鹿児島大学地球環境科学科発展のために

―主として地質学の視点から―

 岩松 暉(鹿大地学科同窓会誌「桜島」No.13, 8-18, 2004)


1.はじめに

 学科の将来を決めるのは若手である。したがって,定年退職する者が今後の方向についてくちばしを入れるべきではないと思っていたので,意識的に沈黙を守ってきた。しかし,最近の(2003年6月時点)学科内における議論を聞いていると,地学科・生物学科といった旧5学科体制復活を夢見ているようなので心配になり,老婆心ながら一筆したためる次第である。ただし,私の専門である地質学の視点が濃厚に反映しており,一面性を免れない。討論の素材としていただければ幸いである。

2.地方大学理学部の生き残る道

 戦後新制大学が発足したとき,旧帝国大学と高等師範学校を除けば,当初から理学部があったのは旧医科大学系の大学,いわゆる旧6である。戦後創設した新制高校の教員は師範学校では養成できないから,そのために作ったのだという。例えば九州地方なら熊本大学1校あれば十分間に合う。その後朝鮮戦争特需を機にわが国はキャッチアップを果たし,経済大国への道を歩み出す。資源のない日本は科学技術立国しかない。1960年代には大学の文科と理科の比率を逆転せよとの財界からの強い要請に応えて,主として工学系の大拡張が行われた。高度成長に伴う好景気で人手不足,理学部卒でも就職口があるようになってきたため,10年ほど遅れて理学部新設ラッシュが続いた。文理学部改組である。本学はそのはしりであった。
 しかし,今や平成大不況,教職も会社就職もない。こと就職に関しては,やや自嘲気味に喩えれば,工学部が飛行機の前輪なら理学部は後輪である。景気浮揚期には最後に離陸し,不況時には最初に着地する。その上少子時代,18歳人口はピーク時の1992年に比して,今年(2003年)で59万人減少したし,今後もこの傾向は続く。現に鹿児島県でも高校の統廃合が現実化している。進学率もこの数年50%弱と頭打ちである。国立大学の学生定員は1大学1学年平均1,000人だから,大学を10や20潰しても間に合わない。既に今春3割の私学で定員割れを起こしている。大学冬の時代到来といわれる所以である。地方大学,とくに理学部にとっては厳しい。どうすれば生き残って行けるのであろうか。この1年,日本学術会議九州・沖縄地方区会議主催で行われた各地のシンポジウムはいずれも地域貢献・社会貢献をテーマとしているものばかりであった。科学者懇談会でも,国公私立の区別なく,学長さんたちは地域社会からの支持が重要と異口同音に語っておられた。
 これに関連して,10数年前の国立病院廃止問題が思い出される。財政赤字の解消には小さな政府しかないとして,国家公務員の削減が論じられていた。まさか自衛隊や警察を民営化するわけにはいかない。既に民営形態の存在する病院と大学が格好の目標とされた(郵政民営化を唱えていたのは小泉氏だけ)。大学は自治があって手強いので,まず国立病院がやり玉に挙がったのである。鹿児島では阿久根病院が最初の標的となった。国立病院のルーツは結核療養所,今も法定伝染病や筋ジストロフィーなどの難病の患者にとってはなくてはならない大変重要な施設である。しかし,阿久根市民の願いは小児科開設であった。当時入院設備のある小児科は1個所もなく,川内まで救急車を走らせなければならなかったからである。だが,国立病院側は法定伝染病云々の崇高な理念を言うのみで,市民の願いを顧みなかった。阿久根市民で法定伝染病や難病に罹る人は数少ない。少し遠くて不便だが,加治木には国立療養所南九州病院という完備した施設もある。結局,地元の十分な支援を得られないまま1989年阿久根病院は民間移譲となり,医師会立市民病院となった。今では小児科と小児外科が新設されている。
 これはわが理学部にとって教訓的である。真理探究・基礎科学振興というスローガンは誰もが反対しない崇高な理念である。しかし,一般論ではなく,当地鹿児島に理学部が不可欠だという明白な理由づけが必要である。南九州病院ではないが,少子時代でもあり,ノーベル賞を狙うようなレベルの理学部は旧帝国大学系などいわゆる10大学程度で十分との理屈も成り立つ。やはり,前述の学長さんたちのおっしゃるように地域社会からの支持が決定的である。そのためには,地域貢献・社会貢献を目に見える形で示し実行しなければならない。文部科学省の地域貢献特別支援事業に「鹿大プラン」が認定された由(南日本新聞2003.6.7),少なくともこのプランに理学部が積極的に関わる必要はあろう。その点,地球環境科学科はフィールドを主体とした学科だから最短距離に位置している。本学科が学部をリードしなければならない。ちなみに,この新聞記事に例示されている土砂災害予測や地下壕探査の委員は両者とも,現在は農学部下川氏(砂防),工学部北村氏(土木),理学部岩松(地質)が務めている。

3.環境は21世紀のキーワード

 前世紀は資本主義も社会主義も共に富とパンを求めて生産力を上げることに狂奔した。その結果,資源制約と環境制約に突き当たり,人類生存の危機さえ叫ばれるような事態を招来してしまった。競争社会の中で人々は疲れ切っており,内閣府世論調査でも1980年を境に,モノの豊かさを求める人と心の豊かさを求める人との割合が逆転した1)。今や歴史の転換点に立っている。21世紀は環境の時代,自然回帰の時代なのである。だからこそ,ここ10数年地球環境を冠する学科や研究科新設が続出したのであって,単なる一時の流行ではない。日本学術会議地球化学・宇宙化学研究連絡委員会によると環境と名の付く学部・学科・研究科等は300を越すという2)。海洋ブームの時も海洋国家日本などと謳われたが,高度成長期にもかかわらずこれほど多く海洋を冠する学科はできなかった。環境の時代は本物といってよい。2001年閣議決定された科学技術基本計画では戦略的重点分野(ライフサイエンス・情報通信・環境・ナノ材料の4分野)の中に環境は位置づけられているし,あの経団連(日本経済団体連合会)でさえ今年の正月,環境立国なる新ヴィジョンを打ち出した。
 したがって,この21世紀のキーワードである地球環境を看板に掲げなかったのならともかく,ひとたび地球環境科学科の看板を掲げた上で,これを地学科・生物学科といったアンシャンレジームに戻すようだったら,環境をやる能力も意欲もないことを自ら公言するに等しい。これぞ時代錯誤の典型として指弾され,お取りつぶしの憂き目に遭うことは必定であろう。独法化後は文科省の許可なしに自由に学科の改編ができるから,その機会に元の5学科体制に戻したいとの意見も聞こえてくる。言語道断である。

4.これからの地質科学

 科学に即して考えてみる。廣重徹(1973)は言う3)。「科学の自律性に期待をかけ,昔懐かしい『基礎科学を守れ』というスローガンを再びもちだしてくればよいということを意味しない。なぜなら,社会を超越した基礎科学などというものはないからである。どんなに社会や経済から離れているように見えても,科学もまた人間の社会のなかでの実践であるかぎり,歴史的な規定をのがれられない。」と。科学はそれ自体として善だとの価値観は転換されなければならないと主張する。中山茂(2003)も近代日本の科学技術史を3つのパラダイムに分けている4)。ペリー来航から敗戦までは「軍事的跛行」のパラダイムであり,戦後から1980年代までは「市場向けの科学技術」のパラダイムであった。そして今日の環境負荷の加速度的増大という時期に至って,第3のパラダイム,「地球環境保全の科学技術」が台頭してきたと総括している。学問は内的必然と科学者の好奇心によって発展してきたかのように考えられているが,実は社会経済に規定されて方向付けられてきたのである。
 地質学で言えば,富国強兵の時代,資源中心の学問体系を築いてきた。産業革命は資源とエネルギーなくしては遂行できない。今日,岩石学・鉱物学・堆積学・古生物学などは地質学のもっとも基礎となる基幹学問であり,純アカデミックな分野と見なされている。しかし,それらは鉱物資源探査や石油石炭の探鉱にとって不可欠の分野だったのであり,客観的には国策に奉仕してきたと言ってよい。岩石顕微鏡実習や岩石・化石の鑑定実習もまた鉱山会社に行くための職業技術教育だったのである(荒牧,1998)5)。高度成長期の列島改造時代,つまり第2のパラダイムの時代には,エネルギー転換のかけ声のもと資源産業は衰退し,地質学を支えるインフラは土木建設産業に完全にシフトした。土木地質学がもてはやされ,地質学科(地学科)卒業生の多くは地質調査業に就職していった。この頃構造地質学など地質学の物理学的側面を担う学問が登場したのも,こうした背景があったのである。もっとも多くの大学は「軍事的跛行」時代の学問体系,つまり資源中心の学問体系を墨守し,時代の波に乗り遅れた。しかし,まだ右肩上がりの時代,お目こぼしに預かり窓際で生活できた。
 今や第3のパラダイムの時代が到来している。昨年(2002年)の日本応用地質学会研究発表会では,セッション名からダム・トンネルといった文字が消え,環境地質が実に1/4を占めるようになった。業界,つまり卒業生の多くが環境と防災を生業としているのである。地質を社名に冠する大手コンサルタント会社でも今年度(2003年)新規採用者の半数は化学科出身という。大学における研究教育もそうした社会のニーズの変化に対応しなければならない。地質学の学問体系も資源中心の体系から環境中心の体系に変わる必要がある(岩松,2003)6)。激変説から斉一説へ,あるいは地向斜造山論からプレートテクトニクスへといったレベルのパラダイム転換ではなく,学問体系そのもののパラダイムを転換しなければならないのである。地質学にはかつて経験したことのないような転換の時代が訪れているように思う。歴史になぞらえれば,奈良から平安へといった古代貴族政権内部での政権交代ではなく,公家社会から武家社会へ社会構造が抜本的に変わる中世の幕開け期,あるいは封建時代から資本主義時代へ変わった明治維新に相当するのではないだろうか。地質時代に例えれば,現在は単なる紀epochの境ではなく,動植物界まで大激変した代eraの境目にわれわれは直面しているのだ。
 既にアメリカでは地殻変動が始まっている。プレートテクトニクスで有名なスタンフォード大学のErnst(1997)は,アメリカで成長しつつある若い学問分野は,水文学,水理地質学,ネオテクトニクス/地形学,大陸縁海洋学,応用地質学,地質災害,環境科学,表面化学/水の地球化学,物質科学であって,縮小傾向にある成熟した学問分野は,構造地質学,岩石学,鉱物学,古生物学,地域地質学,層序学であると指摘している7)。すなわち,環境・防災・水文といった人間生活に関わりの深い分野が重視されているといえよう。これに伴って,スタンフォード大学もDepartment of GeologyからDepartment of Geological and Environmental Sciencesに変わり,”Earth Systems”という分厚い初級用テキストブックまで刊行された。この本のpart VはSocietal and Policy Implicationsであり,technologyからpublic policyまで含まれている。こうした動きはひとりスタンフォードだけでない。地球システム科学教育連合Earth System Science Education Alliance(ESSEA)といった組織も出来て,小学校から大学までの地球科学教育の刷新に取り組んでいる8)。もちろん,国際地質学連合(IUGS)も歴代会長が環境地質学の重要性を強調し,multi-disciplinary geologistsの養成をと訴えている(Fyfe, 1996, Cordani, 2000)9,10)。また,IUGSとUNESCOが共同して2005年〜2007年に国際惑星地球年を実施するという。そのキャッチコピーがEarth Sciences for Societyである。今や「人間と社会のための地質科学」が求められているのだ。

5.鹿児島大学地球環境科学科のあり方

 このように地球をシステムとして捉えようとの考え方が主流になりつつある現在,わが学科は地球化学・マクロ生物学・地質学・地球物理学から成り立っており,ある意味では理想に近い構成になっている。相互理解と共同研究を推し進め,新しい統合カリキュラムを創造して行けば,他大学にないユニークな研究教育が可能であり,これからの社会が要請しているハイブリッド型の有為な人材を輩出できる基盤が整っているといえよう。もともと地球環境科学はFyfeの言うようにmulti-disciplinary scienceであるから,環境コース・地球コースといった縦割りの壁はなるべく早く取り払う必要がある。
 一方,教員も人間社会と密着したテーマを研究し,環境科学に専念する人材を集めなければならない。羊頭狗肉では困る。今年の3月に日本で世界水フォーラムが開かれたが,21世紀の最重要課題は水である。不潔な水が原因で毎年数100万人に上る人々が亡くなっているからである。水を巡って戦争が起きるのではとの不気味な予言すらある。水文地質学者は不可欠であろう。また気候変動の研究も環境科学には欠かせない。地球物理学科ではないから,気象学でなく気候学である。同様に,地震波を手段として使って地球の内部構造やテクトニクスを解明する地震学者ではなく,物理探査を武器に環境問題を研究したり地震動災害を扱ったりする応用地球物理学者が必要である。マグマ成因論や火山学プロパーを研究する人ではなく,火山防災に直接取り組む人が求められている。旧来のディシプリンに則った純粋科学しかやらない,環境科学とは無縁な人は不要である。大学院大学へ行ってもらえばよい。
 もちろん,学生の教育も連動して考えなければならない。しかし,旧来の学問体系を前提に人事を考えるのは間違いである。カリキュラム編成も,これからの地球環境科学にとって何が重要で何が不要なのか真摯な討論を行い試行錯誤する産みの苦しみを避けてはならない。確かに100年来確立された教育体系に則って教育を行うのが一番楽である。しかし,それでは時代に乗り遅れる。研究と教育を一体となって考えるのが筋であるから,地球環境科学科にふさわしい環境科学に専念する人材をまず探し出し,その人に地球環境科学が必要とする基礎学問分野を教えてもらうのである。例えば,水文地質にとって当然地層学は不可欠な武器であるから,その教員には堆積学や地層学を受け持ってもらうことが出来る。同様にして火山学者は岩石学,物探学者は地震学を教えることが出来る。もっともここに例示した分野は地学の基礎分野であって地球環境科学にとって必要不可欠か否か再吟味は必要であるが。
 こう列挙すると,あまりに応用的でどこが理学部かとの反論もあろうが,地球環境科学を標榜する以上,完全に環境科学にシフトした体制を作らなくては,社会と学生を欺くことになる。とくに後述のJABEEのことや学生募集のことなどを考えるとやむを得ない。このような人事配置をして,学科名にふさわしい教育をしてこそ,社会に開かれた大学となり,地域貢献ができて地元に頼られる存在となるであろう。文学部は哲・史・文の3分野からなり,それ以上でもそれ以下でも文学部ではないと言ってきたアカデミズムの権化のような東京大学文学部でも,ついに応用倫理学のプログラムを開設したという。生命倫理や環境倫理などが喫緊の課題になり,社会の要請に応えざるを得なくなったからだろう。
 それでは地球環境科学にとってどのような分野がコアカリキュラムなのだろうか。化学・生物学・地学のすべてにわたって,それぞれ必修科目を列挙し強制すれば学生はパンクする。勢い厳選せざるを得ない。取捨選択の具体的内容については,今後の方向や人事を縛ることになるからこれ以上言及しないが,新潟大学自然環境学科では偏光顕微鏡実習は廃止し,GIS(地理情報システム)実習に替えたという。一方,旧学科では教えてこなかったことでも,地球環境科学にとっては重要な分野もある。恐らくGISやリモートセンシングなどは,地学系だけでなく生物系・化学系などすべての分野にとって,もっともベースとなるテクニックであろう。そうなると,広く薄くでは中途半端だ,マスコミ人養成ならともかくプロは育たない,との反論が出てくる。コースや講座をミニ学科にして,従来と同じタイプの人材をそれぞれ別個に養成しようという考え方の論拠である。同じような話は1951年東京大学教養学部に教養学科が出来た際にも言われたものである。矢内原忠雄によって「国際的な視野の下に既存の学問体系を超えて学際的に新たなる知を探求する精神」が強調され,「フランスの文化と社会」などといった分科が設置された。しかし,法学でも経済学でもなければ文学でもない実に中途半端なところだと悪評も多かった。ところがそのうちに,六法全書しか知らない法学部出身者に比べてユニークな官僚を輩出するようになったとか,文学部出身者に比し社会の深層をえぐる鋭いルポを書く新聞人が生まれたとか評判になってきて,10年後には就職率100%の人気学科になった。
 このようにわが鹿児島大学地球環境科学科も10年後には,他大学の地球科学科や生物学科出身者に比べ,ユニークな優れた人材が輩出していると評価されるような教育を行おうではないか。そのためには,先ず何よりもスタッフが意識改革を行い,地球環境科学という新しい学問を自分たちで築いて行こうとの固い意思統一を行うことが重要である。地球環境科学科がスタートした直後の1997年5月,日本環境認証機構にいる私の友人に環境ISO(ISO14001)の講演をしてもらったことがある。国立大学でも認証を取れるということだったので,全国のトップを切って認証を取得し,鹿児島大学に地球環境科学科ありとPRしたかったからである。しかし,スタッフ全員にご案内したが,残念ながら1人の参加もなかった。もちろん,環境ISO取得のPRは若干スタンドプレイの臭いもする。本当の狙いは,この取得を目指す過程で,教員・学生が一致団結して新学科を成功させようとの機運が燃え上がることを期待していたのである。もっとも今からでも遅くはない。仕切り直しをしようではないか。

6.理工学部と地球環境学部

 私は学生時代から一貫して理学部に所属してきた。したがって,真理探究・基礎科学振興といった理念についてはノスタルジアがあり,己のディシプリンを守りたいとの理学部教員の気持ちは痛いほどわかる。したがって,科学のための科学science for scienceを否定しているのではない。しかし,今や学問をめぐる情勢も変わってきた。単なるサバイバルの方便として社会貢献を説いているのではない。学問自体が変わらなければならない時代に差しかかっているのである。国際科学会議International Council for Science (ICSU)も日本学術会議も社会のための学術science for societyの重要性を強調している11,12)。一国の科学技術水準がその国の経済力まで規定するほど科学の及ぼす社会的影響力が強くなったし,科学=善として己の狭い領域を盲目的に追求してきた結果,環境ホルモンやフロンなどさまざまな負の遺産を作り出してきたからである。科学者の社会的責任が,ある意味では原爆のとき以上に問われている。地質学の例で言えば,資源採掘は多大の環境破壊をもたらし,現在も資源輸出国の自然を破壊している。土木地質もまた乱開発に荷担した。こうした反省にたって,今ではどこの資源会社・コンサルタント会社にも環境部がある時代である。大学もまた変わらなければならない。
 一方,現代はボーダーレス時代,統合科学integrated science・文理融合といった言葉も聞かれるようになってきた12,13)。例えば,超伝導にしても原子・分子のオーダーの話になるともはや物理学そのものである。理学部の物理は紙と鉛筆がパソコンになっただけで相変わらず個人単位の研究をしているのに対し,工学部では億単位の金を使って組織的に取り組んでいる。これでは太刀打ちできない。工学は単なる技術であってサイエンスではないなどと見下していては置いて行かれる。ゲノム科学にしても同様,もはや医学・理学の区別などなくなった。科研費の区分も理工系になり,学術会議の7部制も人文社会系・生物生命系・理工系の3部制になるという。統合科学の時代に対応するためとのこと。こうした時代の流れはいずれ大学の学部構成にも反映されるであろう。既に工学部のなかった弘前・島根の両大学では理学部を原資に理工学部を作ったし,両学部ともそろっている金沢大学(前述の旧6である)でさえ理工学部結成の動きがあるという。今の鹿児島大学では,理学部と工学部の力関係で言えば,実質的に吸収併合に近い形になるであろう。あるいは理学部定年退官教授のポストを獣医学部や法科大学院新設に流用するなど,草刈り場にされる恐れすらある。残余では小さすぎて学部の体をなさないから,教育センター,つまり実質教養部にされるに違いない。今のうちに実績を積み上げ,重みのある存在として世の中にアピールしておかないと大変なことになる。少なくとも純粋科学を標榜するだけの現状のような理学部の存続はかなり難しいだろう。農学部が獣医学を中心に据えるとの方針を打ち出したのだから,それと縁遠い農学部生物環境学科等や,さらには水産学部の一部や工学部の海洋土木工学科などを糾合して地球環境学部を作るくらいの意気込みが欲しい。この構想は教養部改革時,私が提案したもの(地方大学の組織改革と大学の自治)だったが,遅きに失した観があるとはいえ,工学部に吸収される前に打って出てはどうだろうか。
 石弘之(2002)は環境学を同心円(学環)モデルで説明しており,医学になぞらえている14)。環境学の目指すところは環境問題の解決にあるから,医学と同様同心円の中心には臨床医学に当たる“環境対策学”が位置する。それを支える基礎医学に相当するのが“基礎環境学”であり,さらにその周辺には公害防止機器メーカーや汚染除去会社など環境産業が取り巻いている。こうした多重構造からなるモデルである。石の所属する東京大学ではこのような考え方による学科再編の動きもあるという。当然のことながら理学部も巻き込まれるらしい。もしも東京大学でこうした改編が行われれば,やがて全国に波及するだろう。この学環モデルはともかく,鹿児島大学でも環境対策学まで踏み込んだ学部・学科が求められているのではないだろうか。既に環境問題解決を望んで入学してくる学生が着実に増えており,教員の意識との乖離が目立つ。日本自然保護協会(NACS-J)主催の自然観察指導員講習会に本学科の学生が自主的に多数参加しているという事実が,彼らが環境学を真面目に考えている証拠として挙げられる。ここは理学部であって環境社会学などやっていないと,学生の心得違いを責めるより,社会のニーズと同時に学生のニーズにも応える責務があると思う。他にないユニークな学科として優秀な学生が群れ集う,そのような学科を目指そうではないか。

7.JABEE

 大学の社会貢献はなんと言っても人材養成である。社会が求める優秀な人材を送り出すことが,その大学の評価を決定づける。現在,経済のグローバル化に伴って,技術者資格の国際相互承認が進行している。国境を越えて入り乱れて仕事をしている現状では,日本は技術士,アメリカはProfessional Engineer(PE),ヨーロッパはEuro-Engineer(EUR-Ing)と,国ごとに技術者資格が不統一なのは不便である。それぞれ同一水準だとの認定が欲しい。そこで登場したのが,大学の教育プログラム(学科ないしコース)の認定である。各国に認定機構を設けて,その教育プログラムが世界水準に達しているか否かを審査している。日本技術者教育認定機構 (JABEE)やアメリカのAccreditation Board for Engineering and Technology (ABET)がそれである。JABEEの定める専門分野の中でわれわれに関係が深いのは地球・資源分野であろう。地圏の開発と防災,資源の開発と生産,資源循環と環境の3主要領域からなる。卒業生の全員が世界水準をクリアしていることが認定条件,大変厳しい。反面,認定校卒業ならば就職に有利なことは自明であるから,進学を希望する者も多くなるに違いない。逆に言えば,認定漏れの大学は,少子時代ゆえに定員割れを起こす可能性が大きくなり,淘汰されることは疑いない。今後JABEE認定は死活問題になるであろう。鹿児島大学理学部は中期目標で高度職業人の養成を打ち出した以上,JABEEはその具体化として避けては通れない課題である。アメリカ流のギスギスした競争原理を大学に導入するのはいかがかとも思うが,正面から対応しなければ生き残れない現実がある。なお,JABEEはまもなくワシントンアコードに正式加盟し,本年11月の審査から青い目の審査員が登場するという。今までのような日本人同士の馴れ合いは許されないから,ますます審査がきつくなるであろう。
 蛇足だが,本年4月,環境工学と生物工学の2分野が立ち上がった15)。環境コースもこれに乗れるのかどうか検討し,もしもあまりに工学的なら自分たちにふさわしい分野別要件にするよう働きかける必要がある。

8.おわりに

 以上,社会のための学術の重要性と大学の社会貢献・地域貢献の観点から,今後の地質科学の動向とわが鹿児島大学地球環境科学科のあり方について私見を述べた。もちろん,社会のための学術は,卑近な意味での役に立つ学術や産業のための学術,ましてや特定企業のための学術を意味しない。それどころか,昨今の経済優先主義を憂え,学問が矮小化されることを恐れる。もっとおおらかに知的好奇心に基づく学問を続けさせる環境が欲しいと切に願っている。かつて生化学が隆盛になり出した頃,分類学などは超古典的として日陰の存在であった。しかし,半世紀後生物多様性条約が語られ,製薬産業が遺伝子資源確保に血眼になる時代になると,分類学はにわかに脚光を浴びるようになった(岩槻,2002)16)。こうした例を持ち出すまでもなく,流行の分野ばかりに投資してあまりに性急な成果を求め,当面役立たない分野を切り捨てることは危険ですらある。文化としての科学の側面も重視する文化国家であって欲しい。先日国会を通過した国立大学独立法人化法は稀代の悪法だと思う。これが私の本音である。
 とはいえ,少子時代と膨大な財政赤字という客観情勢があるのも事実,今まで同様多数の大学を維持せよと主張するのは無理がある。既に前者の影響は出ており,学生は低学力で大学教育を維持できない水準にまでなっている。本学科の卒業論文もレベル低下が著しい。冒頭述べた大学冬の時代が現実になりつつある。しかし,どこの大学も一様に影響を受けるわけではない。体力の弱い者ほど寒波が身に染みる。やはり地方大学をめぐる情勢は極めて厳しく,存亡の危機にあると言って過言ではない。背に腹は代えられないのである。同時に,国立大学が出来て130年,制度疲労を起こしているのもまた事実である。官尊民卑の風潮に乗り安閑としてきた。やはり時代にマッチしたものに自己変革することが求められている。時流に流されず不動の座標軸を保つことこそ真理の徒である,として孤高を気取るのもよいが,変革を怠り在来路線を墨守する者は大学を潰した戦犯として指弾される日が来るに違いない。
 最後に新美南吉の「おじいさんのランプ」を紹介しよう17)。みなし児の巳之助がランプ屋になって身を立て,村に文明開化をもたらした。しかし,やがて電気の時代になる。電灯導入を決めた区長宅に放火を企てるが,結局,村はずれの池の木の枝にランプを全部吊し,真昼のように明るくした。そして小石を投げて一つひとつ壊す。こうして巳之助は古い商売をきっぱり止め本屋になった。おじいさんになった巳之助が「日本がすすんで,自分の古いしょうばいがお役に立たなくなったら,すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり,自分のしょうばいがはやっていた昔の方がよかったといったり,世の中のすすんだことをうらんだり,そんな意気地のねえことは決してしないということだ」と孫に語るところで終わっている。

参考文献

  1. 内閣総理大臣官房広報室(2000):国民生活に関する世論調査(平成11年12月調査)http://www8.cao.go.jp/survey/h11/kokumin/images/zu34.gif
  2. 日本学術会議地球化学・宇宙化学研究連絡委員会(2003):環境学における地球化学のあり方について―地球化学分野外へのアンケート集計結果―,日本学術会議地球化学・宇宙化学研究連絡委員会対外報告書
  3. 廣重 徹(2002,2003):科学の社会史(上・下),岩波現代文庫(初出は1973)
  4. 中山 茂(2003):近代科学技術史上の第3のパラダイム,「人間と社会のための新しい学術体系」, 日本学術会議運営審議会附置新しい学術体系委員会, 75-81.
  5. 荒牧重雄(1998):火山とその産物,深田研ライブラリー(特別号)
  6. 岩松 暉(2003):地球環境時代の地質科学―資源中心の学問体系から環境中心の学問体系へ―,「人間と社会のための新しい学術体系」, 日本学術会議運営審議会附置新しい学術体系委員会, 31-39.
  7. W.G.Ernst (1997), Earth Sciences' Future for the Next Decade -- An individual perspective (松本尚子訳) これからの地球科学―次期10年に対する個人的考察―. 地学雑誌 106(5), 735-738.
  8. Earth System Science Education Alliance (ESSEA): http://www.cet.edu/essea/
  9. W.S.Fyfe(1996):Earth System Science for the Future Needs of Society, Message from W. S. Fyfe, President of International Union of Geological Sciences at the General Assembly of the 30th International Geological Congress held in Beijing on August 4, 1996
  10. Cordani, U. G. (2000): The Role of the Earth Sciences in a Sustainable World. Episodes, Vol. 23, No. 3, 155-162.
  11. World Conference on Science (1999): Declaration on Science and the Use of Scientific Knowledge. http://www.unesco.org/science/wcs/eng/declaration_e.htm
  12. 日本学術会議第134回総会(2000):日本学術会議第18期活動計画,日本学術会議パンフレット http://www.scj.go.jp/plan/all/plan18_all.html
  13. 毎日新聞科学環境部(2003):理系白書,講談社
  14. 石弘之(2002):環境学の技法,東京大学出版会
  15. 日本技術者教育認定機構(JABEE) (2003):日本技術者教育認定基準,http://www.jabee.org/OpenHomePage/criteria2002-2003(030731).PDF
  16. 岩槻邦男(2002):科学のための科学と社会のための科学,学術の動向,2002.1,60-64.
  17. 新美南吉(1942):おじいさんのランプ,有光社

(2003/6/9初稿)

後記

 これは昨年(2003年)6月,学科会議での議論を聞いていて心配になり,スタッフに送ったメールがもとになっている。今回若干加筆訂正した。その後,9月の教授会で人事制度委員会の報告がなされた。理学部学生定員に見合った教員定員は37名で,共通教育や大学院などの分を加算しても,現行教員定員の1割削減が求められているという。これで学長裁量定員を生み出し,時宜にかなった柔軟な人事配置をするためとのこと。つまり,私が危惧していたとおり法科大学院や獣医学部の新設に回されるらしい。やはり新構想を打ち出したところが陽の目を見るのである。これに伴って,今年度定年になる地学系3教授の後任も1人削減されることになり,私の後は空席となった。

(2004/3/18記)


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更新日:2004年5月8日