「暉」談義


暉さん集合!|暉の語義|フンは人なり|フン族|キララ貝|糞石学|恐竜の糞化石|マリンスノー|噴砂|噴石|純米酒「國暉」|陽暉楼|夕暉が丘|Golden Glory|延暉閣|清暉園|薩長盟約|四海明暉|活褌|落合左平次背旗|クラシックパンツ|褌が決め手|ふんどし校長|ふんどし先生|ブンとフン|犢鼻褌|ふんどしの日

★暉さん集合

 私の名前は「あきら」である。声を大にして言う、「あきら」である。学生時代、学部は違うが先輩に暉(ひかる)さんという方がいた。やはり東大駒場時代地学ゼミを受けていたので、「石くれ会」のメンバーだった。片山先生はどうしてこの先輩に「ふんどし」と名付けなかったのだろうか。ハブは二人目に噛みつくという。シャモ(片山先生のあだ名:髪の毛がもしゃもしゃしていて、喧嘩っ早いからとの言い伝えがあった)も二人目に噛みつくのかも知れない。
 その後大学院時代のこと、学部の入試合格発表に暉という名前の人があったと友人が知らせてくれた(当時の東大では受験番号だけでなく氏名も同時に掲示した)。物好きにわざわざ見に行った。その人が現在の義弟である。奇縁なるかな。親戚になってから聞いてみた。われわれが生まれた当時、徳富蘇峰が名付け親になる雑誌企画があったので、双方の父親が応募したとのこと。蘇峰も遠く離れたところで生まれた赤ん坊が後に義理の兄弟になろうとは夢にも思わず、同じ名前を付けたのだろう。彼もやはり「あきら」と発音する。要するに親も蘇峰も手抜きをしたのだ。
 その他、暉夫(てるお)という友人がいるから、恐らく1字の暉で「てる」と発音する方もおられるだろう(その後インターネットで、暉夫で「あきお」と発音する大学教授がおられることを知った)。どう発音するにせよ、1字で暉という名の人は1度や2度、「ふんどし」とからかわれたことがあるに違いない。ひとつ、みんなで集まって暉サミットでもやりたいものだ。
<追記> 2012年9月大阪にお住まいの河野暉(あきら)さんからメールを頂戴した。私より1歳年上、やはり雑誌企画で蘇峰から命名してもらったという。この調子だともっと暉(あきら)さんがいそうだ。

★暉の語義

 漢和辞典によれば、音は「キ」訓は「ひかり」で、輝と同義語とのこと。したがって、字義は「ひかり」「ひかる」「かがやく」である。
 暉映(きえい)…輝き映ること
 暉暉(きき)…日光の輝くさま、空が晴れて明らかなさま
などの例が載っている。
<蛇足>
 褌は「コン」と発音する。緊褌一番(きんこんいちばん)のような四字熟語もある。

 なお、「暉」はワープロで出てこないとの苦情をよく聞く。れっきとしたJIS第二水準漢字である。「てる」や「ひかり」でも出てこない出来の悪いソフトの場合には、下記コード番号を入力していただければOKである。お手数をおかけして誠に申し訳ない。
体系JISシフトJIS区点Unicode
番号5A769DF458866689
 ところで、JIS第二水準漢字で「フン」と発音する漢字をいくつご存知だろうか。ATOK17で出てきたのは下記の通り。当然のことながら「フン」と入力しても暉は出てこない。念のため申し添えておく。
忿

★フンは人なり

 先輩の坂巻幸雄さん(元地質調査所、現在JICAでモンゴル地質調査所派遣)から年賀状をいただいた。モンゴル語でХУН(フン)とは「人」「人間」という意味で、ハンガリーのハンの語源だとあり、次のようなモンゴルの諺が書き添えてあった。

ХУНИЙ ГАРААР МОГОЙ БАРИХ
(フニー ガラール モゴイ バリフ)

 意味は「人の手で蛇を捕らえる(他人の手でもって蛇をつかまえる)」とのこと。何だかわが国の諺「他人の褌で相撲を取る」によく似ている。本来、フンは人という意味なのだから、もっと立派な内容の諺だってたくさんあるだろうに、敢えてこんな諺を賀状に書いてくるなんて、どうも困った先輩である。
<後日談>
 1998年7月、坂巻さんに案内していただいてモンゴルへ行ってきた。モンゴル航空MIATの機内誌"Blue Sky"に、日本はЯПОН(ヨポン)で日本人はЯПОН ХУН(ヨポン フン)との解説記事が載っていた。ただし、ゴビ砂漠ではサソリには出会ったが、蛇には遭わなかった。

★フン族

 読者からフン(Hun)族についても触れろとの声があったので、ちょっと調べてみた。北アジアの勇猛果敢な遊牧騎馬民族のことである。その名はプトレマイオスの書にも見えるが、4世紀中頃から西進を開始し、東ゴート王国・西ゴート王国を滅ぼした。これがゲルマン民族の大移動を引き起こすきっかけを作ったとして名高い。一時東西両ローマ帝国も脅かし、カスピ海よりライン川にまたがる一大王国を築いた。アッチラAttila王(在位433〜453)治世のときである(写真)。私の名前アキラとちょっと似ている。もっともアッチラは新婚の妃に殺されたというから、あやからなくてよかった。アッチラは今のハンガリーの地に居城を構えた。ハンガリー(Hungary)という国名はもちろんフンに由来する。フン族はモンゴルに繁栄した匈奴の子孫であろうと言われている。

★キララ貝

 教養学部時代、浜田隆士先生の地学巡検で、女の子の振り分け髪のような模様(分岐状彫刻)のついた貝化石を採集した。アキラという名前だと教えられ、大変うれしかったことを覚えている。化石の名前など覚える気はなかったが、自分の名前と同じなのでこれだけはすぐ覚えた。学名Acila、和名はキララ貝である。もっともそのとき採ったもう一つのコルビキュラCorbiculaという貝化石も大事に持ち帰ったが、図鑑で調べてみたらシジミのことだったのでがっかりした。

★糞石学

 うるさい読者がいる。キララ貝のようなものを載せるくらいなら、どうしても糞化石についても触れるべきだという。仕方がない。簡単に解説しよう。
 動物の排泄物が化石になったものを糞化石という。糞石、コプロライトcoproliteなどとも呼ばれる。現生動物でも古生物でも、糞を調べることによって、その動物の食性がわかる。とくに古生物の場合、骨格など硬い部分だけしか化石として残っていないケースが多いから、糞は貴重な情報を与えてくれる。したがって、糞石学paleocoprologyというれっきとした学問分野もある。写真は30万年前のハイエナの糞化石(鹿大所蔵,φ3〜4cm)である。北京原人で有名な中国周口店の洞窟から産出したものという。
 その他に、グアノguanoも糞化石と呼ばれることがある。グアノは、海鳥類の糞が多年にわたり堆積硬化したもので、南米、特にペルー西海岸の島のものは有名である。最大で30mもの厚さがあるという。窒素質グアノとリン酸質グアノがあり、肥料として大量に採掘されている。比較的柔らかいから、ペンギン類はここに穴を掘り巣を作る。ペンギンが減少した原因の一つがグアノ採掘だとか。

★恐竜の糞化石

 つくばの地質標本館に行ったら恐竜の糞化石が展示してあった。人頭大である。さすがにでかい。アメリカのユタ州で発見されたジュラ紀後期の大型草食恐竜の糞とのこと。種名まではわからないらしい。
 兵庫県の玄武洞ミュージアムに行ったところ、糞化石がたくさん陳列されていた。そのうち恐竜の糞化石は分割して断面が磨いてあった。館長さんのご説明によると、肉食恐竜の糞は赤くて(写真手前)、草食の場合には緑色(写真奥)とのこと。何となく納得した。

★マリンスノー

 どうも糞の話ばかりで気に入らないが、マリンスノーについても書けという人がいた。海面に漂うプランクトンは死ぬと海中を沈下していく。しかし、炭酸塩補償深度以下になると炭酸カルシウムが溶解してしまう。本来なら深海底に有孔虫などの化石が残らないはずである。その秘密はマリンスノーにある。プランクトンをミジンコなどが食べると、当然糞をする。その糞粒がマリンスノーである。マリンスノーは大きくて重いし、有機物の膜に保護されているから、超特急で海底に運搬されるのである。海洋表層の二酸化炭素を深海へ押し込める重要な働きで、生物ポンプと呼ばれている。なお、マリンスノー(marine snow)と糞粒(fecal pellet)とは厳密に言うと違うらしいが、ここでは同義としておいた。

★噴砂

 糞石があれば噴砂もある。地震時に砂地盤のところで液状化が起きるとできる。写真は鹿児島県北西部地震(1997)の時に阿久根市内で撮影したもの。ちょうど火山のミニチュアのような形をしている。液状化は新潟地震(1964)で一躍有名になった。

★噴石

 もう一つ大事なものを忘れていた。火山の噴石である。写真は2011年2月14日、宮崎県小林市に降った新燃岳の噴石である。新燃岳火口を充たしていた溶岩の蓋を吹き飛ばしたのだ。ほとんど本質岩片からなっていた。ここは径数mmだったが、もう少し大きいのが降ってきて車のガラスが割れたところもある。なお、噴石の定義はかなり混乱しており、あまり使わないほうが良いとの説もある。

★純米酒「國暉」

 山陰は松江に國暉(コッキと仮名がふってある)という銘酒がある。その効能書がなかなか地質学的である。以下、その「仕込水」の項を引用しよう。
 「酒蔵から車で一時間かけ、日本海を眼下に一望する枕木山の麓まで仕込水を汲みに行きます。この地質はおよそ1100万年以上前の花崗岩が風化して形成された砂岩からなる第三期層(第三紀層の誤り)で、その清冽な湧水は自然のミネラルが絶妙のバランスで含まれています。」
 その後2007年、学会が松江であった折、蔵元を訪ねてみた。文化二年建築の仕込蔵が「蔵しっく館 國暉」として公開されていた。1本土産に買い求める。そのリーフレットに「名前の由来」が次のように書かれていた。
 暉(かがやき)は「輝」とほぼ同意語ですが、太陽のかがやきを表します。古来日本では太陽は、「凝ろ」すなわち「心」「命」に通じると考えられていましたので、「暉」とは、内面的な心のかがやきをも表します。天地の恵み、作物の恵みは、神に捧げられ、酒となり、心の恵み、即ち「暉」となります。…(以下略)…

★陽暉楼(得月楼)

 土佐の高知のはりまや橋に得月楼という料亭がある。宮尾登美子の小説『陽暉楼』の舞台になったところだ。看板にもかっこ書きで(陽暉楼)と書いてある。何しろ高級料亭だから入ったことはない。

★夕暉が丘平和の塔

 西之表市を一望できる景勝の地に夕暉が丘がある。ここに戦艦大和を偲ぶ記念碑「戦艦大和夕暉が丘平和の塔」が建っている。ここの西方280kmのところで大和は撃沈したのだという。種子島は火縄銃とロケットで有名だが、両方とも戦争と深く関わって発展してきた。科学技術が世界平和に貢献することを願うと碑文にはあった。

★GOLDEN GLORY

 漢字の国中国では暉は立派に通用している。かの有名な「万里の長城」の八達嶺にあるロープウェイのゴンドラにはGOLDEN GLORY(金暉公司)と書いてある。索道メーカーの名前らしい。暉の英訳にはGloryを使っていた。これからは私もGlory Iwamatsuと名乗ろうか。何となく強そうなプロレスラーを連想するではないか。
 なお、北京の北西にある夏宮殿「頤和園」にも「徳暉殿」という建物があった。徳が輝いているという意味だろう。
 ところで岩松 暉は中国語でどう発音するのか聞いてみた。私にはイェン・スン・フェイと聞こえたが、岩(Yan)松(Song)暉(Hui)と書いてくれた。

★延暉閣

 北京の紫禁城に延暉閣という門があったと写真を送ってくださった方があった。某大学工学部の社会人大学院生である。地質屋なら私のニックネームを知っているかも知れないが、工学系にまで伝わっているとは…。昔北京で国際会議があったとき、故宮にも行ったが、観光客があまりにも多いのであきらめて帰ったことがあった。

★清暉園

 2004年9月すみだ郷土文化資料館で百花園特別展があった。その中に「幻の清暉園」という展示があるではないか。中村仏庵という文人が百花園に匹敵する名園を建設したという。落成式直前に失火により消失、幻になった由。『清暉園図記』なる書物だけが残された。中国の徳暉殿は現存しているのに残念。しかし、徳暉といい清暉といい、暉はなかなか良い言葉に使われている。

★薩長盟約

 2010年のNHK大河ドラマは「龍馬伝」である。それで坂本龍馬の本を買ってきて読んだ。いわゆる薩長盟約を記載した木戸孝允書簡に「暉」という文字があった。坂本龍馬が裏書きしたとして名高い。その第6条に次のようにある。もっとも原文は宮内庁所蔵なので閲覧出来ないが…。
 冤罪も御免の上ハ双方誠心を以て相合し皇国の御為皇威相き御回復ニ立至り候を目途に誠心を尽くし屹度尽力可仕との事
 私もどういうご縁か薩摩に居住することになった。

★四海明暉

 イワヒバ(岩檜葉・巻柏)はシダ植物の一種で俗に「岩松」という。江戸時代から愛好されていた古典園芸植物である。日本巻柏連合会という団体まである。2005年4月、高尾森林センターのグリーンフェスティバルで、何と「四海明暉」という品種を売っていた。「世界中を明るく照らす」という意味だろう。早速購入。姓・名共に揃っているから表札代わりに玄関におくことにした。

★活褌

 JR大森駅近くにE.S.モース(1838-1925)が発見したというので名高い大森貝塚がある。その記念碑の台座に発起人の名前が列挙してある。その中に「矢吹活褌」という人がいた。本名なのか、雅号なのか、はた考古学者なのか、一切不明である。しかしまあ、変わった人もいたものだ。

★落合左平次背旗

 褌姿で逆さ磔にされている人物は鳥居強右衛門(とりいすねえもん)である。長篠の戦いで、武田勝頼軍を欺いて徳川家康に援軍を求めたため、武田軍に処刑された。これに感激した落合左平次が自分の旗指物の図案にしたのだという。原図は東大史料編纂所所蔵[無断引用すみませんm(_ _)m]。ところが、東大はこれをスクリーンセーバーにして売り出した(\300)。いくら法人化されて商売自由になったとはいえ、こんなものを売り出すとは、わが母校も困ったものだ。

★クラシックパンツ

 2005年夏、小泉内閣はノーネクタイ姿をクールビズと称して推奨した。それに呼応したのか、三越が褌を「クラシックパンツ」と銘打って売り出したところバカ売れしたとか。普通の男性下着を大きく上回る売り上げだったとのこと(R25 No.54, p.14 写真も同誌から引用[無断引用すみませんm(_ _)m])。
 近頃は駄菓子やブリキのおもちゃがブームを呼んでいる。引退を控えた団塊の世代が昭和30年代を懐かしがっているのが背景にあるらしい。このクラシックパンツブームもその一つか。購入した客層はどの世代なのだろう。

★褌が決め手

 言わずと知れたイースター島のモアイ像である。下半身に注目願いたい。褌の締め方が東南アジア風だという。これが決め手となって、これら巨石文明を築いた人たちは東南アジアからはるばるとやってきたことが証明された由、褌は学問の進歩に貢献しているのである。

★ふんどし校長

 必読文献をご紹介する。川村たかし著(1975):『ふんどし校長』偕成社文庫 No.2006, 194pp.である。カバーには「水泳も平均台もできない達也が転校した学校には、型破りの校長がいました。その先生の奇抜な教育で、もやしっ子の達也も成長していきます。」とある。内容はここでは触れない。是非読んでいただきたい。
 著者の川村たかし氏は、奈良県五條市に住む定時制高校の教師である。同じ偕成社文庫に『新十津川物語』がある。明治22年台風による大規模な斜面災害があり、被災者の半数600戸2,600名が北海道に新天地を求め、新十津川村(現在は町)を作った実話に基づいている。災害科学関係者には非常に有名な災害だから、この本の存在は知っていたが、まさか『ふんどし校長』なる著書まであるとは知らなかった。大変親近感をおぼえた。
 なおその後2000年10月20日、十津川災害111周年記念集会で「土砂災害とのつき合い方」と題して、村民向けの講演を行った。縁なるかな。

★ふんどし先生

 ついにテレビに登場。フジテレビの人気番組「力の限りゴーゴゴー!!」というのがそれ(1999年10月13日放映開始)。青春ドキュメントバラエティである。その中に、原田泰造扮する「ふんどし先生」が日本全国の中学生の悩み相談にのり、解決していく企画がある。このコーナーが大変な人気だそうで、お台場のフジテレビ本社では「ふんどし先生チョコレート」や「ふんどし先生ストラップ」「ふんどし先生一筆箋」「ふんどし先生手ぬぐい」などなど、いろいろなグッズまで売っている。そのうちオンラインショップもできる由。インターネットでは「力の限りゴーゴゴー!!手帳2001」(PIM)がダウンロードできる。写真はクリアホルダー。
 なお,残念ながら2002年9月11日放送終了となった。

★ブンとフン

 井上ひさしの著作に『ブンとフン』というのがあると教えてくれた人がいる。貧乏小説家のフン先生と彼が創作した四次元を自由に行き来出来る大泥棒ブンとの荒唐無稽なナンセンス文学である。この本を読んでクスリとも笑わなかった人は、人間ではない。ともかく面白い。それにしても小説やテレビに出てくるフンはなぜ「先生」ばかりなのだろう?

★犢鼻褌

 大森貝塚で有名なE. S. モースの回想録に『日本その日その日 Japan Day by Day』がある。この本は、横浜に船が着いた時から始まっている。まだ岸壁がなかったのか、和船が迎えに来た。彼の目に最初に止まったのが、水夫たちの褌姿であった。訳者石川欣一は犢鼻褌(ふんどし)と書いて仮名を振っている。日本人類学の祖に真っ先に注目され、光栄の至り。ところで、犢は子牛の意味である。漢和辞典には犢鼻褌(トクビコン)とあった。古くはタフサギとも読んだらしい。どうも語源がよく分からない。

★ふんどしの日

 毎月2日は「ふんどしの日」なのだそうだ。その理由はわからない。詳しいことは「ふんどしは、お好きですか」のページをご参照いただきたい。インターネットに無いものはないと言われるが、世の中には誠に風変わりなWWWもあったものである。
 もっともその後1997年秋になってこのサイトは閉鎖された。現在は左のように「バイバイ」とgifアニメは出るが、いずれ削除されそうなので、何とも惜しいから引用させていただいた。掲載許可願のメールを出したが返事がないので、勝手に使わせていただいた。ご容赦を!


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連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp

更新日:2018年6月21日