鹿児島大学自然災害研究会の設立趣旨

鹿児島大学理学部地球環境科学科 岩松 暉
(『1997年鹿児島県北西部地震の総合的調査研究』,1-2, 1998)


 鹿児島県は地震保険の保険料が一番安い一等地に位置づけられている。建築基準法でも耐震基準が一番緩やかである。鹿児島は桜島の噴火はあるものの、地震のないところと安心していた。ところが去る1997年3月26日夕刻、突然の地震に見舞われた。鹿児島市内でも震度4、かつて経験したことのない揺れであった。まさに天災は忘れた頃にやってくる。震源が紫尾山付近だったことから「鹿児島県北西部地震」と通称された(気象庁命名の正式名称ではない)。マグニチュードは6.2で中小規模の地震ではあったが、震源が浅い典型的な直下型であったため、宮之城町・川内市・阿久根市などでは震度5強を記録した。マスコミの報道によると、幸いにして死者はでなかったものの、あちこちで大きな被害を出したという。被害を受けられた方々に心からお見舞い申し上げる。
 早速、翌日から現地調査に入ると共に、文部省自然災害総合研究斑と連絡を取った。しかし、被害が軽微であること、年度末で予算が残っていないことなどの理由で、突発災害科研費の支出は難しいとのことであった。そこでやむなく、教育研究学内特別経費を申請することとした。次は人選である。幸い上記自然災害総合研究班の鹿大班(代表者:岩松 暉)が存在している。従来から鹿児島で大災害がある度に、このメンバーが中心になって突発災害研究を実施してきた経緯がある。早速メンバーに参加を呼びかけるメールを出した。とはいえ、今までの鹿児島の災害はほとんど土砂災害ばかりである。当然、地質・砂防・土木の人たちが中心になって活動してきた。今回は震災、地震学の専門家が必要なことは当然として、建物被害も大きかったから建築の方にもぜひ加わって欲しいと考えた。  一方、災害は自然と杜会が交錯するところで発生する複合的な杜会現象である。無人島で地震があっても震災ではない。人命や財貨が失われ、人間生活に悪影響が出るからこそ災害という。よく犠牲者数や被害件数などの統計グラフが描かれる。しかし、グラフ上の点は単なる点ではない。人の命と遺族の涙、残された家族の生活苦や絶望など、無数のドラマが隠されている深い意味を持った点なのだ。単なる自然科学的な調査だけでは、災害の一面しか捉えられないのである。阪神大震災の経験からして、心のケアや生活再建の問題も重要である。震災直後は物理的破壊のほうに目を奪われるが、時間が経つと、こうした問題のほうが深く静かに大きな影響を与えるであろう。観光客の減少など間接的影響も出てくるに違いない。震災復興も、自然科学の目だけではハード面に偏りがちである。もちろん、自然科学者とて防災町づくりなど都市計画のソフト面も重要であることは知っている。しかし、行政べースのマクロな面は捉え得ても、個々人の生活再建まではアドバイスできない。法律や制度に疎いからである。そこで、杜会科学者・人文科学者もメンバーになっていただき、従来の自然災害科学で看過されてきた側面について調査研究していただきたいと考えた。以上のような考えに基づき広く参加を募った結果、末尾に掲載した18名の方々が快諾してくださった。
 こうして4月中旬、「1997年鹿児島県北西部地震の総合的調査研究」というタイトルで教育研究学内特別経費を申請したところ、幸いにして学長裁可を得て350万円の研究費が認可された。参加してくださった研究者の皆様および田中学長に篤く謝意を表する次第である。
 さて、調査チームの名称であるが、当初、新聞で鹿大震災調査団結成と報じられたため、そのまま借用して便宜的に「鹿児島大学震災調査団」と称した。しかし、夏頃から「鹿児島大学自然災害研究会」の名称を用いることとした。その理由は次の通りである。1997年には地震だけでなく土石流災害や台風災害にも見舞われた。このことが示すように、鹿児島県は自然災害の多い県である。今後もいろいろな災害の発生が予想される。地方大学として地元の災害の軽減に継続して貢献するのは当然の責務ではなかろうか。従来も地質・砂防・土木など一部の専門家は、大災害の度に突発災害の科研費を申請して研究を続けてきた。しかし、研究費がもらえなかったら研究をしないというのでは困る。手弁当のボランティアでも調査研究に当たる必要がある。また、先にも述べたように、災害は複合的な杜会現象である。もっと多面的総合的な取り組みが求められる。幸い鹿児島大学は総合大学で多種多様な専門家を擁している。これらの研究者が力を合わせれば、すばらしい研究が出来るに違いない。鹿児島大学が、大学を挙げて地元の自然災害に継続的に取り組む姿勢を持っていることを公に示す意味で、「鹿児島大学自然災害研究会」という名称にした。
 そうした観点から科研費の突発災害研究とは別に鹿児島大学として最初に災害研究に取り組んだのが1993年の鹿児島豪雨災害であった(研究代表者:下川悦郎農学部教授)。この時は「1993年豪雨災害鹿児島大学調査研究会」というこの時限りの名称を用いた。今回は実質的に第2回目の取り組みと言ってよい。本研究会は会長も会則もないルーズな組織ではあるが、その時その時の災害の性質に応じて、一番関わりの深い専門分野の方が中心になって組織すればよい。幸い文部省自然災害科学総合研究班の鹿大班は恒常的に存在しているから、旗揚げのお膳立てはできるので、継続性は保証されるであろう。当面はこのように災害の度に緒成するテンポラリな組織ではあるが、ゆくゆくはシンポジウムを開いて日頃から研鎖を積むような恒常的組織へ発展することを願っている。しかし、組織づくりを急ぐよりも、実質的な活動を積み重ねていくほうがよいと判断した。
 最後に、本報告書は主として客観データの記録集である。当初考えていたような人間ドラマの側面が弱いのは否めない。そこで、本学理学部地学科0Bの南日本新聞杜会部記者高嶺千史氏に特別寄稿していただいた。篤く感謝する。また、地質グループでは、本報告書とは別に、縮尺5万分の1四六判カラー印刷の『1997年鹿児島県北西部地震震災地質図』を刊行した。本報告書およびこの震災地質図が今後の地震防災対策にとってお役に立てぱ幸いである。

謝辞
 今回の地震調査に関し、鹿児島県総務部・土木部および関係市町村からは資料の提供など、さまざまな面でお世話になった。また、地質・建設コンサルタント会杜からは、調査報告書を頂戴した。ここに篤く謝意を表する次第である。


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連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:1998年3月31日