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国府台|
矢切の渡し|
帝釈天|
スターの広場|
迷子石|
見返り柳|
吉原神社|
吉原弁財天|
待乳山聖天|
向島百花園|
白鬚神社|
梅若山王|
木母寺|
榎本武揚像|
隅田川神社|
東白鬚防災公園|
のらくろ記念館|
芭蕉記念館|
芭蕉公園|
芭蕉稲荷|
小名木川
国府台
日曜日、同じく単身赴任の友人と散歩に出かけた。男同士少々さえない。やはり地質屋、まず国府台台地に寄った。下末吉面に相当するという。ここには里見公園がある。里見氏が北条氏と戦った古戦場跡である。北原白秋の旧居「紫煙草舎」が移築されていた。(5/23)
矢切の渡し
江戸川沿いに歩いたが矢切取水場付近で工事中の標識に振り回されて、さんざん遠回りをして矢切の渡しから柴又に渡った。歌が流行ったのはずいぶん昔だが、結構行列が出来ていた。見かけより流れが速いらしく、舟は大きく流されて、放物軌道を描いて進んだ。(5/23)
帝釈天
帝釈天にお参り。以前妻と来たことがあった。(5/23)
スターの広場
柴又から浅草に回った。浅草公会堂の前にスターの広場があった。有名人の手形がずらっと敷き詰めてあった。(5/23)
迷子石
浅草寺境内の迷子石である。同じようなものは湯島天神にもある。江戸時代、迷子の親御さんは「たずぬるかた」のほうに張り紙をし、預かっているほうは、反対側の「を志ゆるかた」に張り紙を出した。引き取り手がなかった場合には、町内で責任を持って養育したという。相互扶助の精神が発達していたのだ。幼児虐待など現在の世相はどうしたことだろう。昔の人に恥ずかしい。(5/23)
吉原見返り柳
有名な新吉原に回ってみた。これは「きぬぎぬのうしろ髪引く柳かな」と歌われた見返り柳である。大門口にある。大門口は今でも道路がカーブしており、直接中を見通せないようになっている。江戸・東京重ね地図で見ると、切り絵図と現在の地図とぴったり合う。中は今もソープ街になっており、夜には客引きが多いという。(5/23)
吉原神社
廓の鎮守として祀られていた5つの神社が明治になって合祀されたものだという。浅草七福神の弁財天が祀られている。(5/23)
吉原観音
吉原弁天池の横に、関東大震災の犠牲者を追悼する吉原観音があった。(5/23)
待乳山聖天
吉原から一葉通りを通って
待乳山聖天に出た。境内のあちこちに大根と巾着のシンボルがある。大根は夫婦和合、巾着は商売繁盛を表しているのだという。(5/23)
向島百花園
今日は比較的近い
向島百花園に行ってきた。ちょうど季節が端境期で、あまり花はなかったが、ザクロの花を見つけた。懐かしい。子供の頃はあちこちの家の庭に咲いていた。ザクロの実を食べたのはいったい何十年前だろう。(5/29)
白鬚神社
百花園から東白鬚に回った。白鬚神社は2度目の参拝である。百花園にもあったが、ここにも路地尊があった。雨水を貯めて利用する装置である。墨田区は雨水利用に熱心で、区役所はじめ、国技館や江戸東京博物館などの屋上に降った雨はすべて地下に貯留して利用しているという。(5/29)
梅若山王
謡曲「隅田川」で有名な梅若山王権現である。(5/29)
木母寺
梅若伝説ゆかりの寺である。もと梅若寺と言ったが、慶長12(1607)年梅の字を二つに分けて木母寺と改名されたと立て札には書いてあった。しかし、あまりにハイカラなコンクリートのお寺で歴史を感じない。(5/29)
榎本武揚像
墨提通りの梅若公園に榎本武揚像があった。晩年向島に住んでいたとのこと。(5/29)
隅田川神社
源頼朝が関東下向の時暴風雨に遭った際祈願したとか。そのためか水神宮とも言われ、船頭たちの信仰が篤かったという。また、中洲だったこともあったらしく、浮島の宮とも呼ばれた。(5/29)
東白鬚防災公園
本所被服廠の大震火災の轍を踏むまいとして造られた有名な防災公園である。高層アパートを連ねて巨大な防火壁にしてある。これはシンボルのまとい。(5/29)
のらくろ記念館
江東区の
森下文化センターに田河水泡・のらくろ館がある。のらくろは、子供の頃夢中になって読んだ記憶がある。懐かしい。この文化センターの通りがのらくロード商店街である。のらくろの小旗がずらっと並んでいる。のらくろで街おこしをしているらしい。成功しているのだろうか。(5/30)
芭蕉記念館
のらくろの後は芭蕉である。まず
芭蕉記念館に立ち寄った。(5/30)
芭蕉公園
芭蕉記念館の分館史跡展望庭園になっている。妙に安っぽい芭蕉の座像がある。これが昼夜で回転し、夜にはライトアップされて隅田川を行く屋形船から見やすいようになっているという。サービス精神の旺盛な芭蕉像である。(5/30)
芭蕉稲荷
大正6年津波の後、石造りの蛙が発見されて、ここが芭蕉庵跡だと東京府が認定したとのこと。有名な「古池や…」の句もここで詠まれたという。(5/30)
小名木川
小名木川は行徳からの塩を運ぶために開削された水路である。行徳船が通った。明治以降墨田江東地区が工業地帯として発展したのもこの水運が重要な役割を果たしたという。写真は新小名木川水門である。(5/30)
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連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:2004年5月30日