防災教育と地学教育

岩松 暉(日本地学教育学会第54回全国大会フォーラム基調講演 2000.7.31)


1.はじめに

 昨1999年8月神奈川県丹沢でキャンプ事故があり、子供を含む13名の方が遭難死した。早速、河原でのキャンプを禁止すべきだといった論調が現れた。果たして本当にそれでよいのだろうか。川には瀬もあれば淵もあるし、瀞も淀もある。子供の頃から川に親しんでいれば、どこが危ないところか、どの程度の流速だと流される恐れがあるか、体験的に知っているはずである。
 山で働く人々には「天狗の踊り場で野宿するな」との言い伝えがある。天狗の踊り場とは、支流が合流したところの小さな土石流扇状地のことである。平場の少ない山の中では、唯一平坦に近いところだし、水も得やすい。テントを張るには絶好のところだ。しかし、ここは天狗様の踊り場、人間が侵してはいけないと戒められてきた。単なる土俗や迷信に過ぎないと一笑する向きもあろう。だが、土石流扇状地は、万一上流で大雨があると、たとえその上空が晴れていても、鉄砲水に襲われる恐れが強い。祖先はそれを熟知し、タブーとして言い伝えたのだ。
 現代人は自然を畏怖し、神を敬うことを忘れた。台湾山地で土砂災害に遭うのは漢族が多く、少数民族は被害を受けることが少ないという(成功大学謝教授談)。われわれ日本人もまた自然から切り離されてしまい、自然の摂理に対してあまりにも無知である。日本人の半数が三大都市圏に住んでいるという現実がある。日頃から自然に親しめと言っても、無理というものだ(本当は過疎と過密を同時に解消し、地方でも生業が成り立つ政治を実現して欲しいものだが)。
 そこで、自然教育・地学教育の役割が重要となる。祖先の叡智は学問に凝縮されている。川の攻撃斜面や滑走斜面といった地学的水理学的知識を持っていたならば、あのようなところにテントを張らなかったに違いない。気象についても同様、アルピニストやキャンパーの必須知識である。こうした個人の事故だけでなく、自然災害に対する備えについても自然教育が欠かせない。

2.防災教育の重要性

 災害では「自分の命は自分で守る」のが基本と言われている。実際、55万都市鹿児島でも消防署員は300人しかいない。平常の火災ならこれで十分かも知れないが、大地震に見舞われたら、この人数ではとても手が回らない。第一、消防署員や行政マン自身も被災者となる可能性が高い。隣近所で助け合うしかない。
 その際、災害に対する知識の有無が生死を分けることがある。「地震、火を消せ」とか「地震に遭ったら津波に用心」といった類である。土砂災害に対しても同様である。1997年出水市針原川土石流災害の例を挙げよう。当日避難勧告が出され、公民館長が公民館の鍵を開けておいた旨アナウンスしたという。住民は川を見に行ったら、かえって平常より水位が下がっていたので、洪水の恐れはないと判断して帰宅し、結果的に21名の犠牲者を出してしまった。上流で山崩れが起き、土砂が川をせき止めたからこそ水位が下がったのであって、土石流の前兆現象だったのである。
 ここ針原地区は、江戸時代までは薩摩と肥後の国境、関外と呼ばれて人が住まなかったところである。寸地を争った戦国時代、どちらの国も利用しなかったのにはわけがある。土石流常襲地帯だったからである。この付近の河川はガレ沢(土石流渓流)で、海岸には押し出し地形が残っている。そこに近年島原や天草から移住してきた人たちが新しく集落を開いた。風化安山岩は地味も肥えていてミカン栽培には好適地だったのである。移住民には災害の伝承が伝わっていなかったのだ。天草災害でも、本家は被災しなかったが被災したのは分家が多かったとかで、「本家分家の理論」なる言葉が関係者で流行った。針原や天草に限らず都会でも同様、被災するのは危険な地帯に住んでいる新住民に多い。
 また、土砂災害の発生周期は100年のオーダーである。祖父母がその祖父母から聞いた話として、災害の教訓が孫へ伝えられる。しかし、今は核家族時代、災害の伝承は不可能である。学校教育や社会人教育など公教育における防災教育の重要性が叫ばれる所以である。
 実際、針原川災害のあと、鹿児島県土木部で土石流危険渓流周辺住民にアンケート調査を行った。図-1に示すように、土石流危険渓流の存在は知っていたが、前兆現象について知っている人は少なかった。また、危険個所分布図の存在を知らない人も多い。これでは第二・第三の針原災害が起きてしまう。

3.学校教育における防災教育

 図-1は住民の調査結果であるが、子供達はどうであろうか。1993年鹿児島豪雨災害のあと、鹿児島市内の中学生にアンケート調査を行ってみた(図-2)。鹿児島は有名なシラス地帯である。ところがシラスを見たことがないという生徒が半数近くいる。市内至るところシラスがけがあるから、実際は見ているのだろうが、実地に即して教わっていないから、単なるがけとしか目に映らないのだろう。がけ崩れ発生時間雨量についても過大評価や過小評価がかなりある。とくに100mm以上と答えた人は逃げ遅れる可能性がある。また、水害についても聞いてみた。鹿児島は明治以降をとっても度々水害に見舞われている。しかし、子供達には伝わっていない。近年の団地造成が諸悪の根源といった一面的議論がなされる背景にもなっている。
 なお、地震や台風に関する知識ついても聞いてみた。前述の「地震、火を消せ」といった地震に関することはかなり知っていたが、台風銀座に住んでいるにもかかわらず、台風についてはあまり知らなかった。理科教育が東京製教科書の受け売りで終わっているからであろうか。
 わが国は環太平洋地震火山帯に属し、かつ、北西太平洋季節風帯にも位置している。自然災害を受けやすい国土なのである。日本人はこの国土で暮らしていかなければならない以上、地学は国民教養と言えよう。是非とも自然の中で、実地に即した地学教育を実践していただきたい。

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更新日:2000年6月24日