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今和泉島津家|
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彰義隊墓|
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善慶寺|
熊野神社|
大森貝塚
今和泉島津家
今年のNHK大河ドラマは天璋院篤姫だという。生家のあった今和泉島津家跡が一躍脚光を浴びているらしい。早速地元は観光地化を図って駐車場まで整備していた。しかし、残っているのは僅かにこの石垣と手水鉢だけである。(1/2)
開聞岳
本邦最南端の駅西大山駅まで行って、フラワーロードを少し歩いた。開聞岳の雲がなかなか取れない。これが一番良い状態だった。(1/2)
フラワーパークかごしま
暮れに
フラワーパークかごしまの年間パスポートを購入したので、もう一度今度は昼間に訪れた。イルミネーションよりもやはり本物の花のほうがきれいだ。温室のランが見事だった。(1/2)
坊津
予報に反して晴れてきたので南薩にドライブに出かけた。坊津の海は外洋に面しているだけあってコバルト色できれいだ。魚が群れているのまでよく見えた。これは坊津八景にうたわれた双剣石である。(1/4)
輝津館
坊津歴史資料センター輝津館を見学した。遣唐使が使った港だというのに、残っている資料が少ない。明治初期の廃仏毀釈を徹底的に行ったためだという。愚かなことをしたものだ。かつて盛んだったカツオ漁の話は興味深かった。教育のところで石版が展示されていた。終戦後私も使ったことがある。懐かしい。(1/4)
亀ヶ丘
夕陽を見に笠沙の亀ヶ丘にも行った。さすがに冬、陽が傾いてきたら寒くなったので、最後まで見ずに退散した。(1/4)
龍門司坂
正月休みも終わって、今日は帰京。空港まで送ってもらうついでに近くの龍門司坂へ。ここは大口街道の要所、西郷隆盛が熊本めざして進軍したところでもある。NHK大河ドラマの「翔ぶが如く」や「天璋院篤姫」のロケも行われたという。苔むしており滑りやすい。熊野古道を思い出した。(1/6)
金山橋
山ヶ野金山からの鉱石を運ぶために作った橋だという。今では数少ない石橋である。すぐ上流には滝がある。(1/6)
成人式
今日も寒い。近くの亀戸天神まで散歩に出かけたら、行列が出来ており、警備員が整理に当たっていた。成人式のお詣りとセンター入試の合格祈願と重なったためらしい。並ぶのも寒いから、遙拝で済ませて退散した。(1/14)
中津渓谷
高知の
横倉山自然の森博物館を見学した後、昼食のため中津渓谷に連れて行っていただいた。ここは秩父帯北帯、河床には巨礫がごろごろしていた。周辺の集落は厳しい斜面にへばりつくように立地している。やはり平家の落人集落なのだろうか。(1/19)
根津の病院に行った帰り、科博に行くことにして善光寺坂を登った。曲がり角に護国院があった。谷中七福神の一つ大黒天である。(1/26)
国立科学博物館では大ロボット展をやっていて長蛇の列。しかし、幸か不幸か、シルバーは無料で常設展を見ることができる。日本の科学技術の歴史をやっていた。雲根志や解体新書を初めて見た。(1/26)
ついでにぼたん苑を見物した。なかなか見事だった。風除けの藁囲いはよく見るが、唐傘を差し掛けたのはなかなか粋だ。(1/26)
駅へ行くときに西郷さんのほうを回ったら、彰義隊の墓を見つけた。上野のお山には何度も来たが、まだ見ていないものがあった。(1/26)
大田文化の森
太田文化の森で第1回まちづくりフェスタがあり、友人が講演するという。サクラで聞きに行ってきた。いろいろなブースも出ていたし、子供の踊りもあった。総じて団塊の世代の地域デビューという感じで、なかなか盛会だった。(1/27)
善慶寺
帰途、「新井宿義民六人衆」という大きなポールが立っていたので、立ち寄ってみた。やはり、年貢減免を直訴して処刑された名主たちの墓があった。父母の墓という名目で、一面は父母の戒名、他は義民たちの戒名が刻んである。正面の水入れに水を注ぐと連通管で他にも回るよう工夫されているところが面白い。領主に気兼ねをしつつも、したたかな農民魂を見るようだった。(1/27)
熊野神社
お寺の裏手は台地になっており、熊野神社がある。ここには大きな「差し石」が置いてあった。若者たちの力比べに使ったのだろう。(1/27)
大森貝塚遺跡公園
最後に大森貝塚に回った。大田区と品川区の両方に石碑がある。ここは品川区のほうの遺跡公園である。(1/27)
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更新日:2008年1月27日