大学の内部崩壊

 岩松 暉(未発表, 1999)


 大学改革が一渡り終わった。わが鹿児島大学も新課程の学生が3年生になる。新課程の学生を卒業させてから初めて総括できるのかも知れないが、そろそろ実態が明白になってきたので、ここで改組後の中間総括をしておこう。
 私の所属する地球環境科学科は旧地学科と旧生物学科マクロ生物学系と旧化学科無機分析化学系が合体して出来た。もちろん、教養部解体が主目的の改革だったから、旧教養部の教員も加わった。結局、学生定員50名、教員数22名の大所帯になった。かつての地学科は学生定員25名、教員数11名だったからちょうど倍である。学生の質の変化について言いたいことは山ほどあるが、本稿では省き、教員側の問題に限ろう。
 大学改革の過程で学部間の相互不信から人心が荒廃したことについてはすでに触れた。それだけではない。設置審による業績審査があり、大学院博士課程の新設に伴う選別などが行われたから、教員任期制が実感として受け止められた。自己保身のためには、勢い自分の業績向上(=論文数を増やすこと)だけに集中せざるを得ない。研究時間は1分でも惜しいし、研究費は1銭でも多く欲しい。あらゆることがそれに従属する。教員個人の研究にとってプラスかマイナスかがすべての判断基準となった。当然、学生の教育はなおざりになる。
 まず予算である。学生数が増えればハード面で支障が出てくる。従来の教室は20〜30人程度しか想定していないから、何よりも大教室が足りない。もちろん、顕微鏡など実験実習器具類が決定的に不足である。しかし、新学科になって3年間、全く学生のための設備投資は行われていない。旧学科時代は予算は全額一括教室管理で、まず顕微鏡や図書など教育に必要なものに優先使用していた。そうすると研究費は事実上ゼロに近くなるから、残ったものを重点配分と称して講座ローテーションで配分し、高額分析機器等の購入に充てていた。だから個人の研究費は科研費で取ってくるしかなかった。ところが、このやり方は新学科の会議で否決され、今では事務経費を除いて全部個人配分となった。細分化すれば高額機器は買えない。結局、どの研究室にも最新型パソコンがずらっと並ぶことになる。図書も学生たちにぜひ読ませたいと発注すると、注文した先生の個人研究費から引き落とされる。したがって、自分の狭い専門分野の、私費では買えない高価な本が発注され、共通して必要な教育用図書は購入されない次第となる。
 学生の囲い込みも行われる。従来は講座ごとに卒論指導やゼミが行われていた。教授・助教授・助手の3人とはいえ、それぞれ専門は多少とも異なっていたので、視野狭さく症はある程度防げた。個性もそれぞれ異なっているから、教員個人の欠点は集団指導制の中で是正されていた。しかし、今では学生は教員一人ひとりに配属される。しかも、研究テーマも、学生の希望や進路を考えて与えるよりも、教員自身の研究テーマの一部が割り当てられる。悪く言えば教員の下請け、データ作成のためのテコである。教員の手足としてその指示に従って作業するだけだから、暗中模索して悩むこともない。現代の指示待ち人間にマッチしたやり方と言えるかも知れないが、自分の頭で考えることのできない人間が育つ。卒論発表会や審査も、従来は学科会議で行ってきたが、これからは指導教官がOKすれば自動的に卒業ということになろう。複合学科では、他分野の卒論は、教員自身が理解できないからである。事実上のノーチェックである。また、上述のように予算も個人割りだから、他研究室の機器を使うのもはばかられる。その結果、お互いの研究室に出入りしなくなったので、学生同士のつき合いも減ってきた。ますます視野狭さく症が助長される。これでは社会に出て全く役に立たない。さらに、大学院に進学して研究協力者になれそうな優秀な学生は可愛がるが、手のかかる“出来の悪い”学生は放りっぱなしにするといった傾向も出てきた。
 講義や実験などカリキュラムも問題が多い。元々現行カリキュラムは拙速ででっち上げたものである。改組案が二転三転したためと、文部省からせっつかれてあわてて作ったからである。あちこち不備が目立つ。第一、新学科もどのような人材を育てるかといった根本的議論が皆無のまま、力関係の辻褄合わせで設立されたのだから、カリキュラムに一貫性がないのは当然である。文部省に迫られたからやむを得ず名称変更しただけの単なるネーミングの問題と捉えている人も多い。したがって、旧学科時代と同じセンスで授業をしている人もいる。その上、前述のように研究至上主義になってきたから、授業準備に多くの時間を費やすのはゴメンである。手慣れた狭い専門の話をしているほうが楽だ。それでもわが学科の教員は教育熱心で、共通教育(従来の教養教育)を買って出る人が多く、模範的なほうである。普通は、旧教養部教員に押しつけて知らん顔をしている人が多い。文系学部に至っては、労働強化反対と共通教育に背を向け、非協力的だという。
 やれやれ、要するに、個人研究者のバラバラな集まりであって、もはや学科が存在しないに等しい。学生は給料をもらうための道具に過ぎないのだろうか。大学は内部から崩壊してしまった。
連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:1999年5月30日