岩松 暉著『残照』7


銀杏並木

 布団の中でうとうとしながらNHKのラジオ深夜便を聞いていた。アンカーの女性が「鹿児島大学…」と語り始めたので、ハッとして目が覚めた。鹿児島大学に行った折、構内の銀杏並木がそれはそれは美しかったと、今でもよく記憶しているとのこと。
 あの銀杏並木は故山根銀五郎先生がお植えになったそうである。私が全学の風致委員長になったとき、教え子の東先生(現名誉教授)がこんな話をしてくださった。「山根先生が銀杏並木を作られたときには、山根先生は東大出身だから東大の真似をしていると大変不評だった。しかし、それから40年、見事な並木に生長し、鹿大内ではもっとも美しいところの一つになった。風致委員長はその時は不評でも歴史に評価されるような仕事をしなければならない。」といったご趣旨だった。
 当面の人気取りでばらまき行政をやっている政治家は、まさにこの教訓の反対を実行している。莫大なツケを子孫に残して、後世なんと言われるであろうか。もっとも野党も財政の裏打ちなしに、実際に政権を担当した場合には実行不可能なバラ色の政策を唱え、民心をつかもうとしている。同工異曲であることには変わりない。明治の政治家は、鹿鳴館のようないささかどうかと思うことまで実行して、不平等条約の解消を目指した。彼らの努力がなかったら、恐らく清国の二の舞になり、列強の餌食になっていたかも知れない。しかし、今や二世三世政治家と暗記秀才の官僚が政治を動かしている。従来路線の踏襲ばかりで抜本的な変革は無理であろう。国家100年の大計を考える政治家や官僚の出現が望まれる。

(1999.12.12 稿)


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更新日:1999年12月12日