田の神
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赤塚公園
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東京大仏
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赤塚植物園
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勝ち戦
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小石川植物園
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白山神社
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小石川後楽園
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ワニ
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ナンテン
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小鳥
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太良城跡
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福岡県へ
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カワセミ
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ゴモジュ
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Country Gentleman
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首里城
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キオビエダシャク
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サッカー
鹿児島のご隠居(2009.06)
下久徳の田の神
午前中は大学に文献コピーに出かけたが、天気がよいので、午後、蒲生まで文化財の撮影に出かけた。漆の田の神は地元の人も知っていたが、庚申塔は知らないという。文献では愛宕山の山頂にあるとあったが、地形図に愛宕山はない。見当をつけて小高い丘に登ってみた。かすかに道らしき道が通じていた。大当たりだった。
今度は平場の下久徳の田の神である。誘導標識もあったが近くまで来てわからなくなった。中学生か高校生らしい子供に聞いてみたが知らなかった。今度は小学校低学年の女の子に聞いてみた。小さな子のほうが外で遊ぶからなのだろうか、知っていて、あっちと教えてくれた。この田の神様は他の田の神と違って、シキをかぶっていない。後ろ姿が男根に見えるのが田の神様なのに、これは変わっている。(2009/6/1)
赤塚公園
友人の病気見舞いに行った後、近くの板橋区立赤塚公園を散歩した。武蔵野台地を荒川が削った直線的な崖を公園にしている。ここは武蔵千葉氏の居城赤塚城の本丸跡である。自然の浸食地形を巧みに利用している。(2009/6/4)
東京大仏
赤塚城二の丸跡に乗蓮寺がある。ここには奈良・鎌倉に次いで3番目に大きいという東京大仏もあった。1977年に震災や戦災のないことを願って建立したのだという。(2009/6/4)
赤塚植物園
大仏の近くに区立赤塚植物園がある。都内の植物園だから狭い。しかも他種類コチャコチャと植えてある。敷地の広いフラワーパークかごしまに比べたら、見劣りするのは仕方がない。しかし、万葉・薬用園も併設されていた。これはなかなか面白い。帰りには板橋郷土資料館も見学した。(2009/6/4)
勝ち戦
ホテルで退屈だから雑誌を買ってきた。日本女子体操界の草分け池田敬子さんのインタビューが載っていた。「たとえ3位でも4位に勝てたことを喜んでいれば、人生はすべて勝ち戦です」とあった。ウーンなるほど。私より5つ年上だ。前向きの老い方も教えられた。(2009/6/4)
小石川植物園
午前中ホテル近くの東大小石川植物園に出かけた。池にはショウブが咲いていた。この近くで理学部の進学歓迎パーティーが開かれたことなど思い出した。以来、ここには何度も来たが、青木昆陽が甘藷を試作したことを記念する石碑があるのを初めて知った。(2009/6/5)
白山神社
次いでアジサイで有名な白山神社を訪れた。明日からあじさい祭りが始まるというだけあって、境内のアジサイは今イチだった。満開はもう少し後らしい。(2009/6/5)
小石川後楽園
午後から文京シビックセンターで会議がある。しかし、ホテルを10時に追い出されたので、やむなく、雨の中を後楽園まで出かけた。菖蒲田がきれいだろうと思ったからである。土曜日だったから、雨にもかかわらず賑わっており、ガイドさんの説明があった。写真は陸軍砲兵工廠の遺構である。後楽園遊園地のところが砲兵工廠だったことは古い地形図で知っていたが、この庭園もあやうく工場敷地にされるところを山縣有朋の一声で免れたのだという。今まで何度も来たことがあるが、工廠の遺構があることも、山縣のことも知らなかった。ジオパークにもやはりガイドさんは欠かせないと思った。(2009/6/6)
海を泳ぐワニ
NHK「ダーウィンが来た!」で海を泳ぐワニの話を見た。ワニは河や入江にいるはず、エエッ!? ところが、本来、縄張り争いに敗れた雄ワニは海を泳いであちこちの河に住処を探しに行くのが普通なのだとか。人間による乱獲で少なくなったため、新天地を求める必要がなく、河に定住するようになったらしい。それをわれわれは自然の姿と誤解していたのだ。近年、捕獲禁止になって増えてきたため、必然的に縄張り争いが生じ、本来の姿に戻ったのだという。オーバーキルなど罪なことをしてきたものだ。アイヌや東北のマタギは必要な分しか獲らない。何事も金に換算するようになってから、欲望に歯止めがかからなくなった。祖先の知恵に学ばなければならない。(2009/6/7)
ナンテン
庭のナンテンに花が咲いた。赤いナンテンの実はきれいだから目に付くが、花をしげしげ見たことはなかった。これも隠居の特典。(2009/6/11)
新川
私は定年退官時に蔵書を全部県地質調査業協会に寄付した。応用地質関係の文献が多いので役立つだろうと思ったからである。しかし、その後、すぐ上京したので、未整理のままになっていた。そろそろ片付けなければならない。書庫は新川河口にある。一休みの時に、川面を見ていたら、小さな魚の大群が泳いでいる。干潮時なので極めて浅いから、背中が外に出そうで、あたかも波立っているかのよう。しばし見とれた。(2009/6/12)
小鳥
2階の窓のすぐ先、電話線に小鳥というには少し大きい鳥が止まっていた。ちっとも鳴かない。はて何という名の鳥なのだろう。(2009/6/14)
太良城跡
かごしま知的散策マップを見た友人から、わが故郷、菱刈のデータがない、小学校の裏には城跡があるとのメールが来た。そこで早速出かけてみた。昔、城山公園として整備されたらしいが、折角絶景ポイントなのに今は草ボウボウ、これでは今時の子供たちは遊びに来ないだろう。公園を作るのは良いがメンテにも費用と時間をかけて欲しいものだ。途中、ハナショウブ自生地、横川にある国登録有形文化財の民家なども巡ってきた。(2009/6/15)
福岡県へ
万歩計によるバーチャル日本一周で、ようやく熊本県を通過して福岡県に入った。東京にいたときよりも1日の歩数が少ない。やはり車を使うからだろうと反省しきり。(2009/6/16)
カワセミ
梅雨の晴れ間だという。そこで、大隅半島の天然記念物・史跡を一気に巡る長距離ドライブを決行、フェリーを使わず、国分・福山から始めて、大隅半島を縦断した。有明の蓬の郷で昼食にした。ここはシラス下面の不整合から湧水が出ている。さすがにきれいな水だけあって、カワセミがいた。ただ、レジャーランドとしてはさびれている。国道筋から離れて不便だからであろう。高山城に行こうと小さな丘陵を越えたら、雨が激しく降っていた。パスして二階堂家住宅に行ったら、ここは降った形跡がない。微地形がこんなにも気象に影響するとは驚いた。(2009/6/19)
ゴモジュ
鹿児島県地学会が鹿大で開かれた。休日で門衛さんがいないから、入構パスのない名誉教授は車では入れない。バスで出かけた。開会まで少し早かったので散歩した。この生垣は私が風致委員長の時に植えたものである。当時、錆びた金網で、学生達がその破れたところから出入りしていた。これでは全く貧相で大学らしくない。生垣にしようと、農学部林学科の迫先生に、生長しても下に隙間の出来ない樹種を選んでいただいた。鹿児島以南で自生する亜熱帯の木だから鹿大にふさわしいでしょうとのこと。その迫先生は現役時代にお亡くなりになった。こんな曰く因縁などもう誰も知らないからか、手入れが悪い。害虫がついたか病気になったか、無残な姿をさらしていた。もう少しメンテに気を遣って欲しいものだ。
地学会では学校の先生をしている卒業生に久しぶりに会えてうれしかった。応用地質を専門としていたので、コンサルタントにいる卒業生に会う機会はしばしばあったが、学校の先生に会う機会は少なかったからである。(2009/6/20)
Country Gentleman
北康利『白洲次郎 占領を背負った男』を読んだ。吉田ワンマン首相の側近だと聞いたことはあったが、どんな人か知らなかった。彼の颯爽とした生き方にも感じるところがあったが、ここは書評ではなく、別の話。「隠居の英訳は」と聞かれて「Country gentlemanだろう」と答えた由。ジェントルマンはノブレス・オブリージュ (Nobles Oblige)を前提としているから、country gentlemanは一朝事あらば、はせ参じる用意がなければならない。私の場合の隠居は単なるcountry old manかretired chair warmerである。(2009/6/22)
首里城
那覇で学会の評議員会が夕方ある。沖縄便が少ないので、午後2時前に着いた。モノレール駅に行ったら首里城行きとある。首里城は琉大があった頃行っただけだから王城復元後を見ようと、出かける気になった。修学旅行生や外国人でごった返していた。映画のセットみたいで、何が世界遺産かと思った。ガイドさんに聞いてみたら、足下のアクリル板の下に見える古い石垣が世界遺産なのだという。ずいぶん雑な積み方である。琉大時代、その石垣の隙間にハブがとぐろを巻いていると脅されたものだ。大部分の観光客は気づかずに通り過ぎて行く。茶室で琉球菓子とさんぴん茶(ジャスミン茶)をごちそうになった。なかなかうまかったが、それよりも庭に月桃の花が咲いていたのはうれしかった。月桃には台湾の頃の思い出がある。チャンバラの刀にしたのである。根もとから伐採し、葉も切り落とす。茎の根もとから10cmほど残して葉鞘を1~2枚剥き、ボール紙で作った鍔を付けると出来上がりである。木の枝で作った木刀と違い、痛くないし、鍔付きなのがかっこよかった。(2009/6/24)
旭ヶ丘公園
来る前に那覇の地形図を見ていて海岸に小高い公園があるのが気になっていたので、学会が始まる前に行ってみた。波上宮という神社があったから、やはり、元は島で、周りは埋立地なのだろう。他にも海岸に沿って点々と小高い丘があるから、元来は環礁だったのだろうか。公園内には海鳴りの碑や対馬丸記念館もあった。対馬丸事件とは、悪石島沖合で学童疎開の子供を乗せた船が沈められた有名な話である。生きていたら私と同じか少し上の世代である。先日も不発弾騒ぎがあったが、沖縄に来ると至る所で戦争の傷跡がある。戦争だけはいかなる理由があろうとしてはならない。(2009/6/25)
キオビエダシャク退治
イヌマキの天敵キオビエダシャクがわが家の庭で舞っていた。ヤレヤレ、シーズン到来である。孫の捕虫網で一匹は確保、もう一匹には逃げられた。踏みつぶしたら偶然、標本のようにはきれいにつぶれた。(2009/6/25)
少年サッカー
梅雨の晴れ間をぬって団地内を散歩をした。公園では少年サッカーチームが練習をしていた。しばらく見ていたが、ちゃんと柔軟体操など基本の体力づくりもしていた。あまり草野球を見かけなくなったから、将来は野球よりもサッカーが主流になるのだろうか。何しろ子供たちをつかんだほうが勝ちである。(2009/6/30)
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更新日:2009年6月30日