本所のフンちゃん見てある記(2005.3)


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★西郷隆盛蘇生の家

 鹿児島市にある重要文化財御仮屋庭園の砂防工事に関連して花倉に出かけた。ここには西郷隆盛蘇生の家もある。寒緋桜が満開だった。勤王僧月照が安政の大獄の際、西郷を頼って薩摩に逃れてきたのに、斉彬公亡き後の藩庁が日向に追放しようとしたため、西郷は絶望して月照と共に冬の海に身を投じた。斉彬に殉じようとの気持ちもあったのだろう。しかし、彼一人この地で蘇生した。彼は自らを「土中の死骨」と呼び、一生恥じていたという。(3/1)

★東大総合研究博物館

 天気予報に反して天気がよい。昼休み東大総合研究博物館に出かけ、特別展「Systema Naturae~標本は語る~」を見てきた。写真はリンネの著書。牧師の息子であったリンネは神の創造物である生物を分類し「神の財産目録」を作ろうとしたのだとのこと。その過程で有名な二命名法を考案したのだという。学生時代、貝化石の学名を覚えさせられた。蛤の学名はVenus meretrix(現在はMeretrix meretrix)で、meretrixは娼婦という意味だと教わった。愛の女神Venusと娼婦、リンネ先生も結構エッチだなあ、と思ったものだ。洋の東西を問わず連想するものは同じらしい。(3/3)

★蓬莱梅

 来客があるため休日出勤した。昨日は雪だったが、今日は上天気、午前中団子坂まで散歩に出かけた。光源寺の蓬莱梅が満開だった。昭和20年5月の空襲で観音堂と共に焼失したのを、観音堂再建時に榛名山から移植したのだという。参拝後、鴎外図書館に立ち寄る。鴎外の弟で演劇評論家の篤次郎について特別展示をしていた。(3/5)

★お化け階段

 鴎外図書館から不忍通りに下りて、大学院時代通学した道を通ってみる。これは根津小学校のところから東大農学部に出るお化け階段である。拡幅されて新しい階段も付け加わっていた。昔は狭くて暗くて、それこそお化けが出そうな寂しい坂だったが…。弥生の台地に登ると、東大向丘寮があったはずなのに、空き地になっていたし、サトーハチロー邸も移築されて今はなかった。結局、このお化け階段がかろうじて昔の面影をとどめているだけだった。(3/5)

★三河稲荷

 今日は4月上旬の気候、暖かさに浮かれて真砂まで散歩。実は文京史跡巡りスタンプラリーを踏破したので、賞品をもらいに文京ふるさと歴史館まで出かけたのである。賞品はJOMONKUN, YAYOICHANのパズルだった。帰途、三河稲荷に参詣。家康が三河から勧請したのだという。最初吹上にあったのに、その後あちこち転々、やっとここに落ち着いたらしい。お稲荷様も大変だ。(3/8)

★東京都水道歴史館

 先日東京都水道歴史館を見学した際、藩政期鹿児島の水道に関する展示があるのに気づいたが、残念ながらカメラを持参していなかった。そこで、今日撮影してきた。写真がそれである。城下だけでなく、荒田地区にも水道があったとは驚いた。(3/8)

★江東天祖神社

 今日は暖か、亀戸天神の梅を見に出かけたが、最短コースは何回も通っているから、遠回りをする。これは推古天皇治世の創建されたという江東の天祖神社。亀戸七福神の一つ(福禄寿)である。子どもの健やかな成長を願う人が寄進したのか、かわいい赤ん坊の像がたくさんあった。孫の顔が思い浮かぶとともに、わが子の小さかった頃のことを思い出した。皆の幸せを祈る。
 現社殿は昭和4年に建設された日本初の防災建築の神社で鉄筋コンクリート製。関東大震災の教訓に学んだのだろう。その結果、戦争では焼失を免れ、多くの命を救ったという。(3/12)

★香取神社

 次いで香取神社に参詣。藤原鎌足が旅の安泰を祈るために創建したというから、ここもずいぶん古い。亀戸という地名の由来になった亀が井はここにあった由。また、この付近は亀戸大根栽培の中心地だったそうで、明日13日亀戸周辺の小学校で栽培した大根を奉納する式があるとのこと。(3/12)

★亀戸天神

 亀戸天神では梅祭りをやっていた。名物の藤棚があるため、梅の木の数では湯島天神のほうが多い。(3/12)

★林家正蔵襲名披露

 空襲記念碑が出来たというので上野まで出かけた。地下鉄の駅を出たとたん人だかり、林家こぶ平さんの正蔵襲名披露が駅前で行われていたのである。さすが地元の落語家。ところがその後寛永寺に行っていたら、また遭遇。追っかけをしたようなものだ。(3/13)

★寛永寺根本中堂

 何かビラを見ながら皆がぞろぞろ歩いて行く。歴史散歩か何かのグループかと思って追い越そうとしたら、台東区の腕章を着けた人が誘導する。野次馬根性でその誘導に従って行くと、寛永寺の根本中堂に出た。何やら大勢たむろしている。しばらくして木遣りの声とともに正蔵師匠が現れた。(3/13)

★輪王寺

 寛永寺の開山天海僧正(慈眼大師)を祭る開山堂である。慈恵大師も併祀しているところから両大師とも言われているそうな。(3/13)

★旧本坊門

 ここに門があるのは学生時代から知っていた。彰義隊が本陣としていた黒門だと思い込んでいたが、旧本坊門だという。やはり彰義隊の戦場にはなったとのこと。学生時代は史跡などに関心がなかったのだなあと、今頃反省しきりである。 (3/13)

★東京大空襲慰霊碑

 今年の3月10日は東京大空襲の60周年。これを機にエッセイストの海老名香葉子さんが慰霊碑を寛永寺墓地に建設した。海老名さんは先ほど襲名披露していた正蔵師匠のお母さんである。縁なるかな。私も台湾にいた頃、隣町の石油施設が空襲されたとかで、山向こうが赤々と燃えていたことを思い出す。石油施設は凖軍事施設かも知れないが、東京下町の住宅街を燃やし尽くすとは、米軍もひどいことをするものだ。イラクでも性懲りなく同じようなことをしている。(3/13)

★中宮寺菩薩半跏像

 東京国立博物館中宮寺国宝菩薩半跏像の特別展示をしていた。半跏思惟像とか「古典的微笑」(アルカイックスマイル)とかいった言葉がすぐ思い浮かんだ。高校時代に教わったことはいつまでも覚えているものだ。そこで、早速拝観。身近で見ると衣装や銅像の傷など細かなことが気になるし、しかも下から見上げるので、スマイルがよくわからない。やはり仏像はお寺で拝むもので、美術品として鑑賞するものではないと思った。なお、髪型がお下げ髪だとの説明があり、初めて気づいた。(3/13)

★増上寺

 予報では今日が桜の開花日、ちょうど妻が上京してきたので、桜の名所芝増上寺に寄ってみた。残念ながらまだ堅いつぼみだった。(3/27)

★東京タワー

 そこで、お上りさんよろしく東京タワーへ。二人とも東京に長くいたのに一度も登ったことがない。展望台からの眺めは、天気が曇りだったせいもあるが、高層ビルが邪魔してさえない。早々に退散。折角だから階段を下りてみた。ところが逆に登ってくるカップルがいる。若さに脱帽。帰りに駒形でどぜうを食べた。(3/27)

★ゴッホ展

 今日はついに雨。美術館めぐりとするか。しかし、月曜日でほとんどが休館。東京国立近代美術館だけが開いていたので、ゴッホ展を見に出かけた。いろいろな画家との交流を経てゴッホの作風が変遷していったとのこと。見応えがあった。(3/28)

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更新日:2005年3月28日