いているとは思わなかった。庭の手入れなど妻任せにしているから、気づかなかったのである。反省。エッ、猿でも反省はするって!?(2009/10/16)

★

 樟寿会という名誉教授の会があり、懇親会の冒頭、元学長夫人の琴の演奏があった。私が幼い頃亡くした母が琴を弾いていたことを思い出しながら、じっと聞き入った。母の弾く六段の音色は今も鮮明に覚えている。(2009/10/18)

★開湯50年

 上越新幹線に乗った。車内誌『トンランヴェール』の記事に某温泉の開湯50年記念イベントの話が載っていた。この温泉は石油技術者だった亡父の失敗作である。石油の代わりに温泉が出てしまった。環境問題などうるさくなかった当時のこと、灌漑用水路に垂れ流しにしておいたところ、近所の方が汲みに来て、風呂に入れると神経痛に効くという。鰯の頭も信心次第、本人が効くというのに否定する必要はない。黒板にNaCl云々と書いてあった化学分析値を慌てて消したと笑っていた。ところが聞きつけて大勢来るようになったので、木工部に命じて、男湯・女湯と分けた小屋を建てて地区に寄付したとか。それが温泉街に発展したのである。当時の町長さんが感謝して、名産のイチジクの甘煮だったかの缶詰を毎年お中元に送ってくださった。われわれは美味しい美味しいと食べたが、父は苦い顔をして決して食べようとしなかった。失敗を思い出したくなかったらしい。(2009/10/)

★人柱供養堂

 新大に勤めていた頃の学生が県庁のお偉いさんになった。課長時代に日本で最初の地すべり資料館を作ったから、見て欲しいと前々から言われていた。後述のように東大地文研OB会で糸魚川に行くことになったので、1日早く来て見学に行く計画を立てた。これも大学教師の勤めである。幸い雨の天気予報が外れて晴れ、予定通り妙高市猿供養寺の地すべり資料館を見学に出かけた。隣に人柱供養堂があった。800年前、地すべり防止のために僧侶が人柱になったとの伝説がこの集落に伝わっていた。昭和になって座禅姿の男性人骨が発見され事実とわかった。供養堂には、その人骨も保存展示されていた。(2009/10/21)

★春日山城

 新井からの帰り、春日山駅で下車、上杉謙信の春日山城に行くことにした。大河ドラマ「天地人」の舞台だからバスくらいあるだろうと思ったら、タクシーすらいない。ここであきらめては地質屋の名折れ、本丸まで行き帰り、全部歩いた。多少きつかったが、満足。鹿児島のシラス台地を利用した山城と異なり、かなり峻険である。直江屋敷跡もあったが、かなり狭い。なお、朝のうちに直江津駅近くの御館の乱で有名な御館跡も見てきた。(2009/10/21)2009/10/)

★代表的日本人

 昨日、旅行中読もうと、東京駅で岩波文庫、内村鑑三の『代表的日本人』を買った。薄かったので、列車の中とホテルで、もう読み終わってしまった。西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の5人が選ばれている。内村は敬虔なクリスチャンだが、キリスト教原理主義者ではない。徳・謙譲・誠実など日本的美徳が強調され、内村のフィルターを通した人物像になっており、必ずしも実像ではないかも知れないが、英文からの翻訳だからわかりやすく、内村の考える理想像が見えてくる。(2009/10/21)

★世界ジオパーク

 東京大学地文研究会OB会で8月にユネスコに認定された世界ジオパークの糸魚川に行くことになった。日本ジオパークネットワーク事務局を引き受けてくださったお礼とお祝いに行く義理があるので、便乗して出かけることにした。皆より早めに市役所にご挨拶に伺った。「祝世界ジオパーク」の垂れ幕があり、うれしく思った。((2009/10/22)

★塩の道

 断層破砕帯は浸食に弱いから、比較的なだらかな谷筋となる。糸魚川静岡構造線も同様、姫川の低地帯ができた。ここが古来、信州との交易路になっていた。塩の道という。上杉謙信が武田信玄に送った塩もここを通ったのだろうか。昼食は塩の道交流館で、笹の葉鮨など郷土料理をご馳走になった。木曜日は本来休業なのに、わざわざわれわれのために営業してくださったとのこと。恐縮。ただ、資料館を見られなかったのは残念。夕方、ホテルに着いたら、わざわざ市長さんがお見えになった。これまた恐縮。(2009/10/22)

★砺波平野散村

 地文研には地質だけでなく、地理や気象の班もあった。2日目はそれを主眼とした巡検に砺波平野に出かけた。庄川嵐という南風が強いところだから、南側に屋敷林があるとのことである。元気象庁など、いろいろな専門の先輩がおいでになるので、なかなか勉強になる。なぜ散村(散居村)になったかについては諸説あるようだが、扇状地だからどこでも水が得られるかららしい。(2009/10/23)

★瑞泉寺

 井波の瑞泉寺にも立ち寄った。本堂はちょうど修繕工事の最中だったが、太子堂も拝観できた。彫刻が見事である。門前町の井波も彫刻の町、彫刻師が大勢住んでいるという。各家々の表札には戸主の干支が彫ってある。商家や事務所の看板ももちろん木彫。(2009/10/23)

★屋敷林

 屋敷林を見たいと言ったら、砺波散村地域研究所の所長さんがご自宅に招いてくださった。感激。「アズマダチ」で出来た立派なお宅である。台風で日頃と反対側の北風が吹いたため、屋敷林の大木がバタバタ倒れたという。南風に耐えるように根を張っていたためらしい。(2009/10/23)

★ヒスイ探し

 巡検解散後、東京に帰っても、鹿児島には帰れない。東京のホテルに泊まるのもばかばかしいから、糸魚川にもう一泊した。鉱山地質学者の友人も一緒だったので、二人で青海の海岸でヒスイ探しをした。本当にヒスイかどうか分からないが、きれいな小石を記念に持ち帰った。(2009/10/24)

★寺地遺跡

 寺地遺跡は縄文遺跡で、ヒスイを加工した工房があったという。そんな昔から分業と交易があったとは驚きである。(2009/10/24)

★大糸線ジオパーク号

 JR大糸線は糸魚川静岡構造線に沿って走るローカル線で、鉄道マニアには人気がある。それに「ジオパーク号」が誕生した。私たちの乗る特急発車直前に到着、窓ガラス越しに写したので、不鮮明なのが残念。(2009/10/24)

★生きのびる からだ

 南木佳士(なぎけいし)『生きのびる からだ』を読んだ。著者は現役の医師である。医師になりたての頃、他者の生死の問題に深く介入する仕事のもたらすストレスに耐えかねて小説を書き始めたのだという。何となく分かる気がする。「からだを動かしていない者の書く文章には『肉体』や『身体』が使われ、動かしているひとは『からだ』とひらがなで表記する場合が多い」(丘沢静也)との引用も面白かったが、この頃はワープロで自動変換されるから一概には言えないだろう。
 また、次のような記述もあった。「豊かな山岳風景に恵まれたこの地(信州佐久平:筆者注)では、特定の仏像をありがたがるよりも、自然そのものの内に遍在する神の気配の前で己の卑小さを自覚させられる機会が多く、それもまた立派な信仰なのではないかと思っている」。私も山で日の出や夕陽を見たときに、同じように感じたことがある。わが国は本来、どこも佐久のような自然環境にあったのだから、八百万の神々が信じられてきたのだろう。
 あとがきで「生きのびるためには多くの他者の犠牲を必要とすることだけはたしかなようだ」とあり、そこはかとないうしろめたさを覚えると言っておられる。私なども古稀を過ぎてまだ生きている。多くの方々にご迷惑をおかけしながら生きてきたのだと同感した。(2009/10/26)

★

 鹿児島に帰ってゴロゴロしていたら腰が痛くなった。運動不足である。台風の影響もなくなり快晴、久しぶりに団地内の散歩に出かけた。シラス台地の上に造成した団地だから、団地周辺は急崖、事故を心配してか周囲に金網が巡らしてある。その外側の自然斜面に柿を見つけた。柿は本州ではよく見かけるが、鹿児島ではあまり見たことがない。それにしても自然斜面は子供たちの絶好の遊び場、冒険の場だろうに、今時の子供はかわいそうだ。そんなことを考えていたら、祖母のことを思い出した。栃尾の家には柿の木があった。甘柿である。それを取っていたときに、祖母が「一番上の柿は木守柿といって残しておくものだ」という。食べ物がなくなった冬に鳥たちが食べるようにとの配慮らしい。畑のキャベツも外側は青虫さんの物と言っていた。祖母は明治初年生まれ、田舎では学校教育がまだ始まっていなかったらしい。ひらがなぐらいしか書けず無学だったが、「自然との共生」などといった言葉は知らなくても、立派に実践していた。私の自然とのつき合い方の原点は祖母の教育だったのである。(2009/10/27)

★足湯

 今日も快晴、鹿屋のバラ園を見に行くことにした。桜島フェリーを渡ったところで、なぎさ遊歩道の足湯に浸かった。身体が芯まで温まるということは温まった血液が循環することだと聞いたことがある。足だけ温めても、何回か身体を循環すれば芯まで温まる。さて、何分間で一巡するのだろう。(2009/10/28)

★かかし

 大隅半島に渡ると海潟漁協直営の桜勘で安くて美味いカンパチを食べることにしている。まだ、お昼まで時間があったので、牛根の道の駅まで遠回りした。様々な案山子がずらりと並んで出迎えてくれた。面白い。(2009/10/28)

★鹿屋バラ園

 鹿屋バラ園はちょうど見頃だった。年間パスポートで毎週のように来るというおばさんが、秋のバラは春のバラと違って色が濃く匂いも良いと解説してくれた。そういえば濃いような気がする。帰途、垂水市の史跡を少し巡った。(2009/10/28)

★火山砂防フォーラム

 市民文化ホールで火山砂防フォーラムがあった。活火山を抱える自治体の集まりである。ジオパークに関わる地域の首長さんもお出でになったので、久しぶりにお会いできてうれしかった。フォーラムの前半は東桜島中学校の生徒さんたち全員による研究発表「活火山桜島とわたしたちがささえる火山砂防」だった。野外観察だけでなく、室内でのモデル実験などもあり、なかなか良くやっていて感心した。(2009/10/29)

★克灰袋

 今日は隣の団地まで散歩に出かけた。街角でツタが紅葉してきれいなお宅があった。近寄ってみたら、何と克灰袋が置いてあるではないか。10数年前、桜島の降灰がひどいときに、市役所が各家庭に「克灰袋」と称する厚手のビニール袋を配布した。これに掃除した火山灰を入れて、町内の決まった場所に置いておくと、清掃車が回収してくれるシステムである。久しく見なかったが、最近、昭和火口が活発に活動しているからであろう。昨日の火山防災フォーラムで、防災研教授の「着々とマグマを溜めつつある」との報告があったことを思い出した。不気味である。(2009/10/30)

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更新日:2009年10月30日