鹿児島の匂い/吹上浜/平川動物公園/コウモリ/寝冷え/歓迎会/医者それぞれ/おかえり/喘息/ラジオ深夜便/“高速”水着/猛暑と紫外線/お役所/自由研究/植物図鑑/切磋琢磨/まねび/サツマハオリムシ/古稀/帰郷/共通基礎教養/江戸の漢文力/野球とソフト/世界の8位/雷雨/散歩/散歩/終身の計/体感温度/猫と秋風/コオロギ/鳥のおなら/文庫/学者と人間/下町と人情/こんにゃくえんま

鹿児島のご隠居(2008.08)


★鹿児島の匂い

 2008年7月31日、4年半の単身生活を終えて、最終便で鹿児島に帰った。飛行機からボーディングブリッジに出た途端、ムッと熱気が押し寄せてきた。すぐ後ろにいた子が「わあ、あったかい」と言った。機内の冷房が効きすぎていたからだろう。その時、母親が「そうねえ、鹿児島の匂いがするわねえ」と言った。「鹿児島の匂い」、そうだ、鹿児島に帰ってきたのだと感慨を新たにした。(2008/7/31)

★吹上浜

 夕方、孫達と吹上浜にやってきた。あいにく満潮だったが、それでもアサリがどっさり獲れた。下の女の子はきれいな色の貝殻を集めている。壊れそうに薄い桜貝もある。亡き姉が「桜貝の歌」が好きだった。今でも仏壇に桜貝が供えてある。
 帰り際、大きな椰子の実を一つ見つけた。まさに藤村の歌の通り、どこから流れ着いたのだろう。夕陽が久多島沖に沈んだ後、鮮やかな夕焼けがそれはそれは見事だった。(2008/8/1)

★平川動物公園

 毎週土曜夜は動物園の夜間開園日である。懐中電灯に赤いセロファンを付けて、真っ暗な園内を回った。動物たちは昼間とは全く違う姿を見せる。虎の眼がきらりと光る。夜行性のコアラはせっせとユーカリを食べていた。雄のゾウは眠かったらしくご機嫌斜め、突然、エサを電灯に吹き付けた。孫と私とそのとばっちりを受け、エサの切れっ端と鼻水(?)をかけられた。飼育員の話だと、普段の夜は照明を消している由、明るくて気に入らなかったのだろう。(2008/8/2)

★コウモリ

 夜、コウモリが居間に舞い込んできた。ここに越してきて20年近く、こんなことは初めてだ。孫達は怖いもの見たさで、興味津々。小さな耳が可愛い。逆さにぶら下がらずに、頭を上にしてカーテンにしがみついている。捕虫網で捕まえて逃がした。
 亡父は戦前日石社員だったから、日本石油のロゴの由来を聞いたことがある。創立前のある晩餐会で会場に一匹の蝙蝠が舞い込んだ。蝠は福に通じる吉兆として、以後、「日本」の文字をコウモリの形にしたマークが社章として使われるようになったという。今年はわが家にも福が舞い込むのかも知れない。そうあって欲しいものだ。(2008/8/3)

★寝冷え

 さすがに鹿児島の夜は熱帯夜、冷房をかけて寝たためか寝冷えをしてしまった。早速、医者に行ったが、今月から健康保険がないのに気づいた。国民健康保険の手続きをしなければ。ヤレヤレ、今までは保険証のことなど気にもしていなかったのに。(2008/8/4)

★歓迎会

 鹿児島県地質調査業協会と鹿児島地図センターの方々が歓迎会を開いてくださった。今までご迷惑をおかけしていたのに、大変恐縮した。鹿大1回生の大先輩もお元気だったのがうれしかった。(2008/8/4)

★医者それぞれ

 なかなか風邪が治らない。知っている医者に二つのタイプがある。一人は最初は弱い薬を処方して、なかなか治らず長引かす人、もう一人はいきなりブスリと注射をする人。後者は亡母を連れて行ったときに、注射と薬漬けで辟易したので、それ以後行っていない。前者の先生は誠によい方で気に入っているが、やはり、今回も治らない。もっともこれは歳のせいかもしれないが。(2008/8/6)

★おかえり

 学会で特別講演を頼まれて熊本に出かけた。顔見知りの懐かしい面々にお会いできたが、その一人から「お帰りなさい」と言われた。正直、うれしかった。風邪気味なので懇親会も失礼して日帰りしたが、夜中に発熱、こじらせてしまった。写真は学会会場前の加藤清正公像。(2008/8/8)

★喘息

 どうも何年ぶりかで喘息気味になったので呼吸器の専門医のところに行った。点滴をしてもらって楽になった。やはり夏ばてで体力が落ちていたのかと思ったら、医者曰く、「若い頃からの慣れで、正常と思っていたかも知れないが、データはあまり良い値を示していないから、本格的治療を開始しましょう」。ヤレヤレ。(2008/8/9)

★ラジオ深夜便

 夜中に目が覚めた。ちょうど午前4時、ニュースを聞いていたら、次の「心の時代」で松本征夫先生(山口大名誉教授)の「フィールドワークの魅力に取り付かれて」というお話があった。腰を悪くされて、この頃全く学会ではお目にかからなくなったが、お元気そうな声だったのでうれしかった。実は南極越冬隊の頃から腰が悪くコルセットをしておられたとのこと、全く知らなかった。それ以降も中国のヒマラヤ地方に度々探検に出られておられたし、昨年は78歳でヒマラヤの東 崗日ガル布山群に行かれた由、脱帽。(2008/8/10)

★“高速”水着

 孫は水泳教室に通っている。そのためか、オリンピックの水泳競技に釘付けだ。水中映像を見て、「お魚のよう」と言う。確かに話題のスピード社の水着を着て泳いでる選手の体型は流線型だし、足の動きもイルカそっくり。男子競技の時に下半身タイプではなく、つながった全身タイプの水着を着ている選手を見て、「あの人は女?」と聞く。「男だけど、身体の形をお魚のようにするために、わざと着ているのさ」と答えたが、何か割り切れないものが残った。泳法と体力の勝負から、だんだん離れていくように思える。裸足のアベベが懐かしい。(2008/8/11)

★猛暑と紫外線

 連日猛暑日である。孫たちは紫外線の害を恐れて、夕方になって公園や海へ出かけていく。私が子供の頃はクロンボ大会などあって、肌を黒く焼き、皮がむけるのを競ったものだ。これは医学の進歩なのだろうか、それとも日本人の肌が白人並みに弱くなったのだろうか。
 それはともかく、日中、部屋に閉じ込められていればストレスも多い。兄弟げんかばかりする羽目となる。そこで、藺牟田池に出かけた。ところが外へ連れ出すと、自転車を乗り回したり、走ったり、公園の遊具に片っ端から乗ったりと、人が変わったように生き生きとなる。何時間でも無我夢中、当然、仲良く平和共存である。子供は自然の中で育てたいものだ。(2008/8/14)

★お役所

 国民健康保険の手続きに市役所に出かけた。前回は、これこれの書類を持参してくださいと言われたので、今回、東京から取り寄せたのである。ところが、今日応対された方は、健康保険組合に延長申請したほうがお得だと思いますよ、今、計算させますからと、女性のところへ連れて行ってくれた。結果は、その方の言うとおり、かなりの差があった。聞くところによると、最近は役所もパートやバイト・派遣などの人が多く、部分的仕事だけ与えられて、全体像をつかんでいる人が少ないという。今日はお盆で、バイトさんたちが休んだため、管理職の方が窓口にいたらしい。ラッキーだったが、どうも割り切れない気持ちが残った。
 博物館や図書館など公的施設で指定管理者制度が導入されたが、うまく行っていないところがかなりあり、旧に復するケースも多いと聞く。学芸員や司書のような専門家を削り、利益だけを追求してもうまく行くはずがない。(2008/8/15)

★自由研究

 孫たちは7月の末から来ている。祖母と庭に花をいっぱい育てていて、水やりが仕事である。北海道は夏休みが短いから、そろそろ自由研究をしなければと、母親がヤキモキしている。結局、育ててきた草花で色水を作り草木染めをするという。片端からすり鉢ですり潰して色水を作っている。天然の色は実にきれいだ。同じピンクでも微妙に違う。孫はすり潰すほうが面白かったようだが、見ている大人のほうは、改めて自然の驚異に感動していた。(2008/8/15)

★植物図鑑

 こちらもついでに植物の名前を調べようと、牧野植物図鑑を取り出したが、植物分類の基本を知らないから、引きようがない。やむなくネットの図鑑類を調べたが、やはり属かせめて科ぐらいまで絞り込めないと、なかなか難しい。
 翻って、岩石名や鉱物名はどうであろうか。石基・斑晶・完晶質云々は中学理科で習ったかも知れないが、覚えている人はほとんどいないであろう。まして結晶系などは誰も知らない。ずぶの素人にでも引きやすい岩石鉱物図鑑を作るには、はてどうしたものか。(2008/8/15)

★切磋琢磨

 レスリングの伊調姉妹がそろってメダルを取った。幼い頃から切磋琢磨して云々とテレビの解説者が述べていた。聞いていた娘曰く「うちの子たちの兄弟げんかも、将来そろって有名選手になったら、やはり切磋琢磨と言われるのだろうか」。大笑いになった。(2008/8/17)

★まねび

 孫達は側転が得意である。食卓を隅に寄せて、居間が運動場に早変わり、「側転場」と言っている。オリンピックの体操で、着地の際、両手を高く上げるのを見て、早速真似をしている。だんだんうまくなってきた。「学ぶ」とは「まねび」だという。教育の基本である。やはり本物を見せるのが一番だ。(2008/8/17)

★サツマハオリムシ

 猛暑なので孫を連れて水族館に出かけた。「鹿児島の海」のコーナーにサツマハオリムシがあった。1993年深海探査船で採取されたものだ。あの頃は地球化学の鎌田先生もお元気で確か乗船されたはずだ。懐かしい。(2008/8/18)

★古稀

 来週70歳の誕生日を迎える。孫たちが夏休みが終わるので帰るから、一足先に誕生祝いをやろうと計画してくれた。北海道の夏休みは短いのである。手漉きの紙で作ったフォトスタンドをプレゼントしてくれた。甚平を着て、孫を二人抱いた写真がはめ込んである。うれしい。
 恩師が還暦の時に赤いちゃんちゃんこを贈った。受取証として、ちゃんちゃんこを着て孫を抱いた写真を送れ、などといたずらを言ったことを思い出した。お孫さんを抱いてニコニコしておられる写真を送ってくださった。その恩師も来年は米寿である。(2008/8/18)

★帰郷

 孫たちが帰るというので空港まで送りに行ってきた。昨年は、下の孫が「おばあちゃんも一緒に行こう」と駄々をこねてほろりとさせたものだが、今年はあっさりとバイバイ。それだけ成長したのだろう。
 夕方、到着したとの電話があった。「18度で寒いよう」という。こちらは33度、日本列島の長さを改めて感じた。(2008/8/19)

★共通基礎教養

 病院の待合室で中村真一郎『小説家の休業』(筑摩書房, 1991)を読んだ。その最初の章が「江戸の教養の普遍性-松前藩の画家・波響の伝記を書いて-」である。江戸時代の知識人は四書五経など儒学の古典を共通の基礎教養として身につけていた。その後、蘭学に行こうと、画家になろうと、医家になろうと、ベースにはしっかりとこの教養があった。異分野でも交流できる素地がここにある。ここまでは私も知っている常識的な見解である。一方、西洋哲学もアリストテレス・聖トマスから始まってデカルト…と読みこなすのが正道である。ところが、昭和初期以降、マルキシズムの翻読からスタートするのが普通になり、その中で篤学の者が逆にヘーゲル・カントと遡った。堀辰雄が「ぼくたちの年代は本を逆に読んでしまった」と嘆いたという。さて、われわれの世代はどうであろうか。「マルキシズムの翻読」だけで終わり、それを盲目的に信じるか、全然古典を読まないかのどちらかであった。かく言う私もヘーゲル・カントを少しかじってあきらめてしまった。かくて共通基礎教養はなくなり、専門バカばかりとはあいなった。現在、世相は混沌、先を見通す賢人が出てこないのは,そのせいかもしれない。(2008/8/21)

★江戸の漢文力

 たまたまテレビで「歴史に好奇心・まんじゅうこわいの謎~江戸の漢文力」という番組を見た。上に「江戸時代の知識人」と書いたが、この番組によると武士だけでなく町人にも広く漢文が普及していたという。返り点など漢文訓読技術が広く公開され、漢籍が読みやすくなったからである。遊郭で花魁と遊ぶためには詩歌の予習が必要だったという。中国の笑話や水滸伝などが下敷きになった落語も多く、庶民はそれを理解できたらしい。「饅頭こわい」も漢文からの翻案だとか。江戸時代、世界的に見ても日本の教育水準は高かったと言われているが、これほど高いとは思っていなかった。しかるに、現代の学生は、中国の故事に由来する四字熟語など、由来はおろか意味さえ知らない。嗚呼。(2008/8/21)

★野球とソフト

 オリンピックのテレビで女子ソフトを観戦した。オーストラリアのピッチャーがマウンド上でにっこり笑ったのが印象的だった。もちろん、国旗を背負っているのだから緊張感はあるだろうが、それでも総じて女子ソフトはオリンピックを楽しんでいる風がある。一方、野球のほうは、国威発揚のプレッシャーの上に、プロばかりそろえたのにアマには負けられないといった悲壮感が漂っている。見ていて楽しくない。オリンピックは、初心に返って、国威発揚や商業主義を脱し、個人の力や技を競う大会にすべきなのではなかろうか。(2008/8/21)

★世界の8位

 オリンピックを観戦していて、「日本はビリか」と言ったところ、息子が「バルセロナオリンピック男子400m決勝の際、NHKアナが『世界の8位です』と放送して感動を呼んだことがある」と話をしてくれた。最下位も世界の8位も同じ事実だが、超一流のアスリートの中で日本人が8位に食い込んだことは称えてしかるべきすばらしいことだ。負うた子に教えられた。(2008/8/22)

★雷雨

 夜にものすごい雷雨になった。先日も瞬間的に停電したから、慌ててパソコンのコンセントを抜いた。先日は大隅半島で落雷による火事が3件あったという。近くの水道タンクや中学校に避雷針があるから、かえって雷を誘い込んでいるのかななどと話し合った。この頃、スコールのような雨が多い。温暖化で亜熱帯気候になったのだろうか。(2008/8/23)

★散歩

 夕方、何年ぶりかで近所を散歩した。公園に子供たちの姿がない。やはりこの団地も着実に高齢化しているのだろう。(2008/8/24)

★終身之計

 今寝る前に高橋英司『ふるさと時代の子どもたち』(エム・ケープランニング, 2006)を読んでいる。東北地方の子供たちの遊びや年中行事が詳細に活写されている。私より9歳年上だが、共通の遊びを経験している。スローライフの昔が懐かしい。文章の中に「一年の計を考えるなら穀物を育てよ。十年の計を考えるなら木を育てよ。百年の計を考えるなら人を育てよ。」という中国のことわざが引用してあった。恐らく斉の宰相・管仲の「一年之計莫如樹穀 十年之計莫如樹木 終身之計莫如樹人」か、史記の「居之、一歳、種之以穀、十歳、樹之以木、百歳、来之以徳」が出典であろう。してみると、永く大学教育に携わってきた私は、この「終身之計」を実践したわけだから幸せ者である。あちこちで卒業生の活躍ぶりを聞くにつけ、本当にそう思う。(2008/8/24)

★体感温度

 最低気温が25度になった。早朝寒くて目が覚め、タオルケットをもう一枚重ねた。東京なら熱帯夜、暑苦しくて寝られない温度なのに、身体とは順応するものらしい。たぶん昼夜の温度差が、そう感じさせるのだろう。
 それで思い出した。以前、フィリピンの女性留学生が、冬になると向こうでもセーターを着ると言ったので、半袖で過ごせる気温なのに、女性はおしゃれだからファッションで着るのだろうと笑ったが、どうもやはり寒いから皆着るのだろう。笑って悪かったと、今頃、反省した。(2008/8/25)

★猫と秋風

 わが家にいつも来る野良猫がいる。夏の暑いときには木陰にある自然石の灯篭の上で寝そべっている。冷たくて気持ちがよいのだろう。ところが今日は午後から曇ってきて涼しくなってきた。彼の猫は日の当たる濡れ縁に寝ている。今度は日なたぼっこらしい。そろそろ秋である。(2008/8/26)

★コオロギ

 妻は花を植えるのが趣味である。孫と一緒に水やりをすると、決まっていろいろなアゲハがやってきたものだ。ところがこの1週間あまり姿を見ない。替わって夜には秋風が吹き、コオロギなど虫の音がうるさいくらい。タオルケットだけでは寒いので夏掛けにした。(2008/8/27)

★鳥のおなら

 車の運転中ラジオを付けた。ちょうど「夏休みこども科学電話相談」をやっていた。この番組はなかなか楽しい。毎年楽しみに聞いている。スイッチを入れた途端、「鳥はおならをするのですか」との質問。意表を突かれた。回答者は「飛ぶためには体重を軽くする必要があるから、食べたものは速やかにウンチにして出すのだ。だから鳥の消化管は短い。腸内発酵がないので多分おならはしないだろう。」と解説していた。なるほどと納得。われわれも地学の普及に取り組んでいるが、このような子どもの目線を忘れてはならない。(2008/8/28)

★文庫

 定年退職に際して、私の持っていた書籍や諸資料を県の地質調査業協会に寄付した。どの会社に属していようと自由に利用して、技術向上に役立てて欲しいとの願いである。単行本は持っているだろうが、資料のほうが技術者には役立つに違いないと思っていた。私の名前を冠した文庫が出来て書架とキャビネットがずらっと並んでいる。今日、久しぶりで寄ってみた。無くなっているものがあった。地学事典と地方地質誌「九州地方」及び、鹿児島県や宮崎県・熊本県の地質図である。いずれもプロなら本来、私物でも持っているべきものだ。資料のほうはどうも手を付けた形跡がない。嗚呼。(2008/8/28)

★学者と人間

 上京の飛行機の中で寺田寅彦『柿の種』を読んだ。「短章 その二」の中に、多分学士院の会議だろう、上野公園で学者の事務的な会議に出席した後、公園内を散歩したときの感想があった。見馴れた森や草木が異常に美しく見え、女子供がたとえようもなく美しく愛らしく見える、とあり、「今まで堅く冷たくすっかり凍結していた自分の中の人間らしい血潮が急に雪解けのように解けて流れて全身をめぐり始めるような気がするのである。学者であって、しかも同時に人間であることがいかにむつかしいものかということをつくづく考えさせられるのは、そういうときである。」と続いていた。ウーン、古き良き時代にもそのようであったとすると、今のように業績主義でむち打たれ、評価評価で雑用や会議に追いまくられている学者先生たちはどうなのだろう。論文ねつ造など典型例で、精神が病むのではと心配だ。(2008/8/29)

★下町と人情

 上京の機会を利用して本所時代にお世話になったところにささやかなお土産を持参した。マンションの管理人さんには、もちろん一番お世話になった。近所の業四商店街でもずいぶん親切にしていただいた。自家製のものを対面販売、量り売りで、一握りでも売ってくれる。まさに昭和が生きていた。肉屋のおじさんは、老人の独り暮らしだと思って、いつもおまけしてくれたし、単身赴任とわかってからも、「かわいそう、かわいそう、野菜も食べなければダメだよ」と、野菜サラダをおまけに付けてくれた。クリーニング屋さんは、お別れに電波時計をプレゼントしてくださった。
 しかし、時代の流れはここにも押し寄せ、近くに大型スーパーや99円ショップができて、魚も焼いてくれた魚屋さん、八百屋さん、おでんの美味しかった総菜屋さん、自家製のうどんを食事時だけ提供してくれたうどん屋さんなど、次々と廃業した。誠に残念!かろうじて残ったお店が永続することを願う。(2008/8/29)

★こんにゃくえんま

 春日のホテルに泊まったので、朝、近くのこんにゃくえんまに参詣した。ここは眼病に霊験あらたかなところ、絵馬に「おばあちゃんの手術が成功しますように」とあった。白内障の手術でもあろうか、ほほえましい。現代の白内障手術は至極簡単で苦痛もないのだが、お孫さんからすれば、眼にメスを入れるというのは恐怖に近いに違いない。一心に祈っている姿が想像される。(2008/8/30)
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更新日:2008年8月30日